第二十六章 肖像画の証言
その日、シオンは学院の東棟にある古い回廊を歩いていた。
ここには、学院の歴史に名を残した偉人たちの肖像画が飾られている。王族、貴族、そして——賢者たち。壁一面に並ぶ肖像画は、数百年の歴史を物語っていた。
シオンは、肖像画を一枚一枚見ていった。どの顔も厳かで、遠い過去から現代を見つめているような表情をしている。
そして、足を止めた。
一枚の肖像画の前で。
「これは……」
そこに描かれていたのは、一人の老人だった。
白い髭、鋭い目つき。どこか、祖父のソロンに似ている。いや、似ているというよりも——同じ血が流れていることが、一目でわかった。
肖像画の下には、金属のプレートがあった。文字が刻まれ、月明かりを受けて微かに光っている。
「『大賢者アルバート・アーデン。時の秘術の創始者にして、帝国の礎を築きし者』」
シオンは、息を呑んだ。
——アーデン。僕の先祖……
*
その時だった。
肖像画の目が、動いた。
「……お前か」
声が聞こえた。低く、どこか温かみのある声。
シオンは、驚いて後ずさった。心臓が激しく鳴っている。
「誰だ……!」
「恐れるな。私はお前の先祖、アルバート・アーデン」
肖像画の口が動き、言葉を発していた。まるで生きているかのように。
「この肖像画には、私の意識の一部が宿っている。アーデンの血を引く者にのみ、語りかけることができるのだ」
シオンは、目を見開いた。
「先祖……本当に……?」
「信じられぬか? ならば、証を見せよう」
肖像画の目が光り、シオンの掌に温かい感覚が走った。
陽光の刻印が、淡く輝いた。光が脈打つように明滅している。
「その紋章……私が創り出し、子孫に継承させたものだ」
シオンは、掌を見つめた。紋章が、応えるように輝きを増している。
「あなたが……この紋章を……」
「そうだ。そして、お前に伝えなければならないことがある」
*
「聞け、我が子孫よ」
アルバートの声が、厳かに響いた。回廊に反響し、まるで何人もの声が重なっているようだった。
「私は太古の昔、人間と神々と共に、クロノス・アビサルを封印した。その方法を、お前に教えよう」
シオンは、姿勢を正した。
「教えてください」
「私は、二つの紋章を持っていた。右手に陽光の刻印、左手に月影の刻印。この二つは、時の力の表裏」
「表裏……?」
「太陽は時の加速。三日月は時の減速。相反する力だが、両方を一人で持つことで、完全な時の支配が可能となる」
シオンは、頷いた。
「しかし、私は年老いた。二つの紋章を維持する力が衰えていったのだ」
「だから、紋章を分けた……?」
「そうだ。陽光の刻印を長男の系譜に、月影の刻印を次男の系譜に。二つの血筋が協力することで、時の秘術を継承できるようにした」
シオンは、理解した。
——だから、僕は陽光の刻印を持ち、祖父は月影の刻印を持っている。
——僕たちは、同じ先祖から分かれた血筋なんだ。
*
「封印の方法を教えよう」
アルバートが言った。
「太陽と三日月——二つの紋章が重なる時、特別な現象が起こる」
「特別な現象……?」
「『黄昏の蝕』と呼ばれるものだ」
シオンは、息を呑んだ。
「概念の……日食……」
「空に浮かぶ太陽と月が重なる日食とは違う。これは、時間という概念そのものに対する日食だ」
アルバートの声が、重くなった。肖像画の目が、深い憂いを帯びている。
「陽光の刻印と月影の刻印が同時に発動し、その力が重なった時——時の力は暴走する。制御不能な、莫大なエネルギーが解放される」
「暴走……」
「その暴走エネルギーを、私はクロノス・グラスに閉じ込めた。それが、クロノスを封印する鍵だった」
シオンは、理解し始めていた。
「つまり、黄昏の蝕で生まれたエネルギーを、砂時計に封じ込めることで——」
「クロノスの力を抑え込んだ。そうだ。砂時計は、暴走エネルギーの器なのだ」
*
「しかし——」
アルバートの声が、暗くなった。
「砂時計には、限界がある」
「限界……」
「砂時計の砂は、クロノスの力を変換し続けている。しかし、その過程で、砂自体も消耗していく」
シオンは、頷いた。禁書庫で読んだ内容と一致していた。
「もし、砂が尽きれば——封印は崩壊する。クロノスは解放され、世界は滅びの危機に瀕するだろう」
「そうならないためには、どうすれば……」
「二つの方法がある」
アルバートが言った。
「一つは、砂時計を修復し、砂を補充すること。しかし、それには莫大な時の力が必要だ」
「もう一つは……?」
「再び黄昏の蝕を起こし、新たな封印を施すこと。しかし——」
アルバートの声が、沈んだ。
「それには、大きな犠牲が伴う」
「犠牲……?」
「黄昏の蝕を起こした者は、その暴走エネルギーに巻き込まれる。命を落とすか、あるいは——時の狭間に消えるか」
シオンは、顔を強張らせた。
「私もまた、封印を施した後、長くは生きられなかった。時の力の代償は、それほど重いのだ」
*
「我が子孫よ」
アルバートが言った。
「お前は、重い運命を背負っている。私の血を引く者として、時の秘術を継承する者として」
「……」
「しかし、恐れるな。お前は一人ではない」
肖像画の目が、優しくなった。厳格な表情が和らぎ、そこには温かな慈愛が宿っていた。
「お前には、仲間がいる。そして、月影の刻印を持つ者もいる。二人が力を合わせれば、どんな困難も乗り越えられる」
「祖父……」
「そうだ。ソロンは、私の血を引く者の中でも、特に優れた継承者だ。彼と共に戦えば、必ず道は開ける」
シオンは、頷いた。
「わかりました」
「よくぞ聞いた。我が子孫よ、汝の行く道に、時の加護あらんことを」
肖像画の光が、消えていった。
アルバートの意識が、眠りについた。
*
シオンは、しばらく肖像画の前に立ち尽くしていた。
——黄昏の蝕。封印の方法。そして、犠牲。
多くの情報を得た。しかし同時に、重い現実も突きつけられた。
封印を施すには、命を懸けなければならない。
——それでも、僕は——
「シオン」
声が聞こえた。
振り返ると、ティアが立っていた。黒髪が夕日を受けて輝いている。
「こんなところで、何してるの?」
「……先祖の肖像画を、見ていた」
「先祖?」
ティアは、アルバートの肖像画を見上げた。
「この人が、シオンのご先祖様なの?」
「ああ。大賢者アルバート・アーデン。時の秘術の創始者だ」
「へえ……」ティアは、肖像画をじっと見つめた。「なんか、あんたのおじいさんに似てるね」
「そうだな」
シオンは、微笑んだ。
「ティア」
「何?」
「僕は、この運命から逃げない。何があっても、最後まで戦う」
ティアは、シオンを見つめた。黒い瞳が、夕日を映して琥珀色に光っている。
「……当然でしょ」
ティアは、シオンの隣に立った。肩が触れ合う距離。
「私も一緒に戦う。あんたを一人にはしないわ」
シオンは、頷いた。
「ありがとう、ティア」
「礼はいらない。さ、みんなのところに戻ろう。報告することが、たくさんあるんでしょ?」
「ああ」
二人は、回廊を歩き出した。夕日が長い影を落とし、二人の姿を包み込んでいる。
肖像画の中のアルバートが、静かに二人を見送っていた。
第二十六章 了
お読みいただきありがとうございます。
「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。
完結まで毎日18時に更新予定です!
ブックマーク・評価・感想をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




