表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/17

第七章 リアムの旅立ち


 馬車の旅は、七日間続いた。


 道中、三人の子供たちはほとんど言葉を交わさなかった。トビアスは窓の外を見つめ続け、リーナは時折すすり泣いた。リアムは、懐中時計を握りしめながら、流れていく風景を眺めていた。麦畑、森、川、小さな村——見知らぬ土地が、次々と過ぎ去っていく。


 帝国の王都「ルミナリア」は、大陸の中央に位置する巨大な都市だった。リアムが生まれ育った港町とは比べものにならない規模。白い城壁に囲まれた街並みは、どこまでも続いているように見えた。城壁の高さだけで、港町の建物の何倍もある。


「すごい……」


 リアムは、馬車の窓から身を乗り出して、その光景に見入った。


 街路には石畳が敷かれ、両側には立派な建物が並んでいる。大理石の柱、精緻な彫刻、色とりどりのステンドグラス。行き交う人々の服装は華やかで、馬車も荷車も整然と流れていた。まるで、絵本の中の世界に迷い込んだかのようだ。


 しかし、その美しさの裏に、リアムは何かを感じ取っていた。


 人々の表情が、どこか硬い。笑顔が少ない。そして、街のあちこちに、帝国の兵士が立っている。黒い鎧、長い槍、鋭い目つき——まるで、獲物を狙う猛禽のようだ。


 ——監視されている。


 この街全体が、巨大な檻のように思えた。美しい檻。しかし、檻であることに変わりはない。



              *



 馬車は、街の中心部にある巨大な建物の前で止まった。


 王立学院。帝国最高の教育機関であり、貴族の子弟が学ぶ場所。そして、各国から集められた「留学生」たちが収容される場所。


 リアムは馬車を降り、その建物を見上げた。


 白い壁、青い屋根、金色の装飾。威厳と権威を示す、圧倒的な存在感。正面には巨大な門があり、その上には帝国の紋章——金の獅子と剣——が輝いていた。しかし、リアムにはそれが美しいとは思えなかった。むしろ、冷たく、威圧的に感じられた。


「留学生は、こちらへ」


 案内役の男が、無表情に言った。痩せた男で、目の下には濃い隈がある。


 リアムと、同じ馬車に乗っていた二人の子供は、案内役に従って建物の中へ入った。リーナの足取りは重く、トビアスは何度も後ろを振り返った。


 廊下は長く、窓から差し込む光が冷たく感じられた。磨き上げられた床、高い天井、壁に掛けられた肖像画——どれも立派だが、どこか生気がない。すれ違う生徒たちが、リアムたちを見て、露骨に顔をしかめる。


「留学生か」


「また増えたのね。貧乏国の子供たち」


「近寄らないでよ。汚れが移りそう」


 ひそひそ声が、リアムの耳に届いた。笑い声が後ろで響く。


 リアムは表情を変えなかった。こういうことは、覚悟していた。帝国の貴族たちにとって、留学生は「人質」であり「劣等生」なのだ。見下されることは、わかっていた。


 しかし、隣を歩いていたリーナが、唇を噛んで俯いた。彼女の目には、涙が浮かんでいた。肩が小刻みに震えている。


 リアムは、そっと彼女の手を握った。


「大丈夫。気にするな」


 リーナはリアムを見て、小さく頷いた。その手は、冷たく震えていた。



              *



 留学生たちは、学院の地下にある部屋に集められた。


 そこには、すでに十人ほどの子供たちがいた。皆、リアムと同じ「留学生」だった。様々な国から集められた、人質の子供たち。年齢も様々——八歳くらいの幼い子から、十五歳くらいの少年少女まで。しかし、どの顔にも、同じ表情が浮かんでいた。不安、恐怖、そして諦め。


