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第二章 六月は苦い珈琲の一杯を(下)

『渡辺 芽衣の片思い』


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Twitter:@kiriitishizuka


 

「テンション上がるねー!」

 香奈先輩はアウトレットの入り口ではしゃいでいた。

 その後ろを店長と私はトボトボと歩いてゆく。


「いいな、若いって」

「店長も若々しいですよ、きっと」

「きっとってなんだよ。俺はもうこう見えても結構歳なんだぜ。女子高生とこんなところでショッピングなんてしてると捕まりそうで怖いぐらいだよ」

「店長は女子高生に手出したりしないですよね?」

「当たり前だ、バカタレ」


 早く早くと香奈先輩が手を振りながら急かしている。

 私たちは遠目でその姿を見ながら、あきれ笑いを浮かべゆっくりと歩みを進めた。


 心なしか店長は私のペースに合わせてくれているようで、すぐ傍を歩いてくれている。

 ほんの少しだけ店長の体温を感じれたような気がした。


 仕事場ではどうしても決まったやりとりしかしないけれども、場所が違うだけで話す言葉も声も空気も全てに心を感じる。

 どうもその心に私は感化されたようで、鼓動の高鳴りが体の奥で響き渡り、鼓動のたびに、緊張が脈を打つように込みあがっては手に嫌な汗をかいてしまっている。


 いつもの距離感が特別な距離感と意識してしまうほどに、わたしはデートという言葉の魔法にかけられてしまっているようであった。

 アウトレットに入ってからは、香奈先輩に振り回されながらも何軒も買い物に私と店長は付き合わされた。


 数えることが面倒になるほどのお店の中を、香奈先輩はおもちゃ屋を探す子供のように早足で駆けては突撃していく。

 私と店長はその後ろ姿を追うことに必死になっており、四軒目の靴屋を回ったところでもう体力がすっからかんとなっていた。


「香奈先輩……少し休みましょう?」

「香奈……芽衣の言う通りだ。少し俺も疲れたぞ」

「えー、まだ全然回れてないじゃないですか」

 香奈先輩は鼻歌交じりにスキップをしている。

 その両手には各お店で買った手提げ袋が吊られていて、スキップを踏むごとにそれが上下に振れる様は、まるでショッピングを楽しむマダムのようにも見えた。


「とりあえず俺と芽衣はそこの喫茶店で休んでるから、お前は適当に店回っててくれ」

 店長はちょうど近くにあった喫茶店を指さし、ここにいるからなと合図を送る。


 香奈先輩はその言葉を待ってましたとばかりに深く頷き、私のほうを向いてにやりと笑うと「じゃあ、お言葉に甘えて回ってますね」と私たちの前からスキップしながらフェードアウトをしていった。


