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文豪たちへのオマージュ【明治~昭和 文豪リミックス】

ファインダー越しの爆弾(原作『檸檬』梶井基次郎)

作者: 双瞳猫

百年前に梶井基次郎が描いた一個の檸檬。それは、えたいの知れない不吉な塊を抱えた青年の心を、束の間解き放つ鮮烈な爆弾でした。


時代は移り、私たちを苛む憂鬱の質は変わりましたが、その根源にある息苦しさは今も変わりません。

もし、現代に生きる私たちが、あの青年のように心の爆弾を手にするとしたら、それは一体何でしょうか。


本作は、一台の使い捨てカメラを「檸檬」に見立てた、ささやかな思考の実験であり、現代への抵抗の物語です。

 スマホの画面が放つ青白い光が、薄暗い部屋で私の顔だけを幽霊のように浮かび上がらせている。指はもはや私の意志とは関係なく、慣性だけで動いていた。親指で画面を弾くと、友人たちの完璧な一日が、カラフルな洪水のようになだれ込んでくる。


 #アフタヌーンティー #推し活 #今日のコーデ


 きらきらと光るハッシュタグの羅列。寸分の隙もなく計算され尽くした構図。現実には存在しないはずの、陶器のようにつるりとした肌。私も、その洪水の一部だった。三時間前に投稿した、スターバックスの新作フラペチーノの写真。カップの角度、背景のボケ具合、さりげなく添えた指のネイルの色まで、納得がいくまで何度も撮り直した渾身の一枚だ。すでに百を超える「いいね」がつき、コメント欄には「莉奈ちゃん、いつもお洒落だね」「今度一緒に行こ!」という、もはや定型文と化した言葉が並んでいる。


 私は律儀に、一つ一つのコメントにハートマークをつけ、当たり障りのない返信を打ち込んでいく。「ありがと!」「ぜひぜひ!」。キーボードを叩く指先だけが器用に動き、表情筋はぴくりとも動かない。


 画面の中の私は、いつだって楽しそうで、充実していて、誰からも好かれている。でも、ベッドに沈み込むように横たわる本当の私は、胃のあたりにずしりとした鉛の重りを抱えていた。もう何日も、心から笑っていない。何を食べても、まるで砂を噛んでいるような味しかしない。


 この得体の知れない憂鬱は、いったいどこから来るのだろう。それはまるで、じっとりと肌にまとわりつく梅雨時の湿気のようで、私からあらゆる気力という気力を根こそぎ奪っていく。制服のスカートはアイロンをかけるのが億劫で皺が寄り、机の上には読みかけの雑誌や、手つかずの参考書が乱雑に積まれている。部屋の乱れは心の乱れ、なんて使い古された言葉が頭をよぎり、さらに気分が滅入った。


「キラキラ」を演じるためのエネルギーは、スマホの充電残量のように、あっという間に底をつく。充電ケーブルを繋いでも、私の心は少しも満たされない。むしろ、画面が光り、通知が来るたびに、見えない誰かに何かを催促されているような焦燥感に駆られるだけだった。もっと面白い投稿をしなさい。もっと「いいね」がもらえる写真を撮りなさい。もっと、みんなが羨む「私」でいなさい、と。


「疲れた……」


 誰に言うでもなく呟いた声は、埃っぽい部屋の空気の中に虚しく溶けて消えた。タイムラインを更新すると、また新しい「完璧な一日」が流れてくる。私は、そのまぶしさに耐えかねるように、そっと目を閉じた。


「ちょっと莉奈、部屋、少しは片付けなさいよ!」


 週末の昼下がり、階下からの母の苛立った声に、私は重い体をようやく起こした。今日のノルマは、自室の掃除。気が進まないにも程があるが、これ以上母の機嫌を損ねるのも面倒だった。


 しぶしぶ机の引き出しを開ける。中には、ぐちゃぐちゃに詰め込まれた古い文房具や、友人たちと撮ったプリクラ帳、使い道のわからないキャラクターもののキーホルダーが、地層のように重なっていた。そのガラクタの海の底をかき分けると、指先に硬い箱が当たった。


 手に取ると、それは少し色褪せた緑とオレンジの、見慣れないパッケージだった。「写ルンです」。そういえば、祖母の家で見たことがあるような気がする。使い捨てのフィルムカメラ。なぜこんなものが自分の引き出しに? ああ、そうだ。中学の修学旅行の時だ。スマホの持ち込みが禁止だったからと、親が念のために持たせてくれたものだ。結局、ほとんど使わずに持ち帰り、そのまま存在すら忘れてしまっていた。


