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【2】被害者の遺族・優哉さん


翌朝、泣き寝入りしていた私は電話で起こされた。

また死に損なった、と渋々電話に出ると保険会社の担当者からで、話を詰めたいという。


保険関係の話だが、龍郎は前回の飲酒運転事故で有罪判決が確定した後、保険の契約ができなかったので、私の名義で契約し、家族限定で乗っていた。

津島保険事務所の担当者・津島さんは、飲酒運転の場合でも相手方への保険金は下りるから心配しないで、と言ってくれた。

こちらの分は一切出ないが、龍郎は拘置所の中で怪我の治療を受けているので、こちらの被害は全損した車をスクラップに出しただけだ。

「でも、保険入っていてよかったねぇ」と他人事のように言ってのけるベテラン交渉係の津島さん。その口振りに、私の緊張もほぐれていく。


「あの……被害者のお宅とは上手く交渉しているんですか?」

「うん。亡くなった女性のご主人は、冷静に私の話よく聞いてくれるし、無理なこと言わないし………でもね、私と交渉するとき、お嬢さん・春菜ちゃんのこと、ずーっと膝の上に載せているんだよ。それだけが辛くてねぇ」

「申し訳ありません…………」

「でも、美幸さんに対してはそんなに怒ってないんだ。……通夜の時、あんたに暴行していた恭子さんのお父さんを引っぺがしたのも……実は、故人のご主人なんだ」


そこで、私はハッとなった。

昨晩、私はあまりにも辛くて死にたいと思っていたが、私よりもっともっと辛い思いをしている被害者のご主人・戸部優哉さんのことは考えていなかった。

小さなお嬢さんを守るために、奥さんを突然亡くした悲しみをこらえてがんばっているんだ…………

奥さんは何の罪もないのに、突然この世を去った。ご主人も何の罪もないのに、突然お嬢さんとの二人きりの生活に……


私だって、何も悪いとは言えない。酒を飲んだままの龍郎を送り出したのだから。

刺し殺してでも止めなくてはならなかったのだ……。

私は恥ずかしさのあまり、顔が火照ってきた。やっぱり、お詫びをしないとご主人に申し訳ない。

ふと、ドラマなどの1シーンを思い出した。加害者の家族が玄関で土下座しているのを被害者の遺族が詰り、蹴飛ばしているシーンだ。

でも、関係ない他人ではなく、被害者のご家族だったら蹴飛ばされても、殴り殺されても本望だ。


「そうだったんですか……あの……お詫びに行かせて欲しいです。お通夜で会ったきりなんです」と言うと、

「一応、美幸さんの様子は伝えてあるから……向こうもバタバタしているみたいだから四十九日過ぎてからにしよう。向こうだって、加害者のご家族に会うのには相当な覚悟がいるはずだからね。私の方で段取りは組むからその時は言うよ」



一方、負傷した男性(女性の上司)のお見舞いとお詫びには一度だけ病院に足を運んだ。

しかし、病棟のエレベーターホールで菓子折を受け取ったのは男性のお兄さんと名乗る方で、その場から帰るように、穏やかな口調で言われた。

「私たちのことより、亡くなった女性の家族に誠意を尽くしてください。私たちもある意味では加害者なのです」と。

男性と亡くなった女性は火遊びをしていたのか、この事故をきっかけに家庭不和となり、私からの謝罪どころではない様子。

男性も奥さんの代理人も「とにかく保険会社規定の慰謝料さえもらえれば」という姿勢。男性は自分だけ生き残ってしまい、社会的に批判も浴びているので、踏み込んだ話もしたくない様子だし、奥さんもこの話から遠ざかろうと必死になっている。


「まあ、男性側の方はいろいろ訳ありみたいで、こちらも顧問弁護士をはさんで慎重に交渉しているから、美幸さんは顔を出さない方がいいよ」とあっさり言われた。


━━━━━━━━━━


事故から約50日。保険屋の津島さんから、「明日、被害者のご自宅に行く約束を取り付けましたが、いいですか?」と電話が入った。とうとうこの日がやってきた。


私は「はい」と答え、電話を切った後も心臓がバクバクだった。

津島さんが話を通しているし、被害者のご主人は穏やかな方だと言うが、私の前で豹変するかもしれない。


当日、スーツを着た私は津島さんと駅で待ち合わせて、電車で20分位離れた街へ。駅から10分ぐらい歩くと、「ほら、あの社宅だよ」。

戸部さんのお住まいを目にした私は、地面にへたり込んでしまい、津島さんに腕を掴まれる。

重い足取りで社宅の階段を上がり、津島さんが「こんちはー、津島保険です」と声を掛けて中に入るのに続いた。

観光バスのドライバーをしているという戸部さん、物腰も柔らかく「はじめまして。最初にこちらへどうぞ」と仏壇の前に私を連れて行った。戸部さんは、私のために香炉の炭に火を入れて待っていてくれた。

