第十章 クーデター未遂の捏造
ソロンが王宮から戻った翌日のことだった。
夜明け前、まだ空が薄暗い時刻に、王宮では密かな会議が開かれていた。
*
王の私室。
アルベルト三世は、暖炉の前に座っていた。その顔には、疲労と狂気が入り混じっている。
「ヴィクター、ソロンは折れないようだな」
「はい、陛下。あの老人は頑固でございます」
ヴィクターは王の前に跪いていた。しかし、その目には忠誠ではなく、冷たい計算が宿っていた。
「力ずくで孫を奪うか」
「それは得策ではございません。アーデン家は帝国有数の名家。無理に手を出せば、貴族たちの反発を招きます」
「では、どうする」
ヴィクターは、にやりと笑った。
「陛下、もし——もしアーデン一族が、陛下に対して謀反を企てていたとしたら、どうでしょう」
王は眉をひそめた。
「謀反だと? ソロンがそのようなことをするはずがない」
「もちろん、実際にはしておりません。しかし、『した』ということにすれば——」
王は、ヴィクターの言わんとすることを理解した。
「……捏造か」
「はい。アーデン一族が陛下の暗殺を企てていた、という証拠を作り上げるのです。そうすれば、一族を逮捕し、孫を保護するという名目で、合法的に手に入れることができます」
王はしばらく考え込んでいた。
かつての彼であれば、そのような卑劣な手段は拒絶しただろう。しかし、今の彼には、エリザを取り戻すことしか頭になかった。
「……やれ」
王は低く言った。
「すべてを用意しろ。証拠も、証人も。アーデン一族を、反逆者として処断する」
「かしこまりました」
ヴィクターは深く頭を下げた。
暖炉の炎が、彼の顔を赤く照らした。その口元には、勝利を確信した笑みが浮かんでいた。
*
その日の昼過ぎ、アーデン家の邸宅は突然、帝国の兵士たちに包囲された。
「何事だ!」
シオンの父——ケイル・アーデンが、玄関に駆けつけた。
門の前には、重武装した兵士が数十人。その先頭に、ヴィクターが立っていた。
「ケイル殿」ヴィクターは丁寧に、しかし冷たく言った。「帝国衛兵隊長、ヴィクター・グレイヴでございます」
「何の用だ。我が家を包囲するとは、どういうつもりだ」
「陛下の勅命により、アーデン一族を拘束いたします」
ケイルは目を見開いた。
「拘束だと? 理由を聞かせてもらおう」
「アーデン一族は、陛下に対する反逆を企てた疑いがございます」
「反逆だと!? 馬鹿な! 我々がそんなことをするはずがない!」
「証拠はございます」ヴィクターは懐から書類を取り出した。「これは、ソロン殿が王宮内の反王派貴族と交わした密書でございます。陛下の暗殺と、政権の奪取を企てていた証拠です」
ケイルは書類を奪い取り、目を通した。そして、顔を歪めた。
「これは偽物だ! 父がこんなものを書くはずがない!」
「本物か偽物かは、裁判で明らかになるでしょう。今は、ご同行願います」
ヴィクターは手を振った。兵士たちが、門を押し開けて邸宅に入ってきた。
「待て! これは陰謀だ! 我々は何もしていない!」
ケイルは抵抗しようとしたが、兵士たちに取り押さえられた。
「ケイル様!」
邸宅から、シオンの母——ミラが駆け出してきた。
「ミラ、来るな! 逃げろ!」
しかし、ミラも兵士たちに捕らえられた。
「シオンを……シオンを守って……!」
ミラの叫び声が、邸宅に響いた。
*
その頃、シオンは邸宅の奥にある書斎にいた。
騒ぎを聞いて窓から外を見ると、兵士たちが邸宅を包囲しているのが見えた。そして、両親が拘束されるのを目撃した。
「父さん……母さん……!」
シオンは書斎を飛び出そうとした。
その腕を、誰かが掴んだ。
「動くな」
振り返ると、祖父のソロンがいた。
「おじいさん! 父さんと母さんが——」
