上
歩いている私のすぐ隣を自転車が駆けていった。
その風に金の髪がなびく。綺麗だ。我ながら。
青空の下、通りを歩く自分が向かいの窓ガラスに写る。美しいな。持つべきものは、富と美貌。周囲の人々の目が向くのも頷ける。
窓の向こうでは、冴えない黒髪の少年が古びた机を拭いていた。
あいつは私を見ないのか。
何だか面白くない気分になり、足が向く。
「普段ならこんな古臭い店、足を踏み入れたくもないんだがな」
木の扉を押す。乾いた音と共に扉が開く。
チリン、と入店を知らせる軽やかな鈴の音が鳴った。
「!」
その瞬間、香ばしい匂いが鼻に抜ける。
「いらっしゃいませ」
窓の向こうにいた少年の黒曜石のような目が、私を写す。
「空いている席にどうぞ」
何事も無かったかのように通り過ぎる視線。
(何故だ。なぜこの瞳は私を写さないんだ?)
瞳には映っているのに、少年の意識が自分に向かないことに、キエラは悶々とした思いを抱く。
「ご注文はお決まりですか」
無意識に少年を見つめながら、うんうんと唸っていると、少年が近寄ってくる。
かと思えば、コン、と澄んだ水の入ったグラスを机に置いて、まるで蟻を見るように興味のない、しかし少しばかり眉を顰めた怪訝そうな顔をして、声をかけてきた。
「え」
そこでキエラはメニューも見ていなかったことに気づいた。
慌てて机の端に立てかけてある薄いメニュー表を見る。
(これは私が悪いな。店に入ってきて、注文しようともしない客にじろじろ見られたら、誰だって嫌だろう)
「すみません。もう少し考える」
「では決まったら、呼んでください」
少年はそう言って厨房へと戻っていった。
キエラはメニュー表に顔を近づけて真悩んだ。
(どうしよう。サンドイッチか。だがこっちのサラダも…ハンバーグも美味しそうだな。飲み物は……)
注文しようと少年の方を見るが、少年はグラスを拭いていて気付いていない。
いつも、キエラが料理を注文するときは、必ず顔を上げたらウェイターと目があったものだ。だから、声をかけたことも無いし、待つといったこともしたことがない。
何と言ったものかと悩むが、意を決して声をだした。
「すみません……」
恥ずかしくて、控えめに声をかけると、少年はグラスから顔を上げて、キエラの方へと注文をとりに来た。
「サンドイッチと、カフェモカ、ください」
「少々お待ちください」
少年はそう言ってキエラを顧みることなく、厨房に入っていく。
すると、奥から白髪の、温厚そうなお爺さんが出てきた。
おそらく彼が、この店の店主だ。
キエラは今の短い時間だけで、初めての経験をたくさんした。キエラを特別扱いしない人も、不要な興味を持たない人も、少年が初めてだった。
(普通の人って、こんな感じなのね)
キエラはサンドイッチを作る少年をぼうっと眺めた。
店に入った時のような憤りは、もはや感じなくなっていた。
むしろ、心地よくすら思う。
「お待たせしました」
運ばれてきたのは、野菜を挟んだ素朴なサンドイッチと、よく冷えた、茶色いタンブラーに注がれた、カフェモカだ。
(おいしい)
頼んだカフェモカもサンドイッチも、ロクに客も入っていない古びた店の癖にひどく上等に感じられて。
会計をする少年をそうっと見つめる。
綺麗な顔だ。自分以外にこんな感想を抱くなど、今まで考えたこともなかった。
キエラは鈴を鳴らして、扉の外に出た。
照りつける太陽が強く、頬が熱い。
(また次来たら、あいつの瞳は私を写すだろうか)
キエラは迎えが来るまでの道のりを、のんびりと歩いた。




