第三十章 ヴィクターの策略
通路を走っていたシオンたちは、突然足を止めた。
出口が、塞がれていた。
黒い衣を纏った男が、立ちはだかっている。長身の体躯、鷹のような鋭い目。松明の炎が、その顔を不気味に照らしている。
「ヴィクター……!」
シオンが叫んだ。
ヴィクターは、薄く笑った。唇の端だけが、わずかに上がっている。
「よくぞ、ここまで来た。シオン・アーデン」
「どうして、ここに……」
「決まっている。お前たちを、待っていたのだ」
ヴィクターの目が、冷たく光った。感情のない、ガラス玉のような瞳。
「時の時計塔に侵入したこと、とうに気づいていた。監視の魔法は、お前たちの動きを逐一報告していたのだからな」
シオンは、歯を食いしばった。
「最初から、泳がせていたのか……」
「その通り」
*
「ヴィクター」シオンは言った。「あなたは、何を企んでいる。クロノス・アビサルの復活を、望んでいるのか」
ヴィクターは、笑った。乾いた、感情のこもらない笑い。
「望んでいる? いや、違うな」
その笑みが、歪んだ。苦痛に耐えるような、引きつった表情。
「私は——命じられているのだ」
「命じられている……?」
「陛下に。いや——」
ヴィクターの目が、一瞬虚ろになった。まるで、別の何かが彼の中を覗いているように。
「——クロノス様に」
シオンたちは、息を呑んだ。
「クロノスに……? ヴィクター、お前は——」
「そうだ」ヴィクターが言った。「私もまた、操られている」
*
「王妃が亡くなった時——」
ヴィクターは、淡々と語り始めた。声には、抑えきれない苦悩が滲んでいる。
「陛下は、悲しみのあまり、狂気に陥った。そして、その狂気につけ込んだのが——クロノスだった」
「クロノスが、王を……」
「陛下の心の隙間に入り込み、その意識を支配した。そして、陛下を通じて——私も支配された」
ヴィクターは、自分の胸を押さえた。まるで、そこに何か異物があるかのように。
「私の中にも、クロノスの意識の一部が埋め込まれている。逆らおうとしても、体が言うことを聞かない」
「それなら、なぜ——」
「なぜ、今こうして話しているか?」ヴィクターは苦笑した。「クロノス様は、お前たちに知らせたいのだ。自分の計画がいかに完璧だったかを」
ヴィクターの目が、再び冷たくなった。
「そして、絶望させたいのだ。どう足掻いても、逃れられないことを」
*
「私は、本来——帝国を守りたかった」
ヴィクターは言った。声が、震えている。
「有能な宰相として、この国を繁栄させたかった。しかし——」
その声が、途切れた。
「クロノスに支配されてからは、すべてが逆転した。帝国を滅ぼすために、私は動かされている」
「ヴィクター……」
「哀れんでくれるな」ヴィクターの声が、鋭くなった。「今の私に、そんな資格はない」
ヴィクターの手が、光を帯びた。魔力が掌に集中し、空気が震える。
「さあ、戦いの時間だ。クロノス様は、お前たちをここで足止めしろと命じている」
「待て、ヴィクター——」
「待たない」
ヴィクターが、魔法を放った。
*
「散れ!」
シオンが叫んだ。
六人は、それぞれ違う方向に飛び退いた。
ヴィクターの魔法が、石の壁を砕いた。轟音が通路に響き、破片が飛び散る。
「すごい威力だ……!」ハンスが叫んだ。
「帝国最高の魔法使いは、伊達じゃないな……」リアムが言った。
ヴィクターは、連続で魔法を放ってきた。
「逃げられると思うな!」
炎、氷、雷——様々な属性の魔法が、シオンたちに襲いかかる。通路が次々と破壊され、逃げ場が狭まっていく。
「シオン!」ティアが叫んだ。「あんたの力で、何とかできない!?」
「やってみる……!」
