108.アントの到着
「オリビエお客さん」
時間はまだ朝の8時
この時間から訪ねて来る知り合いはいないはずだけど…
そう思いながらもエントランスに向かう
「えっと…どちら様?」
そこに立っていた青年を見てもさっぱりわからない
「すみません。俺はアント・スキャンと言います。ジルコット元医局長に手紙を貰って…」
「ジルコットに…?」
そう言えば一緒に働いてた人の名前がアントだったかしら
でもジルコットからは手紙を出した後のことは何も聞いてないんだけど
「実はすぐに返事を出そうと思ったんですけど、届けてくれた方がそのまま向かっても構わないと言ってくださったので…すみません。突然押しかけたら迷惑でしたよね…」
本当に申し訳なさそうにアントは頭を下げた
「そう言うわけじゃないの。ちょっと驚いただけだから気にしないで?」
「でも…」
「とにかく上がって?」
アントを促して応接室に通した
「ジルコットを呼んでくるのでかけてお待ちくださいね」
「あ、ありがとうございます」
戸惑いながらもソファにかけてくれたのを見てからジルコットを呼びに向かう
「あ、ロキ」
「どうした?」
「アントが来てるの」
「アント?あぁ、ジルコットが呼ぼうとしてた医師か?来たってここに?」
久々にロキの驚く顔を見た気がする
「手紙を届けた人が直接向かっても構わないって言ったそうなの。私はジルコット呼んでくるからフロックス呼んできてもらっていい?多分庭にいると思うんだけど」
「分かった。応接室でいいのか?」
「うん」
頷いて私は階段を駆け上がる
「ジルコット起きてる?」
ノックして尋ねるとすぐに扉が開いた
「朝から珍しいな?何かあったか?」
「おはよう。実はアントが来てるんだけど」
「アントが?」
「手紙を見てそのままこっちに来てくれたみたい。直接こっちに向かってもいいって言われたからって言ってたわ」
「それは有り難い」
ジルコットは嬉しそうに笑って言うと応接室に向かう
その間にロキがフロックスを呼びに行ったことも伝えておいた
「アント!久しぶりだな」
ノックしてドアを開けるなりジルコットはそう言った
「医局長!すみません。返事を出す前に来てしまって…」
「構わんさ。来てくれたということは引き受けてくれるということでいいのか?」
「俺で良ければぜひお願いしたいです。正直これからどうしようかと思ってたので」
苦笑しながらアントは言った
「亡命して、最低限の衣食住は確保できてはいたんですけど…」
「人数が人数だからな。受け入れる3国の方も体制を整えるのに必死だ」
ロキとフロックスが入ってきた
「クロキュス様!?それにフロックス様まで…?」
目をこれでもかと言うほど見開いていた
ここまで驚くとちょっとかわいそうになってしまうわね?
「様は不要だ。あの国の称号など今はもうゴミ以下だからな」
「しかし…」
「アント、本人が望んでるんだ。その希望に沿うのも礼儀だと思うぞ?」
「…わかりました。でも流石に呼び捨ては出来そうにないのでさん付けでもいいですか?」
2人は苦笑しながら頷いた
「まぁとにかくだ、体制を整えるのにもうしばらくかかるだろう。ただ、同時にアントのような技術職を洗い出してるところだ」
「技術職を?」
「経験者には仕事の対価として支援した方がいいだろ?」
「それは勿論です!できる事があるはずなのに施されるだけというのは、やはり心苦しいですし…」
その言葉にロキを見ると頷いて返される
「周りにも同じような考えの人が結構いて毎日頭を悩ませてました。でもそんな動きがあるならよかった」
「今すぐどうこうってのは難しいけどな」
「それは仕方ないですよ。1国の人間が単純に1/3ずつ流れてるんですから…それに衣食住の心配をせずに済むのは本当にありがたいですし」
「その日の食事もままならない者も多かったからな。そう言う意味ではソンシティヴュは滅んでよかったと言うべきか」
ジルコットがしみじみと言う
「これからお互いの意見をすり合わせながら、新しい体制を作って行けばいいのよね」
「そうだな」
ロキが優しい眼差しを向けて同意したのをアントが驚いたように見ていた
「クロキュスのデレた姿に驚いとるぞ?」
「…」
ジルコットの言葉にロキが顔を反らした
「あの、そちらの方って…」
「ごめんなさい。自己紹介もしてなかったわね」
「オリビエ、俺の嫁だ」
「クロキュスさんの…奥さん?!結婚…?」
「悪いか?」
「いえ、とんでもないです…ただそんなイメージが無かったので」
「今のこいつはずっとこの調子だから慣れるしかないな」
「心配するな。すぐに慣れる」
しどろもどろになりながら言うアントにジルコットとフロックスが笑い出す
「まぁそれはともかくとして本題に入ろうか」
「そうだな」
ジルコットの言葉にフロックスとロキもソファに座った
「元からいる医師が1日置きだと聞きました」
「その通りだ。これまで休みになってた日に私が入っているが、アントが来てくれたなら2人体制にしたい」
「確かにその方が安心ですね。じゃぁ俺は毎日入ればいいということですか?」
何でそうなる?
