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第四章 別れと予兆


 あの冒険から、五日が過ぎた。


 ティアの肩の怪我は、里の薬師の手当てのおかげで順調に回復していた。傷跡は残るかもしれないが、それを彼女は誇りに思っているようだった。しかし、三人が揃って遊べる時間は、残りわずかとなっていた。


 商隊の出発が、明日に迫っていたのだ。


「もう行っちゃうんだね」


 シオンは、荷造りを手伝いながらリアムに言った。商隊の荷馬車には、里で仕入れた薬草や工芸品が次々と積み込まれていく。職人たちが荷を縛る縄の音、馬のいななき、そして旅立ちを前にした騒がしさが、別れの時が近いことを告げていた。


「うん」リアムは荷物を運びながら、寂しそうに頷いた。「父さんの仕事だから、仕方ないさ」


「また来られる?」


「わからないな。でも、きっといつか——約束だぜ」


 二人は顔を見合わせた。出会ってからまだ十日ほどしか経っていないのに、もう何年も一緒にいたような気がした。魔物と戦い、命の危機を乗り越えた経験が、二人の絆を一気に深めたのだろう。


 夕方、三人は最後の時間を過ごすため、あの丘に登った。


 里全体が見渡せる、あの場所。初めて三人で来た場所。秘境の存在を知り、冒険を決意した場所。夕日が山の端に沈みかけ、空は茜色に染まっていた。風が草を揺らし、どこか甘い花の香りが漂ってくる。


「綺麗だね」ティアがつぶやいた。腕を組んで、オレンジ色に染まる空を見上げている。


「うん」シオンが頷いた。


 三人はしばらく黙って、その光景を眺めていた。言葉はいらなかった。この瞬間を、ただ共有しているだけで十分だった。


「ねえ」リアムが口を開いた。いつもの軽い調子ではなく、どこか真剣な響きがあった。「僕たち、絶対また会おうな」


「約束したじゃない」ティアが言った。「また冒険するって」


「うん、でも……」リアムは懐から何かを取り出した。「これ、持っててほしいんだ」


 それは、秘境で拾った虹色の結晶だった。夕日を受けて、七色の光が揺らめいている。


「三人で一つずつ持ってるから、僕たちは繋がってる。そう思わないか?」


 シオンとティアも、自分のポケットから結晶を取り出した。夕日の光を受けて、三つの結晶が虹色に輝いた。まるで、三人の心が一つになったかのようだった。


「……そうね」ティアが微笑んだ。普段の強がりが消えて、穏やかな表情になっている。「これがある限り、私たちは友達よ」


「うん」シオンも頷いた。「どんなに離れていても」


 三人は結晶を握りしめ、空に掲げた。


 それは、言葉にしなくても伝わる約束だった。いつか必ず、また会おう。そして、また一緒に冒険しよう。三人の間に流れる絆は、どんな距離も時間も、決して断ち切ることはできない。


「じゃあ、最後に叫ぼうぜ」リアムが提案した。


「何それ」ティアが呆れた。「恥ずかしいわよ」


「いいじゃんか。誰も聞いてないし」


 シオンは笑った。「僕はいいよ。やろう」


「……もう、仕方ないわね」


 三人は深く息を吸い、夕暮れの空に向かって叫んだ。


「みんな元気で!」

「また会おう!」

「バーカ!」


 声は山々に響き、やがて静かに消えていった。こだまが遠くで返ってくる。


 馬鹿みたいだった。でも、三人は笑っていた。お腹を抱えて、涙が出るほど笑った。


 この瞬間を、忘れない。そう心に誓いながら。



              *



 翌朝、商隊はミストリアを出発した。


 朝靄の中、荷馬車の列がゆっくりと動き始める。車輪が砂利を踏む音、馬具の金属音、御者たちの掛け声が朝の静けさを破っていく。リアムは馬車の後ろに乗り、見送りに来たシオンとティアに手を振った。


「元気でね!」ティアが叫んだ。


「また会おう!」シオンが続けた。


「うん! 絶対だぜ!」リアムが答えた。その声は、すでに震えていた。


 馬車は少しずつ遠ざかり、やがて霧の中に消えていった。シオンとティアは、リアムの姿が見えなくなるまで、その場に立ち尽くしていた。朝露が靴を濡らしていたが、二人とも動こうとしなかった。


