鏡花読書~風流蝶花形、怪語
『風流蝶花形』(明治三十年六月)
鏡花にはレズビアン的な愛情を描いた作品がいくつかあって、とはいっても男女の性愛描写すら遠慮しがちな作風に加えて、当時の性モラルや表現の規制をかんがみる必要もあるわけで、ちょっと匂わせた程度でもそれだとみなす、豊かなすけべ心をもって諸作を振り返った上での話ではあるのだけれど……。
たとえば『勝手口』(明29)では思春期にありがちな、『星女郎』(明41)ではかなりアブノーマルな、『櫛巻』(明43)ではプラトニックなそれが描かれていたと思うのだし、人外の事情はよくわからないとはいえ『天守物語』(大6)だってそのあたりを濃厚に匂わせている。
けれども年増の女郎が少女の女郎を溺愛して毎晩抱いて寝ているといった本作ほど、刺激的に肉欲的な愛が描かれたことはなかった。
それまで飴玉のように口中でほおずきを弄んでいた二十六、七歳のおいらん菅原は、まだあどけなさの残る妹分の清香に添い寝をしたかと思うと、そのほおずきを口移しするのである。
入楼以前の清香には弟がいた。その弟が奉公先で亡くなくなったとき、彼女と病母が暮らす実家に白い蝶が舞った。そして今夜、姉女郎と同衾する置屋の一室にも、白い蝶が飛んでいる。
母親が死んだ知らせに違いないと動揺する清香を尻目に、菅原は妙に落ちついて、今が丑の刻であることを確かめる。清香には、つれなくされて呪いをかけている男がいて、おそらく白い蝶は、呪いが満願を迎えた徴だと彼女は思ったようだ。それが当たっていた証拠に、菅原はそのまま息を引き取ったのだった。……
同性の美女と少女の甘い恋愛事情が、深刻な影を落としたかと思うと、最後の数行でいきなり(のちに書かれることになる『春昼』のような)夢のなかでの心中物語に急転する。
一読すると、あまりにも極端な飛躍に戸惑って、これは小説としてどうなのだろうと首をかしげてしまう。けれども話を振り返りながらページをめくってみるうちに、「切れて見やがれ、唯置くものか、藁の人形に五寸釘」という都都逸や、新内節の「明烏夢泡雪」の物語が、呪いや心中といったものの迂遠な伏線になっていることに気づいたりもして、案外しっくりとした話ではないかと思えてしまうのが不思議である。
鏡花が芸妓や遊女をヒロインにした小説は『辰巳巷談』(明31)に始まると思っていたのだが、本作はその前年に発表された、最も初期の花柳もののようで、どこの遊廓の話なのかは明記されないとはいえ、遊女屋の内情などもかなり写実的に描かれている。
〇
『怪語』(明治三十年七月)
やたらかっこいいタイトルから、切れ味鋭い怪異譚なのかと期待するのだが、いざ読みはじめてみるとあまりにも期待にそぐわぬ違和感に、いったいどういう出自の作品なのかと、確かめずにはいられなくなる。
鏡花の伝記的な文章を読むと、紅葉に弟子入りする以前からなのか以後からなのかはわからないが、『他人之妻』という習作を書きつづけていたが原稿は残っていないという話を見かける。
本作『怪語』は、その散逸したはずの『他人之妻』の、手もとに残った一部分なのだった。
鏡花自筆年譜には、
▶[明治二十六年]八月、重き脚気を病み、療養のため帰郷。十月京都に赴く。同地遊覧中なりし、先生に汽車賃の補助をうけて横寺町に帰らむがためなりき。時小春にして、途中大聖寺より大に雪降る。年末この紀行に潤色して、「他人の妻」一篇を作る。年を経て発表せし、「怪語」は其の一齣なり。余は散佚せしのみ。◀
とある。書かれた時期をそこにずらして読めば「他人の妻」とは、『一之巻』~『誓之巻』の連作と同じく、鏡花の初恋の人である、金沢の時計店の娘、湯浅しげのことを指していて、結婚して手の届かなくなった人への断ちきれぬ思いを波瀾万丈の一大ロマンに仕立てようとした作品だと察しがつく。そうなると「人妻」だの「怪語」だのといった思わせぶりなタイトルも、とたんに中二病っぽいものに思えてくるのだけれど、二十歳ごろかそれ以前に書かれたものだと思えば納得である。
明治二十七年一月から七月までのほぼ半年間、郷里金沢に帰省していた鏡花は、東京の尾崎紅葉のもとにせっせと習作を送り続けていた。そのとき送った原稿のなかに『怪語』は含まれていたのか、それ以前に提出していたのかはわからないのだが、本作以外にも『蛇くひ』『妖僧記』『お弁当三人前』などがしばらく塩漬けにされていたのだと想像されて、各篇の発表時期はどうやら師の判断によるものだったらしい。
もともとが断片なのだから、話はいきなり始まるし、中途半端に終わる。未熟な文章の上に紅葉の加筆がはなはだしく加えられているから、文体からは鏡花らしさあまりが感じられない。
「他人の妻」に思いを寄せるというモティーフと『一之巻』~『誓之巻』や『清心庵』との、また登場人物の一人である巡査の性格から『夜行巡査』との繋がりを考察する上で、研究対象としては魅力的なのかもしれないが、読み物としては、なにやら立派に文飾された講談ものといった程度の印象しか受けなかった。
直後に書かれた作品よりも、むしろ作中で描かれた反社会的な盗賊組織の暗躍から、『黒百合』『風流線』『わか紫』といった活劇ロマンに響くものが感じられて、『蛇くひ』や『妖僧記』とは別の意味で、最初から鏡花は鏡花だったのだと思わされる作品ではある。