「とりあえず、席座ろうか」

「は、はい……」

 私は店長に促されるまま、アウトレットモール内にある喫茶店で休憩を取ることとなった。


 店内は平日のアウトレットモールということもあり、さほど人はおらず、すんなりと店内へ案内をされた。

 案内された席は、外の景色が一望できる窓際の席であった。


 私たちは黄緑色のソファー椅子に向かい合う形で座ると、外の景色と同じタイミングで眺めていた。

 眼下にはショッピングで買い物を楽しむ人々が、豆粒大の小ささで行ったり来たりしている様子が見て取れる。


 そんな外の風景を横目に、店長はテーブル脇のラックに立てかけてあるメニュー表を取ると、私のほうへ開いて差し出してくれた。


「好きなもの頼みな」

「あ、ありがとうございます……」

 私は緊張しながらもメニュー表の小さな文字に目を通す。


 いつも働いている喫茶店とは違い、メニュー表には今どきのパンケーキが何種類も載っていて、どれも美味しそうな写真に私は目移りしてしまった。

 だがメニューの隣に記載されている値段に目が行くと、少し罪悪感を覚え、どうも選ぶ気にはなれなかった。


 私は飲み物の欄だけ見ると、「決まりました」と一言店長に告げ、メニュー表を渡した。

 店長はメニュー表を受け取ると、膝を組みながらメニュー表を見渡していた。


「パンケーキ、どれにした?」

「へ?」

 思いがけない店長の言葉に、私は喉の奥から今まで出したことのない変な声が出たように聞こえた。

 てっきり私は店長は飲み物だけを飲むのだとばかり思っていた。


 私は泳いだ目でメニュー表のパンケーキを見つめると、適当にこれがいいですと一番左端に載っている『当店おすすめ』と書かれたパンケーキを指さした。

 店長はそれを聞くと、すぐさま呼び出しボタンを押し、ピンポーンという音が店内に鳴り響くと、ウエイトレスがすぐさまテーブルに駆けつけ注文を取りに来た。

 適当にメニュー表を指さしながら手早くパンケーキとコーヒーを2人分注文し、メニュー表をウエイトレスに渡すと、店長は深く椅子に腰を掛けた。


「なぁ、芽衣」

「どうされました?」

「ちょっと外で店長って呼ばれるの恥ずかしいから普通に名前で呼んでくれないか?」

「わ、わかりました……」


 名前と言われ少し緊張が走る。

 喫茶店『Gatsby』でアルバイトをし始めてから私は店長のことを「店長」としか呼んだことはない。

 それが当たり前なのだが、いきなり呼び名を変えるというのはかなりハードルが高いようにも思え、たった一つの名前が鉛のように重く感じた。


「そんなにかしこまらなくていいって。乃木さんとか軽く呼んでよ」

 緊張が見えたようで、店長は私に笑いかけた。


「の、乃木さん……!」

「ん?どうした?」


 先ほどまで何か話そうとずっと頭の中で考えていたものの、名前を呼んだだけでそのすべてがどこかへとすっ飛んでしまった。

 私は、とにかく何か話さなきゃと咄嗟に喉から声を出した。


「てんty……乃木さんはあの喫茶店どうしてやってるんですか?」

「あぁ、そういえばあまり『Gatsby』のことって話してなかったね」


 私も香奈先輩も喫茶店『Gatsby』でアルバイトはしているものの、それはここ最近の話であって、この喫茶店は昔からあることを聞いている。


 今思えばあのレトロ漂う独特な黴臭さというか温かさというか、今流行りのハリボテの古民家風のような真新しい空気はあの喫茶店にはない。

 決して不潔とか所々錆びているとかそういうことではなくて、どこかタイムカプセルのような雰囲気を醸し出していた。


「あの店はな、俺の親父の店なんだよ」

