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こりすま日記  作者: らいどん


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鏡花読書~通夜物語

『通夜物語』(明治三十二年四月)


 玉川(たまがわ)(きよし)は若くて眉目俊秀な絵師だったが、お互いに思いを寄せていた従妹の澄子との間を裂かれたことから捨て鉢になり、放蕩三昧の暮らしをするようになる。澄子は陸軍大佐のもとに嫁いだ。清はもと花魁(おいらん)粂次(くめじ)と同棲して、上流階級とのつき合いが多い親戚たちから鼻つまみ者扱いされている。伯父の葬儀で顔を合わせた清を「不心得な奴」「あんな者が家のなかにいると汚れる」とさんざん愚弄し、お前の妹をうちの嫁に欲しいなどと言っていじめる。清は世間体もあって、親戚たちの前では粂次を妹だと偽っていたが、彼の情人が吉原の女だったことは周知の事実だった。

 売れる画も描けず、いまや着る物にも窮していた清は、一世一代の賭けに出る。粂次のことを嫁に欲しいと言った澄子の父(茶道の師匠)の戯言を逆手にとって澄子の実家に押しかけ、言われた通りに粂次を連れてきたから責任を取れと強請(ゆすり)をかけようという計略。帯に出刃包丁を仕込んだ粂次とともに上がりこんだものの、主人は不在だわ、里帰りをしていた澄子と顔を合わせるわ、澄子の夫の陸軍大佐が訪ねて来るわの番狂わせが重なって、事態は思いもよらぬ方向に……。


 一読して、生世話物(きぜわもの)の新作歌舞伎といった趣。

 登場人物の着ているものを「扮装」と言ったり、「物語は舞台が廻って」などと、ト書きめいたことばが挟まれたりと、あからさまな舞台仕立てが作中に目立つ。大詰めにいたる前までは喜劇色が強く、とりわけ澄子のお供の女中、お松の言動が可笑しい。  

 もとは吉原遊廓の女中だったお松は、御職(おしょく)女郎(吉原のナンバーワン)だった粂次のことを無条件に崇拝していて、長男が徳川様の栄誉に預かった話題で座中が盛り上がるなか、「は、徳川様ッて何なの」と言い放つ。

 粂次と清、粂次の父親の江戸前で生世話な会話も輪をかけて権威をこき下ろして、中盤まではドタバタ・コメディと言ってもいい。

 終盤では一転して、華族、軍人、金持ち、それに追随する世間的常識人への呪詛や怨念が噴出する。鏡花の常套だとはいえ、絵師や女郎といった社会的弱者が命がけで権威に立ち向かうことになる幕切れは、我知らず彼らが追いこまれた状況であるだけに痛々しい。そして芸道開眼こそが、強者への最高の意趣返しとなる。


 発表当時の文壇では、旧時代の切られ与三(お富)や河内山宗俊の話を蒸し返しただけじゃないかと馬鹿にされたのではないかな。現在の目で読めば、内面描写を排した――芝居の舞台に多方向からカメラとマイクを向けて、役者の演技と科白、カメラワークやカット割りだけで物語を語るのに近い叙述には、逆に新鮮味を感じるのだし、そもそもがそれ以前に、おそらくは当時書かれたあらかたの小説よりもずっと笑えて泣ける、素直に面白い小説なのだけれど。



 ところで、芝居がかった小説だということにからめて、鏡花に関する素朴な疑問がある。まだ、鏡花の戯曲とその上演史について、あまり読んだり調べたりしていないくせに、先に言ってしまうのだが。


 鏡花はなぜ、歌舞伎の脚本を一本も書かなかったのだろうか。

 作中で見られる、歌舞伎からの引用や比喩やそれに模した文飾や科白や演出からして、それを劇作に転用すれば、黙阿弥劇に比肩する新作をものしそうな実力の持ち主だったのに、あてて書いた(あるいは他者による脚色の監修や稽古に参加した)のは新派向けのものだけだった。


 先に新派と縁ができて売り込みにくかったから? 座付作家として縛られたくなかったから? 当時求められていた新作歌舞伎というものが嫌いだったから?

 そういえば真山青果や岡本綺堂が書いた新作歌舞伎は、史実に沿った実録物だったり、近代心理劇だったりして、鏡花の作風とはまったく相容れないものではある。

 純粋に戯曲作品として書かれた鏡花作品が歌舞伎の人気レパートリーとして繰り返し上演されている現在からすると、当時の状況を想像だけで理解しようとするのは難しい。


 ただし一つ気になるのは、鏡花作品には女芝居や新派の俳優、小芝居の役者などがしばしば登場して、ときには主役を張ったりするのだけれど、歌舞伎俳優を主要人物に据えた作品は(今のところの自分には)まったく見あたらない。

 何か、歌舞伎に対する複雑な感情があって、それが影響しているのだろうか。


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