 プラスチック製の本体は、毎日手にするスマートフォンの薄さや滑らかさとは対極にある、不格好な厚みを持っていた。そして、見た目に反して驚くほど軽い。背面に付いている、フィルムを巻くための大きなダイヤルを、おそるおそる親指で回してみる。「ジッ……、ジッ……」。硬質で、けれどどこか懐かしい機械的な音が、静まり返った部屋に響いた。その、指先に抵抗が伝わる手応えのある感触が、なぜかひどく新鮮に感じられた。


 ファインダーを覗いてみる。小さなプラスチックの窓の向こうに、乱雑な私の部屋が見えた。スマホの液晶画面のように、どこまでもクリアで明るいわけではない。少しだけ視界が歪んで、四隅がほんのりと暗い。けれど、その不確かな視界を通して見ると、見慣れたはずの部屋が、まるで知らない場所のように見えた。無造作に積まれた雑誌の束が、前衛的なオブジェのように。窓から差し込む光が、空気中の埃を照らして作り出す筋が、まるで教会に差し込む光線のように神々しく見えた。


 私は、何かに導かれるように、衝動的にシャッターボタンを押し込んだ。「ガチャン」。想像していたよりもずっと大きな音がして、指先に確かな振動が伝わった。背面のカウンターの数字が、27から26に変わる。たったそれだけのことなのに、鉛のように重かった心が、ふわりと浮き上がるような不思議な感覚に襲われた。


 そうだ、街へ出てみよう。この、わけのわからない塊を抱えて。


 私はクローゼットから適当なスウェットを引っ張り出して着替えると、いつもは手放せないスマホを、あえて机の上に裏返して置いた。通知も、誰かの視線も、ここには届かない。リュックに「写ルンです」だけを無造作に放り込み、私はアパートの階段を駆け下りた。


 あてもなく歩く。いつもはイヤホンで耳を塞いで、好きなバンドの音楽を外界からのノイズを遮断するための壁にしているけれど、今日は街の音が直接鼓膜を揺らした。高架下を通過する電車の轟音、自転車の甲高いブレーキ音、どこかの家の窓から漏れてくる拙いピアノの旋律。世界は、こんなにもたくさんの音で満ちていたのか。


 私は、まるで初めてこの街に来た観光客のように、きょろきょろと辺りを見回した。そして、心が微かに動いた瞬間に、ファインダーを覗き、シャッターを切った。


 普段なら絶対に足を踏み入れない、細い路地裏。アパートとアパートの隙間に、忘れられたように存在するその薄暗い空間に、一台の錆びついた自転車が打ち捨てられていた。ハンドルから伸びた蔦が、まるで血管のようにフレームに絡みついている。その、静かな滅びの光景に、私はなぜか美しさを感じた。


 ゴミ収集所の隣で、陽だまりの中、気持ちよさそうに毛づくろいをしている三毛猫がいた。スマホならすぐにズームして、連写して、一番「いいね」が貰えそうな愛らしい角度を探すだろう。でも、このカメラはそんな器用なことはできない。私はゆっくりと膝をかがめ、猫の邪魔をしないように、そっと息を殺して距離を詰める。猫がふとこちらを向き、琥珀色の瞳と視線が合った瞬間、「ガチャン」とシャッターを切った。猫は少し驚いたように私を一瞥すると、興味を失ったように、また丁寧に前足の毛づくろいを再開した。


 ひび割れたアスファルトの隙間から、名前も知らない小さな紫色の花が咲いていた。誰にも気づかれず、褒められることもなく、ただそこに在るだけの健気な生命。ファインダー越しにその小さな姿を見つめ、フィルムに焼き付けた。


 古びた商店街の果物屋の店先。乱雑に積まれた段ボール箱から、真っ赤な林檎がこぼれ落ちそうになっていた。その隣には、鮮やかな黄色い檸檬の山。スーパーマーケットに並ぶ、ワックスで磨かれた均一な檸檬とは違う。形も大きさもバラバラで、少し傷のある皮。でも、その一つ一つが、強烈な生命力を持っているように見えた。私はその毒々しいほどの黄色に惹きつけられ、一枚シャッターを切った。