「……行っちゃったね」ティアがつぶやいた。声が小さい。


「うん」


 シオンはポケットの中の結晶を握りしめた。まだ温かい。まるで、リアムの手の温もりが残っているかのようだった。


「シオンも、もうすぐ帰るんでしょ」ティアが言った。


「うん。明後日には」


 祖父のソロンから、王都への帰還を告げられていた。シオンの里での滞在は、もともと短期間の予定だったのだ。


「寂しくなるわね」ティアは視線を逸らした。「……別に、あんたがいなくても平気だけど」


 シオンは微笑んだ。ティアの本心は、言葉とは裏腹だった。目元がわずかに赤くなっている。


「僕も、また来るよ」


「本当?」


「約束する。リアムとも、また三人で会おう」


 ティアは少しだけ笑った。唇が震えている。「……そうね。約束よ。破ったら、承知しないからね」


 二日後、シオンもまたミストリアを後にした。


 ソロンと共に馬車に乗り込み、里の門をくぐる。振り返ると、ティアとフェリアが手を振っていた。


「さようなら、シオンくん!」フェリアが叫んだ。


「また来なさいよ! 約束忘れたら許さないから!」ティアが続けた。


 シオンは大きく手を振り返した。霧が二人の姿を包み込み、やがて見えなくなった。最後まで、ティアの声だけが霧の中に響いていた。


 馬車の中で、シオンは窓の外を見つめていた。流れていく景色が、涙でぼやけている。


「楽しかったか?」ソロンが尋ねた。


「うん」シオンは頷いた。「すごく」


「友達ができたようだな」


「リアムとティア。二人とも、いい奴なんだ」


 ソロンは微笑んだ。その目は、孫を見守る優しさに満ちていた。「それは良かった。友というものは、人生において何より大切な宝だ。金でも地位でもない。信じ合える友こそが、人の支えになる」


 シオンはポケットの結晶を取り出し、光にかざした。虹色の輝きが、馬車の中を照らした。


「おじいさん、これ何だかわかる?」


 ソロンは結晶を見て、目を細めた。何かを思い出すような、遠い目をしていた。「どこで手に入れた?」


「……秘境で」


「そうか」ソロンは結晶を手に取り、しばらく眺めた。指先で表面をなぞり、何かを確かめるように。「これは『時の欠片』と呼ばれるものだ。この土地に古くから伝わる、神聖な鉱石」


「神聖な?」


「かつて、この世界に時を司る神がいたという伝説がある。この結晶は、その神の力の残滓だと言われている」


 シオンは目を見開いた。「神様の……力?」


「あくまで伝説だがな」ソロンは結晶をシオンに返した。「大切にしなさい。きっと、お前の宝になる」


 シオンは結晶を握りしめた。リアムとティアとの絆の証。そして、神の力の残滓。


 この小さな石が、どれほど大きな意味を持つのか——シオンはまだ知らなかった。



              *



 それから、二年の月日が流れた。


 リアムは、王都の下町で商人の息子として暮らしていた。


 メルカリアの首都にある商人街。そこは、朝から晩まで活気に満ちた場所だった。市場には色とりどりの品物が並び、商人たちの威勢のいい声が響き渡る。香辛料の刺激的な匂い、布地の埃っぽい香り、焼き菓子の甘い誘惑——あらゆる匂いが混じり合い、独特の空気を作り出していた。リアムは父の店を手伝いながら、商売の基礎を学んでいた。


「リアム、この荷物を倉庫に運んでくれ」


「はいよ、父さん」


 十歳になったリアムは、背も伸び、顔つきも少年らしくなっていた。しかし、その目の奥には、幼い頃と変わらない好奇心と知恵の光が宿っていた。


 仕事の合間には、近所の子供たちと遊んだ。彼らは皆、商人や職人の子供たちで、リアムと同じように家業を手伝いながら育っていた。


「リアム、今日は何して遊ぶ?」


「そうだな……市場で珍しいもの探しでもするか。南の国から来た商船が入ったって聞いたぜ」


 リアムにとって、市場は宝の山だった。世界中から集まる珍しい品物を見て回り、どこから来たのか、何に使うのかを想像する。それが、彼の一番の楽しみだった。いつか自分も船に乗って、まだ見ぬ国々を巡りたい——そんな夢を胸に秘めていた。


