閑話6.クロキュスの復讐
この日も俺はいつものようにカフェのカウンター席で本を開いたまま考え事をしていた
どうやって領主交代をさせるか
ナルシスにこの町を捨て置けと言ったことを後悔させるにはどんな方法をとればより効果的か
そんなオリビエにはとても口に出して言えないことばかり考える
でもオリビエが気に入ったこの町をこのままにするという選択肢は俺の中にない
使えるものは全て使ってでもオリビエにとって居心地の良い町にすると決めているのだから
調理場側に設けられた俺の指定席でそっとオリビエの様子を伺う
忙しく動き回りながらもその表情に疲れはない
むしろ喜びが浮かんでるように見える
そう思いながら店内をついでに見渡した
外からは見えづらく、それでいて店内を見渡せるこの場所は、オリビエを守るためには最高の場所と言えるだろう
「休憩したら?」
突然漂ってきたコーヒーの香りに声のした方を見ると、オリビエが俺の前にカップを置くところだった
「あぁ…サンキュ」
「何か考え事?」
「いや。ここが指定席になったなって思ってただけだ」
「なったんじゃなくてしたんでしょう?」
何をいまさらとでも言うように笑いながら言うオリビエに苦笑する
「邪魔じゃないからいいけどね。そこにいてくれると何か安心するし」
何気なく言われた言葉に深い意味はないとわかっていても嬉しくなる
いつから俺はこんなに単純になったのかと思うほどに…
オリビエが入ってきた客の対応に向かったタイミングで本の上にメモが1枚落ちてきた
“すべての証拠が揃いました”
そこに書かれた1文を見て俺の心臓はドクンと大きく脈打った
長い間望んできたモノをようやく手に入れたことを示すそのメモを思わず握りしめる
でも動くのは今じゃない
すぐにでも立ち上がって動きたいのを必死で抑えて過去に思いを巡らせた
***
「なんで…」
5年前知らせを受けて駆け付けた俺を待っていたのは、変わり果てた姿となった家族の姿だった
馬車ごと崖から落ちたのだろうことは分かる
父と義母、まだ幼い半分だけ血のつながった双子の弟達
外傷も酷く哀れな姿となった弟達を抱きしめる
でもいつもなら感じた温もりは一切感じることが出来なかった
***
あまりにも突然の死だった
弟たちの年に母を亡くしてから反発した時期もあった
それでも寄り添い続けてくれた義母のこともいつからか家族だと大切に思っていた
家族を守りたくて騎士になったというのに、知らないところで失っていたことに打ちのめされた
俺はしばらく屋敷に引きこもり、その鬱蒼とした日々の中で手に入れたのが1枚のメモだった
“歌姫の死はオナグルに襲われ気が触れたのが原因
オナグルの記憶がないのはシギュ・ジョンチアンがからんでいるのか?
不審な死を迎えた騎士3名 全て近衛“
それを見た瞬間、生きることに絶望していた俺の中でようやく生きる意味を見つけた
本の中に隠すように挟まれていたそのメモを見つけたのは偶然だった
シギュ・ジョンチアンは王が抱える魔術師の名
家族は単なる事故ではなく殺されたのだと確信した
父がそんな情報を掴んでいたということは母の死にも何かあらぬ力が働いたのかもしれない
母の死因は病死だと聞かされていた
いや、病死としか聞かされていなかったのだとその時初めて気づいた
数日前まで元気だった母の急死だったのに…
あれから5年ずっとその証拠を探してきたのだ
シギュ・ジョンチアンの近辺もその親族の近辺も含めて情報を集めた
王の側近である立場を利用して王宮内もくまなく探った
でも確たる証拠はこれまで手に入れることが出来なかったのだ
その証拠が揃ったのかと思えば、落ち着くのが難しいのも仕方がないことだと思えた
「腹減ったー」
飛び込んで来たその声に立ち上がる
「ダビア、ちょっと頼むな」
「了解」
昼を食べに来たダビアにここを頼むと俺は自分の部屋に駆け込んだ
「こちらを」
既に部屋の中にいた男に手紙を渡された
“シギュ・ジョンチアン”
表にそう書かれていた
裏を見ても署名はない
でもそこに押された蝋封はこの国でただ一人しか使うことのできないものだった
俺はしばらくその蝋封をじっと見た後、中の物を取り出した
出てきたのは便箋1枚と地図のようなもの
“今日をもってトゥルネソル一家はこの世の最後を迎えることになるだろう
俺を拒んだ最初の妻同様、従わない者に用はない
この世を去ったことの確認を怠るな
御者の始末はそなたに任せる
もしこのことが明るみになればそなたの一族が同じ道をたどるだろう“
怒りに震える手で便箋をめくると赤く大きなバツ印の付いた簡易地図が目に飛び込んでくる
そのバツ印の場所こそ家族が命を落とした場所だった
「やはり母さんも…」
「まさか自らそのことを明かすとは予想外でしたが…その件だけは我らが王にも伝えさせていただきます」