 そういうと先ほどまで強張っていた乃木の肩がガクリと落ち、深いため息交じりに運ばれてきたホットコーヒーに口をつけた。

 その姿はどことなく、何か人生に抗い続け、苦労をし続けた大人の姿があった。

 若々しさの欠片もない、その燻されたコーヒーのような渋みに、私はどうも中毒のような魅力にかき乱されている私がそこにはいた。


 乃木さんはコーヒーカップをテーブルに置くと、喫茶店『Gatsby』のことを静かに語ってくれた。

 喫茶店『Gatsby』はあの場所にお店を構えてから、約40年目を迎え、都市開発の進んだ西ヶ原駅の周辺で昔からお店を構えているのはここだけになってしまった。


 乃木さんが喫茶店の店長を始めたのは約10年前、35歳の時であった。

 お父様が脳梗塞で急死で亡くなり、勤めていた会社を辞め、喫茶店の店長として第二の人生を歩むことになったのだと言う。


「乃木さんは……あの喫茶店好きじゃないんですか?」

 喫茶店の歩みを語り始めてから、徐々に彼の元気がなくなっているようにも見えた。

 そもそもそんなに明るい人柄ではないため、本当に些細な機微なのかもしれないが、私には手に取るようにその影を掴むことができた。


「んー、なんだろうな。多分親父の店だから、やっぱりまだ自分でも呑み込めないわだかまりがあってさ」

「お父さんと仲悪かったんですか?」

「あぁ、今となっては笑っちゃうぐらい反りが合わなかったよ」


 彼の口角が上がり、少しばかり白い歯が見えた。その笑顔は、遠い記憶を懐かしむような笑顔に他ならなかった。

 それから乃木さんは、喫茶店の店長となる前のことについて話してくれた。


「俺は昔、こう見えても有名な外資の保険会社に勤めてたんだよ。それも営業としてな」

「保険会社ですか……。まったく想像できません」

「だろうな。俺はとにかくあの時金を追いかけてた。何を目指すわけでもなかったけど、どこから湧いてくる欲望というか渇望というか、くだらない自尊心を保つために働いていたよ」


 今の落ち着ている彼からはまったくもって想像ができなかった。

 私はまだ高校生だからそういうお金の絡んだドロドロとしたことはドラマでしかみたことはないけれども、そんなのは私には無縁な世界だし、古びた喫茶店の店長などもっとも遠い存在とさえ思える。


「そんな風には見えないですよ」

「ありがとう。俺も少しは金臭い匂いは消えたのかな」

「でも私はスーツを着て働く乃木さんも見てみたいです」


 普段スーツを着ない人のスーツ姿は格段に男の魅力を上げる魔法のようなものがかけられている。

 好きな人であればなおさらに、その色気を私は堪能したいとさえ思っている。


 彼は別に大してかっこよくはないぞと言っているが、人生経験が深ければ深いほど男の人のスーツはよく馴染んで惹かれるものがある。

 よくテレビで成人式にスーツを着る二十歳になりたての男の子達が毎年のようにニュースで特集されるけれども、そんな初々しさの残る年上の人たちを私はどうもかっこいいとは思えなかった。


 今思い返せば、私の初恋はテレビ越しのドラマ俳優だった。

 その初恋は小学生の時で、当時ドラマで活躍していた三十代ぐらいの少し若さの抜けた俳優を好きだったことを覚えている。


 私はどういうわけか、その時から若さの抜けた年上の男の人しか好きにはなれなかった。

 同年代でイケメンと呼ばれるような男の子はたしかにかっこいいとは思う。

 だけどそれ以上の感情が私に芽生えることはなく、恋愛対象にもなり得なかった。


 学校では周りの友達が昨日見たドラマの若手俳優がかっこいいとか理想の彼氏だよねとか理解を求められるが、実際私の好きなのはその若手俳優の先輩や先生であって、心の中ではいつも共感することはできず、適当な返事しか返すことはなかった。


