第二十七章 寮対抗の魔導競技
寮対抗の魔導競技会。
年に一度、学院の四つの寮が魔法の腕前を競い合う大会。表面上は親睦を深めるための行事だが、実際は寮の威信をかけた激しい戦いだった。各寮の代表は、この日のために何ヶ月も訓練を重ねてきている。
競技場には、大勢の観客が集まっていた。石造りの観覧席が円形に配置され、中央の闘技場を取り囲んでいる。学生だけでなく、教職員、そして——王城からの来賓も。華やかな衣装と緊張した空気が、競技場を満たしていた。
シオンは、競技場の端で準備をしていた。手袋を外し、掌を握ったり開いたりしている。
「シオン、緊張してる?」
リアムが声をかけた。いつもの軽い口調だが、目には心配の色が浮かんでいる。
「少しだけ」
「大丈夫だよ。普段通りやればいい」
シオンは頷いた。
しかし、心のどこかで嫌な予感がしていた。何か、大きなことが起こりそうな——
*
「本日の決勝戦!」
司会者が、高らかに宣言した。声が競技場に反響し、観客たちのざわめきが収まっていく。
「北寮代表、シオン・アーデン! 対する相手は——東寮代表、フリードリヒ殿下!」
観客席がざわめいた。驚きと期待が入り混じった声が、あちこちから上がる。
シオンは、目を見開いた。
——フリードリヒ王子……
競技場の反対側から、金髪の少年が歩いてきた。東寮の紋章が入ったマントを翻し、堂々とした足取りで。
フリードリヒは、シオンを見て笑った。挑戦的な、しかしどこか楽しそうな笑み。
「また会ったな、アーデン」
「……殿下」
「前回の模擬戦では、不覚を取った。今日こそ、お前を叩きのめす」
フリードリヒの目には、闘志が燃えていた。
しかし、その奥には——別の感情も見えた。純粋な競争心。敵意ではなく、好敵手への尊敬のような何か。
*
「ルールを説明する!」
審判が言った。白い髭の老人が、厳格な表情で二人を見つめている。
「攻撃魔法、防御魔法、何でも使って構わない。ただし、殺傷力のある魔法は禁止。相手を場外に出すか、戦闘不能にした方が勝ちだ」
シオンとフリードリヒは、競技場の中央で向かい合った。数メートルの距離。互いの呼吸が聞こえそうなほど、静まり返っている。
「始め!」
審判の声と同時に、フリードリヒが動いた。
「炎よ、我が敵を焼き尽くせ!」
巨大な炎の壁が、シオンに向かって押し寄せてきた。オレンジと赤の光が視界を埋め尽くし、熱気が肌を焼く。
シオンは、横に跳んで避けた。地面を転がり、すぐに体勢を立て直す。
——前回より、威力が上がっている!
「逃げるだけか、アーデン!」
フリードリヒが叫んだ。金髪が炎の光を受けて輝いている。
「お前の力を見せてみろ!」
シオンは、陽光の刻印に意識を集中させた。右手が熱を帯び、光を放ち始める。
——時間よ、緩やかなれ——
世界がゆっくりになった。
シオンは、フリードリヒの攻撃を避けながら、接近していった。炎が緩やかに流れ、隙間を縫って進む。
*
しかし、フリードリヒは予想以上に強かった。
シオンが接近しても、すぐに距離を取り、連続で魔法を放ってくる。炎の球、炎の槍、炎の鞭——変幻自在の攻撃が、シオンを追い詰めていく。
「遅い! 遅いぞ、アーデン!」
フリードリヒの攻撃が、激しさを増していった。
シオンは、何度も時の秘術を使わなければならなかった。時を遅くし、攻撃を避け、反撃の隙を窺う。しかし、その繰り返しが体を蝕んでいく。
——体が、重い……
時の秘術を使うたびに、体力が消耗していく。足が重くなり、呼吸が乱れる。
「どうした! もう終わりか!」
フリードリヒが、最大の魔法を詠唱し始めた。両手を掲げ、魔力が渦を巻く。空気が震え、熱気が膨れ上がる。
「炎の竜よ、我が敵を滅ぼせ——!」
炎が形を成し、巨大な竜となってシオンに襲いかかってきた。牙を剥き、咆哮を上げながら。
——避けられない……!
シオンは、本能的に力を解放した。
*
その瞬間、世界が止まった。
文字通り、止まった。
炎の竜が、空中で静止している。炎の粒子が、一つ一つ見えるほどに。観客たちも、動きを止めている。驚きの表情を浮かべたまま。風も、音も、すべてが——
「な……なんだ、これは……」
シオンは、自分の周りを見回した。
自分だけが、動けていた。色を失った世界の中で、シオンだけが生きている。
——僕が……時を、止めた……?
