3.それって入社詐欺じゃないの!?
翌日、アリカは意気揚々とシャフトボードを駆り、OR-Lab.へと向かってた。
初出勤……昨日の今日だったけど、絶望を乗り越えた彼女はその時凄く晴れやかな気持ちだった。
シャフトボードから降りた先に道行く人に片っ端から挨拶を掛け、それに戸惑う人々を気に掛ける事も無く……彼女は先日の様に会社へと乗り込んだ。
「おっはよーございまーす!!」
そこに居たのは驚いた顔を浮かべるパジャマ姿のヨシヲ社長。
「アリカ……今何時だと思っとるんだね……」
大抵このパターンだと「遅刻した奴」なーんて思う人も居るかもしれない……逆、早出しすぎたって事。
「早い方が早く帰れるかなって!!」
その時間は……言うなれば早朝、平均出社時間よりも3時間くらい早い時間帯。
興奮して起きちゃったアリカはそのままやって来てしまったわけ。
「んなアホな事あるかいね……ったく、やる気はあるけど空回りしとるのォ……」
そそくさと自室のある方へと速足で去っていくヨシヲ社長を……この時アリカは訳も分からず首を傾げながら見送った。
暫くして身支度を済ませたヨシヲ社長はアリカが待つ中央間に戻り、手に取ったマグカップに注いだ緑茶を一啜りすると……彼女に付いてくるように手招きして奥の部屋へと入っていく。
それに釣られ、アリカは何も考えてないような顔で付いていった。
古臭い階段がそこにあり、彼が行く道を付いて行く……地下にこの会社での業務が待っているのだろう、そう直感した。
けれど、現実は思った以上に……不思議な姿を晒した。
地下へ向かうと一つの扉があり、彼に誘われるままその先に在る部屋に入ると……そこには一人の人影……いや厳密に言えば……。
「簡単に説明するとだな、こいつは『ダイバースーツ』って代物だ。 こいつを使ってとあることをする事がワシの人生の目的でもある」
マネキンに着せたのであろうそのダイバースーツという物は、飾る事の無い質素ではあるものの人の形に近い形状を持った宇宙服とも思えるモノだった。
「ワシの目的は唯一つ……コイツを流行らせる事。 一つの遊び、一つの趣味として多くの人が体験出来るレクリエーションとしてこいつを開発したんよ」
そう紹介され……恐る恐るスーツに手を触れると……金属で出来ているのだろう冷たい感触が手一杯に広がる。
怒られない辺り、触れる事は問題無かったのだろう……むしろその顔は嬉しそうな顔を浮かべ……そんな顔を見たアリカは「この人は本当にこれが好きなんだろうなぁ」と心に思った。
「んで、これで何するの?」
「ふふふ……よくぞ聞いてくれたッ!!」
待ってましたと言わんばかりに声を張り上げ、ヨシヲ社長は興奮しながら答えてくれた。
「こいつを着て……人単体での大気圏突入をするのだっ!!」
「おおー!!」
決して、大気圏突入自体は今の時代、何の珍しい事でもない。
普通に地上と空を行き来しているこの時代、そんな事など造作もないのだけど……。
それは……レクリエーションという形としては存在していなかった。
技術革新というものは、人が夢を追う事で生まれる。
それは未来であっても同じ事……生活基準が変わり物の創造はAI等が補助するものの、基本は人が行う事となっている。
遊びに関してもそう。
人は暇を潰す為に遊びを覚えるけど、満足させる為に生まれた遊びはそれに比べれば数少ない。
そしてそういったものは……意識しなければ生む事すらままならない。
それを当時ヨシヲ社長は生み出そうとしていた……一つの体験型遊戯、『アースダイブ』を。
「まだコイツァ試作段階で一回使えばそれっきりの代物だが……行く行くは何度でも使える様な物を作って量産して……そして多くの人が地球へ『落ちていく』体験を感じて欲しい……そう思っとる。」
「凄いなぁ……でも熱そう」
大気圏とは簡単に言えば空気のある空間と、無い空間の境目の事を示す。
空気がある場所では、一定以上の速度を出そうとすれば空気が邪魔をして体が押される様な感覚に陥る訳だけど……空気が無い空間はそういう事が殆ど無い。
いわゆる空気抵抗と呼ばれるものが無い世界では、いくらでも物の速度は加速する。
そして……地球には重力と呼ばれる、物体をその中心へと引き込む力があり、それは例え大気圏外だろうと影響する。
大気圏突入とは、地球の重力に引かれて速度が増した物体が大気圏内へと入る事で空気の層へと突入する事。
その時、空力という力の影響で、高速で落ちて来る物体が空気を強烈に押し込む事でその間に熱を持つようになる……原理は違うけど、人が両手を擦り合わせると温かくなる様な、そんなイメージ。
