第十五章 帝国の猛攻
ミストリアは、炎に包まれていた。
帝国軍の奇襲は、夜明け前に始まった。闇が空を覆う中、松明の光が山道を照らし、軍靴が地面を踏み鳴らした。
数百人の兵士と、数十人の魔法使い。圧倒的な戦力が、里を包囲していた。
*
——数時間前。
「敵襲だ!」
見張りの声が、夜の静寂を切り裂いた。悲鳴に近い叫び声が、霧の中に響き渡る。
トーマス長老は、寝床から飛び起きた。老いた体が、戦士の本能で即座に動く。
「何人だ!」
「数え切れません! 少なくとも三百……いや、五百以上!」
トーマスは歯噛みした。予想より早い。そして、予想より多い。帝国は、本気で里を潰しに来たのだ。
「全戦士に通達! 迎撃態勢を取れ! 民は避難させろ!」
里中に、鐘の音が鳴り響いた。緊急事態を告げる、けたたましい音色。眠りについていた人々が次々と目を覚まし、混乱が広がっていく。
*
帝国軍は、容赦なく攻め込んできた。
「反逆者を匿う者は、同罪だ! 投降すれば、命は助けてやる!」
先頭に立つ指揮官が叫んだ。馬上から見下ろすその顔には、傲慢な笑みが浮かんでいた。しかし、里の戦士たちは応じなかった。
「ふざけるな!」トーマスが吠えた。声は老いても、その気迫は健在だった。「我々は、帝国の犬には成り下がらん!」
トーマスは刀を抜き、帝国の兵士に斬りかかった。
一閃。二閃。三人の兵士が、地に伏した。刃が空気を切り裂く音、肉を断つ感触。老人とは思えない、鋭い剣技だった。
「長老の剣についてこい!」
里の戦士たちが、トーマスに続いた。
黒い装束の戦士たちが、帝国軍の前に立ちはだかる。その動きは素早く、正確だった。一人で数人の兵士を相手にしても、引けを取らない。影のように動き、風のように斬る——それが、霧隠の戦士たちだった。
しかし、数の差は圧倒的だった。十人を倒しても、二十人が押し寄せてくる。
「魔法使い隊、前へ!」
帝国の指揮官が命じると、ローブを着た魔法使いたちが前に出た。杖を構え、詠唱を始める。
「炎よ、焼き払え——」
魔法使いたちが詠唱を終えると、炎の壁が里の戦士たちに向かって放たれた。赤い波が、夜を昼に変える。
「散れ!」
トーマスの命令で、戦士たちは左右に飛び退いた。しかし、何人かは炎に巻き込まれ、悲鳴を上げて倒れた。焦げた匂いが、鼻をつく。
「くそ……魔法使いがこれほどいるとは……」
トーマスは苦い顔をした。
里の戦士たちは、剣と体術に優れている。しかし、魔法に対抗する手段が乏しかった。これが、帝国との力の差だった。
*
里の中央では、フェリアが指揮を執っていた。
「女性と子供は、裏山の洞窟へ! 戦える者は、私と共に!」
フェリアは自らも短剣を手に、戦場に立っていた。長としての責任を、彼女は決して放棄しなかった。血が流れ、炎が燃えても、その背中は真っ直ぐだった。
「母さん!」
ティアが駆け寄ってきた。彼女も、短剣と手裏剣を携えていた。顔は煤で汚れ、髪は乱れているが、目は燃えていた。
「ティア、お前は避難しなさい」
「嫌よ! 私も戦う!」
「駄目だ。お前はまだ——」
「私は、里の戦士よ! ここで逃げるなんて、できない!」
ティアの目は、決意に満ちていた。母と同じ、炎のような意志。
フェリアは、娘の顔を見つめた。幼かった少女は、いつの間にか戦士の顔をしていた。そして、小さく頷いた。
「……わかった。だが、無茶はするな。死んだら、元も子もない」
「わかってる」
母娘は、共に戦場へと向かった。
*
戦いは、徐々に里側が押されていった。
