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第二十一章 学院の闇


 ルミナリア王立魔法学院。


 シオンがこの学院に来て、数日が経った。


 学院は、シオンの想像以上に奇妙な場所だった。壮麗な外観とは裏腹に、この場所には何か——言葉にしがたい違和感が漂っていた。



              *



 まず、建物自体がおかしい。


 道が、繋がらないのだ。空間的にではなく、時間的に。


 最初に気づいたのは、三日目の朝だった。シオンは講義棟の二階へ向かおうとした。階段を上り、踊り場を曲がって、さらに上る。しかし——気づくと、また一階のロビーに立っていた。階段を落ちたわけでも、引き返したわけでもない。ただ、「上りきった」と思った瞬間に、時間が巻き戻ったかのように元の場所にいたのだ。


「あれ……?」


 シオンは首を傾げた。狐につままれたような気分だ。もう一度、階段を上る。石の感触、足音。確かに上っている。しかし、二階の廊下に足を踏み入れようとした瞬間——景色がブレて、また一階に立っている。


「シオン、こっちだ」


 リアムが別の方向——螺旋階段の脇にある、目立たない通路から手を振った。


「そっちの階段は『今は』通れないぞ」


「通れない……? 故障中なのか?」


「いや、時間がズレてるんだ」


「時間が?」


「この学院の廊下は、時々過去や未来に繋がっちまう。あるいは、同じ時間を繰り返す無限ループにハマる」リアムが説明した。「慣れないと、永遠に目的地に辿り着けないぜ。俺も最初の一週間は、同じ廊下を三時間も彷徨って、授業に遅刻した」


 シオンは、不思議な階段を見つめた。何も変わった様子はない。しかし、そこには目に見えない「時の壁」が存在していた。


 ——これが、魔法学院。時間が歪んでいる場所。


 階段だけではない。廊下の空気も、おかしかった。


 歩いていると、不意に視界の端に誰かが映る。制服を着た生徒たち。しかし、振り返ると誰もいない。


 ——気のせいか。


 そう思って歩き出すと、今度は話し声が聞こえてくる。


『……明日の試験、どうする?』


『やばいよ、全然勉強してない……』


 すぐ隣で話しているような鮮明な声。しかし、周囲にはシオンしかいない。声は、壁や床から染み出してくるようだ。


「うわっ!」


 角を曲がろうとして、誰かとぶつかりそうになった。慌てて立ち止まるが——その相手は、シオンの体をすり抜けていった。半透明の、古い制服を着た男子生徒。彼はシオンに気づく様子もなく、壁の中へと消えていった。


「……見たか?」


 リアムがニヤリと笑った。


「今の……幽霊?」


「『時の残響エコーズ』さ」リアムは平然と言った。「過去の生徒たちの姿や声が、染み付いてるんだ。強い想いや、ありふれた日常の記憶が、時間を超えて再生されてる」


「再生……」


「害はないぜ。ただの映像みたいなもんだ。でも、時々……」


 リアムは声を潜めた。


「こっちを『見てくる』奴もいる。目が合ったら、気をつけろよ。あっちの世界——過去の時間に引きずり込まれることがあるらしい」


 シオンは背筋が寒くなった。


 古い埃の香りが漂う廊下で、無数の「過去」が今も息づいている。


 ——この学院には、現在だけでなく、過去が無造作に積み重なっている。


 時間の地層のような場所だ。そしてその地層の奥に、何かが隠されている。


 普通ではない。絶対に。



              *



 その日の昼、シオンはリアムと共に食堂へ向かった。


 学院の食堂は、大きなホールだった。高い天井には魔法の明かりが灯り、壁には四季の風景を描いたタペストリーが掛かっている。長いテーブルが何列も並び、学生たちが思い思いの場所で食事をしていた。


 しかし、ここにも「壁」があった。


 帝国貴族の子弟たちは、ホールの中央近くの席を占めていた。談笑し、笑い声を上げている。一方、腕輪をつけた留学生たちは、ホールの端——窓から最も遠い、薄暗い場所に固まっていた。誰も彼らに話しかけず、彼らも声を潜めて食事をしている。


