「たっか!!」
特にオチなしエッセイです。
ちょっと色々あったので、自分への反省回ですね。
お久しぶりです。実はちょっと身内に不幸がありまして、お葬式をすることになりました。ってゆーか、しました。
が、別に皆さんに私のメランコリーを共有しようというわけではありません。ちょっと反省することがあったので、書き残しておこうと思ったのです。
お葬式や通夜に参加するのはもちろん初めてではないのですが、今回は葬儀社探しからの(つまり本当に一からの)流れをすべて経験しました。
これは初めての体験でした。
で、思ったのが「たっか!!」ですね。
思った以上にお金がかかるんだなあとびっくりです。あまり詳しくは言えませんが、通常の流れと少し違ったので、葬儀会社さんにまるっと任せるしかなかったという事情もありますけど。
役所関係の手続きなどいろいろと代行してもらったりもしてるので、車検なんかに近いかもしれませんね。
まあとにかく、「たっか!!」です。
その時初めて気づいたのですが、これってもしかして、人を呼んで香典を集めること前提の金額なのでしょうか?
まさかの、結婚式のご祝儀システムと同じ仕組みを採用してたんですね。気づくのおっそい!
となると最近流行り(?)の家族葬、小さなお葬式って、実は逆にお財布に優しくないのか? とか色々考えてしまいました。
結婚式は「やらない」という選択肢をする場合もありますけど、お葬式はなかなかそうはいきません。
なんてったって、婚姻届けは自分で出せても、遺体を自分で火葬するわけにはいきませんからね。
で、今回は仏式で行ったのですが、お坊さんへの”お気持ち”ですね。
ネットなんかでよく、「お気持ちっていう割に相場が云々」とかさんざん言われてる、あれですよあれ。
あれ、やっぱり最初に金額を聞いたとき、「たっか!!」と思ってしまいました。
担当の人がいろいろと教えてくれるわけですよ。「だいたいいくらくらいが相場になってますー」って。宗派でも相場が違ってて、これとこれはちょっとお高めになりますー。とかですね。
はー、なんじゃこれーと思いつつ聞いてました。
まあしゃあなし、あんまり変なことしてお坊さんが「次回からあんたの会社の葬式には行かん!」とかなっちゃったら、葬儀会社さんにも迷惑かかりますしね。
とかむりやり自分を納得させつつ、不満たらたらでいろいろ考えながら帰宅したのですが、ふと気づいたのです。
「あれ? これってプロの絵描きにタダで絵を描いてもらおうとするのと同じか?」と。
ピカソのこんなエピソードをご存じでしょうか?
ピカソが街を歩いていると、ファンの人に呼び止められ、絵を描いてくれと頼まれました。
ピカソは快く了承してさらさらと絵を描くと、100万ドルの値段を付けました。
びっくりした相手は、思わず「そんな30秒で描いた絵が、なぜ100万ドルもするんですか?」と尋ねます。
するとピカソは「私はずっと絵の勉強をしてきました。この絵にかけた時間は、30年と30秒ですよ」と言ったそうです。
このお話自体は創作らしいのですが、そこはまあ置いといて、言いたいことは伝わると思います。
お坊さんも常日頃から僧侶として日々を過ごし、お経はもちろん、その作法、立ち居振る舞いなど色々ひっくるめての今があるわけですから。
葬儀の瞬間しか見ずに高いだの安いだのと考えてしまった自分が恥ずかしくなりました。
しかも今回は、檀家でもないのにこちらの都合でお呼びしているわけですし。
これはいけない、これはかっこ悪いぞと、夜に布団の中で猛省しました。
芸術分野に限らず、単純な仕事にしても、積み上げた人間の技術ってすごいものがあります。
私自身、普段から「人件費は削るべきじゃない」「技術に対する報酬は値切るべきではない」みたいなことを考えていたのに、ですよ。
音楽や絵ならそんなこと思わなかったかもしれないのに、ちょっと違う分野になるとあっさりとその信念を見失ってしまうのです。
ではなぜそういう思考になってしまったのでしょうか。
答えは単純で、おそらく、仏教にさほど興味がないからでしょう。
興味がないなら当然、技術的なこともわかりません。そのお値段が高いかどうかも、正しい判断なんてできないでしょう。
結果、表面だけを見て「たっか!!」となってしまったのです。
一応実家は仏教ですし、興味がないと言っても、歴史や文化的な話だと大好きなんですけどね。
今回はお葬式でしたけど、他の分野のことで、おそらくまた同じ経験をすることがあるでしょう。
その時にきっとまた私は、「たっか!!」と思うのです。
しかし、その時の私は今日の私とは違います。ちゃんと今日の経験を思い出し、大人なふるまいを取ることでしょう。
……心に余裕があればね。(あ、お財布の余裕もですね)
おわり。