 ある日の午後、リアムは市場で奇妙な噂を耳にした。


「おい、聞いたか? ルミナリア帝国の王妃様が亡くなったらしいぞ」


「本当か? 病気だったのか?」


「さあな。でも、王様がかなり取り乱しているらしい」


 リアムは足を止めた。ルミナリア帝国——それは、この大陸で最も強大な国だった。メルカリアも、帝国とは深い貿易関係にある。帝国から来る商品は高値で売れ、帝国への輸出は国の経済を支えていた。


 ——王妃様が亡くなった。


 それが何を意味するのか、十歳のリアムにはまだわからなかった。しかし、大人たちの表情がどこか不安げなのは、鋭い観察眼で感じ取ることができた。声を潜めて話す商人たち。顔を曇らせる職人たち。市場の空気が、わずかに変わっていた。


 その夜、リアムは父親に尋ねた。


「父さん、王妃様が亡くなったって本当?」


 父親——マルカンティ・チェンは、息子を見つめた。その目には、複雑な感情が浮かんでいた。驚きと、そして何かを隠そうとする翳り。


「ああ、本当だ」


「それで、どうなるの?」


「……わからん。だが、何かが変わるかもしれん」


 父親はそれ以上多くを語らなかった。しかし、その言葉はリアムの心に深く刻まれた。何かが変わる——その予感は、やがて現実のものとなる。



              *



 王妃崩御の報せから、半年が過ぎた頃。


 リアムは、王都の空気が確実に変わっていることを感じていた。


 最初は、小さな変化だった。市場を巡回する兵士の数が増えた。商人たちの表情が硬くなった。そして、税金が上がった。笑い声が減り、囁き声が増えた。


「また増税か……」父親が帳簿を見ながらため息をついた。「このままでは、商売が立ち行かなくなる」


「帝国が何か要求してきたの?」リアムが尋ねた。


「ああ。貢ぎ物を増やせとな」


 貢ぎ物——それは、弱い国が強い国に差し出す品物のことだった。メルカリアは、軍事力では帝国に遠く及ばない。だから、貿易で富を築き、その富で平和を買っていたのだ。


 しかし、その均衡が崩れ始めていた。


 ある日、リアムは市場で衝撃的な光景を目にした。


 帝国から来た兵士たちが、一人の商人を取り囲んでいた。


「貴様、帝国の兵士に無礼を働いたな」


「そ、そんな……私はただ、道を譲れと言われて——」


「言い訳は聞かん!」


 兵士の一人が、商人を蹴り飛ばした。商人は地面に転がり、品物が散乱する。周囲の人々は恐怖に顔を歪めながらも、誰も助けようとしなかった。目を逸らし、足早に通り過ぎていく。


 リアムは拳を握りしめた。爪が掌に食い込む。


 ——何だ、これは。


 彼の中で、何かが燃え上がった。怒り。そして、疑問。


 帝国は、なぜこんなことをするのか。王妃が亡くなったから? それで、なぜ他国の人間が苦しまなければならないのか。理不尽だ。絶対に、間違っている。


「リアム、見るな」


 父親が、リアムの肩を掴んだ。


「でも、父さん——」


「今は何もできん。見ているだけでも、目をつけられる」


 父親はリアムを連れて、その場を離れた。リアムは何度も振り返ったが、商人はまだ地面に倒れたままだった。誰も手を差し伸べない。それが、今のこの世界の現実だった。


 その夜、リアムは眠れなかった。


 ポケットから、あの虹色の結晶を取り出した。二年前、ミストリアで手に入れたもの。シオンとティアとの絆の証。月明かりを受けて、結晶が静かに輝いている。


 ——シオンは、今どうしているだろう。


 シオンは帝国の貴族だと言っていた。ということは、あの横暴な帝国の一員なのだ。


 ——でも、シオンはあんな奴らとは違う。絶対に。


 リアムは結晶を握りしめた。シオンのことは信じていた。しかし、帝国という国への不信感は、日に日に強くなっていった。


「いつか……」


 リアムは小さく呟いた。


「いつか、こんな世の中を変えてやる」


 それは、十歳の少年の、小さな誓いだった。無謀で、無力で、それでも本気の誓い。


 窓の外では、月が雲に隠れ、王都の夜は深い闇に包まれていた。


 帝国の影は、少しずつ、しかし確実に、世界を覆い始めていた。



                                   第四章 了


お読みいただきありがとうございます。

「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。


完結まで毎日18時に更新予定です!


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