帝国軍は、魔法による援護射撃を続けながら、じわじわと里の中心部へ進んでいた。炎の壁が道を開き、兵士たちがなだれ込んでくる。
里の戦士たちは奮戦したが、数と魔法の前に、一人、また一人と倒れていった。
「長老、このままでは……!」
若い戦士が、トーマスに叫んだ。顔に血が流れ、腕が震えている。
「わかっている! だが、退くわけにはいかん!」
トーマスは血に塗れた刀を振るい、また一人の兵士を斬り伏せた。しかし、彼自身も傷を負っていた。左腕からは血が滴り、呼吸は荒い。
——ソロン殿とシオン殿は、まだか……
トーマスは、心の中で叫んだ。
*
ティアは、二人の兵士を相手に戦っていた。
「小娘が、生意気な!」
兵士の一人が、剣を振り下ろした。重い一撃——まともに受ければ、体ごと叩き潰される。ティアは素早く横に飛び、手裏剣を投げた。
手裏剣は兵士の手首に刺さり、彼は剣を落とした。
「やった——」
しかし、喜ぶ暇はなかった。もう一人の兵士が、背後から襲いかかってきた。剣が振り下ろされる。避けられない——
「危ない!」
フェリアが飛び込み、娘を庇った。
兵士の剣が、フェリアの肩を切り裂いた。赤い血が飛び散る。
「母さん!」
「大丈夫……浅い傷よ……」
フェリアは痛みに顔を歪めながらも、短剣を構え直した。震える手で、それでも刃を握りしめて。
しかし、二人の周囲には、さらに多くの兵士が集まってきていた。十人、二十人——囲まれている。
「投降しろ。さもなければ、ここで死ぬことになるぞ」
兵士たちが、剣を向けてきた。逃げ場はない。
ティアは母を庇うように前に立ち、短剣を構えた。
——シオン……早く来て……!
心の中で、必死に叫んだ。
*
その時、里の入口で、閃光が走った。
「何だ!?」
兵士たちが振り返った。
閃光の中から、二つの人影が現れた。
一人は、白髪の老人。杖を手に、威厳に満ちた姿で立っている。もう一人は、黒髪の少年。拳を握りしめ、目には決意の炎が燃えている。
シオンとソロンだった。
「シオン……!」ティアが叫んだ。涙が頬を伝う。
「ティア! 無事か!」
シオンはティアの姿を見つけ、安堵の表情を浮かべた。しかし、すぐに顔を引き締めた。
里は、ひどい有様だった。家々は燃え、戦士たちは血を流して戦っている。地面には、倒れた者たちの姿があった。
「おじいさん……」
「ああ。行くぞ、シオン」
ソロンは杖を構えた。その目に、静かな怒りが宿っている。
シオンも、拳を握りしめた。
「帝国の者ども!」ソロンが声を張り上げた。その声は、戦場の喧騒を貫いた。「私がアーデンソロンだ! お前たちの目的は私と孫だろう。ならば、ここで決着をつけよう!」
帝国軍の動きが、止まった。全ての視線が、二人に集まる。
指揮官が前に出てきた。馬を降り、二人に向かって歩いてくる。
「アーデンソロンか。ようやく現れたな。大人しく投降しろ。そうすれば、この里の者たちは見逃してやる」
「嘘をつくな」ソロンは冷たく言った。「お前たちは、投降しようがしまいが、この里を滅ぼすつもりだろう」
指揮官は、にやりと笑った。仮面が外れ、本性が露わになる。
「……さすがは賢者だな。お見通しか」
「お前たちの魂胆など、読むまでもない。だが、そうはさせん」
ソロンの手に、月影の刻印が浮かび上がった。青白い光が、夜を照らす。
「シオン、行くぞ」
「うん!」
シオンの手にも、陽光の刻印が輝いた。金色の光が、三日月の光と呼応する。
二つの光が、戦場を照らした。
反撃が、始まろうとしていた。
第十五章 了
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