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瑠璃の旅

白い夢

作者: リコヤ

「橘瑠璃さん――ですね」

 学校帰り、見知らぬ人に声をかけられた。

「……どちらさまでしょうか」

「名乗らぬよう命じられております。申しわけありませんが、私共とおいでください。私共の主人があなたをお呼びですので」

「…………主人ってどなたですか?」

「申しあげられません。――こちらへ。馬車を用意しておりますので」

「いや、あの……!」

「さぁ」

 わたしの警戒と抵抗なんてまるでおかまいなし。丁寧ながら強引に、馬車につめこまれてしまった。

 馬車の窓には分厚いカーテンがひかれ、外をうかがうことはできない。そのうえ両側をしっかりと固められたら、逃げようにも逃げられない。

 不審者対応として教わったとおりに大声出せればいいんだけど、驚きと恐怖と緊張でそんなことできなかった。


 つれてこられたのは大きなお屋敷、そこで待ちかまえていたのは不機嫌そうなおじさんだった。

「あんたが噂の? 普通の小娘にしか見えんが」

 強引につれてきて、なんて言いぐさ!

 不愉快な態度のおかげで、恐怖感や緊張感は吹っ飛んだ。

「どちらさまですか?」

柿嵜(かきざき)という。あんたの元同級生、柿嵜(かきざき)千津子(ちづこ)の父だ」

 千津子さん……あぁ、覚えている。二年生の時の同級生だ。でもそのお父様が、わたしになんの用があるのだ。

「娘のことで頼みたいことがある。来てもらおう」

 その尊大な姿勢は、頼みではなく命令だ。拒むとも考えていない。柿嵜さんはわたしの返事を待たず、さっさと背をむけて歩きだしてしまう。ついてこないとは思ってなさそうな足取りだ。

