【2】
「……っていう、記憶があってさ」
「病院、行った方がいいんじゃないの」
畳敷きの部屋だ。昼間でありながら人目を忍ぶ目的でカーテンを引いた窓際で、僅かに開けた窓の隙間から紫煙を外に逃がしながら、月瀬透は常識的な見解を述べた。中学生の喫煙者である以上、まじめな人間には分類されないが、暴力沙汰に慣れている見た目でもない。線の細い印象のある男子だ。
実はぼく、前世で殺し屋やってたんだ。そんな話を聞かされた直後である。対応が冷たくなるのもある意味では当然だった。
「やっぱ、そう思うよな」
苦笑いで頷いているのは、中性的な美貌の少女だ。ただし、身長が低く発育が遅いせいで、控えめにいっても中学生には見えない。十五歳という年齢を考慮すると、本人にとって容姿の面での未来はじゃっかん、明るくないのかもしれないが、高校生の間に急激に成長する可能性もないではないし、化粧で化けるのが女である。
彼女は小学生時代、病気にたとえてからかわれたのが原因で、山居という苗字の響きを嫌っている。そのため、親しい関係の者には一花と名前を呼び捨てにすることを強いる癖があった。いまは異性の前で短めのスカートを履いているにも関わらず、無防備に両足を投げ出して座っている。下着は隠れているが、柔らかそうな太ももの露出だけでも、健康的な同年代の男子には目の毒だった。
「他にも、巨人に食い殺された記憶とか、戦国時代だと思うんだけど、刀で斬り殺された記憶とか……」
「巨人って……漫画の話かよ」
思わず呟かれた言葉を聞きつけると、一花は過去の記憶を指を折って数えるのをやめて、異性との距離感を感じさせない勢いで窓際の透に詰め寄った。
「知らないのか? 巨人って実在するんだぜ。ネットに載ってた」
一花はパソコンを所持していない。これで調べたという主張なのか、現代では古めかしいとされつつある折り畳み式の携帯をぐいぐいと押し付けられ、たまらずに透は「近いんだよ、離れろっ!」と叫んだ。
「煙草には火がついているんだぞ。危ないだろうがっ!」
「あ……そう、だよな。ごめん」
拒絶された直後は不満そうにしていた一花だが、理由を聞かされると納得した。透の顔が赤くなっているところを見ると、一花が美少女であることも関係していそうだったがそこまでの詳しい説明はない。
「で? なんの話だ。物騒な前世の記憶があるからどうしたって?」
「うん。誰かを殺した瞬間とか、逆に殺された瞬間とか、そんな場面ばっかりが頭の中にあって……あ、でも、そこはいまは重要じゃないんだ。ぼくが言いたいのは、これまでの前世で女として生まれた経験がないってことでさ」
腰をおろした一花だが、さっきまでよりも透との距離が近い。危なっかしくもあぐらをかいているのもあって、透は視線を泳がせながら話を聞いていた。
「そのせいなのかな。男を同性に近い感覚で見ちゃうっていうか。誓って、透のことは嫌いじゃない。嫌いじゃないけど……」
それきり、言葉を見つけられない。いや、数分間も続いた沈黙が答えだった。
「おまえの……一花の気持ちは分かった」
言葉を詰まらせていた一花だが、弾かれたように俯かせていた顔を上げた。
「友達としてなら、付き合える。そういうことだろ?」
「そう! そういうことなんだ。だから、透、ぼくのことを好きだなんて言ったのは気の迷いだと思って、これからも友達として……」
「悪い」
言い募ろうとした言葉を遮られて、一花は固まった。泣いているような笑っているような、複雑な表情を透は浮かべている。
「そうしてやりたくても、すぐには無理だ。……ちょっと、ひとりにしてくれるか」
「こ、恋人は無理だけど……他に、ぼくにできることがあるなら、なんでも……」
「じゃあ、黙ってろ。押し倒したくなる」
低く、どすのきいた声が震えている。
思いが通じない悲しみや苛立ち、それだけではなく、怒りにも似た感情が透の胸の内に渦巻いていることに、一花は気付いた。それらの気持ちは透自身と、一花にも向けられているのだ。
しかし、透はそれをよしとは考えていない。たとえ、一花の態度にも問題があったとしても、衝動を理不尽にぶつけていいはずがない。
「……変なこと言った。できたら、忘れてくれ」
溜め息とともに、透は再度、謝罪の意を吐き出した。
一花は無言で立ち上がると、彼に背を向けて部屋を出ていった。押し倒してやりたい、などと告げられて恐ろしくなったのではない。むしろ、いろいろと察してやれなかった事実が申し訳なく、この場にいるのがいたたまれなくなったからだった。