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第三十六章 王国の崩壊

クロノスとの戦いから、三日が経った。


 帝国は、混乱の渦中にあった。


 国王が消えた。王位継承の儀式も、遺言もないまま。


 宰相ヴィクターも、行方不明となった。王と共に消えたのか、逃亡したのか、誰にもわからない。


 帝国を支えていた二人の柱が、同時に失われたのだ。



              *



 王宮の大広間。


 貴族たちが、集まっていた。金銀の装飾が施された広間に、数十人の男女がひしめいている。


 誰もが、不安そうな顔をしている。囁き声が、波のように広がっていく。


「国王陛下が……本当に……」


「消えたのだ。あの戦いの夜に」


「しかし、後継者は……」


 ざわめきが、広間を満たしていた。


 その時——


 扉が、開いた。


「フリードリヒ殿下!」


 金髪の少年が、入ってきた。


 その表情は、三日前とは違っていた。悲しみを乗り越え、決意を固めた者の顔。目には、静かな炎が燃えている。



              *



「皆の者」


 フリードリヒは、壇上に立った。


「父上は、亡くなった」


 広間が、静まり返った。咳払い一つ聞こえない。


「父上は——晩年、正気ではなかった。皆も知っての通りだ」


 貴族たちが、顔を見合わせた。


「父上は、クロノス・アビサルという存在に操られていた。そのため、帝国は誤った道を歩んできた」


 フリードリヒの声が、広間に響いた。若いが、揺るぎない声。


「しかし、今——その闇は払われた」



              *



「私は——」


 フリードリヒは、深く息を吸った。


「暫定的な統治者として、この国を導く」


 広間が、ざわめいた。


「暫定的……? 殿下、それは——」


「私は、王にはならない」


 フリードリヒの言葉に、貴族たちは驚愕した。どよめきが、嵐のように広がる。


「父上のような王政は、もう終わりにする。この国は——民の声を聞く国に生まれ変わるべきだ」


「殿下……!」


「一人の王が全てを決める時代は、終わった」



              *



「まず——」


 フリードリヒは、宣言した。


「近隣諸国への侵略行為を、即刻停止する」


 貴族たちが、どよめいた。


「人質として連れてこられた『留学生』たちは、全員解放する。望む者は、故郷に帰ることができる」


「殿下……!」


「そして——」


 フリードリヒの目が、鋭くなった。


「不当に投獄された者たちを、全員釈放する」



              *



 シオンは、王宮の廊下を歩いていた。


 心臓が、早く鳴っている。石の床を踏む足音が、やけに大きく響く。


 ——父様……母様……


 フリードリヒから、伝言を受けたのだ。


「お前の両親を、解放する準備が整った」


 シオンは、地下牢へと向かっていた。



              *



 地下牢。


 冷たい空気が、肌を刺した。黴と湿気の匂いが、鼻を突く。


 薄暗い通路を、シオンは進んでいった。松明の炎が、壁に揺らめく影を落としている。


 やがて、一つの牢の前に着いた。


「……シオン……?」


 声が聞こえた。掠れた、しかし聞き覚えのある声。


 シオンは、牢の中を見た。


 そこに——


「父様……! 母様……!」


 シオンの両親が、いた。



              *



「シオン……! 本当に、シオンなのか……!」


 父・ケイルが、牢の格子に駆け寄った。痩せ、髭が伸び、しかしその目には光が戻っていた。


「シオン……大きくなって……」


 母・ミラが、涙を流していた。


「父様、母様……!」


 シオンも、涙を流した。言葉にならない感情が、胸を満たしている。


「無事だったんですね……よかった……」


「シオンこそ……無事で……」


 ケイルの声が、震えていた。


「ソロン様が……お前を守ってくれたのだな……」


 シオンは、言葉に詰まった。


「父様……祖父様は……」



              *



 牢が、開けられた。


 シオンは、両親を抱きしめた。温かい体。懐かしい匂い。


「祖父様は……クロノスと一緒に……異世界に……」


「……そうか……」


 ケイルは、目を閉じた。


「父上は……最後まで、戦い抜いたのだな……」


「はい……祖父様は、僕を守って……世界を守って……」


 シオンの声が、途切れた。


 ミラが、シオンを抱きしめた。母の温かさが、体を包み込む。


「シオン……辛かったわね……」


「母様……」


「でも、お前は生きている。それが、ソロン様の願いだったはず」


 シオンは、母の胸で泣いた。



              *



 地上に戻ると、ティアが待っていた。


「シオン……」


「ティア……これが、僕の両親だ」


 ケイルとミラが、ティアに頭を下げた。


「息子がお世話になりました」


「いえ……私こそ、シオンには何度も助けられました」


 ティアは、少し照れたように言った。


「ティアさん……でしたね」ミラが言った。「シオンから、手紙で聞いていました」


「え……?」


