【1】龍郎の逮捕、加害者の妻として
夜、警察から電話があった。「ご主人を逮捕しました」
私は、やっぱり捕まった……と目の前が真っ暗になった。
電話口の警察官は、色々手続きがあるので、身の回りの品を持って来て欲しい、と言うと電話を切った。
カバンに主人の着替えを詰めて警察署へ。「黒田龍郎の家内ですが」
会議室に通され、初老の警察官から話を聞いた。ご主人の運転する車が停車中の車の横腹に衝突。車には男女と小さな女の子が乗っていた。助手席の女性がかなり危ないらしい、と。
さらに、ご主人は通行人に身柄を拘束されたが、酒臭かった、とも。
「主人には会わせて頂けませんか?」
「今、取り調べ中だから無理。それより、奥さんはご主人が飲酒運転していたのは……」
…………知っていた。私は「申し訳ありません」と頭を下げるしかなかった。
「だめじゃないか、飲酒運転を知っていたのだったらどうして止めさせなかったの?」返す言葉もない。
そう、さっきまで主人は酒を飲んでいた。「お前も飲め」と勧められるので、缶ビールを無理矢理飲んだ。私は超がつくぐらい酒嫌いだが、拒否すると殴られる。
そのあと「酒はもうないのか?」
「もうおしまいです」
「ちょっと、買ってこいよ」
「私も飲んでいるからダメよ」
「何だよ、だらしねぇなぁ、じゃあ、俺が行ってくるよ」
「だめよ、飲酒運転しちゃぁ。あなた、それで執行猶予中……」
・ ・ ・「うるせえ!!」私は髪を掴まれると、体を振り回され、何度も何度も頬を叩かれ、背中や腹を蹴られた。
「お前なんかにグダグダ言われたくねぇや、俺はなぁ、酒を飲んだ方が運転が上手くなるんだよ!!、ゴラァ」と言い捨てると、車に乗って出ていった。
「そうかぁ……DVか。確かに顔も少し腫れているし……」と警官同士が話し始めた。
「とりあえず飲酒運転の共犯での逮捕はやめておきますか?」(私が共犯??)
「そうだな」
「まあ、もう少し話を聞きたいから、明日警察に来て…………」
と、別の警官が飛んできた。「警部、助手席の女性ですが……死亡が確認されました。子どもの母親です」
「えっ?亡くなった?」私はその状況を理解するのに時間が掛かった……
「こら、△△巡査。今こんな話するんじゃない……奥さん、今日はこの辺で……」
警察で呼んでもらったタクシーに乗って自宅に帰ると、私は乱雑に散らかった居間で途方に暮れた。
主人、龍郎には22歳の時に見初められ、結婚。
前彼と山の中でケンカして、真冬の山奥の小さな駅に捨てられたところを拾われた。
体育会系でムキムキの筋肉を自慢するばかりの前彼と違い、鳶職人をしていたその人が格好良く見えた。
惚れてしまったことからあっさりと駆け落ち同然に結婚。
羽振りもよく、香港へのハネムーンの後は建てたばかりの大きなマイホームと、沢山の家電製品などに囲まれた生活。
ところが新婚間もなく、怪我をして高いところに登れなくなり、下働きしかできなくなってしまってから龍郎は荒れた。酒、暴力、風俗…………
収入が減ったのと、こんな主人と顔をつきあわせていたくないので、保育士として近くの保育園で働くようになった。
さらに去年、龍郎は飲酒運転で人身負傷事故を起こして捕まり、執行猶予の付いた刑を受けた。その時は、保護司の働きかけもあり、下働きの仕事は辞めなくても済んでいた。
私は電話を取ると、実家の母親に電話をした。
「そう……大変ね。がんばってね」それだけだった。元々、彼との結婚を反対されていたのだから、冷たく扱われても仕方ない、てか事の重大性を分かっているのだろうか?…………
次に龍郎の実家に電話を掛けたが、ずっと話し中。
これからどうなるのだろうか?不安でいっぱいの私。床に入っても寝付けなかった。
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明け方、ようやくうとうとしだした頃、電話が鳴った。
「はい、黒田です」
「お前のところ、人殺しなんだろ、バーカ」ガチャッ
えっ、と思ってテレビを付けると、ローカルニュースで放送していた。
「◇◇市で3名死傷。加害者は飲酒運転」昨日まで一緒にいた龍郎の顔写真とともに、公務員で33歳の妊婦・戸部恭子さんが死亡、運転していた職場の上司(47)は重傷。後部座席の幼児はかすり傷、と報じられた。
その途端、また電話が鳴った。無言電話。「奥さんは何をやっていたんだ」となじる電話。「人殺し!」と絶叫する女性。…………
何本目かの電話が鳴った「○○警察の○○警部です」私はほっとして力が抜けそうになる。
