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透明―トウメイ―

作者: 平乃 狛

 自分で言ってしまうのは可笑しいかもしれないけれど、この暑い日の僕はちょっと異常だった。

 家賃だけが安く、九月上旬の暑さと湿気を溜め込んだボロアパート。その自室で目を覚ました僕は、午前十時を指す時計を見て、久しぶりに外出用の服に着替えた。いや、本当に珍しい事なんだ。普段の僕だったら、そこから二度寝したり、布団の中で携帯を弄ったり、何もしないまま時間を無駄にしたり、と結局お昼過ぎになってから布団を畳む事がほとんど。

 どう考えても不健康な生活を送っていた僕だったけれど、この日はすんなりと布団を出て、久しぶりに外出した。冗談抜きで、普段の僕を見ている奴なら腰を抜かしてしまうかもしれないな。

 そんな訳で僕は、使い道が無いバイト代で電車に乗り込んだ。行き先は決めていなかったけれど、ひたすら南に行こうと思った。よく考えてみれば、こんな無計画な外出自体、僕にしては珍しい行動だったんだ。

 気が向いた駅で電車を降りると、今度はバスを探した。それも、また南方面へ行くバスを。そこはギリギリ『街』って言えるくらい栄えた場所だったから、バス停はすぐに見つかった。けど、五分毎にくるバスの殆どは、満員以上に人が詰まっていて、僕が入れそうな隙間は無い。それらを幾つか見送って、ようやく空いているバスが僕の目の前に停まった頃には、家を出て二時間は経っていた。

 正直、このまま暑さで干からびてしまうんじゃないか、って思ったよ。そのおかげか、冷房がガンガンに効いたバスに乗り込んだ瞬間、気持ち良さを感じてしまった。多分、君も僕と一緒の様な事をしてみると分かるだろう。

 通勤時間を外れたバスは、僕と数人の男女グループしか乗っていなかった。ここがもっと栄えた場所なら、こうはならなかったかもしれない。

 男女グループはお互いに小突きあったり、小声で馬鹿にし合ったりしていて、憎たらしいほどに幸せそうだった。なんというか、僕と住んでいる世界が違うような気がしてならない。もちろん、僕が不幸だとは言わないけれど、そう思わずにはいられない光景だった。ささやかな幸せ、って言うのかな。僕はいつの間にか、そんなものに心を動かされる様になっていたんだ。

 それに原因が有るとすれば、それは僕の趣味――というより、習慣に有るのかもしれない。僕は、週に二、三回は行きつけのレンタルショップに出かけて、一般的に面白いとされる映画を借りて観ているんだ。特に理由や意味は無いんだけれど、初めは暇つぶしだったような気がする。

 まあ、暇つぶしだからこそ、マイナーな映画を好んだり、わざわざ調べて選ぶ、なんて事はしなかった。レンタルショップに行っても、立ち寄るコーナーは『おススメ!』とか、『話題作が入荷!』とかのPOPが貼り付けられている作品を集めている所だけ。

 別に興味が無い訳じゃないんだ。こんな事を言ってしまえば怒られてしまうかもしれないけれど、心動かされる作品に出会ってしまうと、僕は阿呆みたいにのめり込んでしまうんだ。そして、いつか飽きてしまった時、『アレは時間の無駄だったんじゃないか』なんて思う。

 それは作品に対しても失礼だし、ほかの熱狂的ファンにも嫌われてしまう事だろう。それに、人間の殆どは、絶対に飽きを回避出来ない。だから、奥まで入り込まないようにしているんだ。


