第17話:譜面の外側
恒星を背に振り落とされた正義の拳は、金色に輝いていた。
ニュース番組では、青年は犯罪Novactorとして取り上げられ、食い入るように結末を待っていた四境街の人々は安堵の息を漏らし、それぞれの日常へと戻っていく。
——だが、その舞台の上には、まだ熱が残っていた。
昼の光が容赦なく降り注ぎ、首の後ろをじりじりと焼く。
惨状は酷く、きっと誰かが育てていたであろう屋上の花壇は踏み荒らされ、茎は俯くように折れている。
換気ダクトは深く裂かれ、金属片が陽光を反射して、煙が漏れている。
「しまったな、謝りにいかないと。事後処理班の要請と修繕申請ってとこか……?」
おもむろに腰ベルトのケースから手錠を取り出す。
白の光沢を放つそれは、対象のバイタルを監視し、Novaを抑制する機能が付いているNova制御型拘束具だ。
事後処理班に封鎖ラインの使用を許可されているのと同様に、オーダーはこの手錠を扱える。
Novaは生活に染み付いている。
Novaを抑制、無効化…市民の自由を奪うものに関して、特定の機関が重複して所持することは禁止されている。
対象を無力化するためとはいえ、人間としての機能を『一時停止』させることは暴力になりかねない。
封鎖ラインを引くことはできても、個人の尊厳に土足で踏み入る権利など誰にもない。
バイクチェーンに似た鎖を引き伸ばしながら、屋上の壁に座り込むピクリとも動かない青年の両腕に手錠をかけた。
生成が終わった、今のこの腕なら外れることはないだろう。
ジャラリと音を立て、自動的にチェーンが手錠の中に巻き込まれ、ガチンと両腕がくっつくように固定される。
すぐに手錠が脈拍と体温を感知し、青く点滅すると共に機械音声が低く告げた。
≪対象生体反応を確認中…≫
≪心拍:安定 脳波:正常域 Novaエネルギー残存率:およそ22% 正常値≫
「よし、問題ないな」
視線が、無意識に青年のローブへと向かった。
無数に縫い合わせたような跡が目立つ。近くで見ると、それは単なるデザインではなかった。服の上から無数に刻まれた裁断痕──いや、
自分で繰り返し、服の上から身体を切り離したのだろう。
色は黒で統一されているものの、生地の種類はすべて違う上に裏地も縫い目もなにもかもめちゃくちゃだ。
露出した腕も指の根元にも輪っかの凹みが数えきれないほど残されている。まるで、部品を何度も取り換え摩耗した機械のようだ。
「……まだ、子供だろ。なんでこんなこと…」
ふと漏れたその言葉は、誰に向けたわけでもない。
自傷の痕跡が刻まれたその体が、ただあまりにも痛々しく、胸の奥に何かを引っかける。
思考がよぎる。
「聖譜会への引渡し時に逃げた…。オーダーにはこの青年の情報は流れていないということは、引き渡したのは店の店主か?」
さっきまでの青年の行動は聖譜会に突き出されても仕方がないと言えるが、今の今までNova未登録で不明扱いだ。
つまりオーダーや市民、聖譜会の前ではあのトラウマを植え付けるNovaを使っていなかったということだ。少なくとも気づかれていない。
盗みをするとはいえ、まだ16歳程の青年のために聖譜会が直々に動くか?
