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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

思春の幻影

作者: 加賀

夏の匂いが好きだった。



教室の片隅で、私はよく絵を描いていた。


描く絵はどれもこれも、私が美的に感じたもので、特に夏はこれに影響した。


「何の絵を描いてるの?」


同じクラスの遥はそう聞いて、私のスケッチブックを覗き込んだ。



恥ずかしさから、とっさに隠したが、彼女には少し見えていた。



「え、うまいじゃん。ちゃんと見せてよ」


「……いいよ」



彼女はまじまじと私の作品を見つめる。


「いいね。私好きだよ。梨沙の絵」


彼女は私の作品を認めた。とても嬉しかった。


何故か彼女はいつも声をかけてくれる。根暗な私とは対照的に遥は明るい性格をしていた。



外からはセミの声が鳴り響いている。



先生は教卓の前に立ち、大きな声で言う。


「来週までに、進路希望を提出してください」


前の席からは紙が渡された。


「自分の人生を左右することだから、真剣に考えるように――」








帰り道、日は沈みかけており、空は夕焼けを映し出していた。



「梨沙は将来どうするの?」


「何も考えてないよ。したいこともないし」


「……そっか」



押している自転車は、やけに重たく感じる。


夏の暑さと潮の匂いに、この時、私は酩酊していたように思う。


海沿いの道路を走り、浜辺へと降り立った私たちは、海と日没を二人きりで見た。


背後には大きな雲が上っている。


「この景色がいつまでも続けばいいのに……」


遥の言葉に、私は何も答えることができなかった。



ふと、彼女の首筋に目がいく。


日に煌々と照らされた、浮き上がる汗に美と強い欲情を覚えた。


二人は、この瞬間が永遠と続くよう、切に願った。







進路希望の締切が迫っていた。


しかし、私の頭から、遥の浮き上がる汗が離れることはなかった。


あの日、家に帰ってからというもの、ずっとそのことばかりを回想していたのだ。


さらには妄想が膨らみ、彼女のいつか訪れる最期を想い、感傷にふけた。



「お、おはよう」



以後、私は彼女に対する接し方がぎこちなくなっている。


遥は私が進路希望に苦悶していると思い、よく相談にのるようになった。


彼女と話すたびに胸は早い鼓動をうち、目を合わすことができない。


また、授業にも集中できず、気が付いたら遠い席に居る彼女を見つめるようになっていた。







「次は、何の絵を描いてるの?」


「遥の絵」



「……私?」


人を描くのは初めてだった。


遥は少し困惑したように見えたが、すぐに笑みをあらわした。



「進路希望、今日が提出締め切りだけど……」


「私、美大にするよ。いつまでも絵を描き続けたいんだ」


「……応援する! 有名になったらサイン書いてね」 


彼女の心に安堵が宿った。







上京し、美大に進学した私は絵を描く日々を送っていた。


あの日、遥と見た美しい時をこの手で表現したいのである。



頭の中では、あの光景が何度も再生されるのに、絵ではうまく表現できない。



私は常に苦悶した。


「やる気ある?」


教授の言葉が胸に突き刺さる。


「これは何を表したいの?」


「学生時代に見た、海と夕焼けです」



美の幻影を、そっと心に隠した。誰にも理解されないと思ったからだ。



「……そう。今日はもういいよ」


私は頭を下げ、部屋をあとにする。私の目は潤んでいた。





それから私は、頻繁に美へ逃れるようになった。


学生時代、それは記憶の中で、

それまで見えていた景色が、まるで別世界のように美しく輝いて感じた。


目視できる領域であるにも関わらず、美に到達し得ないことを私は知っていた。


次第に、幻影は薄くなっている。




その幻影はなんであったか? 



美は可能だろうか? 



私は問い続けた。




いつしか大学には行かなくなり、生活は退廃した。




ここに理解者はもういない。……



夏の日、思春の幻影、今となっては遠い昔のように感じる。



誰かに盗まれたかのような憎しみの感情すらふつふつと湧き上がってきた。


「取り返さないと……」


独り言に、地元へ帰る決心を示す。誰に盗まれたか、もう答えは出ていた。







外の世界は寒かった。


風は冬の到来を知らせている。



私は一人、電車で外の景色を眺めていた。



しばらくして、駅に降り、三十分くらい海沿いの懐かしい道を歩んだ。



学校の帰り道、自転車を押して歩いた二人の姿はもういない。


海と日没も美しくない。


あの日の輝きを完全に失っていた。


浜辺に建てられた看板も色褪せている。




夜道は、街灯だけが頼りだった。


私の足は遥の家に向かっている。


一軒家で、今は就職して一人で生活していることを私は知っていた。


私の決断に迷いはない。



玄関のピンポンを押す。


私は答えた。


遥の懐かしい明るい声と動揺が伝わった。彼女は丁寧に鍵を開けた。……







二階に上がり、電気をつけた。


隣には横になった遥がいた。


私の首筋は汗で濡れている。


名残惜しくて、彼女の手に接吻した。


再び遥が動くことはない。


一年経っても、姿は学生時代とあまり変わらなかった。




数時間して、私の酔いは覚めてきた。


悲惨な現場に、私の叫びは誰にも届かない。



美は返ってこないことを知った。



もっと、早く知りたかった。教えてほしかった。


遥は、もう戻ってこない。




私の中で何度も繰り返される、二人で過ごした美しい時は、まだ息をしていた。



外の世界が冬になっても、内の世界はいつも夏だった。



今この世界と決別するため、私は夢を見る。……





――夢から覚めた一人の女性は、遥に覆い被さるようにゆっくりと倒れこんだ。

 


最後までありがとうございました。

今回の作品は挑戦です。

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