第五話 これが宗教というやつですか
「勝手に信仰される神の気持ちが図らずして分かった」
婚約が決まった日から、二日か三日たたずにユーノはお茶をしにやってくる。そして、おおよそ四歳児同士の会話とは程遠い会話を、手土産に頂いたケーキを食べながらするのだ。
他国の情勢から始まり、国の情勢、今後の物品流行予測。最近の世間のニュース。なにもしらない人からみたら、四歳児の皮を被った男女が喋っているようにしか思えない。
だが、その光景を見ても、屋敷の召使いやユーノ側の騎士達は驚きもしない。だからこそ、私自体が間違っているのかと思う程だ。いっそこの方が気楽には気楽だが。
まあ、なんとかなりそうだなんて思って居る時に、一通手紙が届いた。差出人は、教皇庁ときたものだ。父親が確認を取れば、宛名は私だそうで、私にすんなり手紙が渡された。
てっきり検分がはいるかと思ったのだが…
「いったい私に何の用件があるのかなぁ」
上品な藍色の便せんに、一目で分かる、金色のシーリングスタンプ。きらきらと固められた金の蝋には、しっかりと女神の刻印がモチーフの教皇庁の意匠が刻まれていた。
教皇庁。若しくは聖庁。正式名称はフィレール教皇庁。フィレール教皇の下に、旋律の女神を信仰する教会を統率する組織だ。旋律の女神の名前は教皇庁の上層部にしか知られていないため、大体はフィレール教と民間では扱う場合が多い。そして、祈るときは旋律の女神様と祈るのである。神の名を軽々しく言わないのが主流のようだ。
果たして内容はと開いてみれば、手紙を書いた人物が分かった。
「うっ…………」
アズリエル・エカルテ。歳は同い年。四歳の筈だ。そして攻略キャラ。そして、このキャラも、年齢にそぐわない輩のようだ。この様に手紙を出す時点で、相手の狙いは一つ。
皇室との繋がりである。
手紙の差出人として、アズリエルを選んだのは、次期教皇という点と、私と年齢が同じという点だろう。年が近ければ話しやすくなる。手紙の内容は、ユーノ殿下との婚約の祝福と、文通友達になってはくれないかという。
「ふーむ」
この帝国。アクシス帝国は、勢力が三つに分かれていた。一つが皇帝派、もう一つが貴族派、最後が教皇派だ。
現代、国を治めているのは皇帝だ。だが、政治において、公平さを求めるために、教皇も数々な権利を保有している。たとえば、皇帝が何かしらの失態をすれば、教皇が何らかの罰を下すことも出来る。勿論逆も可能だ。
それ故に、どちらについた方がお得か。と言う話になっているのである。早い話、どちらの方が甘い蜜をすすれるかと言う話だ。
それには民衆の心を如何に掴むかが、焦点となる。当然この世界は女神の信仰が主流だ。その所為か、教皇への関心が大きい。それでは皇室の支持率が下がるため、皇室は、何とかして支持率を保たなければならない。そこで私というわけだ。
女神の力を持つ女性が、皇帝の隣に立っていれば支持率の上昇を見込める。そのため、皇室は教皇庁が動く前に、天殻を授かったその日のうちに強引に婚約に持ち込んだわけだ。一歩でも遅れれば、次期教皇との婚約に持って行かれると思ったのだろう。
そして、出遅れた教皇庁は、文通友達から初めていこうというわけだ。あわよくば、婚約を狙っているのかも知れない。
……主人公を狙えば良い話なのだが、主人公は辺境の平民。首都まで話が来ていないのだろう。ここはゲームと同じか。
「文通友達ねぇ……」
いいかもしれない。別にやましい思いもないし。
ゲームにおいて、彼が黒幕説もあったのだ。悪役令嬢が死亡後、遺体が消えたのは、彼が何らかの手段を使い持ち出したという考察だ。
彼、アズリエルの動向と思考を読み取るには、文字と言葉選びから推測するのもいい。流石に代筆なんて事は無いだろうから。
「アリア、便せんを頂戴」
「畏まりました」
ふわふわのシュークリームみたいな色と髪に、カスタードクリーム色の瞳。美味しそうな色合いの侍女が、慣れた手付きで出したのは、家紋の入った専用の便せんだ。
「さあて、なにを書くか」
御礼の言葉。そして、文通友達の承諾だけでは面白くも無い。なんなら芸もない。現代の知識を総動員して、何とかならないかと思ったが、手紙なんざ、小学校の時に両親へ送ってみようとかでしか書いた記憶が無い。
あとはどれだけ知識があるかだ。
便せんが、透かしの家紋のみと言うのは悲しいので、便せんの空白に刺繍をすることにした。紙だが、良い塩梅に手作り感が出るだろう。