「いつもこうなのか?」シオンが小声で尋ねた。


「ああ。暗黙のルールさ」リアムは肩をすくめた。「留学生が中央に座ろうものなら、『立場をわきまえろ』って追い出される」


 シオンは眉をひそめた。


「僕は、端には座らない」


「おい、シオン——」


 リアムの制止を無視して、シオンは中央寄りの席に向かった。空いている席を見つけ、堂々と座る。リアムは一瞬躊躇したが、やがて溜息をついて隣に座った。


 周囲の視線が、二人に集まった。ざわめきが広がる。


「見ろよ、アーデン家の奴……」


「留学生と一緒に座ってる……」


「頭がおかしいんじゃないか……」


 シオンは、それらの視線を無視して、運ばれてきた料理を見つめた。肉のシチューと、焼きたてのパン。香ばしい匂いが食欲をそそる。


「……お前、本当に変わってるな」リアムが苦笑した。「普通、貴族の子弟は自分の立場を守ろうとするもんだぜ」


「僕は『普通』じゃないから」


 シオンはパンをちぎり、シチューに浸した。温かい湯気が立ち上る。


「それに、こうして一緒に食べた方が、美味しいだろ?」


 リアムは、一瞬言葉を失った。そして、笑い出した。


「……まったく。お前といると、飽きないぜ」


 その時、新たな人影が近づいてきた。


「ここ、空いているかしら?」


 振り返ると、銀色の髪の少女が立っていた。氷のような青い瞳が、シオンとリアムを見つめている。北方の民族特有の、白い肌。物静かな雰囲気だが、どこか芯の強さを感じさせる。