祭壇の前には、ピンクの服を着て微笑む恭子さんの遺影と位牌。その隣には小さな水子の位牌。

私は、目が熱くなって恭子さんの位牌から目を落とし、震える手でお香をつまみ、炭の上に振りかけるといい香りがした。

私は、こらえきれなかった。お香の香りが切なかった。

「私が飲んでいると分かっていた主人を引き留められなかったために・・・戸部さんの奥さん、ごめんなさい」と、仏壇に向かって突っ伏した。

そう、私があの時龍郎を止めていれば、こんなにはならなかった。

こんなきれいな奥さんが亡くなるぐらいなら、出かけようとする龍郎を刺し殺して自分も死んだ方がよかった。涙と嗚咽が止まらない。


津島さんが戸部さんに説明しているのが聞こえた。

「加害者は、以前、飲酒運転で事故を起こし免許取消。有罪になり、執行猶予中に今回の事故を起こしています。当日夜、奥さんと晩酌をして酔っぱらったあげく、酒を買い足しに車で出ようとした加害者を止めようとしたところ、加害者は奥さんに殴る蹴るの暴力を振るって出て行ったそうです」


そう、龍郎を止められない私が悪いのだ。

「私が悪いんです。ごめんなさい。奥さんのお腹に赤ちゃんがいたんですよね。赤ちゃんごめんなさい」

他に気の利いたお詫びの言葉が出てこない。



戸部さんが「奥さんを責めるつもりはないので……普通に話を続けましょう」

と声を掛けてくれた。私は信じられなかった。

私のこと、一番憎んでいる人からこのような事を言われるなんて。胸の中が熱くなった。


「被害者に一番近い方からそう言っていただけると助かります」と津島さんもほっとしたような表情。

後は、戸部さんの職場の話とか、最近開通した道路の話など、差し障りのない話をしているのを横で聞いているだけ。話のメインが私から逸れたため、少し気が楽になった。

津島さんは「さあ、頂きましょう」と並べられたジュースに手を付けたので、私も頂く。

世間話をしているうちに、戸部さんの表情は穏やかになり、私にも話を振ってくるので答えたりもして、気がついたら私もジュースを飲み干していた。

「また遊びに来てください」と帰りがけに声まで掛けて頂いた。


━━━━━━━━━━


近所の人の目は相変わらず冷たかったが、戸部さんから穏やかに接して頂いたため、少し気持ちに余裕ができた。

数日後、私は一人で戸部さんのお宅を訪ねることにした。

保険金以外の慰謝料について話そうと思ったのだ。

私の自由になるお金は少ないが、何か誠意を伝えなくては。


戸部さんは私を快く迎え入れてくれたが、慰謝料の話は固辞した。

「旦那さんは執行猶予が取り消されて刑務所暮らしだそうですね。前回の刑期に加え、今度のは長くなると聞きました。奥さん一人で生きて行かなくてはならないのに。」

それでは私の気が済まないが、戸部さんはこの話をしてほしくない様子。


話が少し途切れたとき、戸部さんは「美幸さん、大変だったでしょう」と私を気遣ってくれた。心のこもった温かい口調。

「はい・・」こんな気遣い、あの事故から初めてだった。

戸部さんは話し始めた。春菜ちゃんの様子や、恭子さんのことを少し。

私を責めているのではなく、恭子さんとの思い出を楽しそうに語っている。

「生前のDVDあるけど、見る?」…………さすがにお断りした。

自分も連れ合いと死に別れ、美幸さんも連れ合いと別れ……私の気持ちにまで踏み込んで話してくれる。私も釣られて自分のことを話してしまった。



と、隣室でお昼寝していた春菜ちゃんが戸部さんにまとわりついた。

私が「春菜ちゃん、こんにちは」というと元気よく「こんにちわ」と返してくれた。

その後、二言三言話すうちに、何となく打ち解けてきて、いつの間にか絵本を読むようにせがまれていた。私は、保育士をしていた頃を懐かしむように、絵本を読みきかせた。


父子家庭となって遊ぶ機会が激減した春菜ちゃんにとって、私は手頃な遊び相手だったのか「また遊びにきてね」と言われ、戸部さんからも「また遊んであげてください」と言われる。