作り出した針でぷすりと穴を開け、大方の形を決めた。こんなものだろうと、直線を組み合わせ、網目模様をつくる。あとは、描き終わった後に可愛い色の糸を穴に通せば良い。
黄色と緑で爽やかにしようと、シーリングワックスを二色選択。ここまでくれば、かわいらしさと爽やかさが全面に出ることだろう。
いや、見た目を完璧にしても内容だ。果たして、ユーノと同じ様な話題で良いのか。いや……と考えた後、庭の花について話すことにした。
この屋敷の庭に咲く花は、白椿が主な花だ。季節的にまだ咲かない事と咲くのが楽しみなこと。専属の庭師が、何時も手入れをしてくれて嬉しいこと。社交辞令に、いつか見にいらしてくださいな。と付け加える。
こんなものかと、羽ペンを置き、便せんを折りたたむと、これでは足りないかと思い、現代で良く見た小花型なステンレス製のクリップも構築。止めた後、封筒にいれた。
専用の金属製の小物で、シーリングワックス三粒を蝋燭の火で溶かし、マーブルにして封筒に垂らした後、スタンプを押してそのまま少し放置する。これでいいだろうと外せば……
「この手紙を、教皇庁のアズリエル・エカルテ様へ」
アリアに渡してミッションコンプリート。これで大丈夫かなんて、果実水に口を付ける。
紙に刺繍をしたわけだし、そろそろハンカチに刺繍する練習も必要かも知れない。刺繍は画力が物を言うため、生き物や植物の図鑑と刺繍の本を読みあさり練習しなくては。
現代において、カレーの刺繍や目玉焼きの刺繍なんてあったから、食べ物系も覚えなければと、部屋に居たメイドに、刺繍箱の準備を頼んだ。
「殿下にハンカチを渡すか否か……」
まずは練習有るのみ。練習が終わった本番に殿下に送るハンカチを作るかという話だが受け取ってくれるのだろうか。もっと良い物をあげた方が良いのか。いや、あげると言うより、雰囲気としては献上が正しい。
献上するに、私の素人刺繍ハンカチなんぞ、力不足である。もっと価値が有りよりよい物は一体何かと考えれば……思い当たる節があった。
「宝玉か」
この世界にもダンジョンが存在する。ダンジョン内は自然発生する属性魔力に満ちあふれ、魔石が発生。長い年月をかけると、魔力をすって育つのだ。大きな物を宝玉と呼称する。
ダンジョンが高レベルなほど、出来る魔石も大きく純度が高い。なので、高レベルのダンジョンが発生次第、ギルドが攻略するのだが……高レベルのダンジョンは当然攻略が難しく、場所によっては放置されていることが多い。なので、私が秘密裏に潜って、採掘してしまおうという話だ。
都合が良く、ダンジョンはギルドが管理しているが、発掘やモンスターを斃した場合のアイテムは、取得した本人の物。ギルドはそれを優先的に買い取る権利と、あらかじめ冒険者にこのアイテムが欲しいから取ってきてくれという依頼の優先権を保有する。
つまり、私がダンジョンに入って発掘しても罪には問われないわけだ。
最悪、魔物をどつき回して薙ぎ倒し、魔物がドロップする各属性の魔石をと思った物の、そこらへんの魔物が落とす魔石の大きさは、たかが知れている上に、大体四元属性の魔石しかドロップしない。なら上位属性の魔石がドロップする高位のダンジョンに潜った方がいい。
タイミングが合ったときに、丁度良い高難易度のダンジョンに潜って採掘と、ダンジョンボスにも挨拶をしようかと予定を組んだ。
さて、と屋敷の書物置き場から持って来た本を開く。持って来た本は国の歴史などが中心だ。さっさと覚えて、皇后教育を軽減しなくては。生憎こちらは天殻とか言うチート加護の御陰で暗記がしやすい。
ユーノが訪問する日以外は読書に刺繍にと明け暮れた。そして暇つぶしに、アズリエルからの手紙の返信が私のルーティングになるころ。あの社交辞令のつもりだった事が実現した。
発端は、白椿が咲いたと手紙を送ったときだ。社交辞令の台詞を覚えて居たのか、訪れても良いだろうかとの返信が来たのだ。父親にも相談した結果、許可が下りた。
「拒否してくれればよかったのに!」とは言えず、ありがとうございますと御礼をいい、招待状のカードと共に返信を送った五日後……招待状のカードと共にアズリエルがやってきた。ユーノは前日遊びに来たため、今日は来ないことが確定している。なんだか、浮気をしている気分だ。浮気なんてしているつもりはないのに、妙な後ろめたさがある。