陽光の刻印が、激しく輝いている。シオンの体から、莫大なエネルギーが放出されていた。光が脈打ち、波紋のように広がっていく。
——これは、まずい……!
シオンは、慌てて力を制御しようとした。意識を集中させ、暴走するエネルギーを抑え込もうとする。
しかし、一度解放された力は、簡単には収まらなかった。
数秒——いや、数十秒が経過した。シオンの主観では、それは永遠にも感じられた。
ようやく、力が収束していった。光が薄れ、紋章の輝きが落ち着いていく。
世界が、動き出した。
*
炎の竜が、消えた。まるで幻だったかのように、跡形もなく。
フリードリヒが、呆然と立ち尽くしていた。口が開き、言葉を失っている。
「な……何が起こった……?」
観客席からも、ざわめきが起こった。
「今、何が……」
「時間が、止まったような……」
「あの光は、何だったんだ……」
シオンは、膝をついた。
体中の力が抜けていた。時を止めるという行為が、どれほどの消耗を伴うか、身をもって知った。全身が震え、視界が霞んでいる。
「シオン!」
ティアが、観客席から駆け下りてきた。規則も何も気にせず、真っ直ぐに。
「大丈夫!?」
「ああ……なんとか……」
シオンは、立ち上がろうとした。しかし、足に力が入らない。ティアの腕に支えられ、辛うじて体を保っている。
「勝者——」
審判が、困惑しながら言った。何が起こったのか、理解できていない様子で。
「勝者、シオン・アーデン……」
フリードリヒの攻撃は消え、シオンはまだ場内にいた。ルール上、シオンの勝ちだった。
しかし、誰も勝利を祝う雰囲気ではなかった。
競技場には、不気味な静寂が広がっていた。
*
「あれは……時の秘術……」
観客の一人が呟いた。声が、静寂の中で大きく響く。
「時間を止める力……」
「恐ろしい……」
「あんな力を持つ者が、この学院にいるのか……」
シオンは、周囲の視線を感じた。
恐怖。畏怖。そして——嫌悪。
人々は、シオンを怪物のように見ていた。理解できないものに対する本能的な恐れが、その目に宿っている。
「シオン、行こう」
ティアが、シオンの腕を取った。声は低いが、強い決意が込められている。
「ここにいちゃダメだ」
リアムたちも駆けつけてきた。
「シオン、大丈夫か?」
「ああ……でも……」
シオンは、観客席を見上げた。
王城からの来賓席に、一人の男が座っていた。
ヴィクター。
彼は、薄く笑っていた。まるで、何かを確認したかのように。計画通りに事が進んでいることを喜ぶような、不気味な笑み。
シオンは、背筋が凍るのを感じた。
*
競技会の後、シオンたちは秘密の部屋に集まった。
「シオン、あれは何だったの?」
エリカが尋ねた。灰色の瞳が、真剣にシオンを見つめている。
「時を……止めた……?」
「わからない」シオンは首を振った。「本能的に力を使ったら、あんなことになったんだ」
「時の秘術の中でも、最上位の力だぜ」ハンスが言った。「時を止めるなんて、普通の人間にできることじゃない」
「でも、その代償も大きいはずよ」ルイーザが言った。「シオン、体は大丈夫?」
「まだ少し、力が入らない」
シオンは、自分の手を見つめた。震えている。
「あの時、莫大なエネルギーを消費した気がする」
リアムが、顔を曇らせた。
「それって……」
「ああ。砂時計の砂を、大量に消費したかもしれない」
*
シオンは、窓の外を見つめた。月が雲の間から顔を覗かせている。
「僕は、取り返しのつかないことをしたかもしれない」
「シオン……」
「あれだけの魔力を使った。砂時計の砂が、どれだけ減ったか……」
ティアが、シオンの肩に手を置いた。温かさが、服越しに伝わってくる。
「あんたのせいじゃない。追い詰められて、仕方なく使ったんでしょ」
「でも——」
「後悔しても、どうにもならないぜ」リアムが言った。「今できることを考えよう」
シオンは、頷いた。
「……そうだな。まず、砂時計の状態を確認しなければ」
「時の時計塔への潜入を、急ぐ必要があるな」ハンスが言った。
「ああ。明日の夜、決行しよう」
刻印の探求者たちは、頷いた。
シオンの力の暴走。それが何を意味するのか、彼らはまだ知らなかった。
しかし、クロノス・グラスは確実に、その砂を減らしていた。
封印の崩壊は、着実に近づいていた。
第二十七章 了
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