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第十六章 決戦の救援


 二つの紋章が、戦場を照らした。


 太陽の金色と、三日月の銀色——その光は夜明け前の闇の中でひときわ眩く輝き、まるで天から降り注ぐ神々の祝福のように戦場全体を包み込んだ。乾いた血と硝煙の匂いが漂う中、その清浄な光は戦いに疲れた者たちの心にも届くかのようだった。


「何だ、あの光は……!」


 帝国軍の兵士たちが動揺し、整然と保っていた陣形が乱れ始めた。


「あれが、時の秘術……」指揮官の顔が強張り、額に冷や汗が浮かんだ。「魔法使い隊、攻撃しろ! あの二人を倒せ!」


 魔法使いたちが詠唱を始めた。古代語の響きが空気を震わせ、彼らの指先に炎の光が灯る。


「炎よ——」


 しかし、詠唱が完成する前に、ソロンが動いた。老賢者は杖を高く掲げ、その身体から銀色の光が溢れ出した。


「時よ、凍れ——」


 月影の刻印ルナ・シギルが輝いた瞬間、世界が静止したかのような錯覚が走った。魔法使いたちの動きが止まり、指先に灯っていた炎は詠唱の途中で消え失せ、彼らは石像のように完全に固まった。


「な……なんだと……!」


 指揮官は愕然とした。自軍の魔法使いたちが、まるで時間から切り離されたかのように微動だにしない光景に、背筋が凍る思いだった。


「行け、シオン!」ソロンが叫んだ。


 シオンは地を蹴り、ティアたちの元へ一直線に駆けた。


              *


 ティアとフェリアを囲んでいた兵士たちが、金色の光に気づいて振り返った。


「止まれ! 動くな!」


 兵士が剣を構え、その切っ先をシオンに向けた。


 シオンは立ち止まらなかった。心の中で祖父の教えを反芻しながら、陽光の刻印ソール・シギルに意識を集中させる。


 ——時間よ、緩やかなれ——


 陽光の刻印ソール・シギルが輝き、世界がゆっくりになった。周囲の全てが——風に舞う砂埃も、兵士の剣も、飛び散る汗の雫さえも——水中を進むかのように遅く動く。シオンはその隙間を縫うように駆け抜け、ティアとフェリアの前に立った。


「シオン……!」ティアが目を見開き、その瞳に涙が滲んだ。


「大丈夫。もう安心して」


 シオンは術を解き、振り返った。兵士たちはシオンが突然目の前に現れたことに混乱し、顔を見合わせている。


「何だ……どうやって……」


「悪いけど、ここは通さない」


 シオンは構えを取った。二週間の訓練で身につけた戦闘の姿勢は、以前の頼りない少年とは明らかに違う、しなやかな強さを湛えていた。


 兵士が剣を振り下ろしてきた。鋼の軌跡が空気を裂く。


 シオンは再び時の流れを操り、その攻撃を紙一重で避けた。そして兵士の懐に飛び込み、掌で胸を突く。時の力を纏った一撃は見た目以上の衝撃を持ち、兵士は吹き飛んで地面に倒れた。


