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第十七章 シオンの決断


 戦いから、三日が経った。


 里では復興作業が着々と進んでいた。焼けた家々の修理に木槌の音が響き、怪我人の治療に薬草の匂いが漂い、壊れた柵の補修に男たちの掛け声が飛び交っている。人々は朝から晩まで忙しく働いていたが、その顔には戦いの疲労がまだ色濃く残っていた。


 シオンは作業を手伝いながら、里の人々を見つめていた。額に汗を浮かべながら木材を運ぶ男、包帯を巻きながら子供をあやす女、黙々と壊れた農具を直す老人。誰もが、自分の役割を果たそうと懸命に働いている。


「シオンくん、これを運んでくれる?」


 一人の女性が、積み上げられた木材を指差した。彼女の手は擦り傷だらけで、髪には木くずがついていた。


「はい、わかりました」


 シオンは木材を担ぎ、修理中の家へと運んだ。肩に食い込む重さが、自分がまだ子供であることを思い出させる。


 途中、小さな子供がシオンの前を駆け抜けていった。その子の腕には、真っ白な包帯が巻かれていた。戦いの時に負った傷だろう。無邪気に笑いながら走り去る姿に、シオンの胸が締め付けられた。


 ——この子も、僕のせいで傷ついたんだ。


 そう思うと、罪悪感が込み上げてきた。帝国軍はシオンを捕らえるために来た。この里を、この人々を、シオンがいることで危険に晒している。


              *


 夕方になり、作業が一段落した頃、シオンは里の外れにある丘に登った。


 ここからは里全体が見渡せる。焼け焦げた家の黒い骨組み、修理中の建物に掛けられた足場、その間を行き交う人々の小さな姿。夕陽が全てを橙色に染め、長い影が地面に伸びていた。


 シオンは、その光景を黙って見つめていた。風が頬を撫で、草の匂いを運んでくる。平和な風景。しかし、その下には戦いの傷跡が隠れている。


「ここにいたのか」


 振り返ると、ティアが立っていた。夕陽を背にしたその姿は、どこか大人びて見えた。


「ティア……」


「何、暗い顔してるのよ」


 ティアはシオンの隣に腰を下ろし、膝を抱えた。その横顔を見つめながら、シオンは何と言えばいいのかわからなかった。


「作業、疲れた?」


「いや、そういうわけじゃないんだ」


「じゃあ、何?」


 シオンは、しばらく黙っていた。遠くで子供たちの笑い声が聞こえる。その声が、シオンの決意を固めていく。


 そして、ゆっくりと口を開いた。


「……ティア、僕は考えてたんだ」


「何を?」


「この里のこと」シオンは目を伏せた。「僕がいることで、帝国は何度でも攻めてくる。このままじゃ、いつか里は本当に滅んでしまう」


 ティアの顔が、曇った。眉間に皺が寄り、唇がきつく結ばれる。


「それは……」


「僕がいなければ、帝国は里を攻める理由がなくなる。里の人たちは、平和に暮らせる」


「ちょっと待って」ティアがシオンの腕を掴んだ。その指に力が込もっている。「あんた、何を言おうとしてるの?」


 シオンはティアの目を見つめた。怒りと不安が入り混じったその瞳に、自分の覚悟を映し込むように。


「僕は、帝国に戻ろうと思う」


「……は?」


 ティアの顔から、血の気が引いた。掴んでいた手が、微かに震えている。


「戻る? 帝国に? あんた、何言ってるの!?」


「自分から投降すれば、里は攻められなくなる。それに、父さんと母さんも、まだ帝国で囚われてる。僕が戻れば、会えるかもしれない」


「馬鹿じゃないの!?」ティアが立ち上がった。その声は裏返り、涙が目に滲んでいた。「帝国に戻ったら、あんた殺されるわよ! 王様は、あんたを使って王妃様を蘇らせようとしてるんでしょ!?」


「わかってる」


「わかってるなら、なんで——」


「でも、このままじゃ駄目なんだ!」


 シオンも立ち上がった。夕陽が二人の影を長く伸ばしている。


「帝国がいつまた攻めてくるかわからない。次はもっと大きな軍勢で来るかもしれない。その時、また里の人たちが傷つく。死ぬかもしれない」シオンは拳を握りしめた。「僕は、それが耐えられないんだ」