 フィルムを巻く「ジッ」という音と、シャッターを切る「ガチャン」という音。その無骨なリズムが、私の足取りを少しずつ軽くしていく。現像するまで、どんな写真が撮れているのか、まったくわからない。もしかしたらピントが合っていないかもしれないし、光が足りずに真っ暗な写真になっているかもしれない。でも、その不確かさが、今はたまらなく心地よかった。


 スマホのカメラは、常に「正解」を求めてくる。もっと明るく、もっと鮮やかに、もっと美しく。フィルターをかけ、角度を調整し、現実を「より良いもの」に加工していく作業。それは、私自身がSNSの中で、必死にやっていることと同じだった。ありのままの自分ではなく、加工され、編集された「理想の私」を見せること。


 でも、この不器用なカメラは、ただそこにある世界を、そのまま切り取るだけだ。光も、影も、美しさも、醜さも。ファインダーを覗いている間、私は「いいね」の数からも、誰かの評価からも、完全に自由だった。ただ、目の前の世界と、私と、この小さなカメラだけが存在していた。


 西日が傾き、古い雑居ビルの窓ガラスが、まるで燃えているかのようにオレンジ色に輝いていた。私はその圧倒的な光景に心を奪われ、夢中で最後のシャッターを切った。カウンターの数字が「E」を示す。フィルムを使い切ったカメラは、最初に手にした時よりも、ほんの少しだけ重みを増しているように感じられた。それは、私が今日、確かに世界と触れ合った証のようだった。


 約束の時間は、午後五時。場所は、駅前の蔦屋書店。友人たちとの月一回の「近況報告会」だ。以前は楽しみで仕方がなかったその会も、今では義務のように感じられていた。


 店内に足を踏み入れると、焙煎されたコーヒーの香ばしい匂いと、新しい紙の匂いが混じり合った、独特の空気が私を迎えた。天井まで届く巨大な本棚、暖色系の間接照明、北欧デザインの椅子が並ぶカフェスペース。そこは、知性と感性が巧みにパッケージ化された、巨大で美しい商業空間だった。


 カフェスペースの窓際の席に、友人たちの姿を見つける。ミサキとユイは、テーブルに並べたカフェラテと季節限定のチーズケーキを、熱心にスマホで撮影していた。


「あ、莉奈、おっそーい」

「ごめんごめん」


 私が席に着くと、二人はようやく撮影会を終え、早速インスタグラムの投稿画面を開いた。

「このフィルター、めっちゃ良くない?」

「わかるー。あ、莉奈のフラペチーノ、めっちゃ『いいね』ついてんじゃん。さすがだね」


 会話はいつも通り、SNSの話から始まった。誰のアカウントが「バズってる」とか、どのインフルエンサーが企業から「案件」をもらったとか。私は適当に相槌を打ちながら、目の前に置かれたアイスティーのグラスをぼんやりと見つめていた。氷がカラン、と澄んだ音を立てて溶けていく。


 しばらくして、話題は進路や将来の話に移った。高校二年の秋、それは避けては通れない話題だった。

「私、とりあえずオープンキャンパス、有名なとこは全部行くつもり」

「わかる。結局、名前が通ってないとこ行っても意味ないしね。就職とか考えたら」


 私は何も言えなかった。彼女たちの語る未来は、まるで人気ランキング上位の大学を選ぶように、偏差値と知名度と、そして「世間体」という名のフィルターで慎重に選別されていた。そこに、彼女たち自身の「好き」や「やりたい」という気持ちが、どれだけあるのだろうか。


 少し息が詰まって、私は「ちょっと本見てくる」と嘘をついて席を立った。

 ふらふらと店内を歩く。自己啓発書のコーナーに足を踏み入れると、無数の強い言葉が目に飛び込んできた。


『20代でやるべき100のこと』

『圧倒的に結果を出す人の思考法』

『もう迷わない!「本当の自分」を見つけるワークブック』

『愛される私の作り方』

『「選ばれる人」になるためのコミュニケーション術』


 金色の箔押しがされたタイトルが、一斉に私に語りかけてくるようだった。もっと輝け、もっと努力しろ、もっと価値のある人間になれ、と。隣の美容雑誌の棚には、「史上最高の私、爆誕」「全方位モテを叶える春メイク」という、さらに扇情的なコピーが躍っている。


 この場所にあるすべてのものが、私を追い立てているように感じた。今のままのお前ではダメだ、と。もっと完璧な「私」という商品になれ、と。それは、私が毎日タイムラインで浴びている、無数の「キラキラ」と同じ種類の、優しくて残酷な圧力だった。