「シオン、あんた……」


 ティアは、幼馴染の変貌に言葉を失った。四年前の、何も知らない少年ではない。今のシオンは、確かな力を持った戦士だった。その眼差しには、優しさと決意が同居している。


              *


 ソロンは、戦場の中心で帝国軍と対峙していた。老賢者の周りには銀色の光が渦を巻き、近づく者を寄せ付けない威圧感を放っている。


「魔法使い隊を解放しろ!」指揮官が叫んだ。


「断る」ソロンは冷たく言い放った。「お前たちが退くなら、解放してやる」


「ふざけるな! たった二人で、この軍勢に勝てると思っているのか!」


 指揮官は剣を抜き、その切っ先をソロンに向けた。


「全軍、突撃! あの老人を殺せ!」


 数十人の兵士が、地鳴りのような足音を立ててソロンに向かって突進してきた。剣や槍を構え、その顔には殺意が滲んでいる。


 ソロンは杖を構え、深く息を吸った。老いた身体に残された力を、全て注ぎ込む覚悟で。


「時よ、停滞せよ——」


 月影の刻印ルナ・シギルが、これまでにない強さで輝いた。その光は夜明け前の闇を切り裂き、まるで昼のように戦場を照らし出した。


 兵士たちの動きが、完全に止まった。剣を振り上げた姿勢のまま、瞬きすらせずに微動だにしない。


「な……なんだ、これは……」


 指揮官は、自分の体が動かないことに気づいた。足も、腕も、指一本動かせない。それどころか、呼吸すら自分の意志ではできないような、奇妙な拘束感に包まれている。


「この術は、長くは持たない」ソロンが言った。その声には疲労が滲んでいたが、それでも威厳を失ってはいなかった。「だが、お前たちを追い払うには十分だ」


 ソロンは杖を地面に叩きつけた。


 衝撃波が同心円状に広がり、凍った時が解けた。兵士たちは勢い余って地面に倒れ込み、混乱に陥った。武器が手から離れ、互いにぶつかり合い、統率を完全に失った。


「今だ! トーマス殿!」


 ソロンの声に応え、トーマス長老が動いた。老忍の動きは若者に劣らぬ俊敏さで、その声は戦場に轟いた。


「全戦士、反撃せよ!」


 里の戦士たちが、一斉に攻勢に転じた。混乱した帝国軍を、次々と打ち倒していく。侍たちの剣が閃き、忍者たちが影のように敵の間を駆け抜ける。


              *


 シオンはティアを連れて、戦場を駆け抜けていた。周囲では金属がぶつかり合う音、怒号、悲鳴が入り乱れている。


「ティア、フェリアさんを安全な場所へ!」


「でも、シオンは——」


「僕は大丈夫。おじいさんを助けに行く」


 シオンはティアにフェリアを任せ、ソロンの元へ向かった。その背中を見送るティアの目には、不安と信頼が入り混じっていた。


 途中、三人の兵士が立ちはだかった。鉄兜の奥で、彼らの目が憎悪に燃えている。


「逃がすか!」


 兵士たちが剣を振るう。三方向からの同時攻撃。普通の人間であれば、避けようがない連携だった。


 シオンは目を閉じ、深く集中した。心の中で、時の流れを感じ取る。


 ——時間よ、加速せよ——


 陽光の刻印ソール・シギルが輝いた。


 今度は、シオン自身の動きが速くなった。周囲の世界がゆっくりに見える中、シオンは三人の兵士の間を風のように駆け抜けた。彼らの剣は空を切り、互いにぶつかり合う。


 兵士たちがシオンの姿を捉えた時には、すでにシオンは彼らの背後にいた。


「な——」


 振り返った兵士たちの前で、シオンは掌を突き出した。


 光の波動が放たれ、三人の兵士は吹き飛ばされた。鎧がひしゃげる音がして、彼らは地面に転がった。


「……できた」


 シオンは自分の手を見つめた。訓練の成果が、確かに実を結んでいた。これが、祖父が教えてくれた時の秘術。シオンはその力の重さを、改めて感じていた。


              *


 戦況は、完全に逆転していた。


 ソロンとシオンの時の秘術に翻弄された帝国軍は統率を失い、バラバラになっていた。里の戦士たちはその隙を逃さず、次々と敵を打ち倒していった。


「撤退だ! 撤退しろ!」


 指揮官が叫んだ。その声には、屈辱と恐怖が滲んでいた。


 帝国軍は、我先にと森へ逃げ込んでいった。武器を捨て、鎧を脱ぎ捨て、ただ逃げることだけを考えて。


 トーマス長老が、その背中に向かって吠えた。


「二度と来るな! 今度来たら、一人残らず斬り捨てる!」


 やがて、戦場は静まり返った。逃げ去った敵の足音も遠くなり、聞こえるのは負傷者の呻き声と、燃え盛る家々の爆ぜる音だけになった。


 夜明けの光が、里を照らし始めていた。東の空が茜色に染まり、新しい一日の始まりを告げている。


              *


 戦いが終わると、里の人々が広場に集まってきた。傷ついた者を支え、倒れた者を運び、互いの無事を確認し合っている。


 ソロンは杖にもたれかかり、荒い息をついていた。大きな術を使った代償で、身体に重い負担がかかっていた。顔は蒼白で、額には汗が滲んでいる。


「おじいさん、大丈夫?」シオンが駆け寄り、祖父の腕を支えた。


「ああ……少し、疲れただけだ……」


「無理しないで。休んで」


 トーマス長老が近づいてきた。老忍の顔には、戦いの疲労と共に、深い感謝の念が浮かんでいた。


「ソロン殿、シオン殿。この度の働き、まことに見事でした」


 トーマスは深く頭を下げた。その白髪の頭が、地面に触れるほど深く。


「あなた方がいなければ、この里は滅んでいた。我々は、永遠にこの恩を忘れません」


 里の人々が、口々に感謝の言葉を述べた。


「シオン様、ありがとうございます!」


「さすがは英雄だ!」


「時の秘術……あれは凄かった……」


 シオンは、戸惑いながらも頭を下げた。英雄と呼ばれることに、まだ慣れない。


「僕は、皆さんを守りたかっただけです。それに、戦ったのは里の戦士たちも同じです」


「謙虚だな」トーマスは微笑んだ。「しかし、お主の力がなければ、我々は勝てなかった。それは紛れもない事実だ」


 ティアがシオンの元へ走ってきた。その目は赤く腫れ、頬には涙の跡があった。


「シオン!」


「ティア。怪我は?」


「ない。母さんも、大丈夫。傷は浅かったわ」


 ティアはシオンを見上げた。その瞳には、安堵、喜び、そしてどこか誇らしげな光が渦巻いていた。


「あんた……本当に強くなったのね」


「まだまだだよ。おじいさんには全然及ばない」


「でも、すごかった」ティアは微笑んだ。その笑顔には、幼い頃の面影が残っている。「あんたが来てくれて、本当によかった」


 シオンも微笑んだ。友達を守れた。里を救えた。それが、今は何より嬉しかった。


              *


 しかし、シオンの心には、別の思いもあった。


 戦いの最中、シオンは気づいていた。帝国軍は本気で攻めてきたわけではない。あれは探りの攻撃だった。本隊はまだ温存されている。そして、シオンがここにいる限り、帝国は何度でも攻めてくるだろう。


 ——このままでは、いつか里は本当に滅んでしまう。


 シオンは、燃える家々を見つめた。黒煙が空に立ち昇り、焦げた木の匂いが鼻を突く。今回は救えた。しかし、次も救えるとは限らない。


 そして、両親は今も、帝国で囚われている。


 ——僕は、どうすればいいんだ。


 答えは、まだ見つからなかった。しかし、決断の時は確実に近づいていた。シオンはそれを、心のどこかで感じていた。



                                   第十六章 了


お読みいただきありがとうございます。

「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。


完結まで毎日18時に更新予定です!


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