「まあ、簡単に言ってしまえば、怖がっているだけなんだけど」


 そんな事を流れていく風景を見ながら、考えている内にバスが終点に着いた。

 アナウンスで流れる地名は耳にした事も無い場所。一目見た時の印象は、田舎と町の間くらいに栄えた所、って感じだ。

 ポケットから携帯を取り出し、ディスプレイを覗き込む。そこに表示されているデジタル時計は、午後一時を指していた。

 いつの間にか男女グループもバスの中には居なくて、ずいぶん前に下車したようだ。バスの運転手も大きな欠伸を隠そうとしておらず、一人だけの空間に居るつもりになっているんだろう。いや、殆ど居ない者として扱われるのは、気分は楽だった。

 簡単に言えば、透明になった感覚。

 元々、僕は人に認識されることを快くは思っていないから、そう感じただけだろう。もしかしたら、僕以外の人間は腹を立てたり、不快感を覚えたりするのかもしれない。

 運転手に乗車料金を払い、バスから降りる。すぐ目の前に広がっていた景色は、時代錯誤を感じさせる木造無人駅。パンタグラフが接触する架線が見当たらないところから、此処を通るのは汽車なのだろう。

 外から見える待合室らしき所も左程掃除されていなかったし、切符を切る駅員の姿すら見られなかった。時刻表を見てみたけど、そこには数えるほどしか到着時間が示されていない。僕以外に人がいないこの駅は、まるで人間に忘れられたかの様に思えた。

 ちなみに、僕はこんな雰囲気が大好きでね。父親から譲り受けた一眼レフカメラを持って来れば良かったな、と肩を落とさざるを得なかった。まあ、携帯はあるのだから、一応カメラを起動させてみたけれど、画質は悪いし、やっぱり、ちゃんとしたものには勝てそうもない。仕方なく、適当に一枚だけ撮って保存し、あとは肉眼に焼き付けておくことにしよう。

 バス停からあまり離れていない無人の改札口を通り、ホームに出てみる。そこに広がっていたのは、黒っぽく変色した木材の壁と封鎖された跨線橋こせんきょう。それに、なんとか使われていると分かるベンチ。それらが組み合わさって出来た、一種の廃墟の様な雰囲気に、思わずため息を付いてしまいそうになる。

 先ほど僕は、映画なんかに熱中するのは嫌だ、と言ったけど、寂れた場所なんかは結構好きなんだ。多分、その理由は、自分自身がそこにいるにふさわしい、という気がしてならないからだろう。


 多くの人から忘れられた存在。

 居ても居なくても良い奴。


 そんなのが僕で、そんな感じなのがこの駅だった。

 いや、初めから幸せばかりじゃなかった自分と、初めは幸せで溢れていたと思われるこの駅という視点で考えてみれば、それは全然違うんだろうけど。

 ああ、何度も言うようだけど、僕が不幸だって言いたい訳じゃないよ。僕は不幸じゃないし、幸せを知らない訳じゃない。普通の人が知っている事は知っている。ただ、それらを動かすためのエンジンが不調なだけなんだ。

 十数分ほど無人駅を見て回り、一車両しかない汽車を見送りようやくそこを後にした。そうやって時間を潰したからか、初めは気持ち悪かった蒸暑さにも慣れてしまい、違和感なく、ぶらぶらとする事が出来そうだ。

 無人駅の前に設置されている、日で焼けて殆ど読めない観光マップ。それを覗き込み、適当に見当を付けて足を進めてみる。


「へぇ……此処って、こんな形をしてたんだ」


 今、観光マップを見て知った事だけれど、この町は昔城下町として結構栄えていたそうだ。だからか、町の中心地はやたら曲がり角が多かったり、道があまり広くなかったりしているようだ。こういう町の構造は、僕的には悪い気分ではなかったな。

 とりあえず、マップの記憶を頼りにあっちへ行ったりこっちへ行ったりして、ようやく見当をつけた所へたどり着く。

 そこは、古臭く、元は白かっただろう壁が黄ばんだ中学校だ。もちろん、不法侵入したわけじゃなく、敷地外とグラウンドを仕切っているフェンスの前までだけど。

 決して大きな学校ではなく、外見も僕が住んでいる街の学校と比べてしまえば貧相に見えるけれど、何故か懐かしい感覚がした。いやまあ、僕はこの学校に通った事がある訳でもないし、似たような学校へ行った事も無い。

