第三十八章 刻印の探求者(シギル・シーカーズ)のその後
学院の図書館。
午後の陽光が、高い窓から差し込んでいた。埃が、光の筋の中で舞っている。
シオンは、エリカと向かい合って座っていた。テーブルには、彼女が読んでいた古い書物が積み上げられている。
「エリカ。君は、これからどうするの」
「私?」
エリカは、開いていた本をそっと閉じた。表紙には、古代文字が刻まれている。
「私は——学院に残るわ。研究を続けたいの」
「研究?」
「ええ」
エリカの瞳が、知的な輝きを帯びた。
「クロノス・アビサルのこと、神々のこと、時の秘術のこと……まだ、わからないことがたくさんあるの」
*
「フリードリヒ様から、特別な許可をいただいたわ」
エリカは、誇らしげに言った。
「禁書庫への自由なアクセス権。これで、いつでも研究ができる」
「すごいな、エリカ」
「将来は——歴史学者になりたいの」
エリカは、窓の外を見つめた。青空が広がり、白い雲がゆっくりと流れていく。
「帝国の真実の歴史を、後世に伝える。隠されてきた事実を明らかにして、二度と同じ過ちを繰り返さないように。それが、私の夢」
「いい夢だ」
「でしょ?」
エリカは、花が開くように微笑んだ。
「シオンくん。いつでも、私の研究を見に来てね。新しい発見があったら、真っ先に教えるから」
「ありがとう、エリカ」
*
学院の工房。
金属を打つ音と、歯車の軋む音が響いていた。油と鉄の匂いが、空気を満たしている。
ハンスは、作業台に向かって何かを組み立てていた。指先は真っ黒に汚れ、額には汗が光っている。
「ハンス」
「お、シオンか」
ハンスは顔を上げたが、すぐにまた作業に戻った。
「ちょっと待ってくれ、今いいところなんだ」
細いピンセットで、小さな部品を慎重にはめ込んでいく。舌を少し出して、集中している様子だ。
「よし、できた!」
ハンスが手にしていたのは、掌に収まるほどの小さな機械だった。銀色の筐体に、複雑な文様が刻まれている。
「これは何だ?」
「通信機。離れた場所にいても、話ができる装置だ」
「すごいな……」
「まだ試作品だけどな。これを完成させれば、刻印の探求者のみんなと、どこにいても連絡が取れる」
*
「ハンス。君は、これからどうするの」
「俺か?」
ハンスは、油で汚れた手を布で拭きながら答えた。
「俺は——発明家になる。本格的に」
「発明家?」
「ああ。フリードリヒ様が、共和国の技術開発を担当する部署を作るらしい。そこに入るんだ」
ハンスの目が、子供のように輝いた。
「共和国の技術を、もっと発展させたい。人々の生活を、もっと便利にしたい」
「いいな」
「だろ? 俺の発明が、みんなの役に立つ。最高じゃないか」
ハンスは、拳を握って力強くガッツポーズをした。
*
「でも——」
ハンスは、急に真剣な表情になった。工房の隅に置かれた、壊れた魔法武器の残骸に目をやる。
「戦いのための発明は、しない」
「え?」
「俺の技術が、人を殺すために使われるのは、嫌だ」
ハンスの声には、固い決意が込められていた。
「クロノスとの戦いで、俺は見た。魔法が、どれだけ人を傷つけるか。技術が、どれだけ悲しみを生むか」
「……」
「だから、俺の発明は——人を幸せにするためだけに使う。それが、俺の誓いだ」
シオンは、ハンスの肩を叩いた。
「ハンス。君なら、きっとできるよ」
「ありがとな、シオン」
*
学院の庭園。
白や赤、紫の花々が咲き乱れ、甘い香りが漂っていた。蜜蜂が、花から花へと忙しなく飛び回っている。
ルイーザは、花壇の前に静かに座っていた。淡い色の髪が、風に揺れている。
「ルイーザ」
シオンが声をかけると、ルイーザはゆっくりと振り向いた。いつもの、どこか遠くを見ているような瞳。
「……シオンくん……」
「何を見てたの」
「……花を……」
ルイーザは、白い花を見つめていた。小さな花弁が、風に揺れている。
「……この花は……死者の魂を慰めると言われているの……故郷では、墓前に供える花……」
「そうなんだ」
「……ソロン様のことを……思っていたの……」
*
「ルイーザ。君は、これからどうするの」
「……私は……」
ルイーザは、しばらく黙っていた。白い花を、そっと指先で撫でる。
「……故郷に帰ろうと、思っている……」
「故郷に?」
「……私の故郷には……霊媒師の一族がいるの……代々、死者の声を聞く力を受け継いできた……」
ルイーザは、自分の手を見つめた。細い指が、かすかに震えている。
「……私の力は……この戦いで、大きくなった……クロノスの声を聞いた時から、何かが変わったの……」
「……」
「……でも……制御が、難しくなった……時々、聞きたくない声まで聞こえてしまう……だから、一族の元で、修行をし直したいの……」
*
「修行が終わったら、どうするの」
「……共和国に戻ってくるつもり……」
ルイーザは、小さく微笑んだ。いつもの儚げな表情に、温かさが混じっている。
