鏡花読書~黒百合
『黒百合』(明治三十一年)
青空文庫
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千破矢伯爵家当主の瀧太郎は、何事にも物怖じしない度胸と見かけによらぬ頑強な肉体、傑出した容貌を備えた、十八歳にして天下御免の若様である。べらんめえな口跡とは裏腹に、女子供に優しい無垢な一面を垣間見せる好青年……。
しかし真実の彼は病的な犯罪マニアで、即座に真贋を見抜く異能の重瞳と刃を仕込んだ金の指輪を武器に、大胆な窃盗を繰り返しては、秘密の洞窟に盗品をコレクションして悦に入る日々を送るのだった。
まるで乱歩の二十面相や黒蜥蜴のような……。
ちくま文庫の「泉鏡花集成(二)」が刊行されたのは1996年4月だそうで、そこに収録されていた『黒百合』は興奮して読んだ記憶があるのだけれど、久しぶりに読み返してみると、ほとんど内容を覚えていなかった。たぶん、意味がわからないところを流し読みしていたせいだろう。
再読して驚いたのは、『黒百合』の結末はマキノ雅弘(当時は正博)の映画『阿波の踊子』とそっくり! ということだった。
映画『阿波の踊子』(1941年)はフィルムが現存しておらず、再公開時の短縮版『劔雲鳴門しぶき』でしか観ることができない。短縮版とはいっても、1957年に同じ脚本をセルフリメイクした『阿波おどり 鳴門の海賊』と比べても、それほど大きな欠損はないように思える。
徳島に伝わる阿波十郎兵衛の説話をアレンジしたもので、民衆に渇望される伝説的人物の神話的な復活劇が、マキノ一流のため息が出るほど叙情的な映像で語られていて、100作品を観ているマキノ映画のなかでも最高に好きな作品である。
この映画の、海賊の正体を見顕した十郎兵衛の弟(長谷川一夫)が海賊船の船べりにそそり立つ崇高なラストショットは、まさしく『黒百合』の最後の一行に書かれたヴィジョンそのものだ。
借用や翻案がそれほど見とがめられなかった戦前の状況からしても、『阿波の踊子』は『黒百合』の、ロマンの余韻をたなびかせるようなラストを引いてきたのではないか。
すぐ前に書かれた『三尺角』連作のような文芸的作品とはいささか毛色を変えて、『黒百合』は鏡花流一大伝奇ロマンとでもいうべき波瀾万丈の物語である。人跡未踏の石瀧の奥に咲く秘密の黒百合をめぐって、聖俗善悪入り乱れたドラマが展開する。
発表当時から構成に難があると指摘されているとおり、展開には放縦、乱雑のきらいがあるものの、キャラクターの魅力がそれを補って余りある。とりわけ上に挙げた、主人公の千破矢瀧太郎の造形が、百年以上経った今でもラノベが何冊も書けちゃうだろうほどに凄い。
瀧太郎は子爵の落とし胤として、東京の貧民窟から富山の豪家へ迎えられた青年で、今はその家の当主となっている。子供の頃から犬猫を惨殺し、悪事に手を染めるのをためらわない。子爵家を継いでからも、器用に対面を取り繕いながら、病気のように犯罪を繰り返している。その一方で母親を崇敬し、弱者に肩入れをする純粋さを失わないという、鏡花好みの無垢な純粋悪を体現している。
以前の鏡花読書で挙げた『三枚続』(明33)、『式部小路』(明治39)の連作に登場する愛吉と似通ったキャラクターである。
鏡花小説から、盗賊や掏摸、無法者の集団が暗躍する物語を思い出す範囲で挙げてみると、
『蛇くい』(執筆は明25, 26頃か)、『龍潭譚』(明29)、『親子そば三人客』(明35)、『千歳の鉢』(明36)、『風流線』(明36)、『続風流線』(明37)、『わか紫』(明38)、『婦系図』(明40)、『築地両国』(明44)、『祇園物語』(明44)、『桜貝』(大4)、『芍薬の歌』(大7)
……と、江戸読本趣味やピカレスクロマン的な作品が並ぶことになる。冷酷な盗みの対象を女心や貞操に拡大すれば、さらに多くの、同傾向の作品が追加されることだろう。
やはり鏡花流のエンタメ路線と非道の悪党は、切っても切れない関係にある。
〇
予想外の展開を楽しむべき活劇のストーリーを明かすのも野暮なので、(特に前半は多少は辞書を引くのを我慢しつつ)原文を読んでみるのが手っ取り早い。
……のだけれど、当時と今とでは、エンタメを読む上でのデータベースそのものが異なるので、前提として知っておかなければならないことも少なくない。
ちょっとわかりにくいと感じたことをメモしておくと……。
・富山の総曲輪、新庄、神通川などの位置関係
・黒百合やモウセンゴケなど植物の知識
・富山に伝わる早百合伝説と、その続きである黒百合伝説
……読本『絵本太閤記』や歌舞伎『富山城雪解清水』で人口に膾炙していた。
・銀流
……当時露店でよく売られていた、簡易的な銀メッキの便利グッズ。
・韓愈の詩句「雲横秦嶺家何在 雪擁藍関馬不前」
……名詩のなかにある詩句なので検索すれば解釈はすぐに見つかるのだが、本作で言われているのは、『太平記』の無礼講事付玄恵文談事のエピソード。仙術に長けた韓湘が韓愈に与えた暗示的な詩句ということになっている。
・重瞳
……超人の象徴。昔のフィクションで、豊臣秀吉などの歴史的英雄が片目に二つの瞳を持っていたとするたぐい。
・調姫
……『恋女房染分手綱』「道中双六の段」に登場する、丹波の国城主の由留木殿のお湯殿子(非嫡出子)である調姫。
とてつもなく魅力的な細部に溢れた胸躍る活劇ではあるが、物語としての出来は『神鑿』や『幻の絵馬』のほうが優れていると思う。
三島由紀夫が本作を鏡花初期の代表作として挙げたのは、国枝史郎の『神州纐纈城』を偏愛するという発言と同列で、やや韜晦を感じさせないだろうか。




