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ある男の犯行計画

 


 会社をクビになったのだから仕方がない。ちょうど今日はバイトの子一人しかいない火曜日だ。あの気難しい店長がいないのだ。絶好のチャンスである。カウンター席の一番奥。そこから見える壁に飾られたワイングラスに詰められた輝く透明の小石。十周年の記念に思い切って買ったのだと、珍しく顔を赤くした店長が言っていた。


「生とカツ丼ひとつ」


幸い店の中は俺一人だ。計画通りである。この時間帯は客が少ないことは調べ済みだ。


「はい!」


相変わらずバイトはうるさいやつだ。こいつはイケすかない。俺のことを馬鹿にしてやがる。いつだったか、一人酒を楽しむ俺の横でかわいい女の子から連絡先を聞かれていたこいつはニヤニヤと笑いながら俺の方を指さして言った。


「佐々木さんいい人ですよ!お姉さんと気が合いそう!ね!」


 その後こちらを見た女の顔を思い出すだけで腸が煮えくり返る。こっちだってお前のような女は願い下げだ。ベタベタ汚い化粧しやがって。肉付きの良い脚を出して誘ってきても無駄だぞ。俺はそんなものには靡かない。


 とにかく俺に恥をかかせたこのバイトを俺は許していない。だからこそ今日この日に決行することにしたのだ。へへへ、俺の罪を被ってさっさと前科者になりやがれ。


 バイトはドンと音を立ててビールを俺の前に置くと厨房の中に入っていった。カツ丼は作るのに時間がかかるメニューだ。厨房から俺の席は死角になっている。厨房からジュッと音がする。調理を始めたようだ。今だ!俺はスニーカーを脱いでカウンターテーブルの上によじ登る。くそ、思ったよりも高いな。両手を使って勢いよく登るとそのまま腹を軸に時計の針のように体を回して向こう側に足を移動させた。よし。計画通りである。目の前の棚の一番上の段。爪先立ちすればギリギリ手が届くワイングラスを取って中に入っているダイヤモンドを一掴みする。全て持って行ってはすぐにバレてしまう。このくらいが限界だろう。掴んだ小石をズボンのポケットに入れる。完璧だ。ガチャンとフライパンを動かす音が聞こえる。俺は先ほどと同じように腹ばいになってテーブルを移動する。席に腰をかけてすぐに、厨房からバイトが出てきた。笑い声を上げてしまいそうだ。なんと簡単だったことか。この間抜けは自分が強盗犯として捕まることなど梅雨知らず呑気にカツ丼を作っていたのだ。あとはこれを食って帰るだけ。


 待て。ないぞ。椅子の下に脱いだはずのスニーカーがない。なぜだ。店にはバイトと俺しかいないはず。あいつは厨房でカツ丼を作っていた。あの時この部屋には俺しかいなかった。それに、俺があんな大胆な行動を取っていたのだ。それを無言で眺めている奴がいるわけがない。


「どうぞ」


 ゴトン。目の前にカツ丼が置かれる。早く。とりあえず早くこれを食べて帰ろう。スニーカーがないからなんだ。別に構わない。とにかくこの店を出さえすれば目的は達成できるのだ。早く。早く。


「お客さん、今日はえらく急いでますね」


 まさか。まさかこいつ。見ていたのか。くそ野郎。そうでなければニヤつきながら俺を見ている理由がない。どうやって見ていた。そうだ。厨房から俺の席は死角だ。同じように俺の席から厨房も死角だ。迂闊だった。こいつはきっと俺がダイヤモンドを盗む姿を見ていたのだ。そしてその隙にスニーカーを奪ったのだ。やられた。くそ!こいつを黙らせるにはどうしたらいい。


 チラリとやつの顔を見るとまたニッコリと笑いかけてきた。こいつ。俺を馬鹿にしてやがる。俺がどう出るか様子見しているな。最低なやつだ。お前みたいに人を困らせて楽しんでいる奴が殺人鬼になるのだ。こいつは潜在的犯罪者だ。俺なんかよりもよっぽど捕まるべき人間だ。そうだ。だからこいつに罪をなすりつけることは善行だ。こいつにバレたからなんだというのだ。構わない。俺はこのまま店を出てまっすぐ交番に向かおう。店を出て左手に進めばすぐ交番があることは調査済みだ。そこで言うのだ。店員が店のダイヤモンドを盗んでいるところを目にしたと。先手を打てば良いのだ。一介の客が盗むよりも、金のないバイトが盗んだと言う方が説得力もある。さあ早くこれを食べてしまおう。早く。早く。


