第三十一章 封印の崩壊
シオンたちが地上に戻った時、学院は騒然としていた。
夜空に、異様な光が渦巻いている。紫と黒が入り混じった不吉な光。地鳴りが響き、建物が揺れていた。学生たちが悲鳴を上げながら逃げ惑っている。
「何が起こっているんだ……!」
リアムが叫んだ。
「砂時計だ……」エリカが言った。顔が青白く、声が震えている。「崩壊が始まっている……」
その時、前方から声が聞こえた。
「シオン・アーデン!」
金髪の少年が、剣を構えて立っていた。
フリードリヒ王子。
その目には、狂気に近い光が宿っていた。髪は乱れ、服は汚れ、普段の高貴さは消え失せている。
*
「殿下……!」
「お前のせいだ!」フリードリヒが叫んだ。声が裏返り、悲痛な響きを帯びている。「お前が来てから、すべてがおかしくなった!」
「殿下、違う——」
「黙れ!」
フリードリヒが、魔法を放った。炎の球が、空気を焦がしながら飛んでくる。
シオンは、横に跳んで避けた。
「聞いてくれ、殿下! 今は争っている場合じゃない! クロノス・アビサルが——」
「そんなことは、どうでもいい!」
フリードリヒの声が、悲痛に響いた。涙が、その頬を伝っている。
「父上が……父上が、おかしくなっている! あれは父上じゃない! 別の何かが、父上の体を動かしている!」
シオンは、息を呑んだ。
「それは、クロノスだ……殿下の父上は、クロノスに操られている……」
「嘘だ! 嘘だ、嘘だ、嘘だ!」
フリードリヒが、連続で魔法を放ってきた。炎、風、雷——感情のままに、滅茶苦茶に。
シオンは、必死に避け続けた。
*
「シオン!」ティアが叫んだ。「私が——」
「来るな!」
シオンが叫んだ。
「これは、僕と殿下の問題だ! みんなは、下がっていてくれ!」
シオンは、フリードリヒと向き合った。
「殿下。聞いてくれ」
「何だ」
「あなたの父上は、王妃様を亡くした悲しみから、クロノスに心を乗っ取られた。それは事実だ」
「……」
「でも、それはあなたのせいじゃない。僕のせいでもない」
シオンは、真っ直ぐにフリードリヒを見つめた。同じ年頃の少年として、同じ痛みを知る者として。
「今、僕たちが戦うべき相手は、お互いじゃない。クロノスだ」
フリードリヒは、剣を握りしめたまま、震えていた。
「父上を……取り戻せるのか……?」
「わからない。でも、やってみる。僕には、時の秘術がある」
「……」
「だから、殿下。一緒に戦ってくれ」
フリードリヒは、しばらく黙っていた。
そして——
*
その時、大地が激しく揺れた。
「な……何だ……!」
時の時計塔の方向から、巨大な黒い柱が空に向かって伸びていった。闇の中で、それはひときわ暗い、純粋な暗黒だった。
「砂時計が……!」エリカが叫んだ。「完全に崩壊する……!」
「まずい……!」
シオンは、時計塔の方向へ走り出した。
「待て、シオン!」
フリードリヒが、シオンの後を追った。
*
時の時計塔。
シオンが再び辿り着いた時、砂時計は——
粉々に砕けようとしていた。
ひびが全面に広がり、中の砂が激しく渦巻いている。光と闇が交錯し、空間そのものが歪んでいる。
「間に合わない……!」
シオンは、陽光の刻印に全力を込めた。右手が灼熱のように熱くなり、光が溢れ出す。
——時間よ、止まれ——!
シオンの体から、莫大なエネルギーが放出された。
世界が、静止した。
砂時計も、崩壊の途中で止まった。亀裂の中で、砂が宙に浮いている。
「できた……!」
しかし——
「……無駄だ……」
声が響いた。
クロノスの声。時が止まった世界の中で、唯一動いている存在。
「……お前の力では、我を止めることはできない……」
砂時計が、再び動き始めた。
シオンの時の秘術を、突き破るかのように。
「そんな……!」
「……お前の力は、我の力の一部……」
クロノスの声が、嘲笑った。
「……同じ力同士、打ち消し合えるわけがない……」
*
シオンは、全力を振り絞った。
——止まれ……止まれ……!
しかし、砂時計の崩壊は止まらなかった。
むしろ——シオンが力を使えば使うほど、崩壊は加速していった。
「……そうだ……もっと力を使え……」
クロノスの声が、囁いた。
「……お前が力を使えば使うほど、我は解放に近づく……」
シオンは、愕然とした。
——僕の力が、クロノスを解放している……!
しかし、もう止められなかった。
シオンの体から放出されたエネルギーは、制御を失っていた。暴走する川のように、流れ続けている。
「シオン!」
ティアが叫んだ。
「やめて! もう、やめて!」
しかし、シオンは止められなかった。
力が、勝手に溢れ出していく。
そして——
*
砂時計が、砕けた。
ガラスの破片が、空中に舞い散った。時が止まったように、ゆっくりと。
中に封じられていた砂が——いや、力が——爆発的に解放された。
「うわああああ!」
シオンは、爆風に吹き飛ばされた。体が宙を舞い、石の壁に叩きつけられる。
学院全体が、激しく揺れた。
そして——
帝国中の魔力が、消えた。
*
静寂が、訪れた。
魔法で灯されていた灯りが、すべて消えた。帝国中の街が、闇に沈む。
時間がループしていた廊下が、正常に繋がった。
過去の残響が、消えた。
「何が……起こった……」
フリードリヒが、呆然と呟いた。
「魔力が……消えた……」
エリカが言った。声には、絶望が滲んでいる。
「砂時計が砕けて、帝国中に供給されていた魔力が、すべて失われた……」
シオンは、地面に倒れていた。
体中の力が、抜けていた。視界が霞み、意識が遠のきそうになる。
——僕が……砂時計を砕いた……
絶望が、胸を締め付けた。
その時——
*
黒い霧が、砕けた砂時計から溢れ出してきた。
霧は、渦を巻き、形を成していった。
巨大な人影。
漆黒の衣を纏い、燃えるような赤い目を持つ存在。人間の姿をしているが、人間ではない。神々しさと禍々しさが同居した、異形の存在。
「……ついに……」
その存在が、口を開いた。声は空気を震わせ、骨の髄まで響く。
「……我は、解放された……」
クロノス・アビサル。
時を司る神。
そして——人間を憎む者。
「……何千年もの封印から……ようやく、自由になった……」
クロノスは、腕を広げた。黒い衣が翻り、夜空を覆うほどに広がる。
「……感謝するぞ、大賢者の子孫……」
その目が、シオンを見下ろした。赤い瞳に、残酷な光が宿っている。
「……お前のおかげで、我は復活した……」
シオンは、絶望の中で、クロノスを見上げた。
——僕が……世界を滅ぼす存在を、解放してしまった……
すべてが、終わった。
そう思った——その時だった。
第三十一章 了
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