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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~貧民倶楽部

『貧民倶楽部』(明治二十八年七月)


青空文庫

https://www.aozora.gr.jp/cards/000050/files/50108_72104.html


 難しいことはさておき、何よりもこの小説は、虚飾にまみれた華族階級 VS 謎の美女お丹を首魁とする貧民窟シンジケートの仁義なき戦いを描いた活劇ロマンであって、とにかく面白い。その題材からして、もしも三十年後くらいに発表されていれば鏡花は観念小説ではなく、プロレタリア文学の旗手だとレッテル付けされたかもしれない。


 けれども、自由平等をたてに権威に揺さぶりをかける最下層からの闘争が描かれているのは確かだとはいえ、侠気のヒロインであるお丹が華族たちに闘いを挑むそもそもの動機は、姑にいじめ抜かれて自殺しようとした若い嫁に対するお丹の同情心であり、たまたまそこから恐喝の相手を選んだ犯罪者集団による強奪劇であって、階級闘争的意識のもとで犯罪が行われるわけではない。

 犯罪とはいっても標的にされる華族階級からして、吉田健一が『ヨオロッパの世紀末』で暴いたヨーロッパの紳士というものの仮面的な一面のさらに輪をかけた、欺瞞に満ちた悪の巣窟であって、『貧民倶楽部』という小説は、悪に対する悪が必然的に善の様相を見せるという意味での勧善懲悪劇にほかならず、さらにその善たる悪のお丹の行動原理は江戸侠客の美意識に根ざしているのだから、本作の痛快は、旧時代の河内山宗春の強請場(ゆすりば)と同じものに属している。


『貧民倶楽部』が執筆された明治二十七年といえば、前年に出版された松原岩五郎の貧民窟潜入ルポルタージュ『最暗黒の東京』が話題になった時期であり、鏡花自身も上京後の同じ頃に、心ならずも東京の最底辺の生活を送っていたのだから、共鳴することも多かったのだろう。貧民倶楽部とは『最暗黒の東京』第九章の章題でもあるし、『貧民倶楽部』に登場する乞食集団は、『最暗黒の東京』でも描かれた東京三大貧民窟の一つ、四谷鮫ヶ橋を根城にしている(他の二つは下谷万年町、芝新網町)。

 そこに権謀術数に長けた美女がいて、並外れた異能や身体能力を持つ乞食たちを統率していたというのは、もちろん鏡花によるファンタジックな空想であって、『水滸伝』あたりを発想源にしているのだろう。お丹は新聞社の特派員としても暗躍していて、華族の邸に密偵を潜入させ、伝書鳩ならぬ伝書犬を駆使した速報によってスキャンダルを暴露する。マスメディアの力を味方にした、新時代の恐喝魔である。

 それにしても不思議に思えるのは、この前後に書かれた作品と比べて(『義血侠血』と比べても)、鏡花には異例なほどにエンターテインメント作品としての骨格が整い、ときには読者に配慮した記述さえ挿入されていることだ。

 想像通りそれには、尾崎紅葉が関わっている。


 ネット上で読める魯惠卿「泉鏡花『貧民倶楽部』論」は、『貧民倶楽部』の原稿調査をメインにした論文であり、それによると本作には二つの直筆原稿が残されているらしい。

 一つは乱雑な字で書かれた初期のものらしき原稿で、もう一つは紅葉による添削の跡が著しい、「内容に関わる大幅な改変」までが書き加えられた原稿。おそらくは師の指導の下に書き直したものに、さらに大幅な添削を加えられて清書したものが入稿原稿になったと思われる。

 明治二十七年三月十七日付けの、紅葉から鏡花に宛てられた書簡には、


 ▶貧民倶楽部は手を入れる所多きが上に長編にて大困却いたし候/以来は四五十枚までの短篇の事実おもしろきを作るべし◀


 とあるそうで、こんなに手をかけさせるならもっと短い小説にしてくれと、添削を持て余していた紅葉の姿が想い浮かぶ。二稿に見られるだけでも八十箇所におよぶのだという添削量や内容からしても『貧民倶楽部』の作者に紅葉の名が列記されないのがおかしいと思えるほどなのだが、そこは、見込みのある弟子に花を持たせたということなのだろう。


 全集や泉鏡花事典の解題には、本作への内田魯庵の批評が、鏡花が任侠大衆ものに陥ることを戒めたことが挙げられている。観念小説のレッテルからの脱皮の方向性を考えていたのだろう鏡花は、その批評を受けとめたのか、徐々にエンタメ路線から身を引く方向に向きを変えたかのように見える。

 けれども、芸術一辺倒の作家になったというわけではない。以後の鏡花は、大衆的なロマンと芸術性との振れ幅のなかで作風を変化させ、ときには両者が渾然一体となった傑作を残したわけで、そういった聖俗の混交そのものが、終生における鏡花小説の際だった特徴になった。

『貧民倶楽部』はこの時期における、鏡花のエンタメ志向の最極端の理想を、師の助力を得て具現化した好例であって、結果的に残された無条件に面白いそれを、読者としては楽しまないという選択肢はない。



『貧民倶楽部』は文語体で書かれているとはいえ、(紅葉の小説と同じく)意味不明な箇所も辞書を引けば素直に理解できるタイプの難解さなので、特に引っかかる部分はない。

 そう思っていたのだが、


 ▶身に降掛る(まがつひ)のありともあはれ白露や◀(全集巻二 p102)


 という部分を読んで、「まがつい」とはなんだろうと調べたのだけれど、これは「まがつい」ではなくて、禍津日神(まがつひのかみ)によることばであって、「かなづかひ」を「かなづかい」と読む要領ではなく、現代仮名遣いでも「まがつひ」と読むことばなのだった。


 他にも、


 ▶白馬(しろうま)を飲む祟りだわな◀(同p60)


 という科白があって、飲むような「白馬」ということで調べると「白馬錦」という、明治時代からある酒のブランドが見つかるから、それかと思われる。しかし貧民窟の住人がブランド酒を常飲しているという記述は文脈的におかしい。

 そう思ってさらに調べると「白馬」とは、当時の一膳飯屋で提供するような、下等な濁り酒を指す一般名詞だったとわかる。


 ちょっと調べて、多分そうだろうなと思えるところに罠が仕掛けられていているような具合で、やはり百年以上昔の、しかも旧時代から新時代への過渡期のことばというのは、注意深く読んでも難しい。



 鏡花没後に映画『歌行燈』(1943)を監督した成瀬巳喜男は、貧民窟の子どもたちのための鮫ヶ橋尋常小学校の卒業生だったそうだ。不思議な縁を感じさせる偶然である。


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