「お客さん。もしかしてこれお客さんのですか?」


 バイトが俺のスニーカーを持ち上げて顔をかしげる。顔が焼けるように熱い。こいつは悪魔だ。なんて奴だ。俺を直接責めるでもなく脅すでもなく、遠回しに俺が犯人であることを仄めかせている。ああもしかしたらこいつはすでに人を殺しているのではないか。だからこんなにも意地悪に、余裕綽綽と俺に話しかけるのだ。ああ怖い。このままここにいては殺されるかもしれない。きっとそうに違いない。考えてみれば厨房には包丁があるではないか。まずい。このままでは殺される。早く。早く。


「違います」


 俺は食べかけのカツ丼を残して立ち上がる。額から汗がたらりと落ちてくるのを袖で拭う。心なしか空気が薄くなっているように思える。バイトの足音が後ろから近づいてくる。殺される。立ち止まったら殺される。早く。早く。


「お客さん」


 肩に置かれたバイトの手は重い。俺はそれを振り切って勢いよく店のドアを開ける。交番は左手に見えている。警官が建物の前に一人、室内に一人見える。お巡りさん助けてくれ。殺人鬼が俺を襲おうとしている。足が痛い。あいつのせいだ。身体中の毛穴から汗が吹き出す。暑い。暑い。


ああお巡りさん!そこに立っているお巡りさん!助けてください!早く交番の中に入れてください!殺人鬼が俺を追いかけているんです。ほら声が聞こえるでしょう!そうです!あいつです!スニーカーを持ってこちらに走ってきているあいつ!いかにも殺人鬼然とした顔をしているでしょう。なぜスニーカーを持っているって?そんなの俺を狙っているからに決まっているでしょう。あれは俺が履いていたものです。あいつはあれを奪って俺が逃げられないようにしたんだ。いえ、大丈夫です。俺は落ち着いています。良いから早くあいつを拘束してくれ。待て。あいつをここに連れてこないでくれ。同じ部屋に入れられるなんて恐ろしい。ああ、すみません、ありがとうございます。水をくれるなんてお優しい。今日は暑いですから汗が止まらなくて。すみません、今ハンカチで拭きますから。


「お客さん!お勘定!」


外の警官は何しているんだ。バイトがこっちに近づいてくるじゃないか。おい、ちょっと待て。お巡りさん、なんで俺をそんな目で見るんだ。ちょっと待ってください。どうして俺を拘束するんですか。ちょっと。いや、それは俺が盗んだものじゃないです。あいつが盗んで。それを俺に渡して。あいつがポケットに入れろというから入れたんです。いや違う。あいつがスニーカーを盗んで、それからこれを俺に盗ませて。そうです。脅されたんです。俺がダイヤモンドなんて盗むわけないでしょう。ただの客なんですから。あいつはバイトです。あの店で働いているんです。そういえばいつも店主の悪口を言っていた。あいつは俺を使って店主に嫌がらせしようとしたんだ。待ってくださいお巡りさん。おい。何するんだ。手錠?何でそんなものをつけるんだ。やめろ。やめろって言っているだろう。


「これ、あちらのお客さんのです」


あいつは何を言っているんだ。あんなスニーカー知らない。あいつと俺は何の関係もない。ダイヤモンドを盗んだのはあいつだ。俺は関係ない。ただカツ丼を食べていただけだ。違う。こんな靴知らない。おい待て。待ってくれ。



――――



「突然店を出られて。お勘定がまだ済んでなかったので追いかけてきたんですけど、今店に誰もいないので一度帰っても良いですか」


「ええ。私もそちらに伺います。この石が店のものかどうか分かりますか」


「ああ、ええ。あれは俺が店長にあげたものなので。ダイヤモンドなんてすごいものじゃないです。見てもらったらわかると思うんですけど、ガラス細工に失敗したときの破片なんです。何でか店長が気に入って飾っていたもので」


「確かに宝石というには形がガタガタだ」


「そうでしょう?あと、これは多分あのお客さんの靴です。カウンターのこっち側に落ちてたんで不思議だったんですけど」


「分かりました。あとで渡しておきます」


「はい。あの……あのお客さん常連さんで。悪い人には見えなかったんですけど」


「いえ、あれはおとなしそうに見えてそうでもないんです。強盗殺人の前科があるので」



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