「わかっている。だが、今出て行けば、お前も捕まる」
「でも——」
「シオン、聞きなさい」
ソロンの声は、厳しかった。
「これは罠だ。王とヴィクターが、お前を手に入れるために仕組んだ陰謀だ」
「陰謀……」
「彼らは、我々が反逆を企てたという嘘の証拠を作り上げた。これで、堂々とお前を拘束できる」
シオンは唇を噛んだ。
「そんな……卑怯じゃないか……」
「卑怯だ。しかし、今の王には、それを止める者がいない」
ソロンはシオンの肩を掴んだ。
「シオン、逃げるぞ」
「逃げる? でも、父さんと母さんは——」
「彼らは、お前を守るために残る。そのことを、無駄にしてはならない」
シオンの目に、涙が浮かんだ。
「でも……でも……」
「シオン」
ソロンは孫の顔を両手で挟み、真っ直ぐに見つめた。
「今は逃げることが、お前にできる最善の行動だ。生き延びて、力をつけろ。そして、いつか必ず、両親を救い出すのだ」
シオンは、しばらく言葉を発せなかった。
涙が頬を伝った。両親を置いて逃げることへの罪悪感。しかし、祖父の言葉が正しいことも、わかっていた。
「……わかった」
シオンは涙を拭い、頷いた。
「逃げる。そして、必ず戻ってくる」
ソロンは微笑んだ。
「よく言った。さあ、行くぞ」
*
ソロンはシオンを連れて、邸宅の地下へ向かった。
アーデン家の邸宅には、非常時のための秘密の通路があった。先代の当主が作らせたもので、その存在を知る者はほとんどいない。
「こっちだ」
ソロンは地下室の壁に手を当てた。複雑な紋様を指でなぞると、壁の一部が音もなく開いた。
「ここから外に出られる。森の中に出口がある」
二人は狭い通路を進んだ。暗闇の中、ソロンが魔法で小さな光を灯す。
やがて、通路は上り坂になり、木の根が露出した天井が見えてきた。
「もうすぐだ」
ソロンが出口の石蓋を押し上げると、森の中に出た。
木々の向こうに、アーデン家の邸宅が見える。炎が上がっていた。
「邸宅が……燃えている……」
シオンは呆然と呟いた。
「奴らは証拠を隠滅するつもりだ。邸宅ごと焼き払って、我々が抵抗したことにするのだろう」
ソロンの声は、怒りを抑えていた。
シオンは拳を握りしめた。
許せない。王も、ヴィクターも、絶対に許せない。
しかし、今は逃げるしかなかった。
「行くぞ、シオン。追手が来る前に、できるだけ遠くへ」
ソロンはシオンの手を引き、森の奥へと走り始めた。
*
森を抜けると、街道に出た。
ソロンは周囲を警戒しながら、シオンに言った。
「ミストリアを目指す」
「ミストリア……」
「お前が幼い頃に過ごした場所だ。あそこなら、我々を匿ってくれるだろう」
シオンは頷いた。
ティアの顔が、浮かんだ。あの元気な少女は、今も里にいるだろうか。
「どのくらいかかる?」
「早ければ三日。しかし、追手がかかれば、もっとかかるかもしれない」
ソロンは空を見上げた。太陽は西に傾き始めている。
「今夜は、どこか安全な場所で休もう。明日から、本格的に移動する」
二人は街道を外れ、森の中に隠れた。
木の根元に座り、シオンは空を見上げた。
オレンジ色に染まる空。同じ空の下で、両親は今、どうしているだろう。
——父さん。母さん。
シオンは心の中で呼びかけた。
——必ず助けに行く。だから、待っていて。
懐の中で、虹色の結晶が微かに光った。
リアムとティアとの絆の証。それが、今のシオンにとって、唯一の希望だった。
逃亡の夜が、静かに更けていった。
第十章 了
お読みいただきありがとうございます。
「クロノス・クロニクル」、いかがでしたでしょうか。
完結まで毎日18時に更新予定です!
ブックマーク・評価・感想をいただけると励みになります。
よろしくお願いいたします。




