北朝鮮の核開発(経緯)
1.概観
(1)朝鮮戦争の最中、米国のマッカーサー司令官は、中国義勇軍の参加により38度線まで撤退する等、困難な戦況を踏まえ、核兵器使用を公に進言し、トルーマン大統領もその可能性を示唆していたが、実現しなかった。しかしこの経緯については、北朝鮮関係者の脳裏に鮮明に焼き付いているだろう。
(2)北朝鮮では、旧態依然とした共産主義的な経済運営が続き、1978年頃から中国やベトナム等、他の社会主義諸国が計画経済からの脱皮を目指し、経済の自由化を進めたのに、北朝鮮では経済改革が進まず、特に直接投資による外資導入が進まなかった。そこで経済低迷が続き、近隣の韓国・中国との経済成長力の差が著しい。
因みに韓国では1965年に国交正常化と共に、日本から大規模な経済協力が行われ、「漢江の奇跡」と称される目覚ましい経済発展が実現し、1988年には、ソウルでオリンピックが開催された。
1991年のソ連崩壊はロシアの経済低迷をもたらし、北朝鮮への経済協力も減ったとされる。北朝鮮では経済低迷に伴い、兵力では韓国を凌ぐものの、通常兵器の老朽化が目立ち、特に制空権、制海権を握れない状態で、時間の経過と共に南北軍事バランスが不利に転じただろう。
(3)2001年以降、中ロ接近により北東アジアの戦略環境は、1950年6月の朝鮮戦争の勃発当時、中ソ関係が良好だった時代と似た環境となった。また9.11大規模多発テロ事件の発生により、米国をはじめとする西側諸国は、中央アジアやペルシャ湾岸地域でテロとの戦いに明け暮れる様になった。この頃から北朝鮮は、朝鮮戦争後に平和条約が未締結な事を踏まえ、国の安全保障また経済低迷をカバーする為、政権の正統性と生き残りをかけて、パキスタンの例を参考に、ウラン濃縮を基軸に核・ミサイル開発を中心的政策に据えたものと見られる。
(4)2017年9月までに6回の核実験を実施し、また頻繁なミサイル発射実験を経て、北朝鮮は、核保有に至ったと自ら評価している。
2.核開発の経緯
(1)北朝鮮にはウラン鉱脈があり、ウランを生産するところ、1985年にNPTに加盟し、1986年にはソ連の協力により完成した実験用の原子炉を運用し始めた。北朝鮮は長らくIAEAの査察を拒否していたが、1992年に実現したところ、不審な点が明るみに出た。
(2)北朝鮮が核開発を企図する背景には、朝鮮戦争後、米国や韓国との平和条約が締結されていない事に加え、1990年にソ連でゴルバチョフ書記長が就任し、韓国との関係正常化等、「新思考外交」を展開、また1991年12月のソ連崩壊があり、安全保障上の懸念が高まったものと見られる。
(3)因みに北朝鮮は1961年にソ連、中国とそれぞれ同盟条約を結び、武力攻撃を受けた場合に支援を受ける枠組みを構築していたが、ソ連との条約は1996年に失効した。そして2000年に軍事的支援の提供義務のない、新たな条約が成立した。
中国との中朝友好協力相互援助条約は更新され、今なお有効であるが、中国は1978年頃から開放経済政策を導入し、外資を誘致して目覚ましい経済成長を遂げ、経済の低迷する北朝鮮とは違う路線を歩んだ。1991年に南北両国が同時に国連に加盟すると、1992年、韓国とも国交を樹立した。
(4)北朝鮮は、当初、上記実験炉の副産物たるプルトニウムを核兵器に流用する方針だったが、これが発覚。1993年にIAEAが懸念表明するとNPT脱退の意向を表明。米朝間の緊張がこの上なく高まったが、カーター元米大統領が北朝鮮を訪問し、緊張緩和。交渉の末、1994年、北朝鮮の核開発計画放棄と引き換えに、北朝鮮で原子炉を2基建設する等の「枠組み合意」が成立。
しかしこの後、米議会で共和党(枠組み合意に反対)が優勢を占める様になり、原子炉の建設や経済制裁の撤廃を含め、枠組み合意の施工が遅れた。そしてパキスタンが核実験を実施した1998年頃より、北朝鮮によるウラン濃縮計画が取りざたされる様になった。
1998年に韓国の金大中大統領は「太陽政策」を宣言。
(5)新生ロシアは中国に接近した。2001年に中ロ善隣友好協力条約が調印され、2004年に中ロ国境問題が解決されると、中ロ両国は「蜜月」時代に入った。
(6)2001年9月11日に大規模同時多発テロ事件が米国で発生。この後、犯人を追い、報復を兼ねて米国等による「テロに対する戦争」がアフガンで、また2003年には、大量破壊兵器撲滅を大義名分に、イラク戦争が始まった。こうして米国の注意は、主として中央アジアやペルシャ湾岸地域に向けられた。
(7)2002年1月、米国のブッシュ大統領は、北朝鮮を「悪の枢軸」の一部と認定。2003年1月に北朝鮮はNPTから脱退し、核開発計画を再始動させた。今度は、ウランを濃縮して核兵器を製造する方針だった。
(8)2003年2月、IAEAが問題を国連安保理に付託。同年8月、6か国協議が開始された。そして2005年9月の共同声明で、平和的方法による朝鮮半島の検証可能な非核化に向け、北朝鮮による核兵器・核計画の放棄、米国は北朝鮮攻撃・侵略の意図がない事等につき意見の一致が発表された。