今日受ける、初めてのまともな電話だ。
「奥さん、どうしたんですか?」
「…………」
「事情をお伺いしたいんですけど、来てもらえますか?」カーテンの隙間からは野次馬が見える。
「はい、でも、野次馬が凄くて……怖くて出られないんです」と思わず言うと「お迎えに上がりますから」
スーツに着替えた私を迎えに来たのは、パトカーだった。
制服姿の巡査と警部さんが両脇に寄り添ってくれるが、パトカーに気がついて集まった近所の人からは「また飲酒運転?」「奥さん、だめねぇ」「妊婦さん死なせたんだって」と声を投げつけられる。
パトカーに乗った私は、一気に力が抜けてしまった。
事情聴取は1日で終わったが、龍郎は執行猶予中だったため、即刻収監されたとのこと。
さらに……「今夜、被害者の妊婦さんのお通夜があるけど、どうかね」と言われたが、
「どうすればいいのですか?」一人で行くのも……でも、行かないと……
「私がついていってあげたいけど、まだ仕事があるし」
「私、行きますよ。今日は暇だから……一応行くだけは行った方がいいよ。」と交通安全運転協会の年輩の職員が助け船を出してくれた。
協会職員の自家用車に乗せてもらい、自宅で喪服に着替えた後、市内の葬祭ホールへ向かう。
「奥さん……これからもっと大変だよ」
「……はい、例えば……」
「それは……」と言いよどむ。交通事故を数多く目にしている元警察官が言いよどむのって、いったい……
葬祭ホールに着き、協会職員が受付に来意を告げる。葬儀屋のスタッフが中に駆けていき、少し待たされた後、ホール内に促される。
祭壇にはきれいな女の人の写真が飾られていた。こんな若いママさんが亡くなったんだ……。
私は、涙が止まらなかった。葬儀屋の女性職員と協会職員に両脇を挟まれる形で焼香。
と、喪主席を振り向くと、優しそうなご主人と、膝の上にはかわいい女の子が座っていた。
私の主人、この人の奥さんとこの子のお母さんを殺したんだ…………
私は、葬儀屋さんと協会職員の手を振りほどくと、二人の前にひざまづいて、額を床に付けた。「申し訳ありません、申し訳ありません、申し訳ありません」
少しして、協会職員から顔を上げるように言われ、ご主人を見ると、ひどく悲しそうな目で私のことを見つめていた。
と、ご主人の横から年輩の男性が飛び出してきて、胸ぐらを掴まれると思いっきり頬を引っぱたかれた。
1発、2発・・・・「恭子を返せ!!」と泣きながら引っぱたかれた。
が、すぐに誰かがその男性を私から引きはがしていた。「おい、やめろよ。奥さん殴ってどうするんだよ!!」
「おじいちゃん!叩いちゃだめ!!」と子どもの声が聞こえる。
ああ、これが私の立場なんだ…………と改めて身にしみた。頬がヒリヒリする。
参列者の冷たい視線を浴びながら、協会職員の車に乗り込もうとすると、身内らしい若い人が私たちを呼び止め、何か協会職員に耳打ちしている。
話が済み「奥さん行きましょう」と車は葬祭ホールを出た。
「奥さん、被害者のご両親からで、明日の葬儀には来ないでください、とのことです」
「はい…………今日は何から何まで、ありがとうございました」
家に着くと、散らかり放題の居間に崩れ落ちて、そのまま寝てしまった。
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翌朝。職場である保育園に向かう。早めに着いて園長先生に
「お騒がせしました、昨日はお休みを頂いてすみません」と挨拶すると
「美幸先生、言いにくいんですけど」と慇懃に言われた。
「あなたが悪いってことではないのは分かるんだけど、保護者の方が動揺してしまって……ほら、今日は先生のクラスだけ20人中、15人欠席なんですよ。申し訳ないんだけど、子どもに安心した環境で…………1ヶ月分の給料は後で振り込みますから」
「分かりました。でも、子どもたちに一言お別れを」
「その必要はないわ、あなた『人殺し先生』って呼ばれているんだもん。ここにいるだけでも不愉快よ。引継なんて要らないから早く出てって」入ってきた別の教師が言い放った。
私は追い立てられるように私物をまとめると、園を後にした。
園の窓から子どもたちがじっと見ている。しばらくそれを見ていたが、中から先生が出てきて、手で「アッチ行って」という仕草をした。
雨戸を閉めたままの家に着いた。ここのところ、仕事が忙しく、家の中は散らかり放題。
私が片づけても、龍郎が散らかしていた。
部屋の中を片づけようとして、やめた。一体誰のために片づけるというのか?