 吐き気がした。頭がくらくらする。私は、このきらびやかで、息苦しい空間から今すぐ逃げ出したかった。


 その時、リュックの中で、何かがこつんと背中に当たった。

 ――「写ルンです」だ。

 今日の午後、私に世界の別の見方を教えてくれた、あの不器用な塊。フィルムを使い切った、空っぽのカメラ。


 ふと、悪戯な考えが稲妻のように頭を貫いた。それは、昔、国語の授業で習った梶井基次郎の小説で読んだ、憂鬱な主人公が檸檬を爆弾に見立てる、あの有名な一節と重なった。


 もし、このカメラが爆弾だったら?

 この、完璧な正しさと、計算され尽くした美しさで埋め尽くされた場所に仕掛ける、私の小さな爆弾。


 私は、まるで何かに憑かれたように、自己啓発書のコーナーに戻った。平台の上では、今、一番売れているというビジネス書のタワーが、まるで祭壇のように高く組まれている。その本のタイトルは、『あなたの価値を最大化する成功法則』。


 私は周りに誰もいないことを素早く確かめると、リュックから「写ルンです」をそっと取り出した。緑とオレンジのチープなプラスチックの塊。その無骨な手触りが、なぜかひどく頼もしく感じられた。


 私は本のタワーの真ん中あたりから、そっと一冊抜き取った。そして、できた隙間に、まるでパズルのピースをはめ込むように、静かに「写ルンです」を置いた。それは驚くほどぴったりと、その場所に収まった。きらびやかな成功法則を説く本の間に埋め込まれた、時代遅れのアナログ機械。その異質な組み合わせは、誰が見ても奇妙なものに違いない。


 私は抜き取った本を、カメラを隠すように元の場所に戻した。タワーは、何事もなかったかのように、再び完璧な姿を取り戻す。けれど、その内部には、確かに私の「爆弾」が仕掛けられていた。


(これは爆弾)


 心の中で、私は静かに呟いた。


(キラキラした正しさで溢れたこの場所に仕掛ける、私の小さな爆弾。現像したら失敗作だらけかもしれない。光が足りなかったり、手ブレしていたり、何が写っているのかわからない写真ばかりかもしれない。でも、それでいい。不確かで、曖昧で、でも確かな手触りのある、私だけの爆弾。この、どこまでも滑らかで、美しくて、息苦しい世界に、たった一つ残すザラザラとした手触り)


 誰かがこれを見つけたら、どう思うだろう。書店の店員は、きっと困惑しながら、忘れ物としてカウンターに持っていくだろう。あるいは、私と同じようにこの空間に息苦しさを感じた誰かが、興味を持って手に取るかもしれない。そして、そのチープなプラスチックの感触に、何かを感じるかもしれない。


 どうなってもよかった。ただ、この行為そのものが、私にとっては重要だった。誰にも評価されない、誰にも「いいね」をもらえない、たった一人だけの、秘密の反逆。


 私は何食わぬ顔でその場を離れた。友人たちが待つカフェスペースには戻らず、そのまま店の出口へと向かう。ガラスの自動ドアが開き、外のひんやりとした空気が頬を撫でた瞬間、私は自分がずっと息を止めていたことに気づいた。


「はぁ……っ」


 溜め込んでいた息をすべて吐き出すと、鉛のように重かった体が、嘘みたいに軽くなった。振り返ると、ガラス張りの店内では、友人たちがまだスマホの画面を覗き込みながら、楽しそうに笑っている。その光景が、まるで分厚いガラス一枚を隔てた、遠い世界の出来事のように見えた。


 私はもう、あの場所には戻れない。戻りたくない。


 スマホを置いてきたポケットは空っぽで、その心許なさが、今はむしろ心地よかった。通知に急かされることも、誰かの投稿に心をかき乱されることもない。見上げた空には、一番星が瞬き始めていた。いつも見ているはずの空なのに、今日はやけに広く、澄んで見えた。


 駅へ向かう雑踏の中を、私は少しだけ速足で歩いた。すれ違う人々の顔は誰も見ていない。ただ、自分の足音がアスファルトを蹴る感覚だけが、やけに鮮明だった。


 そうか、あれは「使い捨て」なんだ。フィルムを使い切ったら、もう終わり。私の爆弾は、一回きりの、儚いもの。まるで、次々と消費されては忘れ去られていく、この世界の流行みたいに。