(9)しかし2006年7月にミサイル発射実験、10月に初めて核実験が実施された。国連安保理は核実験とミサイル発射の停止を求め、初の経済制裁が課された。2007年2月、6か国協議で、石油供給と引き換えに核開発計画の放棄を行う合意が成立。しかし2008年2月に就任した韓国の李明博大統領は「太陽政策」を放棄。
北朝鮮では2009年1月に金正恩が、最高指導者金正日の後継者に指名されると、同4月、6か国協議の合意にもはや協力しないと表明。5月に2回目の核実験を実施。
(10)2011年12月の金正日死去後、息子に当たる金正恩が後継者として最高指導者に就任した。金正恩体制の下で、核実験が2013年、2016年(1月と9月)、2017年9月(6回目、水爆実験と主張)に実施されている。(ミサイル発射実験も頻繁に実施)
(11)北朝鮮の国営・朝鮮中央テレビは、2017年11月29日の弾道ミサイル発射実験直後、「核武力が完成した」旨放送。朝鮮中央通信は、12月9日、金正恩が北部の白頭山に上り、「国家核戦力完成の歴史的偉業を成し遂げた激動の日々を振り返った」旨伝えている。
3.年表
(1969年 中ソ間に国境紛争が発生し、関係悪化)
1989年5月 ソ連のゴルバチョフ書記長、中国を訪問。(30年ぶり)
1990年9月 ソ連、韓国と国交樹立。北朝鮮、新たなる兵器の開発を宣言。
1991年5月 極東部分に関する中ソ国境協定が成立。
1991年9月 韓国・北朝鮮、国連に同時加盟
1991年12月 ソ連が崩壊し、ロシアを含むCIS諸国に引き継がれる。
1991年12月 南北両国首相、朝鮮半島非核化に関する共同宣言を発出。
1992年8月 中国、韓国と国交樹立。
1993年 北朝鮮は、IAEAが同国の核開発について懸念表明したのを受け、NPT脱退の意向を表明。
1994年7月 北朝鮮の金日成最高指導者が死去し、金正日氏が後継者に。
1994年9月 中国、ロシアと友好宣言(中央アジアの中ロ国境協定成立)
1994年10月 米朝間で原発建設と引き換えに核開発を凍結する「枠組み合意」が成立。北朝鮮は、NPT脱退を撤回。
1998年5月 インド(2回目)、パキスタン(初)が地下核実験。
1999年12月 ロシアでエルツィンが辞任し、プーチン大統領が就任。
2000年6月 初の南北首脳会談(平壌)(金大中大統領・金正日総書記)
2001年6月 中国、ロシア等の参加する上海協力機構が成立。
2001年7月 中ロ善隣友好協力条約が調印される。
2001年9月 米国で大規模同時多発テロ事件
2001年11月 ブラジル、ロシア、インド、中国がBRICsと称される。
(2002年9月 小泉首相(当時)が訪朝し、金正日総書記と会談。「日朝平壌宣言」に署名し、国交正常化交渉の再開に合意)
2002年10月 北朝鮮がウラン濃縮技術を取得した事が判明する。
2003年 1月に北朝鮮は核開発の再開を認めてNPTを脱退し、2月にIAEAが問題を国連安保理に付託。8月に6か国協議が北京で開始された。
2003年3月~5月 イラク戦争
2004年 ダマンスキー諸島に関して合意が得られ、中ロ間の国境問題が全て解決。
(2004年5月 小泉首相が再度訪朝し、金正日総書記と会談。拉致被害者5名の帰国に繋がった)
2005年9月 第4回6者会合に関する共同声明(北朝鮮による核放棄、米国に攻撃意図がない事等)
2006年 7月にミサイル発射実験(日本海に7発)が行われ、10月に第1回目の核実験が行われたので、国連安保理決議が採択され、北朝鮮に対して核実験とミサイル発射の停止を求め、初の経済制裁が課された。
2007年1月 韓国の藩基文氏が国連事務総長に就任。直後の2月、6か国協議で、エネルギー協力と引き換えに北朝鮮が核を放棄する合意成立。10月に平壌で2回目の南北首脳会談(廬武鉉大統領、金正日最高指導者、)
2008年2月 韓国で李明博大統領が就任。「太陽政策」を見直し、3月には南北対話が停止された。
2008年5月 ロシアでメドベージェフ大統領が就任。
2009年1月 オバマ米国大統領が就任。北朝鮮では金正日最高指導者の後任として金正恩が指名された。4月にテポドンを発射し、6か国協議から退出する旨発表。5月に2回目の核実験。
2010年 中国が世界で2番目の経済大国となった。
2010年11月 北朝鮮による韓国の延坪島砲撃事件。
2011年 3月に東日本大震災。12月に金正日氏が死去。金正恩が北朝鮮の最高指導者に就任した。
2012年5月 ロシアでプーチン大統領が再度就任。
2012年11月 中国で習近平が事実上、最高指導者に指名された。
2013年2月 12日、3回目の地下核実験。25日に朴槿恵が、韓国大統領に就任。
2013年3月15日 習近平が中国の元首、最高司令官、共産党の指導者に選出された。
2015年9月 北京で「抗日戦争勝利70周年」の軍事パレード。ロシアや韓国の大統領も参加。
2016年1月 4回目の地下核実験。
2016年9月 5回目の地下核実験。
2017年 1月にトランプ米大統領が就任。5月、文在寅が韓国大統領に就任。中ロ両国海軍は、7月にバルト海で、9月中旬から下旬、日本海及びオホーツク海で合同演習を実施。