 釈然としないけれど、元同級生のこととなれば気になる。わたしは小さくため息をついて、あとを追った。




 通された部屋には少女が一人、退屈そうに座っていた。その人物はまぎれもなく元同級生だったのだけど――……

「……えっ……千津子さん!? どうしたの!?」

 薄い。彼女は確かにそこにいる。でもその存在感はあまりにも希薄だった。

 それに……わたしの目がおかしくなったのか、千津子さんの姿をハッキリととらえられない。透けているわけじゃない(そんなのは幽霊か妖魔だ)、ひどく淡いのだ。

「まぁ、瑠璃さん? お久しぶりね。あなた休学したから、一緒に卒業できなくて残念だったわ。でも今度卒業なのよね」

 うかべる笑顔は記憶と同じだ。

「お久しぶり。えぇそうなの、年下の同級生と卒業式をむかえるわ」

「同級生が年下って、みんなのお姉さん、みたいな気持ちになるのかしら?」

「一歳の差じゃ、そんなことにはならないよ――って、今はそれどころじゃないわ! いったいどうしたの千津子さん、どうしてそんな姿に!?」

 なつかしさからつい同調してしまった。

 ぐいとせまったわたしを見つめかえし、千津子さんはおっとりと首をかしげた。

「わたし、そんなに変かしら? みんな言うのよ、どうしたのって。でもわたし、とっても元気なのよ。具合だって悪くないのよ?」

 自分の姿を見おろして、千津子さんはそんなことを言う。気づかないという感じだ。

 信じられない。


「……元同級生はわかるんだな。やはりなくしたのはアレに関するものか……」

 唖然とするわたしのうしろで、柿嵜さんが苦々しげにつぶやいた。自分の娘のことだろうに、心配しているようには聞こえない。

「千津子さんになにがあったんですか? 元に戻るんですか?」

「原因は『白い夢』だとかいうものだそうだ。記憶だの思い出だのを奪うらしい」

 見た目がこんなに淡くなってしまうのも、その結果なのだそうだ。

「記憶を奪う『白い夢』……妖魔ですか? それとも呪い? ……いえ、原因がわかっているなら、どうして対処しないんですか」

「そのためにあんたに来てもらったんだ。あんた、物探しが得意だそうだね?」

「は?」

 話が飛んだのについていけず、間のぬけた相づちになった。

「噂で聞いている。珍しいものを探し当てたそうじゃないか」


 わたしが変わったものを探して見つけたことが、こっそりと噂になっていることは知っている。それがずいぶんと広がっていることも。

「それがなにか関係あるんですか?」

「おおいにある。娘が失ったものを見つけて取り戻さなければ、娘は元には戻らんのだそうだ」

 千津子さんが失ったものって、つまり記憶、よね。もしや、わたしに探せと言うのは……

「探す場所は夢の中、夢の場、とかいうらしい。そこへ娘とともに行き、娘が失った記憶を見つけてもらいたい。夢の場へ行く方法は手に入れてある」

 案の定だ。でもちょっと待って。そんな形のないもの、他人が見つけられるとは思えない。

 それにこの話は、千津子さんを助けてくれってことよね。

「……どうしてお父様が行かないんですか? 記憶ということなら、長い時間を一緒にすごしている家族のほうが適任だと思います。わたしと千津子さん、同級生ですけれど、教室が一緒だったのは一度だけです」

 しかもわたしは休学したので、実際は半年足らずだ。席が近くて、よく話したとは思うけど……残念ながら、関係性は薄いと言っていい。だからどんな記憶をなくしているのか、探したらいいのか、見当もつかない。


 だいたい一介の女学生たるわたしに頼むだなんて、賭けにしたって分が悪いだろう。家族とか、せめてもっと親しい人のほうが適任だと思う。

「それに千津子さんの意思は? わたしでいいんですか」

「娘は記憶を失っていること自体をわかっておらん。ない状態があたりまえになっとるのだ」

「え……でもつじつまが合わないことがでてくるんじゃ」

「そのあたりは知らん。なにも疑問を覚えないところをみると、合わない部分は意識されんのだろう」

 もしかして存在感を感じにくいのって、はっきりとした意思を感じられないから?

 自分の状態に自覚がないのも、意識されないからってことなのかしら。

「まったく、もともとボンヤリしているのに見た目までボンヤリしおって」

 なんて言いかた! 柿嵜さん、ぜったい千津子さんのこと心配してない。

 だいたい、千津子さんはボンヤリじゃなくて、おっとりしているだけよ。意見をきちんと言う人だった。


 柿嵜さんは話を切りあげたがっているように見えたけど、まだ質問に答えをもらっていない。

 わたしでなければならない理由。それがなければ、わたしは求めるものを見つけられない。探し物は、自分自身が求めなければ見つからないのだ。

「どうしてお父様が助けに行かないんですか?」

 くりかえして訊ねると、

「得意そうな人間に頼むのはあたりまえだろう」

 とめんどくさそうに答えられた。

 人に頼るのは悪いことじゃない。確実さを選ぶならそのほうがいい場合だってある。

 でも柿嵜さんがわたしに頼むのは、そういう理由じゃない気がする。

「……本当は千津子さんがどの記憶をなくしているのか、わかっているんでしょう? さっき言ってましたよね? でもそれを取り戻してほしいとは思っていない。だから行かない――行きたくないんじゃないですか?」

 千津子さんと驚きの再会をしていたうしろで、つぶやかれた言葉。聞き逃してなんかいない。

 あの言葉とこれまでの態度。本当に千津子さんを助けたいと思っているんだろうか。


 不信をはっきりぶつけると、

「あぁそうだな、見当はついている。だが見た目さえ戻れば記憶なんぞどうでもいい。あれでは人前に出せんからな」

 ひらきなおった。

 信じられない。

 柿嵜さんはひらきなおったいきおいのまま続けた。

「取り戻せなかったら、夢の場から二度と現実に戻ってこられないそうだ。だから私は行けん。あんたならそれなりに見つけられる確率は高そうだし、同級生を巻き込むとなれば娘とて、このままでいいとは思わんだろう」

「なっ……!」

 現実に戻ってこられない!? なにそれ、とんでもないじゃない!

 しかもわたしに頼む理由って、可能性とか確率とかじゃなくて、自分が怖いからじゃないの!

 なんって身勝手な……!

 あまりの理由に言葉が出ず、口をあけたまま呆然としてしまう。

 そんなわたしに文箱のような物をずいと押しつけ、

「きょうを逃したら一ヶ月後まで娘はこのままだ。それでは困る。方法と必要なものはこの箱の中にすべて用意してある。ああ、あんたの家には使いをやった。安心してとりかかってもらおう。頼んだぞ」

 しごく忌々しそうに千津子さんをにらみつけ、柿嵜さんは部屋から出ていってしまった。


「ちょっと待っ……!」

 うちに使いをやった? え、それはつまり、千津子さんを助けないかぎり帰れないということ!?