「お招きいただきありがとうございます」
アズリエル・エカルテ。枢機卿の役職をすっ飛ばしての次期教皇内定者だ。理由は簡単。髪色が黒に近く、上位属性に恐ろしいまでの適性を持ち、そして人格が揃ったから。
少し癖毛の、甘いチョコレート色の髪。深いワインカラーの瞳。見た目からしてアリアに引けをとらない美味しそうな色合いだが……中身はビター100%だ。口入れた瞬間、舌の上に広がる渋みと苦みに堪えかね、吐き出す未来が見える。
ユーノの作ったような笑みではなく、小花がぷわっと咲くような微笑みの彼。ほわほわとした雰囲気が大変印象的なわけだ。
しかし欺されるが無かれ。彼は性質が悪い。前に言ったとおり、彼の信条に、死こそ皆に与えられた平等であり慈悲である。というものがある故に……彼を知らずに会話をすれば勘違いが加速する。
アズリエルのエスコートを受けながら、庭を散策するわけだが、すでに一般的な会話からかけ離れて居る。
「椿を調べてみたのですが、椿は枯れ落ちる時に、花ごと地に落ちるのですね。まるで首が落ちるように」
「ええ、なので見頃が終えた後は、地面が花だらけですね。といっても直ぐ庭師が片づけてくれますよ」
「死してなお、虫ピンに刺され飾られた蝶のように扱われては、女神の下に安心して逝けませんからね。良きことです」
死への概念が四歳という若さの時点で完成している事が、彼の不気味さを加速させる。私は既に彼を何度も攻略済なので、驚くことはないが……それでも目の当たりにすると強烈な思想だと痛感する。
「私は、イシス様がこの椿のように、安息の死に恵まれることを願っていますよ」
何も知らない人から見れば遠回しに、椿のように首からもげて死ねと言っているようにしか思えないのが、彼の欠点だ。いや、間違いは無いのだが、彼は善意100%なのである。
私に付き従うメイド達が、怪訝そうにアズリエルを見ており、今にも無礼だと言いそうな雰囲気だ。アズリエルの従者はいたたまれない顔をしている。
「ありがとうございます。アズリエル様も、事を成し、女神の下へ招かれることを願っております」
癖が強いという点においてユーノと互角。だが、こちらのほうがまともというのが実情だ。彼の優しさは、形はどうであれ本物なのだから。だから主人公も彼を否定しない。勿論私も否定はしない。
広い庭を一周し、案内が終了した。お茶を出そうか迷ったのだが、アズリエルに予定があるらしく、お茶会は保留となった。そもそも四歳児が客を招いてお茶会をする時点で、常識から逸脱しているのは諦めて欲しい。
庭の中央の噴水前。噴水には花びらが浮んでいて、咲き始めの椿がそろそろ落ちることを示唆している。
「最後に女神様のご威光を見せてはくださいませんか?」
にこにこと微笑むアズリエル。まあそれくらいなら減る物では無いしと、私は天殻を展開した。
女神の力が頭上に顕現し、幾重にも重なった魔方陣が女神の偉大さを物語る。力を見たいとは言われていないので、魔法は使わなくてよいかなんて思ったら、アズリエルが両膝をついたではないか。良く見れば従者も同じく膝を着いている。
「ああ。筆舌に尽くしがたいとはこの事を言うのですね」
感動の余りなのか、目元には涙がにじみ、次第に柔らかそうな頬を伝う。そんなアズリエルが頭を垂れれば、右に倣う従者。
気が付けば、メイド達も跪いていた。私を中心に跪く人の群に私は呆然とする。
何時まで経っても顔を上げない人たちに、どうしたらいいかと迷って、それらしい言葉をかけた。
「面をあげなさい」
すると幸せそうに顔を上げたからもうどうしようも無い。この空気を壊す策を私は持ち合わせては居なかったので、なるようになれと言葉を続ける。
「あなた方の信仰心。ありがたくおもっていますよ。さらなる信仰に励みなさいな」
「なんと勿体なきお言葉。我々一同、更なる信仰を捧げることを誓います」
アズリエルがそう宣言すれば、メイドも従者も頷く。その目には疑いなんてなく、正しく私を女神様本人であると信じているようにしか見えない。
ああ、これが宗教か。恐ろしい物だ。
ユーノの時と何が違うのかと現実逃避し、天殻を解いたのだが、彼らは立ち上がろうとしない。お立ちになってと言ったらようやく立った始末だ。
これは、皇太子に逆プロポーズの時よりやらかしたかも知れない。
破顔したままのアズリエルを見ながら、来る未来に恐れおののくしかない私だった。