第二十九章 時の時計塔への潜入
深夜。
刻印の探求者たちは、東棟の地下へと向かっていた。
月のない夜。闇が、学院を包んでいる。遠くで梟が鳴き、風が枯れ葉を揺らす音だけが響いていた。
「こっちだ」
ハンスの探知機が、魔力の流れを感知していた。小さな装置が青く点滅し、進むべき方向を示している。
「この壁の向こうに、隠し通路がある」
シオンが壁に手を当てると、陽光の刻印が反応した。光が掌から広がり、石壁に染み込んでいく。
壁が、ゆっくりと開いていった。重い石が擦れる音が、暗闇に響く。
「アーデンの血に反応する仕掛けか……」エリカが呟いた。
「行こう」
シオンを先頭に、六人は隠し通路へと足を踏み入れた。
*
通路は、長く、暗かった。
松明の光が、石壁を照らしている。古い彫刻と、読めない文字が壁一面に刻まれている。空気は冷たく、湿っていた。黴と土の匂いが、鼻を刺す。
「どんどん深くなっていくな……」リアムが言った。
「地下深くに、時計塔があるのだろう」エリカが答えた。
ルイーザが、急に足を止めた。
「どうした?」ティアが尋ねた。
「感じる……近づいている……あの存在に……」
ルイーザの顔が、青白くなっていた。銀色の髪が、微かに震えている。
「大丈夫か?」シオンが心配そうに言った。
「ええ……まだ、大丈夫……」
六人は、さらに奥へと進んでいった。足音が、通路に反響している。
*
やがて、通路は広い空間へと続いていた。
そこは、巨大なドーム状の部屋だった。
天井は高く、暗闇の中に消えている。壁には、古代語の文字が刻まれていた。光る苔が石壁に張り付き、幻想的な緑色の光を放っている。
そして、部屋の中央に——
「あれは……」
シオンは、息を呑んだ。
同時に、懐に入れていた虹色の結晶が、急に熱くなった。
——なんだ……?
シオンは、結晶を取り出した。透明な石が、微かに脈打つように明滅している。
——この石が、反応している……? 砂時計に……?
結晶の光が消えた後も、石はほんのりと温かいままだった。それに——気のせいだろうか——以前より、色が少しだけ濃くなっているような気がする。
——あとで、調べてみよう。
しかし、今はそれどころではなかった。
巨大な塔が、そびえ立っていた。
時の時計塔。
黒い石で作られた塔は、天井まで届くほどの高さがある。複雑な彫刻が施され、古代の魔法陣が幾重にも刻まれている。
塔の中央には、巨大な砂時計が浮かんでいた。透明なガラスの器が、何の支えもなく宙に浮いている。中の砂が、ゆっくりと落ちていく様子が見える。
しかし、その砂時計は——
「ひび割れている……」
エリカが呟いた。
砂時計には、無数のひびが入っていた。蜘蛛の巣のように広がる亀裂が、器全体を覆っている。そして、中の砂は——
「ほとんど、残っていない……」
シオンは、愕然とした。
砂時計の上部には、わずかな砂しか残っていなかった。そして、下部に溜まった砂も、ゆっくりと消えていっている。まるで、蒸発するように。
「回収が、追いついていないのか……」
ハンスが言った。
「学院での魔力消費が、回収を上回っている。だから、砂が減り続けているんだ」
シオンは、自分の手を見つめた。陽光の刻印が、微かに光っている。
——あの競技会で、僕が大きな力を使った……
——その分だけ、砂が減った……
「僕のせいだ……」
「シオン……」ティアがシオンの腕を掴んだ。温かい手が、冷えた体に熱を伝える。
「あんたのせいじゃない。帝国全体が、何百年も魔力を使い続けてきた結果よ」
「でも——」
「ティアの言う通りだ」リアムが言った。「シオン一人の責任じゃない」
シオンは、砂時計を見上げた。
ひび割れた器。消えゆく砂。
封印は、崩壊寸前だった。
*
「この状態だと、あとどれくらい持つ……?」
シオンが尋ねた。