 立ちすくむわたしに、千津子さんがそっと言う。

「瑠璃さん? 父が失礼な態度でごめんなさいね」

 ……本当に父娘なんだろうか、この二人。千津子さんはきっと、お母さん似なんだろう。

 はぁ。

 ――あぁもう、しかたがない。

 こんな状態の千津子さんを見て、強引に帰れるわたしじゃないのだ。しかも方法はこの箱の中に揃っているときた。 

 やってあげようじゃないの!




 箱の中身は説明書と正方形の黒い紙とハサミだった。

「……まぁ。この紙、とってもふしぎ」

 いっしょにのぞきこんだ千津子さんが、黒い紙を取り出して感心した。

「見て瑠璃さん、こんなに薄いのにちっとも光を通さないわ。それになんだかしっとりしてる」

「あ、本当……きっと魔法の品ね」

 千津子さんから渡されたそれは、紙にしては変わった手ざわりだった。しっとりしているけれど水っぽさはなく、驚くほど薄い。

 こんなに薄い紙は初めて見た。質感は魔法によるものだろうけど、この薄さと、そのくせ光をとおさない黒さはみごとだ。

 原料に珍しい物を使っているのかな。産地はどこなんだろう?


 ――って、違う! 今は気にしている場合じゃない。

 えぇとそれで、これをどうするのかしら。ハサミが入っているから、切るんでしょうけれど。

 説明書は実に簡潔だった。


《夢の場への行き来の方法》

行き

1、()雲母(うんも)()を別紙の模様に切る。

2、たいらなところで、切り出した夜雲母紙を満月にかざす。必ず行き先となる人物がおこなうこと。

3、影が門になったらそこへ飛び込む。

帰り

 夜雲母紙を足元に置き、そこへ飛び込む。


 この黒い紙が夜雲母紙なのね。これが門になるのか……こんな魔法にふれることはめったにないから、不謹慎だけど、少しワクワクしてしまう。

 それから別紙の模様は、と。

「わぁ、きれい」

 この形に切り出す……ずいぶん複雑だわ、これ。

「これ切り紙ね。ほら瑠璃さん、三角形に三つ折にして、この部分だけ切ったらいいのよ。そうしてひらいたら、この模様になるわ。やったことない?」

「折り紙ならあるけど、切り紙は初めてね。聞いたことがあるくらい。千津子さんは?」

「わたしは少しだけ。でも簡単よ。コツは丁寧に切ること。ハサミの切れ味がよければなお良しね」

 なるほど。確認してみれば、ハサミはピカピカに研がれていた。すべて用意したと言うだけはある。

「じゃあやってみようか」


 夜雲母紙はたったの二枚しかない。失敗は許されない。わたしは慎重に――千津子さんは鼻歌交じりで――作業をはじめた。

 まずは三つ折にして、模様を写す。

 うーん、これ本当に簡単なの? けっこうこまかいと思うんだけど。不器用じゃないけど、きれいに切り出せるかなぁ。

「ふふっ、瑠璃さん、顔が怖いわ」

「だって失敗できないんだもの、緊張もするよ」

「大丈夫よ。それに、きれいなものを作るときには楽しくやるものだわ。少し歪んだって、それが味になるのが切り紙よ」

 歪んで……いいものなのかなぁ? まぁでも、楽しく作業したほうがいいのは確かよね。

 夜雲母紙を見つめる。吸い込まれそうになるほど真っ黒な薄い紙。魔法の品じゃなくても、間違いなく高級品だ。

 そうね、せっかくの機会なんだものね。


「さぁ切れたわ~」

「えぇっ、もう!?」

 わたしが葛藤している間に、千津子さんはサラリと作業を終えていた。ひらいた切り紙はみごとなできばえだ。

 緊張はぬけないけど、夜雲母紙にハサミを当てる。わ、切れ味いいわ、このハサミ。

 すぐに夢中になった。紙はしっとりしているのに、まったく問題なかった。

「――できた!」

 夜雲母紙をそうっとひらき、シワを伸ばす。なかなかきれいに切れたと思う。

 完成した切り紙は、両手に収まるくらいの大きさだ。こんな小さな切り紙から、通れるだけの大きさの門ができるんだろうか?