人殺しの自分のため? 冗談も休み休み…………
お昼にカップ麺を食べてしまって、食べものが何もないので、近所のスーパーに買い物に行くことにした。
と、お客や店員が私の方を見てひそひそ話をしている。
それを無視してレジへ行くと店員は、カゴにパンを入れ、その上に醤油や洗剤を重ねて載せた。
「あの……パン……」
「何か?」店員は冷たく言い放つ。他の店員もこちらをじっと見ている。
私は、潰れたパンを袋に入れながら涙が出てきた。人殺しには潰れたパンが丁度いいとでもいうの?
以後、私はそのスーパーに行くことはなく、自転車で20分かけて隣の駅前にあるゴトーヨーカドーに行くことにした。
社員教育のしっかりしているこのスーパー、念のため、若い学生バイトのいるレジを選ぶことで嫌がらせは避けられたが、坂道込みで片道20分は……きつい。
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ある雨の日、刑事さんから電話があった。龍郎を署内の留置施設から拘置施設に移送するため、面会したらどうか、と。
私は気乗りしなかったが、刑事さんの勧めもあり、警察署の取調室へ向かった。
「美幸、ごめんな」龍郎の顔は少しやつれていた。
「…………元気にしてる?」
「おかげさまで、怪我も治してもらったし……事故の方は」
……保険屋と話が始まったことなどを話す。「それよりも、私、近所の人から……仕事も……」
「それは大変だな。でも、美幸が悪い訳じゃないから受け流すしかないよ。仕事だって見つかるさ」
(そんな……受け流すことができるならこんな苦労しないのに。仕事も、それどころではないし)
緊張がほぐれてきた龍郎は「車はダメだったのか?」「家は大丈夫?」などと勝手な事を聞いてきた挙げ句、
「何か困っていることは?」と聞いたら「酒が飲めないのには参ったよ」と。
全然反省してないじゃないの!!
さらに「飲んで車を出したのはまずかったけど、死んだ妊婦さんがシートベルトしていないのも悪いよな。上役と一緒にあんな夜中にガキ連れて何していたんだ?」とか「あの道を通らなければ良かった」など、勝手なことを言い始めたので、返す言葉もなかった。
私が黙りこくっている間、龍郎は私の全身を舐め回すように見ており、旦那の視線ながらも気持ち悪かった。
面会終了の直前「拘置所でも面会できるから、また遊びに来てよ」と呑気に声を掛けられたので、「何勝手なことばかり言っているのよ!!」と大声をあげてしまう。
私はもっと怒りたかったのだが、複数の警察官に「まあまあ」と外に出されてしまった。ここでは面会人よりも犯罪者の方を大切にするらしい。
それにしても、こんな人と3年間も一緒にいたなんて……
面会に訪れたことも思いっきり後悔し、外に出ると傘が盗まれていた。
私は冷たい雨に打たれながら警察署駐車場の隅っこで泣き崩れた。
もちろん、傘をさしのべてくれる人なんているわけがない。
……今頃、龍郎は警察で用意してもらった温かいみそ汁でも食べているんだよね。私がこんな寒い思いしているのに。
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いたずら電話は何十本も掛かってきたが、もう慣れっこになった数日後。
高校時代の友人から電話がかかってきた。
友人は、3月に開かれる同窓会の幹事で、同窓会には申し込んであった。
さすがに、こんな事件の後なので、断らなきゃ、と思っていたので丁度いい。
「久しぶりね。折角申し込んだんだけど、あんな事になっちゃって、連絡しなきゃいけないと思っていたの……」と言いかけたところ、それを遮るように
「何浮かれているの??。あなた、『自分の』したこと、分かっているよね。死んだのは妊婦さんでしょ。みんな動揺しているの。仲間から人殺しが出たと言うことで。今回も欠席にしておくし、もう二度と来ないでね。名簿消しておくから」
彼女のこんな冷たくて怖い声、聞いたことがない。
私は「わかった」と振り絞るように言うと、電話はガチャリと切れた。
私が呆然としていると、雨戸から「バン!」と大きな音がした。少年たちが笑いながら駆けていく音がした。
