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第十二章 ミストリアへの帰還


 シオンが目を覚ましたのは、翌朝のことだった。


 体中が痛い。しかし、昨日ほどではなかった。一晩眠ったことで、少しは回復したようだ。濡れた服は乾き始め、体温も戻りつつあった。


「起きたか」


 ソロンが、近くに座っていた。火は焚いていない。追手に見つかる危険を避けているのだろう。手には干し肉を持ち、ゆっくりと噛み砕いている。


「おじいさん……」


「まだ動くな。もう少し休め」


「でも、追手が——」


「大丈夫だ。川を下ったおかげで、かなり距離が稼げた。追手も、我々が生き延びたとは思っていないだろう」


 ソロンは空を見上げた。雲一つない青空が広がっている。


「あの森は、今も燃えているはずだ。奴らは、我々が焼け死んだと考えているかもしれない」


 シオンは体を起こし、周囲を見回した。


 川のほとりの草むら。朝靄が薄くかかり、どこか神秘的な雰囲気がある。水のせせらぎが心地よく、鳥のさえずりが遠くで聞こえた。


「ここは……」


「ミストリアの近くだ。川の流れに乗ったおかげで、予想より早く着いた」


 シオンの目が、輝いた。希望の光が胸に灯る。


「近く……! じゃあ——」


「ああ。今日中には、里に着けるだろう」



              *



 二人は川沿いを歩き、やがて見覚えのある山道に出た。


 霧が立ち込める細い道。木々が両側から覆いかぶさり、薄暗いトンネルのようだ。四年前に、シオンがこの道を通ったことを覚えていた。あの時は、祖父の後を歩きながら、期待と不安が入り混じった気持ちでいた。


「懐かしいな……」シオンが呟いた。


「お前がここで過ごしたのは、ほんの短い間だった。しかし、里の人々にとっては、忘れられない出来事だったようだ」


「忘れられない?」


 ソロンは微笑んだ。皺の刻まれた顔に、穏やかな笑みが浮かぶ。


「お前たち三人が、秘境の魔物を倒したことは、里では伝説になっている。『七歳の英雄たち』とな」


 シオンは顔を赤くした。照れくささが込み上げてくる。


「そんな大げさな……」


「大げさではない。あの魔物は、里の戦士たちでも手を焼く相手だった。それを子供三人が倒したのだから、驚かれて当然だ」


 道は次第に険しくなり、霧も濃くなってきた。足元の石が苔で滑り、一歩一歩慎重に進む必要があった。


 やがて、見覚えのある門が見えてきた。


 ミストリアの入口だ。木と竹で作られた堅牢な門。四年前と同じように、霧の中から静かに姿を現した。



              *



「止まれ! 何者だ!」


 門の前に立っていた見張りが、槍を構えて叫んだ。黒い装束を着た若い男——戦士の訓練生だろう。


「私だ。アーデンソロン」


 ソロンが名乗ると、見張りの顔が驚きに変わった。槍を構えた手が止まる。


「ソロン様……!? そ、それに、その子供は——」


「孫のシオンだ。四年前に、ここで過ごしたことがある」


 見張りはシオンを見つめ、目を見開いた。


「あの時の……! シオン様ですか!」


 見張りは慌てて槍を下ろした。


「し、しばらくお待ちください! すぐに長をお呼びします!」


 見張りは門の中へ駆け込んでいった。足音が霧の中に消えていく。



              *



 しばらくして、門が大きく開いた。


 そこには、一人の女性が立っていた。


 フェリア。ミストリアの長であり、ティアの母。四年前にシオンを世話してくれた人だ。黒髪を後ろで束ね、凛とした佇まいは変わっていない。しかし、目元には新しい皺が刻まれ、四年という歳月を物語っていた。


