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そうだ、京都へ行こう。(1)

「社外秘の情報が、どうやら土里製菓に流れているらしい」


 それは忘れもしない、まだ雪の降り積もる年明けの頃。

 いつも通りの朝礼の後、課長が私たちのチームを会議室に呼び出し、難しそうに眉を顰めてそう言った。


「藤園グループと共同で企画開発している新製品の情報だ」


 そう言って課長が机の上に置いた書類には、土里製菓が次に出すという新製品の情報が記載されている。チームリーダーの一人が書類を手に取り、他のメンバーがまじまじとそれをのぞき込む。そしてその瞬間、私たちは同時に、自らがここに集められた理由を理解した。


「これって、うちが藤園グループと開発中のお菓子と瓜二つじゃないですか……!」


 京都宇治の高級茶葉を惜しみなく使用した、濃厚で爽やかな味わいの抹茶シフォンケーキ。

 表面はまろやかで甘い味わいの掛川茶で作った抹茶チョコでコーティングし、一口で二つの茶葉の味を楽しめるというのがコンセプトだ。

 それがそのコンセプトはもちろん、使用する茶葉の生産地、見た目のディテールまで、土里製菓の新商品がそっくりなのだ。

 うちがこだわりぬいた『生クリームを載せた時の見た目と味わい』が謳い文句になっている所から、恐らくレシピ情報も盗まれているのではないだろうか。

 そしてそんな詳細な情報を今の段階で知っているのは、この商品開発部のメンバーと、上層部ぐらいだ。

 つまり、犯人はこのなかにいる――、というわけで。

 だけど、そんなことをするメンバーなんて、とてもすぐには思いつかない。

 この一年、私たちは心を一つにして、共にプロジェクトを進めてきた仲間なんだから。

 きっと何かの間違いに決まってる。そう考えながら、不安げにメンバーの顔を見渡した私は、ふとひとりの女子社員で視線を止めた。戸惑うような表情を浮かべるメンバーたちのなかで、彼女だけが、青ざめた顔で俯いていたからだ。


「……糸谷さん?」


 彼女はまだ入社二年目の若手社員だけれど、今後の勉強のためにと、アシスタントの役割でこのチームに参加をしていた。ふわふわとした可愛らしい見た目で、男性社員からの人気は高いものの、あまり熱心に仕事はしないのでチーム内での評判は正直いまいちだった。

 とはいえ……、まさかプロジェクトの情報を他社に流すような子だとは信じたくない。


「糸谷くん? 君、もしかして何か知っていることがあるんじゃないか?」


 同じように糸谷さんの異変に気付いた課長が、訝しげに眉を顰めてそう訊ねる。

 すると糸谷さんは、なぜかちらっと私に視線を寄越した。


「市木さんです」

「……は?」


 ただの誤解であればいい――、なんて考えながら様子を見守っていた私は、突然出てきた自分の名前にそんな間の抜けた声を漏らした。

 空気が凍り付き、会議室に嫌な緊張が走る。

 皆の視線が一斉に私に突き刺さるなか、糸谷さんはまるで意を決したような表情で毅然と私を指さし、告発を始めた。


「私、市木さんが書類をカバンに入れて、外部に持ち出している所をみました!」


 勿論身に覚えのない私は、何を言われたのか分からないまましばし呆然とし、そして我に返って自分を指さした。


「……えっ!? 私!?」




 

 私――、市木和紗いちき かずさは、子供の頃からとにかく食べることが好きだった。特に甘い物。ケーキにアイス、チョコやクッキー、大福に、お団子。最中にカステラ、金平糖から落雁……。とにかく、甘い物ならなんでもござれでよく食べた。

 思う存分にお菓子を食べたくて、学生時代はスポーツにあけくれたぐらいだ。太りたくなくてというのは勿論だけど、それ以上にお腹を空かせて、甘いお菓子をたくさん胃袋に収納したかった。もちろん今でもジム通いや走りこみは欠かしていない。おかげで何とか、甘い物を存分に食べてもお腹が大福餅にならずにすんでいる。

 その執念は、就活にも存分に役立ってくれて、私は日本国内で急成長を遂げる菓子メーカー・アマリに新卒で就職することができた。


 アマリはパリに本社を持つ外資系の菓子メーカーで、主力商品は洋菓子だが、最近は日本でのさらなるシェアを狙い、日本茶をテーマにしたお菓子の開発を一大プロジェクトとして進めていた。

 そしてその商品開発のプロジェクトを担っているのが、私たちのチームだというわけだ。

 今年で入社四年目になる私は、共同で開発を進める藤園グループとの直接の折衝役という、それなりに重要なポジションを任されて張り切っていた。


 藤園グループといえば日本最大級の飲料メーカーのひとつで、清涼飲料水や、アルコールなど幅広い商品を取り扱っている会社である。元々は日本茶の生産から成長した企業で、いまでもその道では他の追随を許さない世界トップのシェアを誇り、とにかくお茶に関してはこだわりが強いことで有名だ。藤園ブランドのついたお茶や茶菓子は必ずヒットするが、そもそもそのブランドに見合う製品の開発が難しいというのが、業界では有名な話だった。

 今回問題になっている土里製菓も、以前に藤園グループと共同で菓子製品を開発しようとしたものの、求められるクオリティを用意出来ずに結局話が頓挫したと聞いた。

 だからこそ私たちは、開発期間一年半という長期のプロジェクトを立ち上げ、会議に会議をかさね、何度も手直しを加えながら、商品の開発を丁寧に進めてきたのだ。

 私もこのプロジェクトにやりがいを感じ、この一年以上、公私を投げ打って頑張ってきた。


 ……まあ。頑張ってきた一番の動機は、そのお菓子を私が食べたかったんじゃないかって、心の声もあるけど? 

 頑張ってきたことに違いはないのだから、その辺りは何でも良し!


 そんな私が、あと少しで形になるという商品を口にせずして、プロジェクト自体が立ち消えになるような不祥事をしでかすなど、天地がひっくり返ったってあり得ないのである!

 だというのに――。

 本当に不思議なことに、糸谷さんの言うとおり、私の通勤カバンからは持ち出し禁止の、新商品の詳細な情報が記載された書類が本当に出てきてしまったのだった。


 何で? どうして?


 私の頭の中は、その二言で一杯だった。

 カバンは出勤して一番に鍵のかかるロッカーにしまっているから、誰かがそっと忍ばせる時間なんてなかったはず。そしてその事実は、さらに私を追い詰めた。社外秘の書類が通勤カバンに入っていたというだけでも言い訳の効かない状況なのに、そのカバンは細工を出来る人間はいないときた。

 他のメンバーは、私がそんなことをするはずがないってかばってくれたけれど、無実を叫ぶにはあまりに厳しい状況だった。

 私は処分保留の謹慎処分となり、プロジェクトも事実上の頓挫となった。その後色々な調査が入って、私が”土里製菓に情報を売ったという証拠は無い”ということになったけれど、その頃にはもう社内中に噂が広がっていて私の居場所はなかった。飛ばされた先の部署ではまるきり犯人扱い。それでも何とか二ヶ月程頑張ってみたけれど、心をすり減らしてしまった私は、桜の開花と同時に辞職届を出すという選択をしてしまったのだった。


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