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次の日、庭を見ると植木の一部が茶色く枯れていた。これから春を迎えようという季節にどうして? 足元には除草剤の瓶が落ちていた。
家にいても嫌がらせの電話がかかってくるばかりなので、買い物のあてもなく電車に乗って遠くのデパートへ。知り合いがいない空間に僅かな安らぎを求めたはずだったのだが…………
小さな子どもを連れたお母さんや妊婦さんたちを見て、私はいたたまれなくなり自宅へ帰る。
と、数人の男性が家の玄関にたむろしていた。
「すみません……何か?」おそるおそる声を掛けると、町内会長さんが
「あんたも大変だね……植木も枯れちゃったし、雨戸に石ぶつけられたり」
「はい、ご迷惑をお掛けしてすみません」
「さっき、ここを通りがかったら、ドアに『人殺し』とスプレーで書かれていたから消していたんだ」
「すみません……」
「まあ、儂ら暇だからいいけど、ここに住んでいても辛いだろ?」
「実家は遠いのかい?」
「会長さん!!ほい、終わったよ」
「こんな所じゃあんたの気持ちも荒むばかりだから。どこか良いところがあるといいね」
「それじゃあ」・・・・・・・
町内会の皆さんにまで迷惑をかけてしまって…………というか、さっきの話って、ここを出ていけということ…………自分の家なのに……どうして?
段々と真綿で首を絞められるように私の居場所が狭められていく。
私は、自分が何のためにこうしているのか分からなかった。
もう生きていたくない。
台所に行って、包丁を取りだして自分に向かって刺そうとしたが…………
試しに刃先を腕に突き刺したら…………痛い。私は包丁を放り投げた。
刺すのはやめて、首を吊ろう。と、天井に付いていたフックに紐を引っかけ、試しに引っ張ると……フックが外れて尻餅をついた。尻が痛い…………
どうして死ねないの? 死なせてよ。こうなれば最後の手段…………
台所に行ってガスレンジを付けて火を消すと、シューッといい音がした。やっと死ねる。
私は台所に横たわった。さよなら……って、今はさよならを言う相手もない私。
ピンポーン、ピンポーン。玄関のインターホンが鳴った。外は明るい。朝になっていた。
えっ、どうして??死ねなかったの??
インターホンのモニターを見ると、叔母さんだった。何しに来たんだろう。
とりあえず、玄関を開けると「美幸ちゃん!、元気?」と、室内の異変に気がついた様子。
ロープに、怪我をした腕にガス臭い台所。
「美幸ちゃん、あんた!、まさか…………」「うん」「…………」
しばらく黙りこくっていたが、私のこと色々聞かれた。
叔母は、私の両親や「人殺しの女房なんて放っておけばいいだろ」という叔父に内緒で様子を見に来たという。
「ひどいねぇ。玄関見てびっくりしちゃった」
慌てて玄関に飛んでいくと、真っ赤なスプレーで『人殺し』と書き殴られていた。
私は震えが止まらなかった。
叔母は、マジックリンとスチールたわしで手早く落書きを消すと
「今日はあまり時間がないから……とりあえず私のへそくりから少し貸してあげるから、早く仕事見つけてあんな男と別れてしまいなさいよ。まだ自立できる歳でしょ」と数万円置いて帰っていった。
「叔母さん、また来てくれるよね」
「今度は1ヶ月後に来るわ」
そう言って帰っていく叔母の目。いつもの優しい叔母のそれではなかった。
その後、嫌がらせの電話は減っていったが、自宅への被害は増えていった。
ドアの落書きは消しても消しても書き直され、雨戸にも落書きや石がぶつかった跡。
さらに、ポストに火がついたマッチが放り込まれ、龍郎が作った木製のポストは焼け落ちた。(これにはさすがに町内会長も驚いて、被害届を出した)
更に、頼みもしないのに電気屋が修理に来たり、ウナギやピザの出前が届くこともあった。いたずら電話である旨の事情を説明して丁重にお引き取りいただく。
お店の方でも次第に警戒したため、一時期続いたあとはピタリと止んだが、家具屋が大きな婚礼タンス一式を持ってきた時には申し訳なさでいっぱいだった。(このいたずらのために犯人は手付金3,000円を私の名前で支払っていたのだから、いかに悪質かがわかる。家具屋の出した被害届に基づいて、警察から事情を聞かれたりもした)
