第十九章 王国への帰還
帝国の王都が、目の前に広がっていた。
白亜の城壁が朝日を受けて輝き、そびえ立つ塔の先端には帝国の旗がはためいている。無数の家々の屋根が連なり、その間を縫うように煙突から煙が立ち昇っていた。かつてシオンが暮らしていた街。しかし、その空気は以前とは明らかに違っていた。
街の入口には、武装した兵士が立っていた。彼らの目は鋭く、行き交う人々を一人一人監視している。門をくぐる商人の荷物を検めている兵士の声が、威圧的に響いていた。
シオンは、深呼吸をした。胸の奥で、心臓が速く鳴っている。
——ここからが、本当の戦いだ。
シオンは背筋を伸ばし、堂々と兵士の前に歩み出た。
「止まれ! 何者だ!」
兵士が槍を構えた。その切っ先が、シオンの胸の前で止まる。
「僕は、シオン・アーデン。クーデター未遂で指名手配されている、アーデン一族の者だ」
兵士たちの顔色が変わった。驚愕、困惑、そして警戒。様々な感情が、彼らの表情に次々と浮かんでは消えていく。
「アーデン……だと……?」
「自分から投降しに来た。王に、謁見を願いたい」
兵士たちは顔を見合わせた。槍を構えたまま、互いに目配せを交わしている。
「……本当に、シオン・アーデンなのか?」
「嘘をついて、何の得がある?」
シオンは両手を広げた。何も隠していないことを示すように。
「武器は持っていない。確認してくれ」
兵士の一人が、シオンの身体を調べた。粗野な手つきで、隅々まで。
「……確かに、武器は持っていない」
「よし。捕らえろ。そして、ヴィクター様に報告だ」
シオンは、抵抗せずに縄で縛られた。麻縄が手首に食い込み、かすかな痛みが走る。
——計画通りだ。
心の中で、そう呟いた。恐怖を、決意の奥に押し込めながら。
*
シオンは、王城へと連行された。
城の中は、以前の記憶よりも暗く感じられた。廊下を照らす燭台の光は弱々しく、壁に掛かった肖像画の顔は影に沈んでいる。窓から差し込む光さえも、どこか鬱屈としていた。
やがて、大きな扉の前に着いた。重厚な木製の扉には、帝国の紋章が金箔で描かれている。
玉座の間。
扉が開かれ、シオンは中へ押し込まれた。
「ここで待て」
兵士がそう言って、下がった。
玉座の間は、広大だった。天井は高く、両側には巨大な柱が立ち並んでいる。床には深紅の絨毯が敷かれ、その先には——
玉座に、一人の男が座っていた。
王。
シオンの記憶にある王とは、まるで別人のように見えた。かつては威厳に満ちた顔立ちだった。整った髭、鋭い目、堂々とした佇まい。しかし今は、目の下に深い隈があり、頬はこけ、髪は乱れて肩に垂れている。そして、その目には——
狂気が、宿っていた。
「おお……おお……」
王が、立ち上がった。その動きはぎこちなく、まるで操り人形のようだった。
「来たか。ついに来たか。シオン・アーデン……」
王は、ゆっくりとシオンに近づいてきた。足を引きずるような歩き方。かつての威厳は、どこにも見当たらない。
「待っていたぞ。ずっと、待っていたぞ……」
シオンは、動かずに王を見つめた。背筋が凍りつくような恐怖を感じながらも、表情を崩さないように努めた。
「王様。僕は、自ら投降しに参りました」
「投降? そんなことは、どうでもいい」王はシオンの顔を覗き込んだ。その息が、かすかに腐敗したような匂いを漂わせていた。「お前の力だ。お前の、時を操る力……それさえあれば……」
王の目が、異様な光を帯びた。瞳孔が開き、白目の部分に赤い筋が走っている。
「エリザを……愛しいエリザを……蘇らせることができる……」
シオンは、背筋が凍るような感覚を覚えた。この人は、完全に狂っている。王妃への愛が、歪んだ執着に変わり、その心を蝕んでいる。
「王様……」
「黙れ!」王が叫んだ。その声は玉座の間に反響し、耳を突き刺すような甲高さだった。「お前は、私の命令に従えばいい! エリザを蘇らせろ! さもなければ——」
「陛下」
冷たい声が、玉座の間に響いた。
シオンは振り返った。長身の男が、扉の前に立っていた。黒い衣を纏い、細い目でシオンを見つめている。その目には、氷のような冷徹さが宿っていた。
ヴィクター。
「落ち着いてください、陛下。まずは、この少年の処遇を決めねばなりません」
「処遇? 処遇など、決まっている! こいつは——」
「陛下」
ヴィクターの声は、静かだが威圧感があった。王の叫びを、さらりと遮ってしまう力がある。
「この少年を殺してしまえば、王妃様を蘇らせる術は永遠に失われます。それでよろしいので?」
王の動きが、止まった。狂気に染まった目に、一瞬だけ正気の光が戻る。
「……そうだ……そうだな……殺してはならぬ……」
「ですから、まずは適切な処遇を」
ヴィクターはシオンの前に歩み寄った。靴音が、静かに絨毯に吸い込まれていく。
「シオン・アーデン。なぜ、自ら投降した?」
シオンは、ヴィクターの目を真っ直ぐに見つめた。この男の目を逸らせば、弱みを見せることになる。
「僕がいることで、ミストリアが攻撃された。これ以上、罪のない人々を巻き込みたくなかった」
「殊勝な心がけだな」ヴィクターは冷笑した。薄い唇が、嘲りの形に歪む。「しかし、それだけではあるまい」
「……父と母に、会いたい」
「ほう」
「二人は、まだ生きているはずだ。どこにいる?」