「幼い頃、一緒に冒険をした女の子がいると。とても勇敢で、優しい子だと」


 ティアの顔が、赤くなった。


「そ、そんな……」


 シオンも、顔を赤くした。


「母様、余計なことを……」



              *



 王宮の庭。


 シオンの両親は、日光を浴びていた。草花が咲き乱れる庭園で、空を見上げている。


「……久しぶりの、太陽だ……」


 ケイルが、空を見上げた。


「何年も、暗い牢の中にいた。もう二度と、日の光を見ることはないと思っていた」


「ケイルさん……」ミラが、夫の手を握った。


「しかし、今——私たちは自由だ。シオンのおかげで」


 ケイルは、シオンを見つめた。


「シオン。お前は、立派に成長した」


「父様……」


「ソロン様の教えを、しっかりと受け継いでいる。お前を誇りに思う」


 シオンは、深く頭を下げた。


「ありがとうございます、父様……」



              *



 その日の夕方。


 王宮で、緊急の会議が行われた。


「フリードリヒ殿下」


 老貴族が発言した。白い髭を撫でながら、困惑した表情で。


「王にならないとは、どういうことですか。王家の血を引く殿下が——」


「だからこそ、だ」


 フリードリヒは、静かに答えた。


「父上は、王としての絶対的な権力を持っていた。だからクロノスに操られた時、誰も止めることができなかった」


「……」


「一人に権力が集中する体制は、危険だ。この国は——新しい形を見つけなければならない」



              *



 会議の後、フリードリヒはシオンの元に来た。


「シオン」


「フリードリヒ……」


「さっきの会議、聞いていたか」


「ああ……驚いた。君が王にならないなんて」


 フリードリヒは、窓の外を見た。沈む夕日が、空を赤く染めている。


「父上のようにはなりたくない。誰かに操られて、国を滅ぼすような王には」


「……」


「この国は——生まれ変わるべきだ。王が支配する帝国ではなく、民が主役の国に」


 フリードリヒは、シオンを見た。


「シオン。お前の力が必要だ」



              *



「僕の……?」


「お前には、時の秘術がある。そして、何より——人々の心を動かす力がある」


 フリードリヒは言った。


「一年後を目処に、この国を新しい形に作り変えたい。王政を廃し、議会による統治へ移行する」


「議会……」


「各地域の代表が集まり、話し合いで物事を決める。そんな国だ」


 フリードリヒの目が、輝いていた。


「シオン。お前と、お前の仲間たちと一緒に——新しい国を作りたい」


 シオンは、しばらく考えた。


 そして——


「わかった。僕にできることなら、何でもする」


 フリードリヒは、微笑んだ。


「ありがとう、シオン。一緒に、この国を変えよう」



              *



 夜。


 シオンは、両親と共に食事をしていた。


 ティア、リアムも同席していた。温かい食事、温かい空気。


「リアムくん」ミラが言った。「あなたも、留学生だったのね」


「はい。人質として、連れてこられました」


「大変だったでしょう……」


「でも、シオンに出会えた。ティアにも再会できた」


 リアムは、微笑んだ。


「だから、後悔はしていません」


「リアム……」シオンが言った。


「お前も、故郷に帰れるぞ。フリードリヒが、留学生を解放すると言っていた」


「ああ、知ってる」


 リアムは、窓の外を見た。


「でも、すぐには帰らない。まだ、ここでやることがある」


「やること?」


「新しい国作りを、見届けたいんだ。この目で」



              *



「ティア」ケイルが言った。「お前も、ミストリアに帰るのか」


 ティアは、シオンをちらりと見た。


「……もう少し、ここにいます」


「そうか」


「シオンが……まだ、ここにいるなら」


 ティアの顔が、少し赤くなった。


「私も、ここにいます」


 ケイルとミラが、顔を見合わせた。


 そして、微笑んだ。


「そうか。シオンをよろしく頼む」


「は、はい……」


 シオンは、何も言えずに俯いていた。



              *



 その夜。


 シオンは、窓から夜空を見上げていた。


「祖父様……」


 シオンは、懐中時計を握りしめた。


「この国は、大きく変わろうとしています。王制を廃し、新しい国になる」


 星が、瞬いていた。


「父様と母様も、無事に解放されました。みんな、元気です」


 シオンは、微笑んだ。


「祖父様が守ってくれたこの世界を、僕たちは大切にします」


 風が、窓から吹き込んできた。


 温かい風だった。


「だから——安心して、見守っていてください」


 シオンは、目を閉じた。


 古い帝国は終わりを告げ、新しい国が生まれようとしていた。



                                   第三十六章 了

お読みいただきありがとうございます。

「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。


完結まで毎日18時に更新予定です!


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