エリカが、砂時計を観察しながら言った。灰色の瞳が、分析するように動いている。
「わからない。数日かもしれないし、数時間かもしれない」
「そんな……」
「ひびがこれ以上広がれば、砂時計は砕ける。その瞬間、封印は完全に崩壊するわ」
ルイーザが、突然膝をついた。
「ルイーザ!」
「大丈夫……でも、感じる……あの中に……」
ルイーザは、砂時計を指差した。震える指が、宙に浮かぶ器を示している。
「クロノス・アビサルが、目覚めようとしている……」
*
その時だった。
砂時計が、震えた。空気が振動し、部屋全体が揺れる。
そして——ひびが、広がった。
「まずい……!」
シオンが叫んだ。
砂時計から、黒い霧が漏れ出してきた。闇よりも暗い、純粋な暗黒の霧。
「何だ、あれは……!」
「クロノスの力だ……!」エリカが言った。「封印から、漏れ出している……!」
黒い霧が、部屋全体に広がっていった。冷たい風が吹き、松明の炎が揺れる。
そして、霧の中から——声が聞こえた。
「……来たか……」
低い、地の底から響くような声。部屋全体を震わせ、骨の髄まで届くような。
「……待っていた……大賢者の子孫よ……」
シオンは、身構えた。陽光の刻印に意識を集中させる。
「クロノス・アビサル……!」
「……そうだ……我は、クロノス……時を司る神……」
声が、嘲笑うように響いた。
「……そして、お前たち人間に、裏切られた者……」
*
「……この砂時計を見よ……」
クロノスの声が言った。
「……もうすぐ、砕ける……我の封印は、解かれる……」
「させない……!」シオンが叫んだ。
「……無駄だ……お前たちが、何をしても……」
黒い霧が、渦を巻いた。
「……いや、むしろ……お前たちこそが、我を解放する鍵だった……」
「何だと……?」
「……知らなかったのか? 学院で使われる魔力は、すべて砂時計から供給される……」
クロノスの声が、冷たく響いた。
「……お前たちが魔法を使うたびに、砂は減っていった……特に、お前が——」
声が、シオンを指した。黒い霧が、シオンの前で渦を巻いている。
「……時の秘術を使うたびに、封印は弱まっていった……」
シオンは、言葉を失った。
「……お前は、我を解放するために、力を使っていたのだ……」
「嘘だ……!」
「……嘘ではない……」
クロノスの声が、勝ち誇ったように言った。
「……王も、ヴィクターも……すべては、我の計画通り……」
「計画……?」
「……学院を作り、魔法を使わせ、砂を消耗させる……何百年もかけて、我は封印を弱めてきた……」
シオンたちは、愕然とした。
「……そして今……ついに、その時が来た……」
砂時計に、新たなひびが入った。ガラスが軋む音が、不吉に響く。
「……我の復活は、もう誰にも止められない……」
*
黒い霧が、さらに濃くなっていった。視界が遮られ、呼吸すら苦しくなる。
「逃げよう……!」リアムが叫んだ。
「ここにいたら、危険だ……!」
シオンは、砂時計を見つめた。
——このまま、逃げていいのか……?
「シオン、行くわよ!」
ティアがシオンの手を引いた。
「今は、逃げるしかない! ここで死んだら、何もできない!」
シオンは、苦渋の決断をした。
「……わかった」
六人は、来た道を戻り始めた。
背後から、クロノスの声が響いていた。
「……逃げても、無駄だ……我は、必ず復活する……」
「……そして、この世界を……無に帰す……」
シオンたちは、振り返らずに走った。
時の時計塔を後にして。
しかし、シオンの心には、重い現実が刻まれていた。
——僕たちが、クロノスを解放しようとしていた……
——知らないうちに、敵の手助けをしていた……
絶望が、胸を締め付けていた。
第二十九章 了
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