「ああ、どうぞ」シオンが答えた。


 少女は静かに腰を下ろした。彼女の腕にも、銀色の腕輪が光っている。


「私はエリカ・シュミット。北方のノルディア王国から来たわ」


「シオン・アーデン。こっちはリアム」


「知っているわ」エリカは小さく頷いた。「継承者の血族の末裔。そして、メルカリアの商人の息子」


「詳しいな」リアムが目を細めた。


「情報は、生き残るために必要なものよ」エリカは淡々と答えた。「特に、この学院では」


 三人は、しばらく無言で食事をした。シチューは温かく、パンは柔らかい。しかし、その静寂の中に、互いを探り合う緊張感があった。


「あなたたち、この学院の『おかしな点』に気づいている?」


 エリカが唐突に言った。


 シオンとリアムは、顔を見合わせた。


「時間がループする廊下?」シオンが言った。


「過去の残響?」リアムが続けた。


「それもあるわ」エリカは頷いた。「でも、もっと根本的なこと。この学院が、何のために建てられたか——考えたことはある?」


 シオンは、首を傾げた。


「教育のため、じゃないのか?」


「表向きはね」エリカの声が、さらに低くなった。「でも、私の国に伝わる古い伝承には、別の話がある。この学院の地下には——」


 その時、大きな声が響いた。


「おい、留学生ども! こんなところで何をしている!」


 フリードリヒ王子だった。取り巻きを連れて、こちらに近づいてくる。金髪が揺れ、青い目が冷たく光っている。


「端に行け。ここは帝国貴族の席だ」


 エリカは黙って立ち上がろうとした。しかし、シオンがそれを制した。


「待て」


 シオンは、フリードリヒを真っ直ぐに見つめた。


「この席は空いていた。誰が座ってもいいはずだ」


「何だと?」フリードリヒの目が、鋭くなった。「お前、アーデン家の小僧か。身分を弁えろ」


「身分?」シオンは立ち上がった。「僕も帝国貴族だけど、席に身分なんて関係ないと思うけど」


 食堂が、しん、と静まり返った。誰もが、二人のやり取りを見つめている。


 フリードリヒの顔が、怒りで赤くなった。


「お前……」


「フリードリヒ王子」


 冷たい声が響いた。


 振り返ると、黒いローブを着た男が立っていた。学院の教師の一人だ。


「食堂での騒ぎは、禁じられています」


「しかし——」


「アーデン殿も、今日はこの辺にしておきなさい」


 教師の目が、シオンを見つめた。その目には、警告の色があった。


 シオンは、唇を噛んだ。そして、ゆっくりと座り直した。


「……わかりました」


 フリードリヒは、悔しそうにシオンを睨みつけた。しかし、教師の前では手を出せない。舌打ちをして、取り巻きと共に去っていった。


 食堂に、再びざわめきが戻った。


「……シオン、お前、本当に度胸あるな」リアムが溜息をついた。「でも、敵を作りすぎだぜ」


「構わない」シオンは言った。「間違っていることには、黙っていられない」


 エリカは、シオンを見つめていた。その目に、微かな興味の光が宿っていた。


「あなた……面白い人ね」


「そうかな」


「ええ」エリカは小さく微笑んだ。「放課後、図書館に来て。話の続きを——聞かせてあげる」



              *



 放課後、シオンとリアムは図書館の奥へ向かった。


 エリカが待っていた。その手には、古い本が握られている。表紙には、見慣れない文字が刻まれていた。蛇のようにうねる線と、星を象った記号。


「それ、何の本?」


「古代語で書かれた、神話の本」エリカは答えた。「古の神々についての伝説よ」


「古の神々……」シオンは身を乗り出した。「クロノス・アビサルのことも、書いてある?」


 エリカの目が、鋭くなった。


「あなた……その名前を、どこで知ったの?」


「僕の祖父から聞いた。時の神。人間に力を奪われ、封印された存在」


 エリカは、しばらくシオンを見つめていた。そして、周囲を確認してから、小声で言った。


「……私も、クロノス・アビサルについて調べている。北の国には、古くからの伝承が残っているの。神々が人間を見捨てた理由。そして、クロノスがなぜ人間を憎むようになったのか」


 シオンは、息を呑んだ。


「教えてくれ」


「全部は、まだ話せない。でも——」エリカは本を開いた。「一つだけ言えることがある。クロノスは、最初から人間を憎んでいたわけではないの」


「どういう意味だ?」


「クロノスは、かつて人間の守護者だった。時の流れを司り、人々に未来への希望を与えていた。しかし、ある出来事がきっかけで——」


 エリカは、言葉を切った。


「……ここでは、これ以上言えない。でも、答えは禁書庫にあるはずよ」



              *



「禁書庫……」シオンは呟いた。


「この学院には、こういう場所がいくつもある」リアムが言った。「俺も、この一年で何カ所か見つけた。隠し通路とか、秘密の部屋とか」


「どこに繋がっているんだ?」


「色々だぜ。他の建物の地下、倉庫、そして——禁書庫に続く道もあるらしい」


 シオンは、決意を固めた。


「行ってみよう」


「今日じゃない」リアムは首を横に振った。「準備が必要だ。それに——」


 リアムは周囲を見回した。


「信頼できる仲間が、もっと必要だ」



              *



 その後、シオンたちの周りに、少しずつ仲間が集まっていった。


 ハンス・フロイデン——帝国の下級貴族の子弟だが、魔法の才能よりも機械いじりに興味がある変わり者。丸い眼鏡の奥の目は、いつも何かを設計しているように輝いていた。


「これは、『探知機』だ」


 ハンスが見せてくれたのは、小さな金属の箱だった。複雑な歯車と水晶が組み込まれ、微かな光を放っている。


「魔力の流れを感知して、隠し通路や魔法の仕掛けを見つけることができる」


「すごい……こんなものを、一人で作ったのか?」


「まあな」ハンスは照れくさそうに頭を掻いた。「魔法の才能はないが、機械をいじるのは得意なんだ。貴族の息子としては落ちこぼれだけど、こういうことだけは誰にも負けない」


 ルイーザ・ベルナール——南方の島国から来た留学生。褐色の肌に黒い巻き毛、穏やかな笑顔が印象的な少女だった。


「私、時々……感じるの」ルイーザは静かに言った。「時の歪みを。この学院には、何かおかしなものがある」


「時の歪み……?」


「うまく説明できないけど……時間の流れが、乱れている場所があるの。特に、学院の地下の方。何かが、眠っている気がする」


 五人は、放課後に図書館の奥で集まった。古い本の匂いと、埃っぽい空気。窓から差し込む夕日が、五人の顔を照らしている。


「みんな、聞いてくれ」シオンが言った。


「この学院には、何かが隠されている。僕たちは、それを調べたい」


「具体的には、何を?」リアムが尋ねた。


「まず、禁書庫だ。そこに、帝国の秘密文書があるらしい。クロノス・アビサルについての情報も、あるかもしれない」


「危険じゃないのか?」ハンスが言った。「禁書庫は、立ち入り禁止だろう?」


「だからこそ、調べる価値がある」シオンは答えた。「禁じられているということは、知られたくないことがあるということだ」


「私も賛成」エリカが言った。「古の神々の真実を知るためには、禁じられた知識に触れる必要がある」


「私にも、できることがあるわ」ルイーザが言った。「時の歪みを感じる力で、危険な場所を避けることができる」


 リアムは、仲間たちを見回した。シオン、エリカ、ハンス、ルイーザ。それぞれが、異なる力を持っている。


「……みんな、本気なんだな」


「当たり前だ」シオンは言った。「僕たちは、真実を知りたい。そして——この世界を、変えたい」


 五人は、顔を見合わせた。そして、頷いた。誰の目にも、決意の光が宿っていた。


「よし」シオンは言った。「今夜から、調査を始める」


 学院の闇を暴く——その戦いが、今始まろうとしていた。



                                   第二十一章 了


お読みいただきありがとうございます。

「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。


完結まで毎日18時に更新予定です!


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