第二章 六月は苦い珈琲の一杯を(上)
『渡辺 芽衣の片思い』前編
ご評価お願い致します。
Twitter:@kiriitishizuka
私、渡辺芽衣はただいまコーヒーを淹れようとカウンターに突っ立っている。
慣れたもので、コーヒーを淹れる下準備は素早く完了した。
まず、小匙のスプーンでコーヒー粉をコーヒードリップの中へこじんまりと盛っていく。
そして私は凸凹とした純銅製のコーヒーポットを手に取ると、コーヒードリップにお湯を円を描くように優しく注いだ。
一度目は内側を、二度目は外側を。
フィルターにお湯が当たらないように注意しながら注ぎ込み、規定量に達したらコーヒードリップを外し、コーヒーサーバーからコーヒーをカップへと移す。
カップからは白い湯気が立ち上り、ほろ苦い香りが私の鼻腔に充満した。
喫茶店『Gatsby』でウエイトレスとしてアルバイトを始めて、早いもので約1年が過ぎた。
私とよくシフトが被るのは須賀田 香奈であり、同じ学校の先輩後輩の関係でもある。
先輩後輩といっても私たちは部活に入っていないため、『帰宅部』の先輩後輩というやんわりとした関係であった。
香奈先輩はこのレトロな喫茶店にそぐわないほど見た目が派手で、アルバイト初日は大丈夫かなって心配していたけれども、接客態度もコーヒーの淹れ方もパフェの作り方も、その見た目とは裏腹にすごく繊細で、器用であった。
「コーヒー、淹れるの上手くなったな芽衣」
「あ、店長」
落ち着いた様子で、店長が厨房からカウンターへと出てきた。
「やっと客足が落ち着いたよ」
「珍しく賑わってましたね」
「土曜日の昼間が賑わってなかったら、明日にでもうちは潰れちゃうよ」
時計はすでに14時30分を指していた。
先ほどまでのランチタイムピークの喧騒が消え、今は数人の客がレコードから流れるジャズに聞き入り、皆癒しをを満たしている。
昭和レトロな空気が流れるこの喫茶店は、隠れ家のような雰囲気を醸し出し、地元に知られた昔ながらの寛ぎの場所なのだ。
「休憩入りな。お昼作っておいたから香奈と一緒に食べていいぞ」
「ありがとうございます!」
客席のほうに目を向けると、香奈先輩がお客と談笑している。
私が視線を送っていることに気付いたのか、お客に手を振りながらカウンターへと戻ってきた。
そのまま私たちは休憩に入り、事務所で店長が作ってくれたサンドイッチを食べながらカフェオレを飲んでいる。
「そういえば、あれからどうなったんですか?例の好きな同級生とは」
一週間前に香奈先輩は、好きな人と新作のケーキを食べにこの喫茶店でデートをしていた。
香奈先輩の口から女の子が好きだなんてカミングアウトされたものだから、正直私はかなり動揺していた。
だけど実際、香奈先輩が好きな人を見つめる目はとても優しくて、多分ああいう派手な格好も自分自身が女の子を好きということを隠す反動なんだろうなと少しだけ微笑ましくなった。
「友達のまんまだよ」
カップに入ったカフェオレを一口すすりながら、香奈先輩は静かに答えた。
「告白とかしないんですか?」
「できるかっての。まだ高校生活1年あるのに、そんな初っ端から関係崩れるようなことなんて私はしないよ」
「あの人の名前なんていうんですか?」
「ん?あぁ、最上 沙也だよ。名前なんて聞いてどうすんの?」
「いや、ただ気になっただけです」
「ふーん」
私は事務所の机の上に置いてあった一口チョコレートを手取ると、それを口へと放り込んだ。
最上沙也って名前があまりにも外見通りの平坦な名前であることに納得がいった。
黒髪のセミロングに白い肌が映え、明るい茶髪にばっちりマスカラを付けた香奈先輩とは正反対の印象を受ける。
「沙也先輩のどんなところが一番好きなんですか?」
「え?あ……うーん。可愛いところ?」
「なんで疑問形なんですか」
「だってしょうがないじゃん。どれか一つ挙げるなんてそんな酷なことないよ」
「それもそうですね」
私も多分店長の好きなところを一つ挙げろなんて聞かれたら、カッコいいところって多分曖昧答え方をしていたと思う。
ふと、私がなんで店長を好きになったんだろうと思い返してみた。
頭の中に流れ込むのは、初めてこのお店でケーキを食べた日のことであった。
まだ高校に入学して間もなく、私はバイトを探そうといろいろと地域散策をしにこの辺りを自転車で回っていた。
その途中、休憩がてらたまたま入ったお店が喫茶店『Gatsby』であった。
そのお店に流れる空気は、外の車や通行人の喧騒から逃れた居場所というか、聞いたこともない心地よいジャズの音色が店内に響き渡り、体の疲れが抜かれていくよな気がした。
そのまま私は誘われるがままに、客席に座ると、接客に来たのは派手は茶髪にばっちりマスカラでメイクをしたギャルだった。