本当に不思議なことなんだなぁ、と私は感じていた。

相変わらず近所の人や世間の目は冷たいし、誰も相手にしてくれない。

が、被害者の遺族で、私を一番憎んでいるはずの戸部さん父子だけは私を暖かく迎えてくれて、時間の経つのを忘れてしまう。

春菜ちゃんは同じ絵本を何度も読み聞かせて欲しいとせがみ、膝の上で読み聞かせていると、人のぬくもりを感じる。

戸部さんは「もし、よければ私のこと、優哉って呼んでくださいよ」とまで言ってくれて、目頭が熱くなった。

今の私には下の名前で呼べる人は誰一人としていなかった。



と、私は戸部さんの視線に気がついていた。時々、戸部さんは私のことをじっと見つめている。昔買ったよれよれのTシャツからはブラが透けているし、窮屈なジーンズのお尻はお尻の形を浮き上がらせているのは分かっているが、それをじっと見られているみたいだ。


だけど、不愉快な感じではなかった。

もし、仮に……戸部さんが私を襲ったとしたら……私は拒む自信がないと思う。主人が居る身なのに。

奥さんを亡くした戸部さんの男性の欲望を、私が精一杯受け止めることになったとしたら……嫌とは思わなかった。気が済むのなら 好きにしてもらってもかまわない。

刑務所(拘置所?)の中にいる龍郎に申し訳ないとも思わなかった。

自分で胸をそっと触ると……胸がキュンとした。


━━━━━━━━━━


ちなみに、生活費はどうなっているかというと……

公共料金は龍郎名義の口座から引き落とし。

口座には残高がある様子で、アンペア契約も10Aまで下げるなどして極限まで節約しているため、今のところは順調に引き落とされているが、無くなれば電気も電話も止められるだろう。通帳やカード・印鑑を見つけられないので、私が下ろすことは不可能。銀行に行こうとも思ったが、事情を話すのがためらわれる。

あと、保育園の給料の残りとか、叔母が「私のへそくりから貸してあげるね」と毎月数万円持ってきてくれて、これで食いつないでいる……早く仕事を見つけたいのだが、主人が人殺しだと知れ渡っているので面接を受けても落ち続けている。

家は龍郎名義で、龍郎の親も一部費用を出しているので、勝手に処分できないし。


━━━━━━━━━━


桜の季節になった。いつものように春菜ちゃんと遊び、帰ろうとすると。

「パパ、お腹すいたよ」

「そこにお弁当があるから」

「お弁当、飽きちゃった」

「他に食べるもの買ってないよ」

「ちぇっ・・・」春菜ちゃんは悲しそうな顔。優哉さんがすまなさそうな顔をしている。

この父子から優しいお母さんを奪ったのは私。辛くなった。


と、電話が鳴った。優哉さんの会社からだった。

近くでお客様を乗せた観光バスが事故に巻き込まれ、代わりのバスを向かわせることになったが、ドライバーがいない。4時間ほどで終わるから来てくれないか、とのこと。


優哉さん、預ける相手がいなくて困っている様子。そこで

「あの、私、春菜ちゃんみていますから」と恐る恐る言ってみると、

「いいんですか?」とほっとした様子で言ってくれた。

「どうせ家に帰っても一人だし・・・・」

「春菜、お姉ちゃんとお留守番でいい?」

「うん」

……春菜ちゃんの着替えを出してもらい、カギも預かった。



優哉さんを送り出すと、「お姉ちゃん、私、お弁当飽きちゃった。食べたくない」と春菜ちゃん。沈んだ表情をしている。

「でも……」

「何か他のもの食べたい」

「でも……おうちの中には何もないんじゃないの?」

「何か買いに行こうよ!!。パパね、お金いっぱい持っているんだよ。出してもらえばいいよ」

「お金って?」(優哉さん、寂しさを誤魔化すために何でも買ってあげているんだ……)

