第12話-2:星の記憶の断章
「…………。」
暫く考え込んだ後、胸の奥に沈んでいた言葉を掬い上げた。
「……実は、ここに来る前に、ユベルさんと話をしました。博士は私のNovaのコントロールに協力したいと仰っていました。理由としては、私自身の安全と、周囲への被害防止、それと……研究者としての純粋な──興味だと。」
「ですが、私は自分がD.R.Aへ所属している以上、個人的な判断では答えられないとお伝えしました。まずは、艦長に報告すべきだと。それと……博士は、私のNovaについて、かなり具体的な見解を示していました。」
ヴィンセントは、一度だけローテーブルに視線を落とし、そして再び顔を上げた。
「私のNovaは、“時間遡行”と“空間跳躍”である可能性が、極めて高いと。単なるテレポートではなく、実際に時空を越えている……そう言われました。」
その言葉が放たれても、部屋の空気は揺れなかった。
メルは、驚いた様子も、動揺した様子も見せず、ただため息交じりに小さく頷いた。
「なるほどね」
その落ち着きようにヴィンセントの方がかえって戸惑う。
「……驚かれないのですか。」
「ええ。確かに、理論上でも極めて稀ね。でも、“不可能”ではないわ。裂け目と歪流エネルギーが存在する以上、時に干渉するNovaが発現してもおかしくはないもの」
あまりにも自然な調子で言われ、ヴィンセントは小さく息を呑んだ。
しばし沈黙が落ちる。
その静けさの中で、ヴィンセントは、先ほどから胸に引っかかっていた疑問を、ようやく口にした。
「艦長」
「なに?」
「ユベル博士と話していて……そこまで警戒する必要はないように、感じました。」
彼女の視線が、ほんのわずかに鋭くなる。
だが、それも一瞬で、すぐに元の穏やかさに戻った。
「どういう意味?」
「メディアの反応も、民間人の評価も、かなり好意的でした。D.R.A基地を囲む可変式バリアの開発者が博士で、Aevumがそれを提供しているという事実もあります。歪流エネルギーによる幻覚や錯乱を緩和する航行用バリアも、博士の技術だと聞きました。」
言葉を重ねながら、ヴィンセントは正直な感情を吐き出す。
「艦長は以前、博士には警戒するようにと仰いました。その理由が、今では少し理解できないのです。」
メルは、しばらく黙っていた。
視線を逸らし、ローテーブルの上の書類の山をぼんやりと見つめる。
その横顔には、先ほどまでの軽やかさはなく、どこか思索の影が差していた。
「今は、話せないわ。理由はある。でも、それをあなたに伝えるべき時は、まだ来ていない」
「……そう、ですか。」
納得できない気持ちは残る。
だが、彼女の声音に含まれていたのは、秘密主義ではなく、むしろ慎重さと、ある種の責任の重さだった。
「でも、ひとつだけ言えることがあるわ。少なくとも、今回の件に関しては、彼の動機は表向きのものと一致している。Nova研究者として、あなたの能力を解析し、制御可能にしたい――それ自体は、間違いなく本音でしょうね。結論としては、こう。ユベル博士とのやり取りは、今後も続けましょう」
「よろしいのですか。」
「ええ。あなたのNovaを制御するためには、彼の知識と経験は確実に必要になる。D.R.A内部にも専門家はいるけど、未知な分類に関してはさすがに手が負えないわ」
「ただし」
メルは、かけていた眼鏡をテーブルに置き、ほんの少しだけ声のトーンを落とす。
「すべてのやり取りは、私を通すこと。単独での非公式な協力は一切禁止よ。あなたの身柄も、データも、すべてD.R.Aの管理下に置く。これはあなたの安全のためでもある」
「承知しました。」
「それと、艦長」
「なに?」
「ユベル博士は、こうも言っていました」
ヴィンセントは、わずかに言葉を選びながら続ける。
「もし本当に、時間を越える力があるのなら……取り戻せる“過去”が、あるかもしれないと。」
メルの指先が、ほんの一瞬だけ止まった。
「……そう」
翡翠色の瞳が、まっすぐに彼を射抜く。
「ちょうどいいわ。そもそも、今日あなたをこのオフィスに呼んだのは”書類整理”をさせるためじゃないもの」
「それは、どういう意味ですか?」
ユベルも、メルも。
どちらも、どこか肝心なところを伏せているような感覚が、胸の奥で膨らんでいく。
「皆さん、もう少し正直に話していただけませんか。」
ため息交じりに抑えた声だったが、声には戸惑いが滲んでいた。
「私は……自分の力のことも、過去のことも、何も分からないまま、振り回されている気がします。」
メルは、ほんの一瞬だけ目を伏せる。
そして、次の瞬間には、いつもの柔らかな笑みを浮かべていた。
「……ごめんなさいね。正直に言うと、この話は、あまりにも外に漏らせない内容だったの。あなたが裂け目から現れた直後は、なおさらね。」