 次は外だ。

 一番大きな掃き出し窓のカーテンをひいてみると、窓の外は広いバルコニーになっていた。庭が見晴らせるようになっているのか、手すりより高い木もない。

 ここでよさそうだ。この切り紙を満月にかざして、ということはきっと、よけいな影はないほうがいいんだろうから。

 空を見あげればくっきりと、満月が明るく輝いている。

 夢の場って、どんなところなんだろう。身一つで行って大丈夫なものかしら。

 ――いや、考えたってしかたがない。誰に聞きようもないんだから。

 わたしが切ったものは帰り用とすることにして手帳に挟み、二人でバルコニーに出る。

 うぅっ寒……息が白い。

「まぁ、きれいな満月ねぇ」

 念のため部屋の()を消したので、月明かりはより明るく感じる。確かに満月はきれいなんだけど、月明かりのしただと千津子さんの淡さがきわだつ。今にも消えてしまいそうだ。

「千津子さん、やってみて」

「えぇ」

 楽しそうに千津子さんは切り紙をかかげた。少し離れた床に、切り紙の影が淡く落ちる。

 これはまだ門じゃないだろう。なんとなくそう思って、千津子さんと手をつなぎ、息をつめて影を見守った。

 ぼんやりしていた影が、少しずつくっきりとしていく。影の色も濃くなってゆき、気づけば大きくなっている。まるで同じ模様の大きな切り紙を置いたようだ。

 そう思ってかかげている千津子さんの手を見たら、切り紙がない! この影になってしまったんだろうか?

 でも同時に、門ができたのだと直感した。

「行こう」

 千津子さんの手をギュッとにぎって言うと、彼女もにぎりかえしうなずいた。

 わたしたちは揃って影へ飛び込んだ。




 水に飛び込めば、水の抵抗を感じる。少し高いところから飛びおりるだけでも、空気の抵抗を感じる。影でできた門は、なんの抵抗も感じなかった。

 目をつぶっていたから、どんなところを通り抜けたのかもわからない。一瞬だったのか、あるいはもっと時間がかかったのか。

 気がつけば、足元に地面を感じていた。ちょっと頼りない感覚ではあるけれど。

 そうっと目をあけてみる。

 静かな光景が広がっていた。ぼんやりした灰色の世界だった。どこまでも平坦な地面に、大小さまざまのなにか――輪郭がはっきりしないので、なんだかわからない――が点在している。

 音がない。

 色が淡い。

 ああ、そうか。色んなものがあるのに静かだと感じるのは、存在感が薄いからだ。今の千津子さんと同じように。ここにあるのだと主張するものがない。

 むしろわたしだけがくっきりとしていて、場違いだと感じる。

「…………ここ……」

 周囲を見わたしながら、千津子さんが小さくつぶやいた。その声はふるえていた。

「わたし……見覚えがある気がするわ……どうしてかしら……」

 困惑している表情は、しかしすぐに消えてしまった。意識の中からすぐに追い出されてしまったようだ。


 ひとまずは千津子さんの夢の場に来れたようだ。あとは手がかりがあれば、動き出せるんだけど……

 千津子さんは周囲を見わたすものの、動こうとはしない。ただ表情が、時おりくもる。まるでなにかが引っかかるように。

 わたしはその方角へ目をこらしてみた。うーん……なにかあるのかな。

「千津子さん、歩いてみない?」

「お散歩? そうね……」

 千津子さんが歩き出すのを待って、ついていく。

 あれ、この方角は千津子さんの表情が変わっていたほうだ。こっちでいいのかな。


 しばらく歩いても、風景に変化はない。点在しているものに近づくことがなく、遠ざかることもない。ずっと同じ距離。だから自分たちが移動している実感がわかない。夢の中だから、かしら。

 ついでに言うと、元の位置ももうわからない。自分では歩いたつもりでいるから、移動しているはずなのだ。でもどれくらいの距離を動いたのか、目測もできないので元の場所もわからない。