「あぁ。当然の権利だ。その件の判断はそっちに任せるよ」
探っていた2件の決定的な証拠が同時に手に入ったのは僥倖
でも、だからと言って亡くなった大切な命が戻ることは無い
「どこにあった?」
「手帳の表紙になっていました」
「は?」
「親族に囲う職人がいるので特注でしょう。手紙を芯材として通常の手帳に仕立てられていました」
厚みも通常の芯材とほぼ同じ
毎年、手帳自体は何度も確認した
カバーを外したり中の文字までくまなく見ていた
でも芯材として違和感さえ感じることは無かったのだ
「正直、見事としか言いようがありません」
「だろうな。お前たちが3人がかりで5年…まさか…」
こんなところに
その言葉は声にはならなかった
「とにかく証拠は揃いました。あとはどうなさいますか?」
「…復讐を」
自分から出た恨みの籠った低い声を、どこか遠くから聞いているような錯覚に陥る
「殺りますか?」
「いや。あの世に送ったところで喜ぶのはオナグルだけだ。それにここの領主交代の件もある」
「では、殺してくれと懇願する程度に甚振ってよろしいですか?」
その声には殺気がこもっていた
「珍しく好戦的だな?」
この男は基本的には温和な解決法を提案するはず
「この5年の恨みを晴らさせていただこうかと。それに母君は我々にとっても大切な方です」
精鋭と呼ばれる彼らが3人がかりで5年
それも俺個人の希望で動いてくれていたのだ
「ご自身で何かされたければここにお連れしますが」
「いや、それは望んでない」
俺自身は真相を突き止めて社会的に罰したかっただけだ
でも内容を見る限り闇で動かざるを得ないものだった
だとすれば彼らに任せる方がいいだろうと思ったに過ぎない
「後始末はいかがしますか?」
「この手紙の送り主の寝室に転がしておいてくれ。この手紙を添えてな。俺が絡んでいることくらいは察するだろう」
「いつでも息の根を止めることが出来る、ということくらいはすぐに察して欲しいものですね。復讐の矛先がすぐに自らに向くのを恐れて、領主交代くらいはすぐに実行するかもしれませんね」
取り出したものを封筒に戻し彼に返すとニヤリと笑って受け取った
俺ですら滅多に見ることのない黒い笑みにこの先の出来事を想像するのは容易い
「これは餞別だ」
インベントリから取り出したのは1つの腕輪だ
「ありがたいですね。魔術師をその力を封じて甚振れるとは」
嬉々として受け取るあたり相当鬱憤が溜まっていたのだろう
「それと…個人的なことに長い間関わらせた礼だ」
「よろしいので?あなたからホールのケーキなど初めてでは?しかもこれは先日の果物を使ったものですよね?」
「フルーツタルトだ。俺にも感謝の気持ちくらいある」
「なるほど。では3人で楽しませていただきます」
彼はタルトを受け取ると、次の瞬間姿を消していた
俺はソファに身を沈め大きく息を吐きだした
「やっとだな…」
真相を知るための5年
オリビエに出会うまでそのためだけに生きていたともいえる
「まだ5歳だったのにな…」
今のロベリと同じ年でこの世を去った双子の弟の事を思うとやり切れない
何より悔やまれるのは、自分の家族の命を奪った人間の命を、自らの手で救ったという事実だった
「簡単には殺さない。生きて苦しみ続ければいい」
どす黒い感情が自分を支配しているのが分かった
溢れてくる殺気を必死で抑え、なんとか自分の気持ちを落ち着けてからカフェに戻った
「お帰りロキ。お昼どうする?」
「…創作」
「了解」
オリビエはいつものように笑顔で頷いて準備をしてくれる
この先何があってもこの笑顔を守っていきたいと心からそう思った
「ロキ」
呼び止められたのは部屋に向かう階段を上がり切った場所だった
「お昼前に何があったのか知らないけど…無理に笑わなくても大丈夫だよ?」
「え…?」
「内容は言えないけどイヤなことがあったんだって、それだけで納得してくれる人しかここにはいないから」
「…」
「そんな風に無理して笑ってたらロキが壊れちゃうよ?だから、明日からは無理しないでね。おやすみ」
オリビエはそう言って自分の部屋に入って行った
まさか気づかれているとは思いもしなかった
でも気づかれたことを嫌だとは思わなかった
それだけ俺を気にかけてくれているということだから
「これは…?」
部屋に入るとソファーテーブルの上に何かが置かれていた
それを手に取り思わず笑う
そこにあったのは1枚の写真
そこに映っていたのは寝室の床に転がされたシギュの額に貼られた封筒を見て驚愕の表情を浮かべる男の姿
しかもその封筒にはメモが貼られている
“次はお前だ”
そこにはたった一言そう書かれていた
殺すとも痛めつけるとも書かれていない
いつその『次』が来るかも、何が起こるかもその時にならないとわからない
その恐怖はいかほどのものか
そう考えると沸き上がる殺気が少し和らぐ気がした