 分かる人には分かってもらえるだろうけど、こういった雰囲気を持っている場所って、割と魅力的なんだ。自分が手に入れられなかった青春がそこにあるかのような気がしたり、忘れていた物を思い出したり出来る気がするからかもしれない。

 思わず、溜め息を付いてしまう。こういうのって、自分のかよっていた学校だと、殆どと言って良いくらいに、そう思えないんだ。結局、自分が通ってきた道には無い物でないと、そういう現象は有り得ないんだな。本当に、不思議なもんだよ。


「ん――この音は」


 不意に、校舎に取り付けられている灰色のスピーカーから澄んだ音が流れだす。その瞬間、開け放たれている窓の殆どから「疲れたー」なんていう数多くの大きな声が漏れ出してきたことから、今のが一体何のれいだったのかが分かった。つまり、先ほどまでは授業中だった訳だ。

 それにしても、鈴を聞くのも結構久しぶりだったな。最後に聞いたのは、数年以上前か。

 無人駅に居た時の様に十数分ほど眺めていると、体操服を着た生徒たちがグラウンドにぞろぞろと出てきた。流石に、その様子まで見ているのは不自然か、と僕は再び足を動かし始める。

 不思議と言えば、僕が最後に食べ物を口にしたのは昨日の夜で、今日になってからは何も胃の中に収めていない。でも、空腹らしい空腹は覚えていなかったし、このままでも大丈夫だ。

 だけど、流石に喉の渇きだけは無視出来なかったため、自販機を求めて歩き出す。十分ほどかけてようやく見つけた大手清涼飲料水メーカーの自販機でスポーツドリンクを購入し、それを馬鹿みたいに喉に流し込む。飲んだ飲料水が、体中に染み渡っていく感覚の気持ち良さは、君も同意してくれると思う。

 一度にペットボトルの三分の二程を喉に流し込み、視線を周りに向けてみる。闇雲に自販機を探していたから、今自分がどんな場所に居るか把握していなかったんだな。

 自分が居たのは、本屋の傍に設置されている自販機の前らしい。ここは町で一番栄えている場所らしく、スーパーらしきものや、コインランドリーが集まっていた。


「うわ、本当にあるんだなぁ、過疎化って……」


 そうやって声に出してしまうほど驚いたのは、人の少なさだ。携帯の時計はもう午後三時過ぎを指していて、主婦の方々も買い物に出かけても良い頃だろう。しかし、道を歩いているのは、数人の女性に、五、六人の帰宅途中らしい小学生の集団。僕が住んでいる所では、考えられない光景だ。もしかしたら、偶々(たまたま)そういう日だったのかもしれない。

 そんな事を思いながら、いい加減に自分の住む街へ帰ろうと再び駅の方へ足を向ける。

 初めは迷ってしまいそうになったが、一度通った道に出てからは、すんなりと駅に戻る事が出来た。丁度、そこには自分が乗るべきバスが止まっており、暑さから逃げる様にそれに乗り込む。


「はぁ、暑かった……」


 数時間前に自分がバスに乗った時と同じく、冷房の心地良さを覚えながら、一番後ろにある窓際の席に腰を落ち着ける。その窓からは、丁度あの無人駅を眺める事が出来た。

 不意に、涙腺が緩みそうになる。

 正直、何故自分が泣いてしまいそうになっているのかが、僕には理解出来なかった。僕はただ、自分には関係のない町を少しだけ歩いていただけなのに。

 全体的に古臭く、屋根のすぐ下には燕が巣を作っている駅。その中心には改札口が有る。それを超えてホームの方に目を向けると、大きく駅名が書かれ、その傍に小さく上りと下りの駅名が書かれている看板。その周囲に広がる、いかにも田舎といった風景。それが異常なまでに自分の感情を動かしたんだ。