聖譜会は、この都市における最終審級機関。
すべての犯罪Novactorは最終的に聖譜会の譜面へと記録されるとはいえ、通報を受け動くのはオーダー。
市民からの通報を受け、現場へ向かい、制圧し、拘束する。
それが俺たちのオーダーの役目。
軽度の犯罪なら、そのままオーダー機関内で処理できる。
罰金、保護観察、書類審査。
結果をまとめ、聖譜会へ報告を上げる——それで終わり。
だが、殺傷や大規模被害、あるいは能力の危険性が極めて高い場合は別だ。
その時初めて、聖譜会が身柄を引き取る。
裁き、罪名を決め、刑を下す。
通常なら、聖譜会が直接的に動くことなど滅多にない。
だが今回は、その線を飛び越えている。
聖譜会案件になるほどの情報は、オーダーには共有されていない。
オーダーを介さず、市民から直接。
「深く考えすぎか?」
斑に染められた緑色の髪の毛は、低くまとめられてはいるものの、油や付着物が多い。
肌は生気を感じさせない青白さなうえに、体中の乾ききった血の跡は先ほどの機械音声の検査結果を疑わせるほど。
首元の端末に指を添える。
「…こちらオーダー。識別番号192A01オーティス。対象の拘束を完了した。聖譜会への引き渡しを要請する」
無意識の低い声に気付き、最後の方は声のトーンを上げるよう意識する。
『了解しました!至急、付近に待機中の執行官を送ります!』
支援部の応答と共に、ローター音が近づいてくる。
風圧が花壇の土を巻き上げた。
「はぁ…謝るのは俺なんだぞ…」
間もなく、屋上にホバリングしたのは、聖譜会の紋章を刻んだ灰銀色の機体。
やがて腹部ハッチが静かに開く。
その中からは、白を基調とした制服の執行官たちがぞろぞろと降り立った。
動きに無駄はなく、ローターに巻かれた風で背中のマントがはためく。
その後ろから、担架搬送機が滑るように展開され、静かにオーティスを横切り、青年の傍へと寄っていった。
「ご苦労だった、オーダー。手間を取らせてすまない、取り逃がしたのは我々の管理ミスだ。迅速な対応に感謝する」
先頭に立ったのは、やや威圧感のある男。
後続の部下一人が、青年の手錠に触れると、青く再点滅する。
≪オーダー機関から聖譜会へ拘束権限、譲渡完了≫
指先が手錠に触れた瞬間、拘束具の制御権が自動移譲された。
「まぁ、任務だからな。ところで、一つ気になることがあるんだが、こいつはどっかの裕福な家の息子とか御曹司…には見えない。聖譜会が直々に動く理由があるのか?」
なんの前置きもなく、直球な質問。
≪対象個体のNovaを検知。逃走履歴あり≫
担架に青年が乗せられ、ロボットの固定アームが腹部に回り込む。
しばらくの沈黙のあと、目の前の執行官が青年を見下ろしたまま、気だるそうに口を開く。
「……これが中央区のほとんどの町で、盗みをしていたことは報告を受けていたんでな。丁度、イリス・セントラルターミナルから街の通り掛けにスリをしているところを見かけたのが部下だったということだ」
「なるほど…そういう事だったのか!以前にも似たようなことがあったしな」
執行官はオーティスの満面の笑みに、どこか拍子抜けしたような、小さなため息を漏らすと背を向けてヘリへ戻っていく。
機体へと収容される直前、執行官がふと口を開いた。
「君が今回の担当で助かった。…とにかく、余計な火種は避けたいという事だ。業務も詰まってきたからな。中央区長官に"今後とも"よろしく頼むと伝えてくれ」
「ん?ああ。伝えておく」
妙な言い方に首をかしげながら腕を組む。
その背中を見送ろうとする刹那、背後からやけに騒がしい声が響いた。
「あ~!!だめだめ!戻って戻って!不法侵入ですよ!!」
「いたわ!」「映して、カメラ上げて!!」
数名の取材班がビル警備員の静止を逃れ、屋上に昇ってきた。
カメラを構えてこちらに突進してくる。
「…本当に、勘弁してくれ」
オーティスは苦笑し、取材班に一瞥したが、すぐに身を翻した。
助走をつけて屋上の縁へと走り、蹴りあげるように高く跳び上がると、ビルの外壁を伝いながら、すさまじい速度で地面へと降下していく。
風が耳を裂き、景色が線になる。
ドンッ!
コンクリートの地面に着地すると、足元から大きな衝撃音。
オーティスは軽く息をついたあと、衝撃を殺し、ゆっくり立ち上がる。
「…あ」
思い出したように、ぽつりと呟く。
「バイク、入口だ」
頭を掻きながら、曇った顔で歩き出す。
「戻んなきゃな…ったく」
自分に言い聞かせるように呟き、歩き出す。
ビルの喧騒を背に、彼の背中は人混みの中へと溶け込んでいった。
人混みに紛れながら、背中はいつの間にか、ただの青年のものへと戻っていった。




