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婚約破棄された“出来損ないの悪役令嬢”だったはずが、隣国の皇太子に見初められて溺愛された上に、私を虐げた家族を容赦なく潰されましたが、これはただの始まりに過ぎません

作者: 結城斎太郎


「姉と比べて、なんて見苦しいのかしら。そんな顔で舞踏会に出るなんて、恥さらしもいいところね」


そう言って笑ったのは、姉のクラリッサだった。黄金の巻き髪、知性と教養を兼ね備えた美貌。ドレスは最新の王都仕立てで、まるで本物の王女のような気品があった。


それに対し私は──アリシア・バルメリー侯爵令嬢は、いつも古びたドレスを与えられ、使用人同然に扱われていた。


父と母は、私が生まれた時から私を“失敗作”と呼んだ。魔力も平凡、勉学も才能がないと見なされ、私に投資する価値はないと冷たく言い放った。


そして、私はその日──ついにすべてを失った。


「アリシア。君との婚約を破棄させてくれ。僕は、クラリッサ嬢を愛している」


目の前で跪いた婚約者、グレイ・エルメロイ公爵子息は、私の姉の手を取り、恍惚とした笑みを浮かべていた。


「……それが、貴方の答えなのですね」


声は震えていた。だけど、涙は出なかった。泣き方を、もう忘れてしまったのかもしれない。


「そうだ。君とは政略だった。でもクラリッサ嬢は違う。僕の心を動かした、唯一の人だ」


「……わかりました。婚約破棄、受け入れます」


微笑んで、その場を立ち去った。私に気づく者など誰もいない。父も母も、何も言わず目をそらしていた。


その夜、私は使用人部屋に忍び込み、こっそりと平服に着替える。唯一の財産は、祖母から貰った銀のペンダントだけ。小さな旅行鞄に詰めて、静かに屋敷を抜け出した。


そして、国境の森を超えて──私は、隣国・ルヴァール王国へと足を踏み入れた。



「──ほう、それでこの国に来たと?」


「……はい。身分も名も、何も必要ありません。ただ、静かに暮らせる場所が欲しいのです」


応接室に響く重厚な声の主は、ルヴァール王国の皇太子、レオナルト=アグリオス閣下。


冷徹で知られる軍人皇太子。誰もが畏れる存在。


だが今、その紅い瞳は、まっすぐに私を射抜いていた。


「君のような淑女が、何故そこまで追い詰められた? ……いや、それ以上は聞かぬ。だが──」


椅子から立ち上がった彼は、私の前で片膝をつく。


「私の妻になれ、アリシア」


「……は?」


「君を虐げた者たちは許さない。そして、君にはふさわしい地位と幸福を与えよう。私と共に来るがいい」


「──冗談でしょう。初対面の女に何を……」


「私は本気だ。君の目を見れば分かる。誰よりも、傷ついている。だが、誰よりも強い。そんな女性は……私の傍にいて欲しい」


私の心は揺れた。でも、信じられなかった。私は愛される価値などない。そう教え込まれてきた。


「申し訳ありません……。お気持ちは、嬉しいですが」


私は断った。



それからの生活は、王都郊外の屋敷に保護され、最低限の礼儀だけで生活をさせてもらっていた。使用人たちは優しかった。温かい食事、柔らかなベッド、誰にも怒鳴られない生活。


それだけで、涙が出るほど幸せだった。


だが──数週間後、王都に激震が走った。


「旧バルメリー侯爵家が王国から告発され、爵位を剥奪されたと?」


「公爵子息グレイも失脚。姉のクラリッサ嬢も、不正の証拠と共に国外追放だとか……」


風聞は屋敷にも届いた。


私は理解した。あの人が──レオナルト殿下が、動いたのだ。


「どうして……ここまで……」


部屋で一人、呟いたその時だった。


「君のために決まっている」


ドアの外から聞こえた声に、私は目を見開いた。


そこに立っていたのは、かの冷徹皇太子だった。


「君は、自分を傷つけた者を赦すというのか? 私は赦さない。君が断ったからと言って、私の意志は変わらぬ」


「……っ、どうしてそこまで……」


「初めて君を見たとき、心が震えた。君の瞳に宿る強さと、諦めの奥にある絶望……。私は、君に幸福を教えたい。力でねじ伏せるのではなく、君が“自分を愛する”という感情を、もう一度……」