 そこで幸運だったのは、バスが出発するまで少しの間、何故だろうと考え、答えらしきものを出す事に成功した事だ。

 この町には、少なからず僕が欲していた物が多く備わっていた事に気が付く。それから離れ、また日常を過ごすのが、ほんの少し嫌に感じてしまったのだ。図らずとも僕は、心の休憩所ともいえる場所にたどり着いていたらしい。それに、帰宅する寸前になって気が付くっていうのは、我ながら滑稽な事だと思う。

 いや、それは意外と自然な事なのかもしれない。僕を構成している物は、『一般的には』という常識りせいと、あの無人駅と同じく人に忘れられた透明さが大半なんだから。

 そんな事を思いながら、僕は目を閉じた。

 すぐにバスのエンジンが付いた音と振動を感じたが、気にせず明日の殆ど詰まっていない予定を思い返す。

 いつも通り昼くらいに布団を畳み、適当に時間を潰す。それが決まっている予定。一日くらいならこんな予定も良いか、と思うかもしれない。だけど、僕の場合はこんなのが毎日続くんだ。そりゃ、飽きるくらいにね。


「でも、嫌だ、とは思わないんだ」


 誰に言う訳でもなく呟いてみる。

 僕を透明にしているのは、そんな生活や僕の性格、そして、感情を動かすエンジンが不調なのが原因なのだろう。

 僕が今日見て回ったのは、それらが変わり得る可能性を、辛うじて残している場所だ。使われなくってしまった駅や、自分の歩んできた道には無いものが有ると思えてしまう学校と、人の少ない町並み。そのどれもが、どこか『透明さ』をもって僕に接していてくれていた。言ってしまえば、僕と同じ物が有ったんだ。

 『透明さ』と聞いて、君はどんな印象を持つかは分からない。でも、僕は少なからずこう思っているよ。

 『透明は、とても綺麗で、心休まる物だ』って。

 これを聞いて君は、『訳が分からない』って思うかもしれない。多分、普通はそうなんだろう。僕だって、何も知らずに聞いたらそう思う筈だ。

 この言葉で僕が何を言いたいかっていうと「『透明』っていうのは何も無いわけじゃない」って事なんだ。透明は、色もないし匂いも無い。もちろん、形も無い。でも、必ずそこに存在している。

 例えば、空気やガラス。空気は目に見えないし、存在も当たり前すぎて気にも留めない事が殆どだ。ガラスだって、色はないし、物によっては何も無い様に見える。しかし、それらは必ずそこにあるんだ。ちゃんとした役割だってある。

 それと同じで、無人駅や学校、町並みの透明さだって、ちゃんとした『綺麗さ』を持っているんだ。それだけじゃなく、意味だってちゃんと存在している。

 僕が言いたいのは、透明な自分自身も綺麗だ、とか、意味がある、という事じゃない。それだと、ただの愚痴になってしまう。

 つまり、時には『透明』の中に埋れてみても良いんじゃないか、って事。

 明確な意味や形を持っているものばかりじゃなく、時代を感じさせる無人駅の雰囲気を味わってみたり、始めて行く所なのに懐かしさを覚えてみたり、過疎化にどうしようもない新鮮さを感じてみたり。

 それらは全て、ため息を吐きたくなるくらいに、綺麗な一面を見せてくれるんだから。

 バスの車内に、合成音声のアナウンスが流れる。どうやら、僕がバスに乗ったあの街に戻って来たらしい。

 いつの間にか、人間を箱詰めにしたような乗り物になっていたバスから下車し、電車を探す。辺りは車の走る音や人の足音で溢れている。


「ああ、そうだ――」


 そんな喧騒の中、今後の予定を一つ追加する事にした。多分、それは良い事なのだろう。


 また、あの町へ行こう。

 あの、透明な町へ――――。

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