閑話4.砕け散った夢(side:王宮 ソラセナ)
王宮入りした私はこれから贅沢な生活が出来るだろうとほくそ笑んでいた
お父様も、お母様も、私は嫁ぐことさえできればそれでいいと言ってくださったもの
それに嫁げば私はいずれ国母になる
つまり誰も私に逆らえないってこと
これまでずっと周りは私の言いなりだったけど、ゴールドの3家は例外だった
彼らは同じ地位にあるから仕方ないってお父様もおっしゃってたけど…
でもその3家も私が嫁げば逆らえないってことだもの
王族の使えるお金は大きいと言ってたしこの先が楽しみだわ
でも…
「まだオナグル様は見えないの?」
既に10分は待たされている
この私が約束時間丁度に来たというのにどういうことかしら
仮にも正妃となる私の出迎えなのにと苛立ちが先に立つ
ここが家なら使用人を怒鳴りつけてるけど…
「もう来られるかと…」
側にいた者がそう言った時オナグル様が現れた
「オナグル様にご挨拶申し上げます。ソラセナ・オーティ、オーティ家の長子にございます」
すかさず立ち上がり、この国で『淑女の礼』と呼ばれる挨拶をする
確かこれでよかったわよね?
ふいに過ったわずかな不安を頭の片隅に追いやった
「よく来たな。まぁかけるといい」
オナグル様は待たせたことには一言も触れずにそう言った
そのことに腹を立てながらソファに座るとオナグル様も正面に座る
遠目にしか見たこと無かったけど…カッコいいじゃない
こんな素敵な旦那様を手に入れられるなんてお父様に感謝しないとね
私は腹を立てていたことも忘れてオナグル様との甘い日々を妄想した
なのに…
「そなたを正妃と迎えるにあたりいくつか条件がある。もちろんそれに同意なき場合この話は無効となる」
何それ?そんなこと聞いてない
そう思ったもののここで反論すれば無効になると言われれば頷くしかない
「条件、でございますか?」
ひとまずそう答えるにとどめた
多分間違ってはいないと思う
「そうだ。まず俺が歌姫を囲うことに一切の口出しを禁じる。歌姫の元に通うことも含めてだ」
歌姫を囲うことはお父様から聞かされていた
でも歌姫の元に通うことも、歌姫のこと自体にも口出しを禁じるなんて納得出来るわけないじゃない
そんな気持ちをかみしめているとオナグル様はさらにつづけた
「2つ目、この結婚はオーティ家から是非にと言ってきたものだ。正直俺にとってのメリットはさほどない」
「な…」
思わず反論しかけていた
咄嗟に口を閉じたけど納得できない言葉だ
メリットがない?そんなことを言われるなんてとんでもない屈辱だわ
「今、目の前にいるそなたを見て正直幻滅している。事前に学院からの紹介状はあったが裏で金が働いたのは明白。実際に会うまでは義務でもあるから正妃として大切に扱おうとは思ったが無理だと悟った」
「無礼な…何の証拠があってそんなことを?」
机を叩き立ち上がって叫ぶように言ってしまった私を、オナグルは探る様に見ていた
「ほぅ…無礼?王族の俺に対して?」
反射的に出た言葉に返ってきたのは蔑みを含んだ冷たい視線だった
オナグル様の冷たい目に不味いと思った
思ったことを隠すのも忘れていたと気付いても時間は戻せない
「ゴールドランクの称号を持つ家の者とは言え、そなた自身はただの一般人だ。それが王族に無礼と言えるとは…学園の『非常に優秀で品行方正な素晴らしい令嬢』がいかほどのものか…」
あざけりを含んだその言葉に羞恥心に見舞われる
「俺も学園には通っていたが…そなたが非常に優秀であれば学園は非常に優秀以上の者で溢れ返っていた事だろう」
「な…」
「表情を崩す、大声を出す、机を叩くなど令嬢にあるまじき行為だ。今のまま王族として扱うなど自殺行為だな」
確かに私の成績は悪いし学園でも叱られてばかりだった
それでもいいと、その上で正妃になれたのだと思っていたのに…
まさかお父様がそんな評価を王家に伝えているなど今初めて知った
お父様は一体何を考えて…私がそんな振る舞い出来ないってご存知なのに…
そんなことを考えていると更にオナグル様は続ける
「そこで2つ目の条件だ。もう決まったことである以上、対外的には正妃として迎える。だが、俺の用意した教師が合格という言葉を出すまで、そなたを正妃として扱うつもりはない。もちろんそれまで外部との連絡は一切許可しない」
「そんなの酷いわ!」
合格なんて貰えるはずがないじゃない!
