表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

修行

作者: 岡みつる

挿絵(By みてみん)


修行


「父さん、Xを買いたいんだ。補助してくれないかな」

「Xって古楽器のXか。あんなものその辺で売ってるもんじゃないだろうに」

「ああもちろん。音楽学校やコレクターが所蔵しているぐらいだろう」

「そんなものをどうやって手に入れるんだよ。金がいくらあっても足らんぞ」

「ああ、だから買いたいというのはちょっと違うね。弾きたいのさ」

「そんなにXが弾きたいのか、チェロの前身だろう」

「X奏者は今や伝統楽器奏者の中では花形だよ。チェロ奏者なんて刺身のつまみたいなもんさ。Xを弾いてスポットライトにスタンディングオベーション、素晴らしいじゃないか」

「もちろん素晴らしいことだが、どうやってX奏者になるんだ」

「つまり僕はチェロの腕には覚えがある。Xを弾けるポジションにつければおのずとそれを弾けると言う訳さ」

「そういうことか。全くあてが無いわけでもない。ちょっと考えさせてくれ」

「たのむよ、父さん」


数日後……


「おい、Xを作っている工房がドイツにあるらしい。そこへ行けば弾ける可能性がある」

「どうやって」

「楽器を作るには、その楽器を有る程度弾ける人間でなければ作る資格が無い。その工房は弟子を募っている。弟子の選定にXを弾くという課題があるのでまずこれで弾けるだろう。そこですばらしい腕前を披露すれば、X奏者としてどこかの楽団か音楽学校から声がかかるかもしれない。かくして息子よ、君はX奏者さ」

「そんなにうまくいくものかな」

「少なくとも一度は弾くチャンスがあるわけだから。まあ話の後の方はおまけだけど、ただ一度のチャンスを存分に奏でるがよい」

「わかった。行ってみるよ」


ドイツにて……


「A君、君のXを弾く腕は素晴らしい。木工等の他の実技はあまり芳しくないが、それらを差し引いても弟子として迎えるに値する。是非ここでXを作る術を身につけないか?」

「マイスター、光栄の至りです。是非弟子にして下さい」

「しかしな、A君、修行の道は厳しいぞ、いきなり木を削らせてもらえるわけでもない、調理師で言えば何年も続く皿洗いから始まるんだよ。それを覚悟しているかい」

「ええ、もちろん。でもXを弾ける日もあるんでしょうね」

「ああ、楽器を作るには、楽器を知らねば、その為には弾かねば、だがそんなに多くの機会は無いぞ。短時間で楽器を知り尽くすのだ」

「わかりました。まずはXの奏法を極めます」


十数年後……


「A君、やったな。君もマイスターへ仲間入りだ」

「マイスター。あなたのおかげです」

「今日から君の作ったものはXと認められる。そこらの模造品なんかとは違う、本当のXだ」

「マイスター。私はこれからどうやって生計を立てれば良いのですか。X奏者になれますか」

「君の腕はX奏者と呼ぶには全く相応しくない。君はXを作るために試奏する能力は得た。だが音楽家になったわけではない」

「では、X製作者と看板を上げれば、仕事がきますか」

「否、君はまだスタートに立ったばかりだ。君は実績を積まなければならない。君はまだ私を継承するには至っていない。そうなるまでこの工房に残りなさい。私を継承するか私を超えれば君は独立したX製作者として世に認められ、注文は断るほど舞い込むだろう」

「そうですか。マイスター、実は私はX製作者ではなく、X奏者になりたかったのです」

「ああ分かっておったよ、でも君はスポットライトやスタンディングオベーションとは縁が無い。そういう素養のある人物ではなかった。だから私は君を弟子として選んだのだ。君に他に素晴らしい道もあるということを教えたかった。でもあの時点で君にそれを説いても聞くまい。長い年月を要した。君が本当に望んでいたものそれはXを奏でることではなくスポットライトとスタンディングオベーションだったということを今受け入れるかい?」

「マイスター。時間を下さい」


数十年後……


 かつてのX奏者志望者は日本への帰路にあった。結局彼はX奏者でもX製作者でも無かった。彼の修行は無意味であっただろうか。失ったものそれは時間である。得たものそれは二流X製作者としての腕。こんな損得勘定が彼に何の意味をもたらすだろうか。修行に損得ほど噛み合わない算術は無い。彼の得たものは時間を失えたことなのだ。少なくともその間は希望と共にあったのだから。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