鏡花読書~取舵、聾の一心
『取舵』(明治二十七年十二月)
富山の伏木港から越後の直江津へ、途中で荷を積みながら半日をかけて航海する客船の旅を追った物語である。
三十人ほどが詰めこまれた窮屈な客室や、そこに乗り合わせた七十八歳の盲目の老人、船酔いに苦しむ女たち、快活な学生たち。なんとか悪天候を免れるかと思いきや、直江津に近づくにつれて海は大荒れとなる。かろうじて目的地に寄せたものの、乗客を陸へと運ぶ艀が大波に襲われ、あわや絶体絶命となったそのとき……。
当時の船旅がリアルに描かれて、知らない時代の風俗を追体験する楽しさがある。「『妖怪年代記』 現代語リライト」の題材メモにも書いたのだが、鏡花は満十六歳のころにしばらく富山に滞在したことがあって、船旅の様子はその頃の経験か、あるいは経験者の伝聞によるのか。実体験がなければ描けないような写実を感じさせる。
そして何よりも、鮮烈な結末に驚かされる短篇だった。当時注目されていたモーパッサンのような切れ味を目指したのだろうか。一種の叙述トリックが使われていて、現代ならミステリー短編集に収録されていてもおかしくない。
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『聾の一心』(明治二十八年一月)
題名の「聾の一心」は、本名が明かされない主人公の通称で、難聴者を揶揄しているわけではない。
一心は金沢在住で、五十二歳の彫金の名手。悪性の腫瘍に悩まされ、かつて部屋を貸していたことがある医師を頼って病院を訪れる。この藤井医師が語り手となって、名人気質を貫く一心の壮絶な生き方や、彼を支える子供たちの苦悩を見守るという物語である。
金無垢の亀の彫刻を好きなように彫るという一世一代の大仕事を前に、一心の病状は刻々と悪化し、母のいない姉弟は自殺を考えるまでに追い詰められる。藤井医師の献身の甲斐もなく、一心は子供らにすがられながら絶命する。
彫金の職人であった作者の父親をモデルにした、数多く書かれた物語の最初の一つであって、あまりにも一直線の悲劇ではあるものの、誇り高い職人の人生を見つめる眼差しに真情がこもっている。
けれども、それにとどまる短篇ではない。鏡花の作品を読み解く上で重要な記述を含んでいる。
この一心という職人のことは、
▶要するに、渠は人を悦ばしむる美術家にあらずして、自ら娯む職人なり◀
と書かれ、それがどんな具合であったかは、次のように描写される。
▶偶々杯の象嵌、急須の彫刻、黒棚、厨子、屏風の金具等の注文ありて、人其好仕事を得たるを祝すれば、一心悦ばずして、「こりゃ俳諧の附合。」と、蓋し他作に照応するを専として、打越、去嫌の斟酌におのれの志を展得ざるを憾めるなり。◀
一読してわかりづらいので、現代語訳をしてみると……。
▶たまたま杯の象嵌細工、急須に刻む彫刻や、黒棚、厨子、屏風の金具などの注文があって、いい仕事にありつけて良かったねと人から言われても、一心は喜びもせず、「こりゃ俳諧でいえば付句をせよと言われたようなものだ」と、過去に作った作品と引き比べることに多くの時間を費やして、以前のあれと趣向が被らないだろうか、どうすれば新機軸を打ち出せるだろう、などと頭をひねりながら、これから手がけるものを自分の理想に合致させることの難しさを嘆く始末である。◀
本文中の「打越」「去嫌」というのは、同趣向の句が続くことを避けるための俳諧之連歌(のちに連句と呼ばれる文芸)のルールであって、一心が生涯を通じた全作品につながる俳諧的美意識を背景に、次作の趣向を凝らしていたことがわかる。
これはまったく、鏡花の創作姿勢にあてはまる。
鏡花という作家は生涯を通じて、限られた数のモティーフを繰り返し用いながら、過去の作品を常に一新して、驚くほどのヴァリエーションに飛んだ作品を生み出した作家だった。読者の側からすればそうして書かれた作品は、他の作品を多く読めば読むほど、一つの作品に無限倍の読みどころを生じさせることになる。
鏡花の父、清次の作品はあらかたが失われてしまったそうなのだが、幸いにして鏡花の小説はほぼすべてに近いものが書物のかたちで残されている。作家が異業種の父親から受け継いだ職人の誇りが、どんな小品も価値あるものに変えてしまう魔法のような効果を産みだしたのだし、それに伴う苦難の道程も全集には刻まれている。
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本作をもって、鏡花全集小説の部の、中期・前期作品は読了。
以後、後期の未読・要再読作品を、巻十七から巻二十四に向けて読み進めていきます。