夜中に葬儀屋が来たのにもビックリした。「ご遺体の引き取りに参りました」
「えっ、呼んでませんけど」
「確か、京子さんという方が亡くなって…………」
「違います!!いい加減にしてください!」とドアをぴしゃりと閉めたら、家の前にパトカーが来て、警官と葬儀屋が何か声高に話をしていた。
次の日、朝から頭がガンガン痛くて、買い物に出かけたのは夕方になってから。
いつものように自転車を漕いで隣町へ。薄暗くなった道を自宅に戻ろうと急いでいると、マスクを掛けた男が自転車の前に立ちふさがった。
自転車を止めると「こっちへ来い」と数人の男に腕を掴まれて工事現場に誘い込まれた。
内装工事中のアパートらしく、中は薄暗く、殺風景だ。
「こいつだよ、あの飲酒運転犯の嫁は」
「やっとつかまえたぜ」
「人殺しはやっつけないとね」
「俺たちは、正義の味方『レ○プマン』だ!!」
私は、床に転がされると、頬を引っぱたかれた。4、5発ぐらいだろうか。
私は抵抗したが、多勢に無勢。服ははだけられ、何本もの手が私の体を撫でていく。
もうだめ、時間の問題……と思ったとき…………
「ゴラァ、お前ら、人の会社の現場で何やっているんだ!!」と背後から野太い声。
男たちは、服を持ち、下着姿のまま脱兎の如く立ち去った。
私は呆然としていると、作業服を着た二人の男性が来た。
「あんた、何やっているんだ」
「…………襲われそうになってたんです、助けて頂いてありがとうございました」
「別に助けた訳じゃないよ……大事な現場でこんなことされると困るんだよ、早く出ていって貰えないかなぁ」
私は慌てて床に散っている服を着た。
「へえーっ……主任、そう言えばこの女、例の事件の……ちょっとかわいがってもいいっすか?。どうせ人殺しなんですから」と若いのが私の顔を覗き込んで言った。
「XX、やめとけ。人殺しの女房なんか相手にしたら、お前の大切なもの腐るぞ。今から風俗連れて行ってやるから」
「はーい」
作業員に促されて外に出ると、自転車が倒れて買い物篭の中身が散っていた。
「おい、XX、拾うの手伝ってやれよ、早くここ閉めたいからな」
若い作業員は、そこらに散ったパンやカップ麺を拾い集め、乱雑にカゴに入れてくれた。
「すみません、ありがとうござ……」
「いいよ、礼なんて。別に助けたつもりじゃないから。でも……ったく、ヤンキーが溜まりやがって……防犯カメラでもつけるかな」
と作業員は車に乗って去っていった。
私は家に帰ると、風呂場に駆け込んでシャワーを浴びた・・・・がガスが出ない。
そうか、プロパンのボンベ、空になっていたんだ。お金が無くて頼んでいなかった……
まだ寒い季節なのに、水のシャワーで体を洗った。
冷たくて凍えそうだったけど、洗わない訳にはいかない。歯を食いしばり、うーうーと呻きながら擦り立てた。
灯油も切らしていて、エアコンも付けられない。
拘置所の中の龍郎ですら、こんな目には遭っていないだろう。
小さな電気ストーブの前で毛布をかぶり、膝を抱えた私は、思いっきり泣いた。
寒さと言えば、龍郎の前の男に「電車で帰れ」とどこにあるか分からないような山の中の無人駅に捨てられたことを思い出した。真冬の雪深い無人駅は凍えそうに寒く、辛くて泣いていたところを仕事帰りの龍郎に拾われた。
暖房の効いた4WD車の中で温かいお茶をよばれ、うとうとしていたら唇を奪われ、服もはだけられた。
戸惑う私を「中から暖まるぞ」とリードされて最後までしたが、そんな龍郎のことが頼もしく見えた。
龍郎は山の中で拾った私が気に入ったのか、毎月のように温泉に連れて行ってくれては酒を飲み、私と一つになった。そして、結婚。イナセな職人仲間が祝ってくれた。
その後、龍郎が怪我をして荒れた生活をするようになってから捕まるまでの間、毎日のように暴力を振るわれていたけど、それでも、彼が立ち直ることだけを信じていた毎日。
そんな生活すら、懐かしく思えた。
「死にたいよ〜っ、死にたいよ〜っ」と私はべそをかいた。
でも、ガスも首つりもリストカットも全部失敗。意気地なしの私には自分で命を絶つ自由すらない。私を殺してくれる人もいない。
電気ストーブだけでは暖まらなくて、寒さのあまり気が遠くなってきた。このまま死ねたらいいのになぁ、と思った。