そしたら私はずっと正妃として扱われない…
正妃としての権力を持つことで、これまで従わなかったゴールドの同級生も従わせる予定だったのに叶わないじゃない
「酷い?『非常に優秀で品行方正な素晴らしい令嬢』なら何の問題もないだろう?」
「だからそれは…」
お父様のしたことだと伝えたところで通用しないことだけは分かる
むしろそんなことを言えば王家を謀ったことを責められるかもしれない
「それほど難しい条件ではないだろう?正妃として、王族として、恥ずかしくない礼儀と教養を身につけろと言っているだけだ。教養に関しても、学園で優秀な成績を収めていたなら、1月も必要ない程度の内容を追加で覚えるにすぎん」
そもそもの基準が違うのだからと言いたいのを必死でこらえる
「この2つの条件が飲めないなら、この話は断らせてもらうがどうする?」
「そんなの…今更正妃になれませんでしたなんて言えるわけないじゃない…」
その時オナグル様が見せた意味ありげな笑みに冷や汗が流れる
多分調査されているのだろう
紹介状の裏事情も私が正妃になれるから、と周りから祝いを貰っていたことも…
「ではこの書類にサインを」
「…わかったわよ!サインくらいいくらでもするわ」
半分やけくそでサインした
だって私には今さら正妃にならない選択など出来ないんだから…
「それを複写した上で原本を父上に」
「承知しました」
側近の一人が書類を持って出て行って初めて、内容をちゃんと確認しなかったことに焦りを覚えた
かなり細かい字が沢山書かれてたけど…一体何が書かれてたのかしら?
書かれている内容によっては、私だけじゃなくオーティ家も大変なことになってしまう…
だからと言って今さら止めることもできない
サインした以上それを無かったことにすることは出来ないし、サインをしないという選択肢もないのだから…と自分に言い聞かせるしかなかった
「ソラセナを正妃の部屋へ。教師には婚姻の儀でソラセナが失態を犯す事の無いよう改めて申し付けろ」
「承知しました」
「ソラセナ、婚姻の儀までは6日しかない。せめて婚姻の儀で恥をかかない程度の礼節は身につけろ。そなたがやらかした場合恥をかくのは王族だけでなくそなたの一族もだということを忘れるな」
「…分かりました」
とても正妃になるものに向けられる言葉とは思えなかった
でもオナグル様が望んでいたのが紹介状の通りの人物なら当然のことでもある
偽ったのはオーティ家なのだから
王族の立場を考えれば当然で、仕方ないと頭で理解しても感情はそうはいかない
憧れていたオナグル様に嫁げると思い、浮かれていた幸せな時間は儚く消えてしまったのだから
「あぁ、後…王宮のメイドや護衛にそなたの家と同じ扱いをすることは禁ずる」
「どういう…意味でしょうか?」
「オーティ家の使用人は随分入れ替わりが激しいらしい。一部の者は暴力により日常生活さえ不自由する体にされていると報告があった」
何その報告…裏切者がいるとお父様に報告しないといけないわね
だいたい我が家で働けることを光栄に思いこそすれ、逆らうからお仕置きをしただけじゃない
其れの何がいけないって言うのよ?
「そなたから彼らへの暴力や暴言は、王族に対するそれと同等の罰を与える」
「同等の罰…」
「軽くて鞭打ち、重ければ処刑。正妃となった者を下らん理由で処刑することにならなければよいがな」
オナグルはそう言ってソラセナを置いて部屋を出た
メイドや護衛に対する暴言や暴力は王族に対する者と同等?
