鏡花読書~予備兵
『予備兵』(明治二十七年十月)
全集の作品解題によると、鏡花が父の葬儀のために帰省中、「金沢の亡父の家で執筆」された、「日清戦争勃発に取材した鏡花の最初の本格的現代小説」である。『義血侠血』の推敲と並行しながら、「出京直前の旬日の間、一気に百枚を草したものと目され」、東京に戻った翌月すぐに読売新聞紙上で発表された。
それまでは地方紙や少年誌、企画ものの単行本のためにばかり書いていた鏡花にとって、初めて中央の文壇の目に留まる機会を得た、メジャーデビューともいえる作品である。
とはいえ、内容的にはなんとも言い難い珍品で、渾身の作であった『義血侠血』に手をかけすぎたあまり、たまたま先に世に出てしまったとしか言いようがない。
旧藩士の老寡婦、風間直子は、女ながら兵役に志願し、それが適わないとなると田畑を売って大枚二百円を軍部に寄付するという金沢の烈婦で、彼女の周囲には血気にはやる若者たちによる義勇団、蜻蜓組が集っていた。
一方、直子の養子である医学生の清澄は、彼らの熱狂を冷淡に受けとめる態度を貫いたため、直子からは絶縁され、蜻蜓組からはリンチの対象として狙われる。
だがその実、清澄は、在学中に志願兵として入隊をし、軍事教育を受けたのちに高等中学で学びながら、予備兵(第一線への投入を待って、在野に待機する部隊)として出征を待つ身だった(復学時に学資の援助を受けるため養子の縁を結んだようで、直子もその事実を知らなかった)。
そんな清澄に突如、小隊長として召集令が下る。許婚に近い関係にあった医学部講師の令嬢、円は、兵舎に向かう清澄に追いすがるのだが、国のために命を惜しまぬ彼の決意は、いささかも揺るぐことはない。ついに朝鮮半島に向けて出陣した隊列を、円は運搬夫に身をやつして追いかける。
遠征隊が金沢市外の手取川に達したとき、清澄は日射病で倒れた。最期まで剣を離さず「我軍万歳!」と叫んで絶命した清澄に、戦友は慟哭し、部下の兵士たちは涙の歌を捧げる。老いたる旅団長は、彼の名は千載に朽ちざるものだと讃えるのだった。
……臆病者だと誤解されたヒーローが、さあ勇躍の時が来たと立ち上がったとたん、つっ転んで打ち所が悪くて死んでしまって、ああ、なんと勇敢な死にざまだと皆が讃える、みたいな話である。
ずっと以前に初めて読んだ際は、軍隊をおちょくったギャグと解すればいいのだろうかと悩んだ覚えがあるのだが、今回読み返してみると、一片のアイロニーも入りこむ隙間のない、きわめて真面目な姿勢で書かれている。
吉田昌志の論文「ふたつの『予備兵』――泉鏡花と小栗風葉――」では、この小説の素材となった新聞記事などの研究成果がまとめられている。
それによると、女ながらに従軍届を出した、二百円を軍に献金した、貧窮の書生を養子として養っていた、義勇団が結成された、行軍中に日射病で倒れた兵士がいた、などの記事が地元紙の北国新聞に掲載されていて、帰省中の鏡花はそれらを小説に取り入れたらしい。
さらに驚くことには――各地の義勇団のようなものは国家にとって不要である、戦争のことは軍隊に任せて、臣民は各々の生産に励んで富を生産せよ、といった内容の勅令がこのタイミング(明27.8.7)で渙発されている。一億玉砕を呼びかけた太平洋戦争の頃とは様子が異なる、という驚きもあるのだが、それだけではない。作中で非国民扱いされる主人公清澄の、在野の時は勉学に励むという冷静な姿勢は、当時の国家の意向でもあったのである。
お決まりのラブロマンスをからめた講談調の語り口に目をくらまされた読み手は、本作が発するメッセージをつかみかねて困惑する。だが実際のところ『予備兵』は、なんらかの主張のために空想された物語ではなく、鏡花が兵士の出征で沸く金沢で見聞きしたことや、新聞で報じられた事実や世論といったもの、ほぼそれだけをコラージュしてこしらえた、ノンフィクションの切り貼りのような作品だったようだ。
故郷で実家に閉じ籠もって『義血侠血』という現実離れしたメロドラマの執筆に没頭していた鏡花にとって、否が応でも目の前に突きつけられた開戦という現実は、出征兵士とほぼ同世代の小説家として題材とせざるを得ない大問題だった。
故郷の風土に深く根づいた封建的な性質や旧士族の特権意識は、鏡花が最も嫌ったものであり、それが顕著に露呈した戦時下において、水をさすような勅令が渙発された。しかし戦争の熱狂は(作中に出現するほうき星が人々のさまざまな解釈を導くように)客観的な真実を見えにくくするほどに高まっている。
この混沌とした状況に対処する自分の意思を固めるために、事実を素材としたメンタルモデルの形成手段として書かれたのが『予備兵』という小説だったのではないかと思う。
導かれたのは、現時点ではどういう立場をとればいいのかわからないという答であって、結末には(上位的な戦意の観念体である)主人公の唐突な死が切り貼りされるしかなかった。放置された問題意識は直ちに反戦に結びついたわけではなく、義務と責任に極端に殉ずる観念小説的キャラクター造形を経て、『琵琶伝』(明29.1)、『海城発電』(明29.1)、『勝手口』(明29.11, 12)、『凱旋祭』(明30.5)などの、自分が納得できるかたちでの厭戦表現に結実することになった……。
なんともいえないこの小説については、今のところ自分には、そんなふうにしか捉えられない。売文に徹した際の例外はあるとはいえ、鏡花は正直に、思想的ではない自分の考えを書いている。




