火星タヌキに再会できました
皆さんお久しぶりです、鳴海です。
いきなりですがみなさん、プロとアマの違いって何でしょう。……って表現だと、モノにより様々ですよね。
もうひとつ細かくしましょう。「一流の」プロと普通のプロの違いって何でしょう。
――あ、スポーツの話題を期待された方はすみません。
ワールドカップ真っ最中にこんな話題だと勘違いされてしまうかもしれませんが、私、スポーツはさっぱりなので。今回は芸術の話です。
絵、音楽。もちろん皆さんがいつも書いている、小説なんかも含まれますね。
さてさて、私はこの違いは、オリジナリティの差だと思ってます。
でもオリジナリティみたいなふんわりした言葉って、人によって線引きが難しいですよね。冒頭の一流ってのもそうですが。
私の中での定義はというと、
「名前を隠して作品に触れても、誰のものかわかる」っていうのが一つの基準です。
実際に私が触れた例を書き連ねていきましょうか。
絵なんかは見たままだし、歌も声がありますから、このへんはわかりやすいところだと思います。とはいえ、自分だけの画風があったり、声を聴いただけでわかってもらえるというのは、やはり大きな武器だと思いますね。
曲、作曲レベルでのことだと、例えばスキマスイッチさんの「キレイだ」って曲があるんですが。あれを初めて聞いたときに、スキマっぽい曲だなーと思ったのは今でも覚えています。
バグダッドカフェって映画はご存じです? 作中で男の子がピアノを練習している場面があるんです。たどたどしい感じで引くのですが、バッハっぽい曲だなーと思ってたら、やっぱりバッハだった。とかですかねえ。
碁を語ると長くなりそうなので、名前だけにしておきましょう。弱っちい私でもすぐわかったのが、みんな大好き本因坊秀策先生、太田雄蔵先生、呉清源先生、武宮先生あたりです。
現代碁になるとAIの影響が強くなってきて、わかりません。個性はあれど、似通っている気がします。勉強不足ですね。
あ、井山先生だけはわかるかもしれません。わりと特徴的な気がしませんか?
文章でぱっとわかったのは、(小説ではなくブログですが)しんざきさんという方ですね。たまにネットニュースで流れてくるのですが、読んでいてすぐにわかります。
変わったところだと漫画の話なのですが、「この人のマンガはあんまりおもしろくないけど、この作品だけは好きだなー」と思っていたら、実はその作品だけ原作者がついていた。ということもありました。これは逆パターンなのですが。
で、ここからが本題です。
実は先日、北野勇作先生の「昔、火星のあった場所」っていう作品を読んだのですよ。皆さんご存じの通り、火星タヌキが出てくるお話です。
この小説に出会ったのは私が本当に小さいころで、冒頭部分しか知らなくて。でも、そのわずかな冒頭部分で引き込まれ、そのまま気になっていたんです。
ついに読めた! やったー!
ええ、何が驚いたかって、私の書いている世界に非常に近いのですよ。
いえ、これはおこがましいですね。逆です。
北野勇作という人物を知らずに書いたはずなのに、なぜか私の小説の中に、北野ワールドに酷似した世界ができていたのです。
たんなる世界観や雰囲気だけではありません、ストーリーもですね。例えば先ほど紹介した火星の小説。私は結末を知らなかったのですが、自分の書いた小説でそれに似たようなストーリーになってしまったという、なんとも不思議な体験をしました。
これは、思ったより悪くない気分でした。
大げさに言っちゃいますと、自分のお話のルーツというか、基盤はここにあったんだということが、発見できたんですよ。
ヒカルの碁であった、「どこにもいなかった佐為が、オレの打つ碁の中にいたんだ」という気分が一番近いと思います。
こうして創作者の世界同士がつながっていくのだ、と思えば面白いですね。
まねようとした意識はなく、自分なりに考えながら道を作り、結果的にこうなったというところは本当に幸運でした。なまじ知っていたとしたら、このような気分になれなかったかもしれませんから。
ということで、久しぶりに本を読んでいて気持ち良い気分に浸れたので、日記がてら書いておきます。
あとみんな、火星タヌキを読め。
今回書きたいことは、それくらいです。
※「昔、火星のあった場所」は、1992年の作品です。文庫もありますが、2001年発行と、こちらもかなり昔になります。
紙媒体で探すのはなかなか難しいので、電子書籍が早いかもしれませんね。
興味がある方は、ぜひ読んでみてください。