「ソロン様……! シオンくん……!」


 フェリアは二人を見て、安堵の表情を浮かべた。目に涙が光っている。


「ご無事でしたか……! 帝国から、恐ろしい知らせが届いていました。アーデン一族が反逆者として追われていると……」


「やはり、ここにも報せが来ていたか」ソロンが言った。


「はい。帝国の使者が来て、もしアーデン家の者が来たら引き渡すようにと……」


 フェリアの目が、決意に満ちた光を帯びた。柔和な表情の奥に、鋼のような強さが垣間見える。


「もちろん、そんなことはいたしません。ソロン様とシオンくんは、私たちの恩人です」


「感謝する、フェリア殿」


 ソロンは深く頭を下げた。


「どうか、しばらく匿っていただきたい。シオンを守るために」


「もちろんです。どうぞ、中へ」


 フェリアは二人を里の中へ招き入れた。門が閉じられる音が、背後で響いた。



              *



 里に入ると、人々が集まってきた。


「ソロン様が来られた!」


「シオン様も一緒だ!」


「あの時の英雄が帰ってきた!」


 人々の声が、あちこちから聞こえた。老人も子供も、家から出てきて二人を見つめている。


 シオンは戸惑いながら、周囲を見回した。皆、歓迎の表情を浮かべている。敵意や警戒は、まったく感じられなかった。温かい視線が、身を包むようだった。


「シオンくん」フェリアが言った。「あなたが四年前にしたことは、里の誰もが覚えています。あの魔物を倒してくれなければ、里は大きな被害を受けていたでしょう」


「でも、あれは僕だけじゃなくて、ティアとリアムと三人で——」


「ええ、もちろん」フェリアは微笑んだ。「三人の英雄たちの物語は、今でも子供たちに語り継がれています。寝物語に聞かせると、皆目を輝かせるんですよ」


 シオンは、くすぐったいような気持ちになった。


 あの冒険は、自分たちにとっては怖くて必死だった出来事だ。しかし、里の人々にとっては、希望の物語になっていたのだ。


「ソロン様、シオン様」


 一人の老人が、杖をついて近づいてきた。


 白い髪と髭。背は曲がっているが、目は鋭く、威厳に満ちている。


「トーマス長老」フェリアが言った。「里の長老で、戦士たちの指導者です」


「お初にお目にかかります」ソロンが頭を下げた。


「いや、噂はかねがね聞いておる」トーマスは言った。声は低く、しわがれているが、力強い。「帝国最高の賢者、アーデンソロン殿。そして、七歳にして魔物を倒した英雄、シオン殿」


 トーマスはシオンをじっと見つめた。その目は、人の本質を見抜くような鋭さがあった。


「大きくなったな。あの時は、まだ小さな子供だったが……今は、立派な若者の顔をしておる」


「ありがとうございます」シオンは頭を下げた。


「帝国のことは聞いておる。汚い手を使う連中だ」トーマスは吐き捨てるように言った。「だが、心配するな。この里に逃げ込んだ者を、我々は絶対に引き渡さない」


「トーマス長老……」


「我々は、侍と忍の末裔だ。義を重んじ、恩を忘れない。お主らは、この里の恩人。どんなことがあっても、守り抜く」


 ソロンは深く頭を下げた。


「かたじけない」



              *



 二人は、フェリアの家に案内された。


 四年前にシオンが泊まった、あの家だ。木造の温かみのある建物。入口には、干した薬草が束ねて吊るしてある。


「ゆっくり休んでください」フェリアが言った。「お食事も用意しますので」


「ありがとう、フェリア殿」ソロンが言った。


 フェリアが部屋を出て行くと、シオンは窓から外を見た。


 懐かしい風景。霧に包まれた静かな里。茅葺きの屋根、石畳の道、井戸のある広場——あの頃と、何も変わっていないように見えた。時間が止まったかのように。


「おじいさん」


「何だ」


「ここに来られて、よかった」


 ソロンは頷いた。


「ああ。しかし、まだ安心はできない。帝国は、必ずここにも追手を送ってくる」


「わかってる。でも、今は少しだけ、安心したい」


 シオンは目を閉じた。


 両親のことは、まだ心配だ。しかし、今は休まなければならない。体力を回復して、次の行動に備えなければ。


 ——父さん、母さん。もう少しだけ、待っていて。


 そう心の中で呟いた時、部屋の戸が勢いよく開いた。


「シオン!」


 シオンは目を見開いた。


 戸口に立っていたのは、一人の少女だった。


 黒い髪を後ろで束ね、勝気な目をした少女。四年前より背が伸び、少し大人びた顔つきになっているが、間違いない。あの頃と同じ、真っ直ぐな目。


「……ティア」


「本当にシオンなの……? 生きてたのね……!」


 ティアは駆け寄り、シオンの前に立った。息を切らせている——走ってきたのだろう。


 その目には、涙が浮かんでいた。


「帝国から、ひどい知らせが来たの。アーデン一族が反逆者だって……シオンも捕まったんじゃないかって……」


「大丈夫だよ。僕は、ここにいる」


「馬鹿……! 心配させないでよ……!」


 ティアはシオンを抱きしめた。


 シオンは驚いたが、そっとティアの背中に手を回した。彼女の体は震えていた——泣いているのだ。


 四年ぶりの再会。あの頃よりも、お互いに成長していた。しかし、友情は変わっていなかった。時間も距離も、この絆を断ち切ることはできなかった。


「……久しぶりだね、ティア」


「うん……久しぶり」


 ティアは涙を拭い、シオンを見上げた。泣いた後の顔は少し赤くなっているが、その目はいつもの勝気さを取り戻していた。


「約束、覚えてる? また三人で冒険するって」


「覚えてる」


 シオンはポケットから、虹色の結晶を取り出した。川を渡り、崖から落ち、それでも失わなかった大切な宝物。


「これ、ずっと持ってた」


 ティアも、首から下げていた紐を引っ張り、同じ結晶を見せた。


「私も」


 二人は、結晶を見つめ合った。夕日の光を受けて、二つの結晶が虹色に輝いている。


 リアムは今、どこにいるだろう。彼も、この結晶を持っているはずだ。


「いつか、また三人で会えるよね」


「ああ」シオンは頷いた。「絶対に」


 窓の外では、霧が晴れ始めていた。


 薄日が差し込み、里を優しく照らしている。


 嵐の後の、束の間の平穏。しかし、新たな戦いは、すぐそこまで迫っていた。



                                   第十二章 了


お読みいただきありがとうございます。

「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。


完結まで毎日18時に更新予定です!


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