 でも、それでいいのかもしれない。


 私の爆弾は使い捨て。だから、この世界と同じ。でも、私の爆発は、誰かの「いいね」のためじゃない。ただ、私のための爆発だ。


 帰り道の途中、商店街の入り口に「カメラのキタムラ」という、少し色褪せた看板が目に入った。ああ、そうだ。あの爆弾の「中身」を、私はまだ見ていない。


 私は、明日、学校が終わったらここに来よう、と心に決めた。そして、あの爆弾を現像に出すのだ。どんな世界が写っているだろう。そして、もし、またあの息苦しさに耐えられなくなったら。その時は、コンビニで千円札を一枚出して、新しい「写ルンです」を買えばいい。私のささやかな反逆は、何度だって始められる。


 家に帰り着くと、机の上に置かれたスマホが、不在着信やメッセージの通知で、何度も画面を点滅させていた。ミサキとユイからだろう。「どこ行ったの?」「既読つかないけど大丈夫?」。以前の私なら、罪悪感と焦りで、すぐに謝罪のメッセージを送っていたはずだ。


 でも、今の私は、不思議と穏やかな気持ちでその点滅を眺めていた。


 明日から、何かが劇的に変わるわけではないだろう。私はまた制服を着て学校へ行き、授業を受け、友人たちと当たり障りのない会話をする。タイムラインには、相変わらずキラキラした投稿が溢れ続けるだろう。


 けれど、私の心の中には、もう一つの世界がある。ファインダーを覗けば、いつでも見つけられる、ザラザラしていて、不確かで、でも愛おしい世界。


 私はスマホを手に取ると、電源ボタンを長押しした。画面に「電源を切る」という表示が現れる。私はためらうことなく、それをタップした。


 画面が真っ暗になり、世界から切り離される。その静寂の中で、私は今日の午後に嗅いだ、檸檬の鮮烈な香りを思い出していた。あの生命力に満ちた黄色。私の爆弾は、見事に爆発したのだ。誰にも気づかれなくても、確かに。


 明日は、どんな世界が紙の上に現れるだろうか。現像した写真を見るのが、心から楽しみになっていた。(本編 了)





 献辞

 梶井基次郎様


 あなたの描いた一人の青年が抱えた「えたいの知れない不吉な塊」は、百年近い時を経て、その様相を変えながらも、今なお私たちの心に棲みついています。


 かつて彼を苛んだ憂鬱が、肺の病や神経の疲れに根差していたとするならば、現代の私たちを蝕むそれは、絶え間なく流れ込む情報の洪水と、画面の向こうから注がれる無数の視線の中にあります。


 あなたの主人公は、八百屋の店先で一個の檸檬を見つけました。その冷たさ、鮮やかな色彩、そしてかぐわしい香り。それは、彼にとって世界のすべてを凝縮した宝物であり、美しくも退屈な書物の城「丸善」に仕掛ける、鮮烈な空想の爆弾となりました。


 この物語の主人公が手にしたのは、檸檬ではなく、一台の古びた使い捨てカメラです。あらゆるものがデジタル化され、瞬時に評価され、消費されていく世界の中で、フィルムを巻き上げるザラザラとした手触りと、現像するまで結果のわからない不確かさこそが、彼女にとっての「檸檬」でした。


 彼女は、あなたの主人公がそうしたように、完璧に整えられた「知」の城に、ささやかな爆弾を仕掛けます。それは世界を変えるためのテロリズムではなく、ただ自分の心の均衡を取り戻すための、孤独で、しかし切実な祈りのような行為でした。


 時代を超え、若者の心に潜む憂鬱と、そこからのささやかな逃走を描くための灯火を与えてくださったことに、心からの敬意と感謝を込めて。あなたの檸檬が放った鮮やかな光は、今も私たちの足元を照らしています。


本作をお読みいただき、心より感謝申し上げます。


梶井基次郎の「檸檬」を現代で描くなら、という着想からこの物語は生まれました。

主人公が仕掛ける「爆弾」は、誰かを傷つけるものではなく、むしろ自分自身の魂を救うための儀式です。


デジタル化された社会の中で、時に私たちはアナログな手触りや、結果のわからない不確かさを求めます。

あなたの心の中にある「檸檬」とは何か。この物語が、日々の憂鬱からのささやかな逃避行となれば幸いです。



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