ただの召使なのに?
じゃぁ私のこの苛立ちは誰にぶつければいいのよ!?
そう心の中で叫びながら正妃の部屋に向かった
「こちらです」
扉を開けて飛び込んできたのは広く、きれいに整えられた空間だった
それを堪能する間もなく教師たちが入ってきた
「これからソラセナ様を指導される教師の皆さまです」
「初めましてソラセナ様、一般常識を担当するシプレ・シャードンです」
「アシレ・アリストロシュ、礼儀作法・マナーを担当します」
「ルー・ソヴァージュ、健康管理を担当します」
3人がそれぞれ名乗り淑女の礼を取る
「ソラセナ様、教師の方々はオナグル様の命で来られています。同時にソラセナ様より上位の権限を与えられておりますので逆らうことは許されません」
「…わかったわ」
そう答えるしかないじゃない…
「我々3人は基礎の確認を担います。学園で優秀な成績を収められていたソラセナ様には指導は不要でしょうが、王族に嫁ぐ際の決まりですのでご辛抱ください」
「え、ええ」
「勿論十分習得されていると判断した部分は飛ばしながら進めます。そして一般常識をクリアされれば王宮知識、礼儀作法・マナーをクリアされれば近隣主要領土独自の知識とマナー、健康管理をクリアされれば護身術へと進みます」
「そんなに?」
「心配には及びません。歴代の正妃様、側妃様も最初は驚かれますが皆ソラセナ様同様優秀な成績を収められていましたので、一様に1月もかからず全て合格されております」
その成績が偽りなのよ…
私は項垂れるしかなかった
お父様に文句を言いたいのにそれも叶わない
「指導は9時から13時が一般常識、昼食を挟んで14時から18時が健康管理、夕食を挟んで19時半から23時半が礼儀作法でスケジュールを組むようオナグル様から指示されております」
「そんなに?」
勉強漬けじゃない…
「通常なら朝から夕方にかけて、それぞれ2時間ずつでこなされていましたとお伝えしましたが、ソラセナ様は他の方より倍の時間は要するとおっしゃって…」
少し遠慮がちに言われるも返す言葉もない
今日から始めるという言葉通りその直後から指導が始まった
「そんなこともご存じないとは学園から提出された成績は一体…?」
すべての教師から言われ大きなショックを受けた
「こんなことは子供でも知っていることですよ」
「ゴールドの令嬢がまさかこのような…父君はご存じなかったのかしら…」
「あまりにも酷すぎます。学園で一体何を学ばれていたのです?」
「そもそもこの程度の事が出来ないのに学園に入れたこと自体が…」
繰り返される、私を全否定するような言葉
私はこの時になって初めて後悔した
オーティ家で家庭教師を次々と辞めさせ、お父様に匙をを投げさせたことを
叱ってくれた学園の先生をお父様に首にしてもらったことを
これまでにきちんと学んでいれば、幼い頃から憧れていたオナグル様に、あんな冷めた目で見られることは無かったはずなのにと
でも基礎さえできていないと言い放たれた私が挽回するのは簡単なことじゃない
教師達は婚姻の場で必要な知識だけをひとまず詰め込むと決めた
それですら私は満足に出来ないのだけど…
最後の教師が部屋を出て行くと自然と涙が溢れてきた
「何で私がこんな思いしなきゃいけないのよ…私はお父様に言われただけなのよ?オナグル様が正妃にと望まれているから行きなさいって…なのに真逆だったなんて…」
お父様を初めて心の底から憎んだ
誰かにそばにいてほしくてメイドをつかまえる
「オナグル様はどちらに?」
「オナグル様ですか?この時間ですと執務も終えられていますので…」
「何よ??はっきり言いなさいよ」
口ごもるメイドを怒鳴りつける
本当に使えない
「…歌姫の離宮におられるかと存じます」
そう言って頭を下げるとメイドは去っていった
「歌姫の離宮…?」
どういうこと?
囲うとは聞いたけど離宮を与えるなんて聞いてない
しかも執務を終えたのに私には一言もなかったじゃない!