なんと場違いなウエイトレスだとは思ったが、注文を取ってからケーキとカフェオレを持ってくるまでの所作に無駄がなく、なんだかそれがカッコよくも見えた。
ケーキセットというものだから私はショートケーキが来るとばかり思っていたが、私の目の前に出されたのはティラミスであった。
ティラミスなんてケーキで頼むことなんて一度もなかったが、こういう気まぐれもいいのかなと、ティラミスの柔らかなクリームにスプーンを差し込んだ。
少しだけ背伸びをしたほろ苦いコーヒーの味が口に広がっていく。
甘さと苦味が口の中で混ざることで私は今まで感じたことのない美味しさを感じた。
テーブルから、少しばかり顔を覗かせ、カウンターを見ると灰色のワイシャツを着た細身の男性がコーヒーを淹れていた。
白く細い指先がコーヒーの黒さと対比し、そこに立つ男性が浮きだってきらきらと輝いて見えた。
年齢は多分私よりも一回り、いや二回りぐらい違うんじゃないかと思うが、どこかその白い指が私の心をくすぐるように強く惹きつけた。
私はお会計を済ませようとレジへ行くと、先ほどのウエイトレスが対応をした。
「明桜学園の子?」
突然、そのウエイトレスに話しかけられた。
「あ、はい……」
私はそのギャルっぽい見た目に、少し苦手なタイプだと少し声がどもってしまった。
「私もだよ!宜しくね!」
握手を求められ、私は嫌々手を握り返した。
「さっき、店長のことジッと見てたでしょ」
私はその言葉にドキッとし、顔を赤らめた。
「あ、いや、その……」
私の舌はいよいよ回らなくなり、言葉がうまく出ず、こくりと小さく頷いた。
「店長ー!」
ウエイトレスがカウンターにいる男性を大声で呼んだ。
「なんだなんだ、そんな声張らなくても聞こえてるよ」
どうやらあの男性は店長のようであった。
どこか落ち着きのある、半ば人生の隆盛を終えたようなその静かな瞳に吸い込まれるようにして、私は店長を見つめた。
顔はカッコいいというわけでもないが、どこか優し気な包容力が見えた。
一目惚れとは違うかもしれないけれども、香ばしいコーヒー豆の香りに誘われた蝶のようにひらひらとその視線は店長に奪われていた。
多分初めて店長と会った時の、この瞬間に私は惹かれたのだと思う。
「まだウエイトレスって募集やってます?」
先ほどのウエイトレスが店長に尋ねる。
「あぁ、先月一人辞めちゃったから、その枠であれば空いてるよ」
「じゃあ、この子ウエイトレスとしてどうですか?」
「え……?」
運命とは思いがけないところで動き出すものだ。
私は強引な香奈先輩の引き合いによってこの喫茶店でウエイトレスをすることとなった。
◆
「それにしてもついてないよ。沙也の好きな人が星野だなんて」
「星野って……あのバスケ部の星野先輩ですか?」
「そうだよ。沙也の幼馴染なんだってさ」
「あちゃー。それじゃ香奈先輩勝ち目ないですね」
「だろ?だから私は友達のままでいいのー」
この時、私は香奈先輩がとても羨ましく感じた。
友達として好きな人と過ごしていくなど、私にはどうにもそれが出来そうにない。
今にも抜け落ちそうな橋を進む勇気など、私は持ち合わせていない。
「それよりも芽衣、お前は店長とどうなんだよ」
「どうもこうもなんも進展なしですよ」
「定休日にでもデート行ってくればいいじゃん」
「そんな誘える勇気が私にあったら今頃こんな悩んでないですよ」
私はモヤモヤとしながら、カフェオレに口を付けた。
「そろそろ休憩おわるぞ」
「あ、店長」
店長が事務所のドアをノックし、ドアを開けた。
「店長、相談なんですけどいいですか?」
香奈先輩が店長に相談を持ち掛ける。
「なんだ?」
「店長車持ってますよね。来週の定休日にアウトレットに連れて行ってくれませんか?」
「え、なんで。お前ら学校あるだろ」
「創立記念日で休みなんですー」
「親に頼めば……」
「残念ながら仕事なんです。私と芽衣で行きたいんでお願いしゃす」
香奈先輩、しれっと嘘をついた。
しかもかなり強引に店長にショッピングを申し込むとは、私も見習わなければならない。
「まぁ……俺も暇だしな。いいよ、行こうか」
「芽衣、やったな!」
「え、あ、香奈先輩……」
「わかったら仕事戻れよ。少し混み始めてきたからな」
そういうと店長はすぐさま厨房へと戻っていった。
「「はーい」」
私と香奈先輩はコップに残ったカフェオレを一気に飲み干すと、すぐさまカウンターへと戻る準備を始める。
今のやり取りが未だ信じられず、私の心拍数はいつもより早く脈を打つ。
頭の中が少しだけ混乱したが、徐々にそれが整理されていくにつれ、私の口元はにやけ始めていた。
そうして、私は突然にして店長とデートに行くこととなった。