第二十四章 神々の背信
禁書庫への侵入は、三度目の挑戦で成功した。
深夜、警備が最も薄くなる時刻。月は雲に隠れ、闇が学院を包み込んでいた。
シオンとエリカが先行し、ティアが後方を警戒する。ハンスの探知機が、魔法の罠を避ける道を示していた。赤い光が点滅するたび、三人は足を止め、別の道を探した。
禁書庫の扉は、古い魔法で封印されていた。しかし、シオンの時の秘術で、封印を一時的に緩めることができた。時の流れを操り、封印の力が弱まる瞬間を捉える。
「開いた……」
扉が、軋みながら開いた。埃が舞い、黴びた空気が顔を撫でる。
中は、想像以上に広かった。
天井まで届く本棚が、迷宮のように並んでいる。蝋燭の灯りが届かないほど、奥深く続いている。古い羊皮紙の匂いが、鼻を突いた。
「すごい……」
エリカが、息を呑んだ。銀縁の眼鏡の奥で、灰色の瞳が輝いている。
「これだけの蔵書……何百年分もの知識が、ここに」
「探そう」シオンが言った。「クロノス・アビサルに関する文書を」
*
三人は、禁書庫の奥へと進んだ。
エリカが、本棚の文字を読んでいく。指が背表紙を撫で、古代語の刻印を確認していく。
「ここは、帝国の歴史に関する区画……ここは、魔法理論……そして——」
エリカが、足を止めた。
「ここだわ」
本棚には、古代語で「禁忌の記録」と刻まれていた。文字が微かに光を帯びている。警告のように、あるいは誘いのように。
エリカが、一冊の本を取り出した。黒い表紙、金の装丁。時代を経て色褪せているが、威厳は失われていない。
「『時の神クロノスに関する記録』……これだわ」
シオンは、その本を見つめた。
表紙は黒く、触れると冷たい感触があった。まるで、闇そのものを握っているような。体の奥底で、陽光の刻印が反応している。
「読んでくれ」
エリカは頷き、本を開いた。
*
「『太古の昔、世界には多くの神々が存在していた』」
エリカが、古代語を翻訳しながら読み上げた。声は低く、どこか厳かだった。
「『その中で、時を司る神クロノスは、最も重要な役割を担っていた。クロノスは、世界の時間の流れを管理し、すべての生命に寿命を与え、季節を巡らせていた』」
「時を司る神……」シオンは呟いた。
「『クロノスは、善良で慈悲深い神であった。人間を愛し、彼らの繁栄を願っていた。人間もまた、クロノスを敬い、感謝の祈りを捧げていた』」
シオンは、驚いた。
「善良な神……? でも、今のクロノス・アビサルは——」
「続きがあるの」エリカが言った。ページをめくる指が、わずかに震えている。
「『しかし、人間は次第に欲深くなっていった。永遠の命を求め、時の力を自分たちのものにしようと考えるようになった』」
*
「『人間たちは、他の神々に訴えた。クロノスの力を分け与えてほしい、と。しかしクロノスは、時の力は神のみが扱えるものであり、人間に与えることはできないと拒んだ』」
「当然でしょ」ティアが言った。「そんな力、人間に扱えるわけがない」
「『人間たちは、諦めなかった。彼らは、他の神々を説得し始めた。クロノスは傲慢だ、自分だけが力を独占している、と』」
エリカの声が、重くなった。蝋燭の炎が揺れ、影が壁で踊っている。
「『他の神々は、人間の言葉に耳を傾けた。そして——クロノスを裏切ることを決めた』」
「裏切り……」シオンは呟いた。
「『神々は、人間と手を組み、クロノスを罠にかけた。一人の大賢者が、古代の秘術を用いて、クロノスの力を奪う魔道具を作り上げた。それが——クロノス・グラス(クロノス・グラス)である』」
シオンは、息を呑んだ。
——クロノス・グラス。あの図に描かれていたもの。
