【3】
古来より、一花の魂は輪廻転生を繰り返している。少なくとも、彼女の認識ではそれが真実だった。彼女だけが特別なのか、それとも誰しもが同じで、前世の記憶を忘れてしまっているに過ぎないのか、それは分からない。
しかし、後者なのだとしても、思い出すことができないのならそれはないのと変わらないだろう。
新たな人間への生まれ変わりは百年、二百年の期間があくことも珍しくない。また、過去に送った全ての人生の記憶を引き継いでいるわけではない。印象深いのは他者を殺し、逆に他者に殺められた瞬間の記憶。それらは呪いのように、一花の魂に絡みついて離れなかった。覚えている限りで、積み重なった記憶はおよそ数百年にも及び、その中にはちょっとした山ほどもある背丈の巨人や、悪魔だとでもいうのか、おどろおどろしい外見の怪物、他にも魔法めいた異能を操る人間など、気が触れたとしか思えないような光景もある。
「あなた、山居さんよね? 学校はどうしたの?」
天然の絨毯、というほどに上等なものではないが、川沿いの草原の上に座り込み、膝を抱えて小さくなっていた一花に声をかける人物の姿があった。赤く塗られた車を背に、清潔感のあるぱりっとした服装に身を包み、眼鏡をかけた二十代後半と思しき年齢の女性だ。言葉を交わしたことはなくとも、一花には見覚えのある顔だった。名前を小耳に挟んでもいる。
「大久保……先生」
服を押し上げる胸の膨らみが特徴的な女教師だ。級友の男子生徒たちの間で噂になっているのを、一花は立ち聞きしたことがあった。
川の流れに沿って銀色の鱗が輝いている。周囲にいる、魚を狙う釣り人たちの中には、お節介にも学校の授業をさぼった一花に声をかけてくる者もまれにいたが、どうにでも対処のしようはあった。だが、教師は駄目だ。言い訳するにも頭を捻らなければならない。まして、今日の一花は学校の制服に袖を通してすらいないのだ。単純に、体調が悪くなって休んでいました、という釈明はできない。もしも、その言い訳が通じたとしても、病院に連れていかれることになれば、嘘の発覚は免れないが。
「あら、わたしのことを知っていてくれているのね。あなたの授業を担当したことはなかったはずだけれど」
「ゆっ、ゆうめいだし。おっぱいが……じゃなくて」
急な事態に慌ててしまい、誤魔化しようのない墓穴を掘っている。同性に言われたためか、大久保は笑って許した。
「これでも一応、生活指導担当の先生ですからね」
「いっ、飯田先生は……」
さぼりの常習犯として、大久保が生活指導を担当しているというのは一花も把握していたが、馴染みがあるのはもうひとりの男性教師だ。生徒の生活指導を任されている教師はふたりいて、学校の外を見回って一花のような問題児に声をかけるのは、おもに飯田治道先生の役割だった。
「あなたのこと、心配していらしたわよ。勉強についていけないわけでもなさそうだし、仲のいい友達もいるようなのに、授業はさぼり気味。悩みがあるなら、同性の教師の方が話しやすいんじゃないかって、前々から仰っていてね」
仲のいい友達だと信じていた月瀬透の家を飛び出して、物事をうまく考えられない状態に陥っていた一花は一時間ほど、この場所で無意味に時間を潰していた。そのただ事ではない様子を、通りかかった飯田に見られていたのである。授業の合間の時間を使って、相談に乗ってやってはもらえないかと、大久保は電話で呼び出されたのだった。
「なっ、なんにも、ないです。ぼく……」
眠ると、一花は前世の死の瞬間を、ときどき夢に見て魘される。物心つくころからずっとだ。それが関係しているのかどうか、生まれつきの気弱な性格もあって、初対面の相手、特に大人を怖がる傾向が彼女にはあった。それは学校の先生であっても例外にはならない。むしろ、たやすくは逃げられないという点で、より恐れられていた。
遠目に大久保の発達した胸の膨らみを眺める際、一花は思春期の男子のような欲望を刺激されてもいたが、いざ目の前に来られるとそんなふらちな妄想をする余裕はすっかり消え失せていた。
小動物のようにおどおどと委縮している一花に、大久保は内心でどうするべきか対応に苦慮していた。瞳に涙を滲ませ、青ざめてすらいる姿には庇護欲を掻き立てられるが、抱き締めるなどするのは逆効果のようにも思えて動けない。そもそも、これは大久保の先輩教師である飯田の失策である。責任をとって、彼になんとかしてもらいたいところだが、余計な気をきかせて既にこの場からいなくなっている以上、頼ることもできない。
「……親御さんは、おうちにいらっしゃるのかしら? すこし、お話を……わたしにもこの後、授業があるからすぐにというわけにもいかないわね。でも、あなたをこの場に残すのも問題があるし……授業に出なさいとは言わないから、放課後まで保健室で待っていてほしいのだけど、構わない?」
当然、一花としては親に連絡されるのはできれば避けたい。しかし、観念する以外の道は残されてはいなかった。
促されて一花が車の助手席に乗り込むと、運転席の大久保から缶コーヒーを手渡された。購入後、時間が経過しているようで温くなっている。
「飯田先生?」
「そうよ。よく分かったわね。ひょっとして、いつも奢ってもらっているの?」
ふるふると、一花は首を横に振った。その予想は的中していたが、飯田が「他の奴らには内緒な」と口にしていたことを思い出したのだった。