 同じ位置からでないと帰れない、とは説明書には書いていなかったし、それについては気にしなくてもいいだろう。切り紙さえあれば大丈夫のはず。

 ふと気づくと、霧がただよっていた。色の淡い世界の霧は、すべてをより淡くしている。

 もううしろをふりかえっても、そこをやってきたのかどうかすらわからない。


「あら? なにかしら? 瑠璃さん見て」

 千津子さんの示すほうを見ると、霧に混じって黄色いものがただよっていた。霧に隠れているけれど、その色は他よりもはるかに濃い。

「見に行ってみよう」

 そうっと霧をかき分け、それに近づいていく。

「花びら……みたいね。え、あれ?」

 指を伸ばしてみるもさわれない。そこにハッキリとあるのに、わたしの指は素通りしてしまった。

「この、花びら……」

 花びらを見つめる千津子さんの表情は硬い。ためらいがちに千津子さんは手を出した。花びらは、当然のように彼女の手におさまった。

 あ――もしかして、ここは千津子さんの夢の場だから、彼女以外はものにふれられない?

 わたしにとって、ここの足元は不安定だ。沈むのでも浮くのでもないのだけれど、地面がふんわりしている気がする。それは、わたしがこの場にとって異端であるから、なのかも。花びらにさわれないのも、そういう理由だからかな。


 千津子さんは手にした花びらをじっと見つめている。なにか、思い出している?

 ふいに言った。

「これは、わたしのたいせつなものだわ。どうしてこんなことになっているのかしら?」

 ハンカチを取り出して丁寧に包み、キリリとした表情でふりむいた。

「探さなくっちゃいけないわ! 手伝って、瑠璃さん!」

「うん!」

 きっと花びらは、千津子さんの奪われた記憶の欠片だろう。

 一つ見つけたせいなのか、霧の向こうに隠れているのに、花びらは次々に見つかった。色はさまざまだけど、花びらの形はすべて同じ。

 じつのところ、あんなに濃い色をしているのに、わたしはあまり見つけられず、大半は千津子さんが見つけた。わたしは言われて気づく。やっぱりこれも、千津子さんの夢の場だからかな。

 次々見つかるのはいいことだと思うのだけど、千津子さんの表情は少しずつくもっていった。


 花びらは両手いっぱいになり、千津子さんはそこで動きをとめた。

「これで全部?」

「えぇ……いいえ、もう少しあると思うわ」

「なんだか、嬉しそうじゃないね。どうして? これはたいせつなもの、なんでしょう?」

「えぇ……」

 うかない表情だ。

 千津子さんが歩みをとめてしまった。どうしたんだろうか。

 しばらく待ってみたけれど、彼女は動かない。


 …………これはもう、踏みこんで聞くしかないか。たいせつな理由、表情が沈んでいる理由を。

「千津子さん、どうしてこれがたいせつなものなの?」

「……わたしの誕生日に、あの人がいつも贈ってくれていた花なの。本当はもっと高い花を選ぶべきかもしれないけどって、いつも言いながら。でもわたしは、あの人にとって、自分がそういう近い存在なんじゃないかしらって思えて、とても嬉しかったのよ」

「好きな人から贈られていた花なのね? たいせつで当然ね」

「そうなのよ」

 千津子さんは幸せそうな表情でうなずいた。

「でも、ここでそんな風にバラバラになってる。なにがあったの?」

「……わたし、結婚することになったの」

「えっ!」

「まだ婚約もしていないけれど……でも……決まってしまっているの。わたしはあの人と一緒になりたかったのに、お父様はちっとも聞いてくださらなかった。そのうえ、身分が違うなんてことまで言いだして。うちもあの人の家も商家よ。規模が少し違うくらいだわ、身分は同じよ……!」

 うん、規模違いで身分云々言われたら、親しくしている商家の社長さんなんか雲上人になっちゃう。


 でもそれが、浮かない表情の理由か。

「千津子さんはそれで、納得しているの?」

「――して、いる…………しなくちゃいけないのよ。だってわたしは一人娘なんだもの」

 そんなこわばった表情で言っても、説得力なんてまるでない。

「嘘つき。ぜんぜん納得していないじゃない」


「だァーからここへ置いてったんじゃねーか」

「!?」

 わたしの言葉にかぶさるように、まったく知らない声が響いた。言葉遣いは悪いけど、声の高さが男女どちらとも取れるので性別はわからない。

 目の前の霧がすうっと割れた。中空にヒトが浮いていた。

 ボサボサした感じの長い髪、ゆったりした衣装。顔立ちから判断するに、男みたいだ。周囲より少しだけハッキリしている。いったい誰?