そう思うと怒りが溢れてきた
「ちょっと!オナグル様を呼んできて!」
「申し訳ありません。それは出来かねます」
「何でよ?」
「離宮へはオナグル様の側近の中でも1名しか立ち寄ることが許されておりません」
「は?」
「王族としての緊急時以外は離宮から出てこられませんので…」
言いづらそうにしながらもそう説明した
「何よ…それ…」
私は足元から崩れ落ちた
あふれる涙を止めることも出来ず、側付きのものに部屋に連れ戻される間も「許さない」と喚き続けた
それを発端にして王宮内に醜態をさらす羽目になっても、オナグル様がプライベートで私の前に現れることは無かった
幻滅したというオナグル様の言葉が私の頭の中で何度も繰り返されていた
「ソラセナ様の護衛騎士が決まりました」
オナグル様の側近の一人がそう言って3人の騎士を従えて来たのは城に来て3日目だった
これまでは騎士団の上層部が交代で当たってくれていたらしい
「剛盾のスキルを持つハンソン・メリケンス、炎剣のポルテ・サポリート、氷槍のベラドン・グリシーヌです」
側近に紹介された3人が順に頭を下げた
「そう。よろしくね」
私はそう言ったものの彼らに興味はない
それよりも授業に備えた身支度をすることにした
侍女たちに整えてもらっている間、彼らの間で交わされる言葉が聞こえてきた
『ダビア団長とマロニエは何でこの役目を断ったんだろうな?』
『しかも断ったら新兵まで降格って聞いて即辞めるとか…あの場で聞いてて耳を疑ったぞ』
『勿体ないよな?正妃の護衛なんて望んでなれるものでもないのに』
マロニエ、ですって?
聞こえてきたその名前に背筋が凍り付いた
学園でのクラスメイトの顔が浮かぶ
マロニエ・コマン、シルバーの家の長子でありながら騎士を目指した変わり者
騎士団に入ったのをきっかけに家を勘当されたと噂で聞いた
学園時代のマロニエは常に優等生の位置にいた
同じクラスにいた、私に従わない他のゴールド3家の生徒とは親しくしていたのを知っている
でも彼が私に向ける視線はいつも、他の生徒たち同様蔑んだモノだった
家を捨てるほど騎士団への想いが強かった彼が、私の護衛になるのがイヤで騎士団を辞めた
ゴールドの生まれで、正妃になる立場である私に守る価値を見出せなかったという意思表示
それが彼だけでなく騎士団長も同じだという
今回私の護衛候補に上がった者は特攻、もしくは精鋭と呼ばれる者達のはず
有事の際、私を守る精鋭を失ってたという事実に目の前が真っ暗になる
団長の噂は私でも知っていた
騎士団の精鋭の3人分の働きは軽くできるはず
現在王族に付いている護衛に入っていないのは、家柄の問題だけだというのは周知の事実だ
オナグル様も流石に新兵降格と言えば断わったりしないと思っていたはず
なのに彼らは断った
でも一度口にした言葉は撤回することは許されない
「だから朝食の席でオナグル様は…」
昨日までと違った怒りを含んだ視線の意味をようやく理解した
「どうかなさいましたか?」
「…何でもないわ」
表面上気遣ってくれる侍女にもそう返すしかない
結局、婚姻の儀を迎えるまで私はオナグル様に声を掛けられることはなかった
*****
婚姻の儀を済ませると2人の寝室を案内された
でもそこで寝るのは週に一度でそれ以外は自分の部屋で過ごす
閨事も何の情緒もなく素っ気ないもので、その行動が義務だからと告げているようで悲しいだけ
事が済めばオナグル様は何も言わずに夫婦の寝室を出て行ってしまう
それでも子が出来れば少しは変わるかもしれないと、わずかな希望だけが私を支えている
23時半から30分だけ共に話す時間を設けられたけど、オナグル様から話を振ってくれることはない
日毎に私の苛立ちは大きくなる
正妃になったはずなのにと、それが口癖になるほどに打ちのめされていった