「うん。いつも春菜の服とか、いっぱい買ってくれるよ。ねえ、スーパー行こうよ。道は教えてあげるから」

「そんな…………よし。わかった。お姉ちゃんが何かお料理作ってあげる」

「わーい!!」春菜ちゃんの弾けるような笑顔。手作り料理だけでこんなに喜んでくれるなんて。


うれしそうにはしゃぐ春菜ちゃんを連れてスーパーで材料を買い、支払い…………

しまった!!お金がピンチ!!。ハラハラしながらレジを通して支払いをすませると、財布の中身は数百円。

「お姉ちゃん、お金足りるの?」

「う、うん……」

「春菜も出してあげようか」春菜ちゃんの小さな財布の中には折り畳まれたお札が何枚も入っている。

「大丈夫よ、ありがと。」


春菜ちゃんにとっては久々の手料理だったのか、うれしそうに食べてくれて、一緒にお風呂に入る。

「お姉ちゃん、死んじゃったママよりおっぱい小さいね」

「そうなの?」

「パパねえ、ママが死んじゃう前、よくママのおっぱい触って怒られていたんだよ」

「そうなんだ…………」このお風呂で優哉さんと恭子さんが戯れていたことを想像し、胸がキュンとなる。

お風呂から出たあと、春菜ちゃんは早々に寝かしつけた。


荒れ放題の台所を掃除しながら食器を洗いはじめた私。

改めてこの幸せそうな家庭を父子家庭にしてしまった責任で胸が押しつぶされそうになった。


「あんたは人殺し!」……何十人の人からこの言葉を投げつけられただろう。そう、私が奥さんを殺した…………

あんな簡単な料理で大はしゃぎした春菜ちゃん。居間にまで溢れている洗濯物。亡くなった奥さんは胸が大きく肉感的な美人で、プロポーションも良かったようだ。

私がその奥さんを奪ったばかりに…………こんな荒れた生活をしている優哉さんと春菜ちゃん。

何とかしてあげたいけど、慰謝料の申し出も受けてくれないし…………


と、私の頭の中で色々な単語が駆けめぐって、何かが弾けた。

「父子家庭」「春菜の母親」「酒飲み&暴力の龍郎」「誠意のこもった償い」そして優哉さんのことを思い浮かべた………………

えっ、そんなこと考えるなんて。身の程知らずもいいところ…………

優哉さんにこんなこと話して良いのだろうか。「ふざけるな」と怒られるかもしれない…………

でも…………一度自分で死ぬことを決意した身。死ぬことを思えば、怒鳴られるぐらい我慢できるはずだ。私の妄想は果てしなく止まらなかった…………


食器を拭き終わって間もなく。優哉さんが戻ってきた。


台所を見て目を丸くしているので、春菜ちゃんに料理を作ってあげたことを報告。

「よろしければ、優哉さんの分もありますから」

「ありがとう」と、おいしそうに平らげてくれる。

「やっぱり手料理はおいしいよ。コンビニ弁当はラップを剥がす時が嫌なんだよね。バリバリっと」と話している。


優哉さんが食事をすませたので、「あの・・・・言いにくいんですが・・・すみません・・」

私は恐る恐るスーパーで買ったレシートを優哉さんに差し出した。たまらなくみじめだった。けど、財布の中身が小銭だけになってしまって、明日から(叔母さんが来るまでの間の数日)食いつながないと……。悔しくて涙が出そうだった。

優哉さんは、苦笑しながら五千円札をくれた。「細かいのないからコレでいいよ」

「でも……」「いいから、いいから」


私が食器を下げて戻ってくると、「美幸さん、もう遅くなってしまったね・・・」と心配してくれた。優哉さんは、夜道を案じて私を送ってくれるつもりなのか、キーホルダーを手にとった。