でもその温度は人肌なんて生易しい物じゃない。
重力に引かれて加速した物体への空力がもたらす発熱温度は数百度以上にも及ぶ……下手すれば燃えて消し飛んでしまう程に。
人間の体など、大型隕石と比べれば無いに等しい程に小さいのだ。
そんなものが何の対策も無く落ちてしまえば当然消失は免れないだろう。
熱い……そういう認識しかないアリカを前に、苦笑いするしかないヨシヲ社長。
「まぁ、下手すりゃ死ぬじゃろうな」
「ヒエー……大変だなァ」
「まぁ安心せぇ、しっかりと何重にも対策はしておる」
自信あり気に「ポンポン」とスーツをはたくヨシヲ社長の顔は今でも忘れられない。
細身のスーツではあるけど、その形状全てに意味があるんだなぁとおバカながらに感心してたよ。
「まぁ、コイツは今ワシの身体形状に合わせて作り込んであるが、ちょいと調整加えればなんて事はねぇ……近い内にデモンストレーションを行う予定だ」
「ほほーう!! で、誰が落ちるの?」
「何言っとる、お前さんしかおらんじゃろが」
それを聞いた途端、アリカは固まった。
そりゃそうだよね、何も理解出来てない彼女からしてみれば「とりあえず死ね」って言われてるようなもんだし。
「ムリィーーー!! 帰るゥーーーー!! 辞表出すゥーーーーーーー!!」
「待てェーーー!! 危なくないから!! それと辞表は役員向けだッ!!」
逃げ出そうとするアリカを羽交い絞めにして引き留めるヨシヲ社長。
お互い必死に攻防を繰り返し、気付けばお互い爪の跡で体が真っ赤っかだったよ……。
「ぶふー!! ぶふー!!」
「どぅどぅ……落ち着けアリカ、いいから落ち着くんだ」
興奮した猛牛を宥める様にジェスチャーし……それに釣られた彼女は徐々に気持ちを静めていった。
「うぐっ……こんなの詐欺だぁ……入社詐欺だぁ……」
「入社詐欺ってまた意味の分からん……大体募集要項にあったじゃろが、『体を張った仕事が出来る方』って」
「……募集要項……?」
それは、「社員募集中」と書かれた紙に続いて書いてあった、募集における条件。
その中に含む「体を張った仕事が出来る方」の文字……これらは当然彼女の目には入ってはいない。
「エー…そんなの知らないんだけどー……やっぱムリ」
「んじゃ明日から強制就労所送りだな」
「ギャワーーーーー!!」
死ぬのは嫌、でも就労所も嫌……その時アリカは世界を呪ったよ、「なんで皆私と同じバカじゃないの?」ってね。
「安心しろアリカ……さっきも言ったが、死ぬこたぁ無い……お前さんがしくじらなきゃなぁ」
「ギャワーーーーー!!」
その時、「しくじるに決まってるじゃん、アタシバカだよ!?」って思ったのは御察しの通り。
「お、おぅ……ま、まぁなんだ、ワシの指示通りに動けば間違いなく死ぬ事は無い、そう断言してやる。 だからほら、菓子でも食って落ち着け」
ヨシヲ社長が着る色褪せたジャケットの胸ポケットから透明の包装紙に包まれた一粒の飴が取り出され、それを受け渡すと……アリカはそれを不思議そうに見つめていた。
飴玉なんて、この時代じゃそんなにお目に掛かれる物じゃないからね、その時初めて見たよ。
「これって?」
「名前くらいは知ってるだろう、飴玉だよ。 あ、食う時はちゃんと包装取るんだぞ」
「わぁ」と子供みたいな声を上げて包装紙を開き、中から出てきた赤色の粒を手に取ると……それを口に運ぶ……すると途端にじわぁと甘い感覚が舌一杯に広がり、些細な事だけどなんだか感動した気分がやってきたのを覚えてる。
「んうー!! おいひぃ~!!」
先程の剣幕などどこ吹く風……笑顔に包まれたアリカの顔は本当に子供の様。
「んじゃちょっと落ち着きがてら、そこで仕事内容に関して話し合おう、な?」
「ウン」
その部屋の中にある作業机の横に置かれた椅子に座り、二人が再び相見えると……静かな口調でヨシヲ社長が語り始めた。
「このダイバースーツはこう見えるが最新技術の塊だ。 そしてこいつを纏って落ちる分には何の問題も無い。 遠隔操作もいざって時は可能なんだ」
「フムフム」
「しくじるってのはつまりあれだ、着るお前さんが変に邪魔しない様にしなきゃいいって訳よ」
「なーるほどなるほど、じゃあアタシ死ななくて済むの?」
「死にゃせんよって言っとるがな」
おバカなりに考え出した結論……「死ななきゃいい」、それに尽きる。
その時「就労所の方がマシ」だなんて言い出さなかった事、それだけが今思う上で良い選択したって胸を撫で下ろす出来事だったよ……。
まぁ……今直ぐに「落ちる」訳じゃあないから。
それだけがその時の救いだったかなぁ。