私は、言葉を失った。


誰かが私のことを、こんなふうに想ってくれるなんて──思ったこともなかった。


それでも、私はまだ迷っていた。怖かった。信じることが。


けれど、彼の瞳はまっすぐで、揺るぎなかった。


「答えを急がせるつもりはない。ただ、君の人生はもう、誰かの所有物じゃない。それを忘れないでくれ」


彼は、そう言って去っていった。


私はベッドの上でペンダントを握りしめながら、小さく呟いた。


「──こんな世界も、あるのね」



---



──数ヶ月後。


ルヴァール王宮の中庭。冬を迎える直前の澄んだ空気のなかで、私はレオナルト殿下と肩を並べて歩いていた。


「あれほど拒絶していたのに、今ではすっかり懐かれたものだな」


彼はからかうような笑みを浮かべてそう言った。


「……懐いた覚えはありませんけど」


そう口を尖らせながらも、私は彼の隣が心地よくなっている自分を否定できなかった。最初の頃の私なら、絶対に考えられない。だけど今、私は穏やかな笑顔を取り戻している。


それは、この国で過ごした時間、そして彼の真っ直ぐな想いが、少しずつ私の心を溶かしてくれたからだ。



「アリシア・バルメリー嬢に、改めて求婚する。どうか、私の妃となってくれないか」


再び、彼は膝をついた。


前と同じように、いや、それ以上に真摯な瞳で。


「……それでも私には、何もないわ。家も地位も、名誉も」


「君自身がある。それだけで十分だ。君の傷を癒すのは、私の役目だと思っている」


私は静かに頷いた。


「はい……喜んで、お受けします」


その瞬間、空が晴れたような気がした。



婚約の発表は、王宮でも大きな波紋を呼んだ。


「まさか、亡国の落ちぶれた令嬢が次期王妃に選ばれるとは」


「どう考えても、お飾りですわ。皇太子殿下が一時の気まぐれでしょう」


陰口を叩く者は多かった。だが、私はそれに怯えなかった。


なぜなら、レオナルトが私を支えてくれていたから。


ある日、宮中の一角で貴族の令嬢たちに囲まれたときのこと。


「ご自分の立場、わかってらっしゃいます? 皇太子殿下に捨てられたら、また国を出て行くことになるのよ?」


「私たちのように、きちんと家柄のある者が王妃にふさわしいんですのよ」


──懐かしい。かつて姉クラリッサによく言われた言葉と同じ。


でも、私は静かに笑って答えた。


「なら、殿下に直接仰ってはいかがかしら? 私より“ふさわしい”と、あなた自身を売り込めばいい」


「……!」


「それとも、言えないのかしら? 自分が選ばれないと、心のどこかで気づいているから」


静まり返る空気。彼女たちは顔を真っ赤にして立ち去っていった。


私は初めて、自分の声で人を追い払った。怖くなかった。それはきっと、レオナルトの存在が心の支えになっていたから。



やがて、戴冠式とともにレオナルトの即位が決まった。


私は次期王妃として正式に婚約者として紹介され、戴冠式後の舞踏会で全ての注目を集めることになった。


その夜──彼は私の手を取って、皆の前で高らかに宣言する。


「この女こそが、私の未来を共に歩む、唯一無二の妃だ。誰が何と言おうと、私は彼女を選んだ」


誰も反論しなかった。彼の背には剣と信念がある。人々は頭を下げ、私はその場で小さく微笑んだ。


「レオナルト様……ありがとうございます」


「いや、私の方こそ感謝したい。君が、私の求愛を受け入れてくれたことを」


その夜、二人で並んで月を見上げた。


「私は……怖かったのです。貴方が私を愛してくれるなんて、信じてはいけないと思っていた」


「それでも、信じることを選んだ。君のその勇気が、すべてを変えた」


彼の言葉に、私の胸はあたたかく満たされていった。



──そして、私を踏みにじった者たちの末路は、それぞれ悲惨だった。


父は爵位剥奪とともに全財産を没収され、街の下層民として落ちぶれた。母は他貴族の妾として売られ、姉のクラリッサは国外追放された後、ある国の貴族の後宮に売られたという噂が流れていた。


元婚約者グレイは、詐欺と背任の罪で投獄。釈放の目処は立っていない。


「自業自得ですね」


私がそう口にすると、レオナルトは静かに頷いた。


「復讐の刃は、君が握らなくてもいい。私が代わりに振るった。それで十分だ」


「……はい。もう、後ろは振り返りません」


私は微笑んだ。


もう“出来損ない”なんかじゃない。


私は、未来の王妃。


誰かに縋られるのではなく、自分で生きていくと決めた。


この国で、彼と共に。



それから数年後──


ルヴァール王国・王妃の間。


「陛下、アリシア様はご出産の準備に入られました」


「……そうか。すぐに向かう」


玉座を離れたレオナルトは、妻である私の手を握った。


「君と出会えてよかった、アリシア」


「私も……貴方と歩む人生を選んで、本当によかった」


かつての“悪役令嬢”と蔑まれた少女は──


今、王妃として、この国を共に支える存在となった。


その歩みは、まだ始まったばかり。




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