そういえば、こんな遅くまで居たことはなかったっけ。ここで、私は決心した。

優哉さんに怒られるのは怖かったけど、ここで言わなければ一生後悔するだろう。


「優哉さん、お話しがあります。いいでしょうか?」

そう言うと、私は正座した。

「あの……慰謝料の話の続きなんですけど」


「美幸さん、その件は もういいって言っているでしょ」優哉さんが少しむっとした表情になる

「でも……」私が続きを言おうとすると…………優哉さんの表情が変わった。

「スーパーで肉や野菜を買っただけで 財布が空になる人から慰謝料なんて取れるわけないじゃないですか!!。あんたは何にも悪くないのに!!」

優哉さんが声を荒げ、激しく怒っている。怒ったのを見るのは初めてだ。

「そうじゃないんです!!」私は怖くて泣けてきた。


「あの、、私、私が慰謝料代わりじゃ迷惑ですか?」心臓が胸から飛び出しそうだ。

「えっ」


「私、春菜ちゃんのママになります」

「そんな、美幸さんには旦那さんがいるし、そこまでしなくても・・・」

「私があのとき(龍郎を)止められなかったのが悪いんです。奥さんと赤ちゃんを殺したのは私なんです。それに、春菜ちゃん、ママがいなくてかわいそうです。見ていられない・・・私、主人とは別れます・・」


「そんな・・・美幸さん。まるで人身御供だよ・・」

「私、もうあの人はこりごりです。でも、家を出ても生きていく自信がないし・・・それよりも何よりもあなたのことが……好きになったんです」しまった、優哉さんを好きだなんて、うっかり本音が。


優哉さんを見ると・・・・呆然としていた。

やっばりダメだったのか。そうだよね。奥さんを殺した人なんて、娘の母親や妻として受け入れてもらえるはずなかったよね。

私は、自分の浅はかさを恥じ、うつむいた。………………が、


「わかった・・・美幸、喜んでいただくよ。実は・・俺も美幸のことが好きになってしまったんだ。春菜のママになってほしい。俺の妻になってほしい。美幸のこと、一生大切にするから・・」と優哉さん。


う、うそ…………信じられない。

いちばん自分を憎んでいるはずの、被害者のご主人が一番私のこと思ってくれて、プロポーズまで…………

私は、優哉さんの胸に飛び込んで、わんわん泣くしかできなかった。

今までの辛かったことが一気に思い出されてきた。龍郎の暴力、数え切れないほどの暴言、嫌がらせ、冷たい言葉。レイプ未遂に冷たいシャワー、職場もクビになり、同窓会も除名され、財布の中は数百円(と五千円札)。

「私、あなたと春菜ちゃんに一生尽くします」と言いたかったのだが、上手く言えなかった。

私の背中を抱く優哉さんの手が熱かった。



と、ふすまが開いたので、私は飛び起きた。

「パパ、お姉ちゃん・・どうしたの?」

「春菜、お姉ちゃんが春菜の新しいママになりたいって言うけど、いいよね?」

「うん。お姉ちゃん、死んじゃったママよりずっとやさしいもん」

私は「春菜ちゃん、ありがとう」と抱きしめたかったけど、ぐっとこらえた。明日から私は春菜の母親になるのだ。しっかりしなきゃ。

春菜ちゃん、明日も保育園だから、ちゃんと寝かさないと……保育士だったときの本能が目覚めた。


「優哉さん、春菜ちゃんをもう一度寝かしつけますから、お風呂に入ってください」

優哉さんにお風呂に行ってもらう間、春菜ちゃんと添い寝する。

「お姉ちゃん、本当に春菜のママになってくれるの?」

「うん。お父さんにお許しを頂きました。よろしくね」

「じゃあ、ご飯とか作ってくれるの?」「もちろん」

「公園にも連れて行ってくれるの?」「もちろん」

「お友達もおうちに呼んでいいの?」「もちろん」

「やったー」

「でもね、春菜ちゃん。明日から私がママなんだから、悪いことしたら叱るわよ〜」

「う……う……うん。いいよ。でも、やさしくね♪」

「じゃあ……早く寝ようね。明日いっぱいお話ししようね」

「うん」



その晩、私は優哉さんに抱かれた。

最初は「えっ、こんなにソフトなの?」と戸惑ったけど、優哉さんの愛情たっぷりの愛撫に、あっというまに虜になってしまった。

お互い久しぶりだったので、ぎこちなく、そんなに長い時間ではなかったけど、何とか悦んでもらえたようだ。

泊まっていくように言われ、優哉さんの腕の中で眠ったのだが、寝言で「暖かいよぉ」と一晩中言い続けていたそうだ。




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この話は当サイト掲載中
加害者の奥さん【改】
クロスオーバー作品です。

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