 ティアは、言葉を失った。シオンの目には決意が宿っていた。恐怖も迷いもその奥に押し込めて、ただ真っ直ぐに前を見つめている。


「……馬鹿」


 ティアは、俯いた。


「あんたは、いつもそうよ。自分のことより、他人のことばっかり」


「ティア……」


「私のことは、どうでもいいの?」


 ティアの声が、震えていた。夕陽に照らされた頬に、涙が一筋流れ落ちた。


「四年ぶりに会えたのに……やっと、また一緒にいられると思ったのに……」


「ティア、僕は——」


「もういい」


 ティアは顔を上げた。涙が、頬を伝っていた。しかし、その目には怒りよりも、悲しみよりも、何か別の感情が燃えていた。


「勝手にすれば。私、知らない」


 ティアは丘を駆け下りていった。その後ろ姿が、夕陽の中に溶けていく。


 シオンは、その背中を見送った。


 ——ごめん、ティア。


 心の中で呟いた。しかし、決意は変わらなかった。変えてはならなかった。


              *


 その夜、シオンはソロンの部屋を訪ねた。


「おじいさん、話があるんだ」


 ソロンは窓際に座っていた。月明かりが老賢者の顔を照らし、深い皺と白い髭を銀色に染めている。その目は窓の外を向いていたが、シオンが入ってくると静かにこちらを見た。


「……わかっている。お前の顔を見れば、何を言いたいかくらいわかる」


「え?」


「帝国に戻るつもりだろう」


 シオンは驚いた。まだ何も言っていないのに。


「どうして……」


「お前は、私に似ているからな」ソロンは微笑んだ。その笑顔には、どこか懐かしむような、切ないような色があった。「私も若い頃、同じような決断をしたことがある」


「おじいさんも……?」


「ああ。大切な者を守るために、自分を犠牲にする覚悟をした。結果として、それは正しい選択だった」


 ソロンはシオンを見つめた。その目には、孫への愛情と、一人の戦士への敬意が同居していた。


「しかし、帝国に戻るということは、命を危険に晒すということだ。わかっているな?」


「わかってる」


「王は、お前を使って王妃を蘇らせようとするだろう。そして、それが失敗すれば、お前を殺すかもしれない」


「それでも、行く」シオンは真っ直ぐに祖父を見つめた。「僕がここにいる限り、里は危険に晒され続ける。そして、父さんと母さんは、ずっと囚われたままだ」


「両親を、救いたいのか」


「うん。それに……」


 シオンは、少し言い淀んだ。しかし、すぐに顔を上げた。


「帝国を、内側から変えたいと思ってる」


「内側から?」


「王様は、王妃様を亡くして、おかしくなったんだよね。でも、王様だけじゃない。帝国には、他にも苦しんでる人がたくさんいるはずだ。僕が帝国に入って、中から変えることができれば……」


 ソロンは、しばらく黙っていた。月明かりの中、老賢者の表情は読み取りにくかった。


 やがて、深いため息をついた。


「……お前は、私が思っていた以上に、成長していたようだな」


「おじいさん……」


「お前の決断を、私は尊重する」


 シオンは目を見開いた。反対されると思っていた。もっと説得が必要だと。


「いいの……?」


「いいも悪いも、お前の人生だ。私が止める権利はない」ソロンは立ち上がった。月明かりが、老いた身体を照らし出す。「ただし、一つだけ約束しろ」


「何?」


「死ぬな。何があっても、生き延びろ」


 ソロンはシオンの肩に手を置いた。その手は骨ばっていたが、温かさがあった。


「お前には、まだやるべきことがある。この世界を救う使命がある。だから、どんなに辛くても、死んではならない」


「使命……」


「いずれわかる。今は、ただ生き延びることだけを考えろ」


 シオンは、祖父の目を見つめた。そこには、悲しみと誇りが入り混じっていた。自分を危険に送り出す悲しみと、それでも立ち向かおうとする孫への誇り。


「……わかった。約束する」


「よし」ソロンは頷いた。「では、一つ提案がある」


「提案?」


「お前が帝国に行くなら、私も動く。里の戦士たちと共に、お前を助けるための準備を進める」


 シオンは首を横に振った。


「おじいさん、それは——」


「黙って聞け」ソロンの声が、厳しくなった。「お前は一人で全てを背負おうとしている。だが、それは間違いだ」


「……」


「お前が帝国で戦う間、私は外から支援する。情報を集め、仲間を募り、いざという時に助けに行く準備をする。これは、分担だ」


 シオンはしばらく考えた。一人で全てを背負う必要はない。祖父の言葉が、心に染み込んでいく。


 そして、ゆっくりと頷いた。


「……わかった。ありがとう、おじいさん」


「礼はいらん。お前は私の孫だ。守るのは、当然のことだ」


 ソロンはシオンを抱きしめた。強く、しかし優しく。老いた身体は痩せていたが、その腕の力強さは変わらなかった。


「無事を祈っている。いつか必ず、再び会おう」


「うん……必ず」


 シオンは祖父の背中に腕を回した。この温もりを、忘れない。どんなに辛いことがあっても、この温もりを思い出せば、耐えられる。


 決断は下された。シオンは、帝国へ戻る。



                                   第十七章 了


お読みいただきありがとうございます。

「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。


完結まで毎日18時に更新予定です!


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