「あなたを試すつもりはなかったけれど……結果的に、隠す形になってしまったわ。それは、艦長としても正しい判断だったと思ってるわ」
そう前置きしてから、彼女は部屋の奥にある棚へと歩いていった。
ガラス扉を開ける音が、静かな室内に響く。
中から、分厚い書物、古い資料、装丁の擦れた本を、次々と床へと下ろしていく。
それらは、他の書類とは明らかに違い、丁寧に扱われていた形跡があった。
「…違う。これじゃないわ」
ぶつぶつと独り言を漏らしながら、棚の奥へと手を伸ばす。
やがて、背面の板に指をかけ、わずかに力を入れると、カチリ、と小さな音がして、その板が外れた。
「……そうそう、ここね。用心深すぎて隠した本人が忘れてるなんて」
そう言いながら、奥から取り出したのは――
異様なほど分厚い、一冊の本だった。
革張りの装丁は年季が入っており、角は丸く摩耗し、背表紙には幾重にも補修の跡が残っている。
だが、その存在感は、部屋中のどの資料よりも重く、静かに、圧倒的だった。
メルはそれを両腕で抱え直し、ローテーブルの前まで歩く。
──ドン
鈍く、重たい音を立てて、その本をヴィンセントの目の前に置いた。
テーブルがわずかに揺れ、積まれていた紙が震える。
メルは何も言わず、ただ、その表紙の上に手のひらをそっと置く。
そして、丁寧に、ゆっくりと、装丁を撫でるように埃を払い落とした。
表紙には金の箔押しでこう記されている──
〈Elysion〉
そのタイトルは、どこか神話のような響きを纏っていた。
ヴィンセントの喉が、無意識に鳴る。
「これは?」
「これから…あなたと“答え合わせ”をしたいの」
メルの声音が静かに変わる。視線の奥には真剣な光が宿っていた。
「今はまだ、全部のピースが揃ってるわけじゃない。でも、あなたがここに現れたことで──私の推論に、決定的な証拠がひとつ加わった。…この本には、それに関わる記録があるの。」
「ヴィンセント、あなたが裂け目から現れたのは偶然なんかじゃない。あなたの存在そのものが、この星の“誤差”なんだと思う。…これは、もはや運命論の話ではなくて、物理的な現象の“歪み”よ。」
部屋の空気が、わずかに張り詰め、無意識に背筋を伸ばしていた。
メルの瞳が窓の方へと視線を投げた。
その先には、広大な空が広がっている。
蒼穹としか言いようのない、深く、澄んだ青。
その奥には、銀色の月が浮かんでいる──だが、それは自然の天体ではない。
薄く層を成す輪郭を持ち、微かな光を放つ、明らかに人工物の構造体。
「ここは──地球ではないのですね。」
さらに、その向こうからは、燈色矮星の光が降り注ぎこの地を柔らかく照らしていた。
「そう。人類がこの星に辿り着いたとき、地下深くに見つかったものがあるわ。知識の源――“デュナミス結晶”」
「デュナミス……?」
「Novaの源のこと。この浮遊島の原動力も、すべてその結晶から変換されたエネルギーで動いてるの」
少し間を置いて、彼女は手のひらを膝の上に置く。
その手の中でパチパチと電気が弾ける。
「科学的には、デュナミス結晶のエネルギーを含み育った作物を、人間が体内に取り込むことで、Novaが発現すると考えられてるわ。“祝福”と呼ばれてるものの正体は、ずっと地の奥に眠っていた力の名残――それを、私たちは受け継いでいるだけ」
「つまり、私は……」
「──あなたは裂け目にいる前、間違いなくこの惑星"Elysionにいた"という事になる」
「…………メルさん。飛空艇でのことですが、Novaを使ったとき、声が聞こえたんです。」
その声は、確かに記憶の底で響いていた。
〈───ヴィンセント〉
「記憶の奥底で私を呼ぶ声。あの声のおかげで私は自分の名前を知ることができた。つまり、あの声の主もこの惑星Elysionにいたということになります。
私はあの声の主を知りたい。…知る必要がある。あの声も、記憶も、裂け目の中で漂っていた理由も。」
ヴィンセントが拳を握ると、メルはニッと笑み、ゆっくりとその本の表紙に指をかけた。
「それじゃあ、"ヴィンセント"」
身を乗り出し、翡翠の目を輝かせながら告げられた。
「ここから先は、あなたが“戻ってきた理由”の話よ」
“知の探求者”として。
それはヴィンセントを、この星の創世にまつわる深淵へと導いていくことになる。
――――すべてが無に孵す頃
声もなく 音もなく 時さえ流れぬ深き闇に
人々の願いが、ひそやかに息をした
願いはかたちを持たず 光を求めて星となり
星は胎をひらき、命を招いた
彼の者ら 遠き空より降り立ちて
焦がれし地に足をつけ、空を仰ぎぬ
それは、母なる土に捨てられし子らの第二のうぶ声なり
星は ただ静かに抱きしめたり
言葉を返さずとも 深き地の奥にひとつ
まだ名なき輝きを宿しぬ
人はそれを祝福と呼び その灯を継ぐものを器と讃えたり
ここに語られるは 祝福と罪と
願いと終焉とを編みし 星の記憶の断章なり