 部屋の奥には、一人の男が立っていた。


 灰色のローブを着た、痩せた男。頬がこけ、目は鋭く、口元には冷笑が浮かんでいた。蛇のような男だ——リアムは直感的にそう思った。


「新入生諸君、ようこそ王立学院へ」


 男は芝居がかった口調で言った。両腕を広げ、大げさな身振りで。


「私はこの学院の副学院長、ガレス・モルドレッドだ。お前たち留学生の監督を務める」


 ガレスは部屋を見回し、続けた。その目が、一人一人の顔を舐めるように這っていく。


「まず、一つ理解しておいてもらいたいことがある。お前たちは、この学院の『生徒』ではない。『客人』でもない。お前たちは……」


 ガレスは言葉を区切り、冷たく笑った。唇の端が、不快なほどつり上がっている。


「……『担保』だ。お前たちの親が帝国に従う限り、お前たちは安全だ。しかし、もし親が帝国に逆らえば……」


 ガレスは指を鳴らした。乾いた音が、部屋に響く。


「お前たちの命は、ない」


 部屋の空気が、凍りついた。


 子供たちの顔が青ざめる。中には、泣き出す者もいた。リーナが、リアムの腕にしがみついてきた。


 リアムは黙って、ガレスを見つめていた。脅しだということはわかっていた。しかし、その脅しが嘘ではないこともわかっていた。この男は、本当にやるだろう。躊躇なく。


「さて、次に」ガレスは机の上から、いくつかの金属製の輪を取り上げた。銀色に光る、細い輪。「これを装着してもらう」


 それは、腕輪だった。シンプルなデザイン。しかし、その表面には、複雑な紋様が刻まれていた。見たことのない文字——古代の魔法文字だろうか。


「これは『封印の腕環シール・バングル』と呼ばれるものだ。留学生には、全員に装着が義務付けられている」


「それは……何のために?」


 一人の少年が尋ねた。勇気のある子だ——リアムはそう思った。


「魔法の制限だ」ガレスは答えた。「この腕輪を着けている間、お前たちは魔法を使うことができない。帝国の許可なく魔法を行使することは、重罪だからな」


 リアムは眉をひそめた。


 魔法の制限。つまり、彼らから力を奪うということだ。反抗する手段を、最初から封じておくために。鳥の翼をもぎ、犬の牙を抜くようなものだ。


「順番に、前に出ろ」


 ガレスの命令で、子供たちが一人ずつ前に進んだ。


 腕輪が装着されるたびに、淡い光が走り、そして消えた。装着された子供たちは、何かが抜け落ちたような顔をしていた。虚ろな目、力の抜けた肩——まるで、魂を抜かれたかのように。


 やがて、リアムの番が来た。


「お前は……メルカリアか」ガレスは書類を見ながら言った。「商人の息子だな。魔法の素養は……低い、と」


 リアムは黙って頷いた。


 実際、リアムには魔法の才能がほとんどなかった。商人の家系には、魔法使いは少ない。金勘定と商談が得意でも、呪文を唱えることはできない。だから、この腕輪はリアムにとってはそれほど大きな制約ではなかった。