「いや、週に1日は休みなさい」
「しかし…」
「ここはソンシティヴュじゃない。安月給で休みなく働く必要は無いんだ」
「報酬は基本的に朝9時から17時まで働いて、1日当たり15,000シアになると思うんだけど…」
「そんなに?!多すぎます!」
ここに来て何度も驚いていたアントがこれまで以上に目を見開いた
ちなみにジルコットはその腕と経歴、応急処置の講習等の関係で1日当たり20,000シアになったらしい
ジルコットは断っていたけどタマリが譲らなかった
例のごとくソンシティヴュの王宮に勤めていた時は家賃や食費を引かれて、1日当たり3,000シアも無かったというから酷い話だ
しかも休憩や仮眠は有るものの24時間360日体制だ
中々折れないジルコットにタマリはその報酬で誰かを援助するのも自由だとささやいたのだ
「報酬の最終的な調整はここの領主タマリとやってもらうしかないな。俺達はその金額を提示するように言われてるだけだからさ」
元々タマリは15,000までは出すというニュアンスだ
バックスは10,000で契約してるらしいから、アントもそれくらいまでなら交渉できるはず
わざわざ値下げ交渉するのもどうかと思うんだけどね
「当面アントには週5日入ってもらう。アントの休みの日は私が入って2名体制を取る予定だな」
「そうなるとバックスが3日、ジルコットが4日、アントが5日勤務するってことね?」
「往診は週に一度でいいのか?」
「問題ない。それにバックスの子供がもう少し大きくなったら週4日に増やしたいと言ってるからな」
「そうなのか?」
「子どもは大きくなればその分金もかかる。子どもに働かせるより、家にいてもらった方が安心だと言っていてな」
「確かにそれは有るわね。魔物を…なんて言い出したら奥さんの精神の方が参ってしまいそうだし」
「それなら週に1日増やした方が問題も少ないか。ジルコットが往診するならその手当ても出すって言ってたし、この町の医療体制が整うのはいいことだな」
「あとは住むところだが…」
「ジルコットはここに食費込みで8万シアで住んでるけど、アントもそれでいいかしら?」
「ここ…ですか?」
「そう、ここ部屋だけは沢山あるのよ。子どももいて賑やかだけどそれでもよければ」
「ありがたいです。是非お願いします」
「じゃぁ部屋は後で選んでもらうとして…」
「朝食が済んだらタマリのところに一緒に行ってくるよ。ついでにバックスとの顔合わせもな」
ジルコットに促されてアントも一緒に朝食を取ることになった
「カメリア達もいたか。丁度いいから紹介しておこう。今日からここに住むアントだ。この町3人目の医師になる」
「アント・レフルトです」
アントは軽く会釈する
「カメリアです。ここの掃除とカフェのスタッフとして働いています。この子たちは私の子供達でコルザ、ロベリ、リラです」
「「「こんにちは」」」
子供達が声を揃えてそう言った
「こんにちは。おじさん分からないことだらけだから教えてくれるかい?」
「いいよ!その代わり遊んでくれる?」
「おじさんでいいのかい?」
アントはコルザと同じ視線で話をしていた
「ジルコット、アントは…」
「子供好きでな。騎士達の息子ともよく一緒に遊んでた」
「子ども達と仲良くしてくれるなら有り難いわ」
最近はルチア達もよく遊びに来るから、構ってくれる人が増えるのは大助かりだ
子供達との楽しい朝食を終えたアントはジルコットと出かけて行った
タマリとは15,000シアから半値で交渉したものの、最終的にバックスと同じ額で落ち着いたという話は、後日タマリ自身から聞かされることになる