 でも千津子さんはそれどころじゃないようだ。投げられた言葉にうろたえている。

「置いていった……? わたし、これを置いていったの?」

 男はニヤリと嫌な笑みをうかべて答えた。

「そうさ。だって忘れたいって言ったじゃねーか。せっかく預かってやったのになんだよ、取り返しに来たのかよ?」

「…………」

 とほうにくれた様子で、千津子さんは両手いっぱいの花びらを見つめた。

 なるほど、千津子さんがなくしたのは好きな人に関する記憶のようだ。


 わたしは男を見あげた。

「預かったって、あなた何者? ここは千津子さんの夢の場でしょう。どうやって来たの」

「ちゃあんとお招きされたぜ、オレは。呼び寄せられたのさ。忘れたいことがあるってね」

「招かれた? だから、何者なのよ」

「さァねーぇ。妖魔と呼ばれたことはあるが、そうなのかどうか、オレにはわかんねぇし。そうだな、夢に棲むものだ」

 夢に棲むもの? それで、千津子さんが忘れたいと思った記憶を預かった?

 そうか、この男が『白い夢』の正体なんだ。そして、経緯はどうあれ、彼に記憶を渡してしまうことによって、記憶をなくしてしまうのだろう。


「さてさて? お嬢さん。どうするんだい?」

 男はニヤニヤ笑いながら、歌うように言った。

「忘れたいものはここへ置いていったらいい。重たい現実を生きるには、心は軽いほうがいい。違うかい? せっかく身軽になったのに、どうして取り戻そうとするんだ? それを持ったまま歩き続けるのがつらかったんだろう?」

「えぇそう……この想いをかかえたままで結婚するのは耐えられないわ……忘れてしまったほうが、はじめからなければつらい思いをしなくてすむのよ」

 のろのろと顔をあげ、千津子さんは困ったようにわたしを見た。


「ねぇ瑠璃さん? あなた、好きな人いる?」

「えっ!?」

 とたんに脳裏にポンと浮かんだ姿に、我ながらうろたえる。す、好きにまでなってたかな……!?

「うふふ。いるのね」

 そ、そうなのかな……信頼している人なのは確かなんだけど…………わぁあ、顔が熱くなってきた……!

「……もしその想いをあきらめなくてはならなくなったら、瑠璃さんはどうする?」

 ……難問だわ。自覚をしていないのに、そのことを考えるのは難しい。

 えっと……仮に、本当に好きだとして……その気持ちをあきらめなければならなかったら。

 ……あぁ……まいるなぁ……仮定の想像なのに、心がじくじく痛い。

「わからないけど……でも、そっとしまっておく、かな」

「伝えないの?」

 ちょっと迷う。でも、

「状況を変えられるなら伝えると思うけど、それができないなら……でもね、なかったことにはしない。大事な想いならなおさら。きっと……つらいだろうけど」

 わたしは、どんな小さな出会いもたいせつにしようと決めている。

 縁あっての出会いが今のわたしを作っているのだと、休学中の一年の旅をとおして学んだのだ。

 出会いがどんな感情を生むかはわからない。いいことだけじゃなくて、嫌な思いもする。

 でも、出会わなければとは思いたくない。だって、もったいないじゃない?


「瑠璃さんって、強いのねぇ」

「強いというより、欲張りなのよ。きっと。商人を目指しているんだもの、大事な資質だと思わない?」

「そうね」

 千津子さんは花びらを見つめ、もう一度、そうね……と小さくつぶやいた。


「オイオイオーイ。むりさせんじゃないよ。倒れちまったら元も子もねーだろーよ。なぁお嬢さん、だからオレに預けたんだろ?」

 男が少しあせったように降りてきた。気のせいか、姿が薄らいでいる。

「そうね、確かにそう思ったわ。でも…………」

 逆に、千津子さんの姿がハッキリしてきた。

「このバラバラになった花びらを見つけて、わたし、ずいぶんと悲しくなったわ。自分で置いていったことを忘れて、集めるのに一生懸命になったの。たいせつなものに、とんでもない仕打ちをしたのね、わたし」