シオンは、陽光の刻印に意識を集中させた。
——時間よ、緩やかなれ——
世界が、ゆっくりになった。
しかし——
「無駄だ」
ヴィクターは、普通の速度で動いていた。時の流れの中で、彼だけがシオンと同じ速さを保っている。
「な……!?」
「私にも、時の力の一部が与えられている。クロノス様から」
ヴィクターが、シオンに向かって手を伸ばした。
シオンは、慌てて後ろに跳んだ。
時の秘術が、解けた。
*
「くそ……!」
シオンは、壁に背中をつけた。冷たい石が、汗ばんだ体に触れる。
ヴィクターが、ゆっくりと近づいてくる。
「お前の時の秘術は、確かに強力だ。しかし、私にはクロノス様から与えられた力がある」
「……」
「お前が力を使えば使うほど、砂時計の砂は減る。そして、封印は崩壊に近づく」
ヴィクターが、笑った。
「どうする、シオン・アーデン。戦うか? それとも、諦めるか?」
シオンは、拳を握りしめた。
——ここで戦えば、砂時計の砂を消費する……
——でも、戦わなければ、ここで終わりだ……
「シオン!」
ティアが、シオンの前に立った。黒髪が揺れ、勝気な目がヴィクターを睨んでいる。
「私が時間を稼ぐ。あんたは、みんなを連れて逃げて」
「ティア……!」
「私は、魔法なしでも戦える。里の技があるから」
ティアは、構えを取った。ミストリアで鍛えられた、戦士の構え。
「行って、シオン。あんたが生き残らなければ、何も始まらない」
「でも——」
「早く!」
*
ティアが、ヴィクターに向かって飛びかかった。
「邪魔をするな、小娘!」
ヴィクターが魔法を放つ。炎の球が、空気を焦がしながら飛んでくる。
しかし、ティアは身を翻し、魔法をかわした。流れるような動き。無駄のない体捌き。
「さすが、ミストリアの戦士だな」
「褒め言葉として受け取っておくわ!」
ティアは、ヴィクターの懐に飛び込んだ。
拳が、ヴィクターの胸を打った。重い音が響く。
「ぐっ……!」
ヴィクターが、よろめいた。
「今だ、シオン! 行け!」
シオンは、一瞬躊躇した。ティアを置いていくことへの罪悪感が、胸を締め付ける。
しかし、リアムがシオンの腕を引いた。
「行こう、シオン。ティアを信じろ」
「……わかった」
シオンは、仲間たちと共に別の通路へと走った。
*
背後で、ティアとヴィクターの戦いが続いていた。
「お前一人で、私を止められると思うのか!」
「止められなくても、時間は稼げる!」
ティアは、次々と攻撃を繰り出していた。蹴り、拳、体当たり。魔法なしで、帝国最高の魔法使いと渡り合っている。
しかし、ヴィクターの魔法は強力だった。
徐々に、ティアが押されていく。息が上がり、動きが鈍くなっていく。
「もう終わりだ——」
ヴィクターが、最後の魔法を詠唱しようとした時——
「待て、ヴィクター」
声が響いた。ヴィクターの中から、別の声が。
ヴィクターの動きが、止まった。
「……クロノス様……」
「……その娘は、殺すな……」
ヴィクターの中の、クロノスの意識が命じていた。
「……彼女には、三日月の加護がある……後で、使えるかもしれない……」
ヴィクターは、手を下ろした。
「……命令だ。行け、小娘」
ティアは、ヴィクターを睨みつけた。
「何のつもり……」
「知らん。クロノス様の命令だ」
ヴィクターは、背を向けた。
「だが、覚えておけ。次は、容赦しない」
ティアは、しばらくヴィクターを見つめていた。
そして、シオンたちの後を追って、通路を走っていった。
——三日月の加護……?
その言葉が、ティアの心に引っかかっていた。
第三十章 了
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