「『神々と人間は、クロノスを騙し、クロノス・グラスに力を封じ込めた。クロノスは、自らの力を奪われ、封印された』」
*
エリカは、ページをめくった。紙が擦れる音が、静寂の中で大きく響いた。
「『封印されたクロノスは、絶望と怒りに囚われた。かつて愛した人間に裏切られ、信頼していた神々に見捨てられた。その心は、深い闇に沈んでいった』」
「だから……」シオンは呟いた。「クロノスは、人間を憎むようになったのか」
「『クロノスは、封印の中で誓った。いつか必ず復活し、人間と神々に復讐する、と。善良だった時の神は、憎悪と怨念の存在——クロノス・アビサルへと変貌した』」
アビサル。深淵を意味する言葉。
善良な神が、深淵の存在へと堕ちた。裏切りと絶望によって、光は闇に変わった。
「ひどい話だ……」ティアが言った。声には、怒りが滲んでいた。「裏切ったのは、人間と他の神々じゃないか」
「でも、それが真実なら——クロノス・アビサルは、被害者でもある」シオンは言った。
「被害者だろうと、今は人間を滅ぼそうとしている」エリカが言った。「それは、事実よ」
*
「続きがあるわ」エリカが言った。
「『クロノス・グラスは、大賢者の一族に託された。彼らは代々、砂時計を守り、クロノスの復活を防ぐ役目を担った。そして、砂時計から溢れる時の力は、帝国の魔法の源となった』」
シオンは、目を見開いた。
「帝国の魔法の源……」
「『帝国は、砂時計の力で繁栄した。しかし、その繁栄の裏には、封印された神の苦しみがあることを、人々は忘れていった』」
エリカは、本を閉じた。重い音が、禁書庫に響いた。
「ここまでが、クロノス・アビサルに関する記録よ」
シオンは、しばらく黙っていた。心の中で、様々な感情が渦巻いている。
そして、呟いた。
「大賢者の一族……それは、僕の先祖のことかもしれない」
「アーデン家が?」ティアが言った。
「ああ。祖父から聞いたことがある。僕たちの一族は、古代から時の秘術を継承してきた、と」
「つまり——」エリカが言った。「あなたの先祖が、クロノスを封印した大賢者かもしれないのね」
シオンは、頷いた。
「だとしたら、僕は——クロノスの力を奪った者の子孫だ」
*
禁書庫を出た後、シオンたちは秘密の部屋に戻った。
他のメンバーに、発見した内容を報告する。蝋燭の灯りの中、六人が円陣を組んでいた。
「クロノス・アビサルが、元は善良な神だったなんて……」
ルイーザが言った。目に、哀しみが浮かんでいる。
「裏切られたから、闇に堕ちたのね……」
「だからって、人間を滅ぼそうとするのは許されないだろ」リアムが言った。
「そうだ」シオンは頷いた。「クロノスの過去は悲劇だけど、今の彼を止めなければ、多くの人が犠牲になる」
「問題は、どうやって止めるか、だぜ」ハンスが言った。
「それに、もう一つ気になることがあるの」エリカが言った。
「何だ?」
「なぜ、他の神々は人間の味方をしたのか」
シオンは、眉をひそめた。
「どういう意味だ?」
「神々がクロノスを裏切った理由が、書かれていなかったわ。人間に説得されただけで、同胞を裏切るかしら?」
「確かに……」
「何か、別の理由があるのかもしれない。神々がクロノスを封印しなければならなかった、本当の理由が」
シオンは、考え込んだ。
——神々の背信。その真実は、まだ明らかになっていない。
「調査を続けよう」シオンが言った。「この謎を解かなければ、クロノスを止める方法も見つからないかもしれない」
「ああ」全員が頷いた。
刻印の探求者の冒険は、新たな段階に入った。
クロノス・アビサルの過去。神々の背信。そして、クロノス・グラス。
すべてが繋がっている。
シオンは、そう確信していた。
第二十四章 了