 ふ、とため息をつく。ただその表情に憂いはない。 

「あきらめなければならない想いを持っているのはつらいわ。でも、枷ではないのよね。……預かってくれてありがとう。返してちょうだいね」

 千津子さんは男に向かってほほ笑み、たりない分を受け取るように手を伸ばした。すると、男の体から剥がれるように数枚の花びらが舞いあがり、千津子さんの手のひらに落ち――一輪の花になった。


 男が悔しげに顔をゆがめて叫ぶ。

「あぁクソッ、せっかく形がとれてきたってのに逆戻りかよっ……! よこせ――オレによこせ、記憶を! 重ねた時間を!」

 千津子さんは静かに告げる。

「ごめんなさいね、わたしはもう、記憶をあげられないわ」

 男の輪郭が、だんだんとぼやけていく。淡くなっていく。

「ちくしょう、ちくしょう――っ!」

 静かな世界に声は吸いこまれ、男は消えた。


「……何者だったのかしら」

「夢喰いの一種なんだと思うわ。形がって言ってたから、人の記憶で実体を得ようとしていたのかも。でもそれはけっきょく借り物よね」

 じっさい、千津子さんの記憶の大半はこの場をただよっていたのだし。

「なんだか悲しい存在ね。だとすると、もう二度と会うことはないんでしょうね。わたし、こんなことがなければ自分がどれほど大事に思っていたか、気づかなかったかもしれないわ。きちんとお礼を言いたいくらいなのに」

「呼んじゃったりしないでね? 今度は強引に奪われそうで怖いわ」

「うふふ、大丈夫よ。心配しないで」

 ほほ笑んだ千津子さんは花を抱きしめる。それはやわらかな光を放ちながら、彼女の体の中に沈んでいった。

 千津子さんの姿がハッキリとしていく。失った分を取り戻したのだ。

 同時に場の風景も変わった。相変わらず物の大小も遠近もめちゃくちゃだけれど、すべてがハッキリと存在感を放つ。


「千津子さん……あぁ、よかった……!」

 きちんと相手の存在を感じられるのは、こんなにも安心するのか。

 『白い夢』によって奪われた――失った記憶、思い出の分だけ、存在感をなくす。それは思いの深さ、強さを示すものなんだ。

 これだけの差を感じるに、千津子さんの思いは相当大きいんだろう。本当に好きなのね。

 柿嵜さんがあれほど忌々しげだったのも、彼女の思いの深さを目の当たりにして、自分の都合のいいように娘を使えないことを実感したからなんじゃないかしら。


「……瑠璃さん」

 千津子さんはわたしをじっと見つめて言った。

「失敗したら帰れないって父が言っていたのに、あなた、一度もわたしのことを催促しなかったわね。取り戻さなくちゃダメと、一度も言わなかったわ。どうして?」

 うーん。そういうこと、改めて訊かれると難しい。

「……正直なところを言えば、怖かったのは確かよ。でもどんなことでも自分で選んだかどうかが、一番たいせつだと思ってるの。それなら結果がどうあったって、次も自分で選べるでしょう。ここへあの花を置いていったのは、悩みの末だったとしても千津子さんの意志だった。だからムリヤリじゃなくて、千津子さんが納得しなければ取り戻せないと思ったの」