ヴィクターは、しばらくシオンを見つめていた。その目は、獲物を品定めする蛇のようだった。
そして、薄く笑った。
「陛下。提案がございます」
「何だ」
「この少年を、王立学院に入学させてはいかがでしょう」
「学院だと?」
「はい。学院で、この少年の力を監視し、同時に教育する。そして、力が十分に成熟した時に——王妃様を蘇らせる」
王の目が、輝いた。狂気の光が、希望の光に変わる。
「なるほど……なるほど、それはいい考えだ……」
「そして、陛下。この少年の協力を得るために、一つ条件を与えてはいかがでしょう」
「条件?」
「両親を、より良い環境に移す。現在は地下牢に拘束されていますが、軟禁状態に緩和し、定期的な面会を許可する」
シオンは、心臓が跳ねるのを感じた。両親に会える。生きて、会える。
「それならば、この少年も従順に従うでしょう。そして、いずれ——」
ヴィクターはシオンを見た。その目には、計算高い光が宿っていた。
「王妃様を蘇らせる力を、陛下のために使うことになる」
王は、満足げに頷いた。
「よかろう。ヴィクター、その通りにせよ」
「かしこまりました」
ヴィクターはシオンに向き直った。
「聞いていたな、シオン・アーデン。お前は王立学院に入学し、力を磨く。そして、両親との面会を許可する。ただし——」
ヴィクターの目が、鋭くなった。その視線は、刃物のように冷たかった。
「逃亡を試みれば、両親の命は保証しない。わかったな?」
シオンは、拳を握りしめた。これは取引だ。自分の自由と引き換えに、両親の安全を得る。
「……わかった」
「よろしい」
ヴィクターは兵士を呼んだ。
「この者を、王立学院の寮へ案内しろ。明日から、学生として扱う」
「はっ」
シオンは、兵士に連れられて玉座の間を出た。背中に、王の視線を感じながら。
*
廊下を歩きながら、シオンは考えていた。
——父さん、母さん……会える。
それだけで、胸が熱くなった。四年ぶりに、両親に会える。無事でいてくれていると信じたい。
しかし同時に、不安もあった。王の狂気。ヴィクターの冷酷さ。そして、「王妃を蘇らせろ」という命令。
——僕に、死者を蘇らせることなんてできるのだろうか。
小鳥を蘇らせた時のことを、思い出した。あれは無意識に起こったこと。自分の意志で、同じことができる保証はない。そして、祖父の言葉を思い出した。
——時の逆行は、禁忌中の禁忌だ。
もし失敗すれば、王は自分を殺すだろう。そして、両親も——
シオンは、頭を振った。今は考えても仕方ない。まずは学院に入る。そして、リアムに会う。
幼い頃の友達。彼もまた、この学院にいるはずだ。虹色の水晶を持っている、もう一人の仲間。
シオンは、前を向いた。
——僕は、負けない。
心の中で、そう誓った。
*
王立学院の門が、シオンの前にそびえていた。
巨大な石造りの門。その上には帝国の紋章が刻まれ、両脇には石像が立っている。本を持った賢者の像と、杖を掲げた魔法使いの像。
「ここが、ルミナリア王立魔法学院だ」兵士が言った。「明日の朝、職員が迎えに来る。今日は寮で休め」
門が開かれ、シオンは中へ入った。
学院は、想像以上に広大だった。いくつもの建物が立ち並び、その間には庭園や訓練場が見える。噴水から水が湧き、花壇には色とりどりの花が咲いている。
そして、多くの学生たちが歩いている。制服を着た少年少女が、笑いながら、話しながら、それぞれの目的地へ向かっている。
シオンは、その光景を見つめた。彼らの中に、リアムの姿があるだろうか。
——ここで、僕の新しい生活が始まる。
不安と期待が、入り混じっていた。恐怖と希望が、せめぎ合っていた。
案内された寮の部屋は、質素だった。ベッドと机、そして小さな窓。壁には何も飾られておらず、床は冷たい石畳。
シオンは、ベッドに腰を下ろした。硬いマットレスが、身体を受け止める。
懐から、ソロンにもらった懐中時計を取り出した。三日月と太陽の模様が、窓から差し込む光を受けて微かに輝いている。
——おじいさん……ティア……
遠く離れた人々のことを、思った。今頃、何をしているだろう。自分のことを、心配しているだろうか。
そして、虹色の水晶を取り出した。自分のものと、ティアのもの。二つの水晶が、薄暗い部屋の中で微かに輝いた。虹色の光が、壁に小さな虹を映し出す。
——リアムも、きっとまだ持っているはずだ。
三人で見つけた、約束の証。あの日交わした、友情の誓い。
シオンは、水晶を握りしめた。
明日から、新しい戦いが始まる。しかし、一人ではない。友達がいる。仲間がいる。
——僕は、必ず生き延びる。そして、帰る。
シオンは窓の外を見た。夜空には、月が浮かんでいた。銀色の光が、学院の庭園を照らしている。
ミストリアでも、同じ月が見えているだろうか。ティアは、おじいさんは、今頃何を思っているだろうか。
シオンは、静かに目を閉じた。
第十九章 了
お読みいただきありがとうございます。
「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。
完結まで毎日18時に更新予定です!
ブックマーク・評価・感想をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