 しかし、他の子供たちにとっては違う。魔法使いの家系の子供たちにとって、魔法を封じられることは、翼をもがれるようなものだ。


 冷たい金属が、リアムの手首に巻き付いた。


 かちり、という音と共に、腕輪が固定された。皮膚に食い込むような感覚。これから何年も、この金属と共に生きていくのだ。


「よし。これで全員だ」


 ガレスは満足そうに頷いた。まるで、家畜に焼き印を押し終えたかのような表情だ。


「明日から、授業が始まる。お前たちは、帝国の生徒たちと同じ教室で学ぶ。ただし、発言は許可制だ。帝国の生徒に無礼を働けば、罰を受ける。わかったな?」


 子供たちは黙って頷いた。


 リアムも頷いた。しかし、その目の奥には、消えない炎が燃えていた。いつか——いつか必ず、この腕輪を外す日が来る。



              *



 留学生たちには、学院の隅にある古い寮が割り当てられた。


 部屋は狭く、窓は小さく、日当たりも悪かった。壁には染みがあり、床は軋み、天井からは蜘蛛の巣が垂れている。帝国の貴族の子弟が住む寮とは、雲泥の差だった。


 リアムは、与えられたベッドに腰を下ろし、手首の腕輪を見つめた。


 銀色の輪が、冷たく光っている。これが、自分を縛る鎖なのだ。見えない牢獄の、見える証。


「ねえ」


 声がして、リアムは顔を上げた。


 同じ部屋に割り当てられた少年が、リアムを見ていた。赤茶色の髪に、そばかすのある顔。年はリアムと同じくらいだろう。目は大きく、どこか人懐っこい印象だ。


「君、メルカリアから来たんだよね? 僕はトーマ。グリューネ公国から来たんだ」


「リアムだ。よろしくな」


「よろしく」トーマは微笑んだ。その笑顔には、まだ希望が残っていた。「ここ、大変そうだね。でも、僕たちで協力すれば、何とかなるかもしれない」


 リアムは頷いた。「そうだな。一人じゃ厳しいけど、仲間がいれば心強いぜ」


「うん」トーマは嬉しそうに言った。「僕たち、友達になろう」


 リアムは、久しぶりに笑った。口角が上がるのを感じた。


 この場所は厳しい。差別され、監視され、自由を奪われる。しかし、同じ境遇の仲間がいる。それだけで、少し救われた気がした。



              *



 翌日から、学院での生活が始まった。


 授業は、魔法理論、歴史、数学、文学など、多岐にわたった。教師たちは厳しく、授業についていくだけでも大変だった。特に魔法理論は、リアムにとっては難解だった。魔法の素養がないため、理論だけを頭で理解しなければならない。


 しかし、最も辛かったのは、授業の内容ではなかった。


「おい、留学生」


 昼休み、リアムが食堂で食事をしていると、一人の少年が近づいてきた。


 金髪に青い目。高価な服を着た、いかにも貴族の子弟という風貌。顎を上げ、見下すような目つきをしている。その後ろには、取り巻きと思われる生徒が数人ついていた。皆、同じような嘲笑を浮かべている。


「お前、メルカリアの商人の息子だろう? 父親は、帝国に貢ぎ物を納めているそうだな」


 リアムは黙って、少年を見上げた。反応しない。相手にしない。それが、最善の策だ。


「どうした、口がきけないのか? ああ、そうか。商人は嘘しかつけないから、本当のことを言う方法を知らないんだな」


 取り巻きたちが笑った。甲高い、不快な笑い声。


 リアムは、拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。怒りが込み上げてくる。しかし、ここで反撃すれば、罰を受けるのは自分だ。父が危険にさらされるかもしれない。


「……失礼します」


 リアムは立ち上がり、食堂を出ようとした。


「待て」


 少年がリアムの腕を掴んだ。力が強い。振りほどこうとしたが、動かない。


「誰が行っていいと言った? お前たち留学生は、帝国の生徒に敬意を払う義務がある。まずは、跪いて謝罪しろ」


 周囲の生徒たちが、興味深そうに見ている。誰も、リアムを助けようとはしない。当然だ——彼らにとって、留学生は同じ人間ではないのだから。


 リアムは、少年の目を見た。


 怒りを抑え、冷静に言った。声が震えないように、気をつけながら。


「申し訳ありません。無礼をお許しください」


 そして、頭を下げた。深く、深く。


 少年は満足そうに笑い、腕を離した。


「よし。それでいい。身の程をわきまえろ、留学生」


 少年たちは笑いながら去っていった。勝ち誇った足取りで。


 リアムは、しばらくその場に立ち尽くしていた。


 屈辱だった。心の底から、屈辱だった。頭を下げている間、全身が震えていた。怒りで。悔しさで。しかし、今はこれしかない。耐えるしかない。


 懐の中で、虹色の結晶が微かに温もりを帯びた。


 ——シオン。ティア。


 リアムは、心の中で呼びかけた。


 ——僕は今、とても辛い場所にいる。でも、負けない。絶対に、負けない。


 ——いつか、この腕輪を外す日が来る。その時まで、僕は耐え続ける。強くなる。


 リアムは顔を上げ、窓の外を見た。


 空は青く、雲が流れていた。どこかで、シオンとティアも同じ空を見ているだろう。この空は、世界中どこでも繋がっている。


 その思いだけが、リアムの支えだった。


 帝国での、長い戦いが始まった。



                                   第七章 了


お読みいただきありがとうございます。

「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。


完結まで毎日18時に更新予定です!


ブックマーク・評価・感想をいただけると励みになります。

よろしくお願いいたします。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