「……私の力で……苦しんでいる人を、助けたい……」
「苦しんでいる人?」
「……死者の声を聞ける人は、少ない……」
ルイーザは、空を見上げた。
「……でも……大切な人を亡くして……その声を聞きたいと願う人は、たくさんいる……最後の言葉を聞きたかった、もう一度話したかった……そう思って、苦しんでいる人が……」
「……」
「……私は……その橋渡しをしたい……生者と死者の、架け橋になりたい……」
シオンは、ルイーザの決意を感じた。儚げに見えて、芯の強い少女。
「ルイーザ。君の力は、きっと多くの人を救うよ」
「……ありがとう……シオンくん……」
*
その夜。
刻印の探求者の六人は、かつての秘密の部屋に集まっていた。
シオン、ティア、リアム、エリカ、ハンス、ルイーザ。
蝋燭の灯りが、六人の顔を照らしている。窓の外には、満天の星空。
「みんな、集まってくれてありがとう」
シオンが、静かに口を開いた。
「今日は——刻印の探求者の、最後の集会だ」
部屋が、静まり返った。蝋燭の炎が、かすかに揺れる。
*
「最後……って……」
ハンスが、戸惑った声で言った。
「解散するのか……?」
「いや、解散じゃない」
シオンは、首を振った。
「これからは——みんな、別々の道を歩む。エリカは歴史学者に、ハンスは発明家に、ルイーザは霊媒師に。だから、こうして全員が集まることは、難しくなる」
「……」
「でも——」
シオンは、みんなを見回した。六つの顔。六つの瞳。すべてが、大切な仲間。
「刻印の探求者としての絆は、なくならない。そうだろ?」
*
「当然よ」
ティアが、力強く言った。
「私たちは、一緒に戦った仲間じゃない。命を懸けて、世界を救った。そんな絆、簡単になくなるわけないでしょ」
「そうだ」
リアムが頷いた。
「俺たちは、一緒にクロノスと戦った。一緒に真実を探した。禁書庫に忍び込み、時の時計塔で絶望に立ち向かった。その経験は、消えない。消えるはずがない」
「私も、そう思うわ」
エリカが言った。その声には、確信が込められていた。
「刻印の探求者は、永遠よ。場所が離れても、時が経っても」
「俺が作った通信機があれば、いつでも連絡が取れる」
ハンスが言った。試作品の通信機を、誇らしげに掲げる。
「物理的に離れても、心は繋がってる」
「……私も……」
ルイーザが小さく言った。
「……みんなとの絆は……ずっと大切にする……どこにいても……」
*
シオンは、ポケットから何かを取り出した。
六つの、小さな結晶。虹色の光を放っている。
「これは——?」
「虹色の結晶だ」
シオンは言った。
「幼い頃、僕とティアとリアムが、秘境で見つけたもの。あの時、三人で分け合った。今日、同じ結晶を、六つに分けた」
シオンは、結晶をみんなに配った。
「これを、刻印の探求者の証にしよう。離れていても——この結晶を見れば、みんなのことを思い出せる」
*
六人は、それぞれ結晶を受け取った。
虹色の光が、手の中で輝いていた。蝋燭の灯りを受けて、七色の光が壁に反射する。
「きれい……」
エリカが、うっとりと言った。
「いいもんだな……」
ハンスが、結晶を目の高さに掲げた。
「……ありがとう……シオンくん……」
ルイーザが、結晶を胸に抱いた。
ティアは、結晶を握りしめた。
「これで——どこにいても、みんなと繋がってる」
リアムは、結晶を空にかざした。
「虹色か……いい色だ。希望の色だ」
*
「じゃあ——」
シオンは、結晶を掲げた。
「刻印の探求者の誓いを、もう一度」
六人は、結晶を掲げた。六つの虹色の光が、部屋の中央で交わる。
「真実を探し、闘を恐れず、仲間を信じる」
声が、重なった。
「刻印の探求者は——永遠に」
六つの結晶が、ひときわ強い虹色の光を放った。
その光は、部屋を明るく照らし、六人の顔を輝かせた。
*
集会の後。
六人は、学院の屋上に出た。
満天の星空が、広がっていた。天の川が、夜空を横切っている。
「きれいだな……」
シオンが呟いた。
「ああ……」
リアムが言った。
「戦いの前は、こんな星空を見る余裕もなかった。いつも、何かに追われていた」
「今は、平和だからね」
ティアが言った。夜風が、彼女の髪を揺らす。
「ゆっくり、星を見られる」
「平和か……」
エリカが言った。
「いい響きね」
「平和は、守らなければならないものだ」
ハンスが言った。
「……そうね……」
ルイーザが言った。
*
六人は、しばらく星空を見上げていた。
言葉はなくても、心は通じ合っていた。
そして——
「また、会おう」
シオンが言った。
「うん」
「ああ」
「ええ」
「おう」
「……うん……」
六人は、微笑み合った。
そして、それぞれの道へと歩き出した。
刻印の探求者としての絆を、胸に抱いて。
虹色の結晶を、大切に握りしめて。
第三十八章 了
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