 探しものは自身が求めなければ見つからないし、手に入れられないのだ。

「そうなの……わたしのことを信じてくれたのね。ありがとう」

「どういたしまして」


 わたしは手帳に挟んでおいた帰り用の切り紙を、千津子さんに渡した。これを足元に置けば、門ができるのだ。

「では、帰りましょう!」

 晴ればれと宣言し、千津子さんは切り紙を足元に置いた。

 今度はどんなふうに門になるんだろう。

 じっと見守っていると、切り紙の中心からキラキラと光の粒が立ち上ってきた。光の粒はあっという間に増え、黒い紙が白い紙に見えるほどに切り紙を覆い尽くした。

 これが帰りの門だろう。

 わたしたちは顔を見合わせてうなずき、同時に足を踏み出した。




 行きと同じく、どんなところを通り抜けたのかはわからない。でも着地の感覚は違った。

 夢の場には飛びおりた感じがあったんだけど、今度は扉をくぐったときのような着地だった。一歩踏み出しただけ、と言うか。動作としては飛びこんだ形だったんだけど。

 とにかく気がついたら宙に立っていた。

 町全体から遠くの地平まで見わたせるから、ずいぶん高いはず。そのわりに、なぜだか落ちる不安がない。夢の場と違って、足元に安定感があった。


 千津子さんが歓声をあげた。

「まぁ瑠璃さん見て! わたしたち、光の粒の上に立っているわ!」

「あ、本当だ……! さっきの、切り紙から溢れた光の粒かな?」

 砂ほどに小さな光、それがまるで道のように集い、どこかへ続いていた。光はそれほど強くなくて、なんだか優しい感じがする。

 道をよく見ると、密度はあまり高くない。だから千津子さんの粒の上に立っている、という表現はとても正確だ。それでもやっぱり落ちる気がしないのは、不思議。

 前に自分の影がぼんやりと落ちているので、なんの光が当たっているのかとふり返ったら、大きな満月がそこにあった。もちろん手なんか届かないけど、地上から見るよりずっと大きい。そして満月からこちらに、光の粒で道ができていた。

「もしかして、月を通りぬけてきたのかな、わたしたち」

「それはすてきね!」

 少し歩いてみる。たった数歩で、屋根と同じくらいの高さまで降りてきた。うーん、もうちょっと歩きたかったな。


 光の道は千津子さんの部屋へと続いていた。なんだか、千津子さんがなにを選んでも間違いではないよと応援しているように感じる。

 似たことを彼女も感じたのか、静かに言った。

「わたし、決めたわ。まずは想いを告げる。あの人に好きだって言うわ。それからお父様に結婚は嫌だって言うの。あきらめるしかないって、どうして思い込んでいたのかしら。自分でなにもしなければ、なにも変わらないのに。あきらめるのは手を尽くしてからよね、瑠璃さん」

「うん。力にはなれないけど、わたしは千津子さんの味方だからね」

「あら、味方がいるというだけでじゅうぶん力よ!」

 千津子さんはにっこりと笑った。いつものおっとりとした、でも不思議と力強さを感じる笑顔だ。

「旅のお話、おちついたら聞かせてちょうだいね。好きな人がどんなかたなのかも、ね!」

「え、えぇっ!?」

 慌てふためくわたしの手を取ると、千津子さんは光の道を軽やかに歩きだした。




 後日、千津子さんがやって来て、結婚が白紙になったこと、そして告白し――結果両思いだったことを報告してくれた。すでに婚約までしたそうだ。早い。

 まぁ、毎年誕生日に花をくれる人が千津子さんをどう思っているかなんて、想像のついていたことだけれど。でも口にしなければ伝わらないことよね。

「式にはきっと出席してちょうだいね。縁結びの恩人として! ね?」

「えぇ? ご招待は嬉しいけど、その肩書きはやめてほしいな」

「あらそう? 残念ね。でも、あなたのおかげだというのは確かなの。瑠璃さんを選んだ父にも、こればかりは感謝しているのよ」

 結果論だけど、とちょっとふくれて付け足した。わたしを呼び出した手段や理由は褒められないものね。

 千津子さんの家の父娘喧嘩はみごとに噂になって耳にしていたので、その幸せそうな姿に、わたしまで嬉しくなった。



 ……さらに後日。

「瑠璃ちゃんっ! 誘拐されかけたってホントッ!?」

 どこから聞きつけたのか、彼――門倉さんがやって来た。仕事を終えてそのままの姿のようで、珍しくあちこちボロボロだった。

「誘拐じゃないですよ。友達の家族にちょっと強引な招待されただけで……帰宅はいつもどおりでしたし」

「強引な招待は誘拐の範疇っ! あ~も、ホントお人好しだよね瑠璃ちゃんは。無事でよかったよ~……」

 大きなため息をつきながら、わたしの手をぎゅっとにぎる。

「あ、あの……」

「……あーゴメン。俺汚れてんだった」

 あっさりと手は解放され、わたしは少しばかり残念な気持ちになり――一人慌てふためいたのだった。


終わり


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