3.艶々と美しくローストされたコーヒー豆を、店主は
艶々と美しくローストされたコーヒー豆を、店主はクラシックな手回しのミルで挽いてくれた。
どっしりと重々しい、鉄と木でできたタイプだ。
結構力がいるのではないかと思うのだが、店主はそのぷにょぷにょした触手で軽々とハンドルを回す。
がりがりと豆が削れるたび、頭の芯まで痺れるような、甘く芳醇な香りがたちのぼった。
気のいい店主は、わたしが相当に物を知らないことを心配したのか、触手を動かしつつ、色々と話をしてくれた。
店主によると、ここは辺境だが、それゆえに商売や観光などで訪れる者も多く、また入植者の受け入れも進めているとあって、なかなか栄えている街なのだそうである。
行き交う者も多種多様で、さながら種族のサラダボウル、多文化の交ざり合った刺激的な場所であるらしい。
「カタツムリは珍しいほうだな。
まあ、人間ほどじゃあないか。
一番多いのは、やっぱり昆虫系の連中かな。
カブトムシとかクワガタムシなんかはでっかいやつが多いから、初めて見たらびっくりするかもな。ちょっと気が荒いとこもあるけど、細かいことは気にしないし、付き合いやすい連中だと思うよ——ツノとかクワとかの話題さえ出さなきゃな。
その点、チョウとか蛾とかは、こだわり強いやつが多い印象だなあ。まあ、個虫差あると思うけど、オレの印象ではね。相手のこと分かってくるまでは、なるべく聞き役に回った方が無難かもな。
あとな。
奴らの、羽には、触るな。
すれ違う時も、注意しな。
向こうのせいでぶつかったとしても、99.99%難癖つけられるぜ。」
とまあ、こんな感じで、まるで講義のように色々と教えてくれるのだった。
確かに、さっきのお金のことといい、この世界の常識を知らないというのは致命的だ。
おまけに話を聞いていると、どうもこのあたりの生き物は私の常識を軽々超えてくる上、ここの店主ほどは穏やかでも、寛大でもなさそうなのだった。
店主は、挽き終わった豆をネルフィルターに入れると、カーブが美しいガラスのサーバーと、火からおろした銀色のポットを並べた。
そして、触手の先にふわふわした手袋のようなものを嵌めると、一本でフィルターの柄を、もう一本でポットを持ち上げ、ゆっくりとドリップをはじめた。
店主がぽた、ぽた、とコーヒーの表面にお湯を落とすと、白く甘い湯気があがる。
にゅるにゅると繊細な動きでポットが揺らされると、渦巻くお湯が一筋の輝く光のように黒いコーヒーに沁みこみ、きらきら弾ける泡と濃密なアロマとなって湧きあがった。
橙色のダウンライトに照らし出される巨大なカタツムリの姿は、まるで往年の指揮者の如き自信と存在感にあふれている。
なるほど、これが星つきの貫禄というやつなのだろうか。
私がただただ圧倒されていると、店主はにょろんと片目だけをこちらに伸ばし、ぱちりとウィンクした。
「どうだい、いい薫りだろ。」
頷くと、店主は本当に嬉しそうに笑う。
「先月直接農園まで行って買い付けてきたばっかりなんだ。甘みと酸味のバランスがすごくよくて、さっぱりした飲み口だよ。」
最後の金褐色の雫がガラスのサーバーに落ち切った後、店主はにゅるにゅると壁際の棚から一客のコーヒーカップを選び出し、淹れたてのコーヒーを注いでくれた。
「Ecco a lei! 楽しんでくれたら嬉しいぜ!」
店主が選んでくれたのは、ぽってりと丸みを帯びた、鮮やかなグリーンのコーヒーカップだった。
初夏の陽に照らされたような、新緑の色だ。
まるで五月の薫風のように、コーヒーのいい薫りが鼻をくすぐる。
「いただきます。」
そっとカップを持ちあげて、つやつやと黒く深いコーヒーを囲む金茶色の輪に口をつけた。
これは。
わたしは、言葉を失った。
舌の上で、まるでもぎたての果実のようにみずみずしい甘酸っぱさが弾ける。
そして後に残るのは、チョコレートのように優しく、ほろ苦い甘さだ。
それもやがて夢のように薄れ、消えてしまう。
夢中で、もう一口口に含んだ。
目を閉じると、まるでカフェではなくて、美しく豊かな森の中にいるようだ。
わたしは、柔らかな黒い土を落ち葉と共に踏み締め歩いている。
鮮やかな赤い飾り毛の生えた小猿が、木の上で小さな柑橘を食べているのが見える。
青い小鳥はベリーをつつき、黄色いリスは木の実を口いっぱい頬張る。
わたしは鮮やかな赤い果実をもぎ取ってバスケットに入れる——。
「——、——、おいしい。」
本当に、謎の乙女チックな妄想をしてしまうくらい、おいしい。
幸せに満ち足りた気分で目を開けると、しかし、カタツムリが両の目を限界まで見開き、口をぽかんと開けてこちらを凝視していた。
「お、おい、あんた。あんた、今何した?」
「えっ?」
何のことかわからず困惑するわたしに、カタツムリはにょろんと目を曲げるようにして天を仰いだ。
「いやさ……今さ、一瞬周りが森になったんだけど。すぐ戻ったけどさ。それさ、あんたがやったんじゃないの?」
「えっ?」
えっ?
次回の更新は、27日の予定です。(目標:隔日更新)
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