 私は自分の恋愛対象についてあまり語るようなことはしない。

 唯一、香奈先輩にだけは自分の恋愛について話すことができた。

 香奈先輩は女の子が恋愛対象であって、少し的を外した恋愛対象を持ったもの同士、気が合ったのかもしれない。


「お待たせしました、こちらパンケーキになります」

 彼とのずいぶん話が弾んでいたようで、気づけば20分が経過していた。

 パンケーキの上に乗った雲のようなホイップクリームが、2人の間の空気を取り持つようにふわふわと柔らかい生地の上で弾んでいる。


 食器の入ったケースからナイフとフォークを取り出し、「いただきます」と手を合わせると、私たちはその柔らかなパンケーキにナイフを差し込んだ。

 ナイフを刺しこんだパンケーキの生地から、温かい甘い小麦粉の香りが優しく香る。


「美味しいな、このパンケーキ」

「本当ですね。乃木さんはお店で作らないんですか?」

「俺はケーキだけで十分だよ。気が向いたら、期間限定でつくるかもな」

「楽しみにしてますよ」


 私はフォークを静かにお皿の上に置く。

 彼の「気が向いたら」という言葉に出た微笑みの顔に、なんだか切なさを覚えてしまった。


 その言葉の先には私ではない、あの女性が思い浮かんでいると知ってしまっているからなのかもしれない。

 この間食べさせてもらったベイクドチーズケーキも、多分あの女性を思い浮かべて作られたものだと考えてしまうと少しだけその味をしょっぱく感じてしまった。


「乃木さん」

「どうした?」

「乃木さんは結婚しないんですか?」

「どうしたんだ?いきなり」

「いや……なんとなく。乃木さんモテそうだけど結婚しないのかなって気になっただけです」


 私は自分で何言ってるんだろうと、口に出した後に恥ずかしさが背筋を駆けあがった。

 だけど、これが私の本音なのかもしれない。


「結婚……俺を好きになってくれる人がいればするつもりだよ」


 彼はパンケーキを食べ進めていたフォークを止めた。

 好きになってくれる人という曖昧な言葉は、淡い期待と残酷な真実を織り交ざっていることに、私の不安を意味なく膨らませた。


「それは……」


 私はその言葉の先を言う前に、口を噤んだ。

 本当は「私でもいいですか?」と言いかけたつもりであったが、今はまだそのタイミングではない気がする。


「それは……楽しみですね」


 温度のない思いが私の口から漏れ出した。

 きっと彼の目には私は映っていない。


 私の小さな嘘は、私の心を食いつぶすかのように、奥のほうが傷んだ。


 私も何度か、彼の好きな人を見かけたことがある。

 彼が直接、あの女性を好きだとかそんなことを言ったわけではないが、遠目でみる雰囲気で感じるものがある。

 あの女性は、私が『Gatsby』でアルバイトをする前からの常連客で、よく小さい子供と一緒にテイクアウトでケーキを買っていっていた。


 彼はあの人が来るたびによく彼が厨房から出てきては、よく話をしている。

 その声のトーンも笑顔をも私には見せたことのない姿で、私はそれが視界には入らないように、一生懸命にテーブルを拭いているフリをよくしていた。


「芽衣からも香奈からも彼氏の話は聞かないけど、若いときは恋の一つや二つしといたほうがいいよ」

 乃木さんはパンケーキの最後の一口を平らげる。


「私も香奈先輩も好きな人ぐらいいますよ、バカにしないでください」

 私も同じくして、パンケーキの最後の一口を平らげた。


「バカにしてないさ。ただ少し心配になっただけだよ」

「心配ですか?」

「恋がすべての幸せにはならないけども、恋は自分の世界を変えてくれるものだからね」


 彼の言葉には、彼の何か人生の大きな意味みたいなものが含まれている気がした。

 私と香奈先輩が、もし普通に同級生の男の子を好きになれたのなら、多分こんなには悩んではいないだろう。


 私は私が好きな人に、正直に好きと言えないのが身が悶えるほどに悔しさを感じる。

 この焼けるほどの幼い片思いは、少しだけ自分を変えてくれているのだろうか。


「乃木さんは私の片思いが叶うことを祈っててくださいね!私頑張りますから」

「結ばれるといいな。応援してるぞ」


 その彼の笑顔は痛いほど胸へと突き刺さる。


 このどうしようもない距離感を縮めることが、雲を掴むほど難しいことを私は知っている。

 今はこのコーヒーのように苦い片思いも、いつか香り高い記憶として思い出せるようになれば、少しは大人になれたと思えるのだろう。


 ふいに携帯にメッセージの通知音がなる。

 まるで見計らたかのように香奈先輩のメッセージが表示されていた。


「香奈先輩、ショッピング終わってここに来るみたいですよ」

「また、うるさいのが一人増えるな」


 私たちは二人で笑いあいながら、彼女の到着を待った。

 短い時間だったけれども、今の私の片思いを埋めるのに十分すぎる時間だったのかもしれない。


 私は空のコーヒーカップを見つめ、苦みを忘れるかのように甘めのカプチーノを注文した。


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