鏡花読書~笈摺草紙
『笈摺草紙』(明治三十一年)
全集別巻および『泉鏡花事典』の解題では、タイトルの読みは「おいずるそうし」。『紫道中』の別題がある。
読んで気づいたわけでなく、上の解題で指摘された内容から引くのだが、本作は次の三点で重要作とされているようだ。
・作品名が淡々と列挙される鏡花の自筆年譜において、「『笈ずる草紙』は、推して端坐精進の作と言はむ」と特記されている。
・『立春』『縁結び』『由縁の女』『縷紅新草』などに連なる、いわゆる鏡花の「墓参小説」の起点となった作でもある。
・「この『笈摺草子』において、始めて短い時間的世界のうちに複雑な過去の物語を展開し、ふたたび現実を描いてゆくという交錯した表現形式がとられた。」(蒲生欣一郎『もうひとりの泉鏡花 : 視座を変えた文学論』)
そしてもう一つ大事なことは、作中のヒロインの紫に鏡花の母、鈴の面影が投影されていることである。
いや、投影などという生やさしいものではない。江戸神田明神近くの加賀藩下屋敷で生まれた能楽師の娘、鈴が、戊辰戦争の戦乱を避けて家族とともに金沢に移住した――いわゆる「都落ち」の情景が克明に再現されて、それが母を紫に置き換えた物語の核をなしている。
想像のなかで反芻して、まるで絵草紙の姫のように思えるまで具体的な像を結んだ鈴その人をヒロインに据えた物語なのである。
疎開先まで運ばれた雛人形の箱には、作中の紫が『田舎源氏』『大倭文庫』『白縫物語』や百人一首などを偲ばせていた。これは、現実の鈴が取った行動と同じであり、それらの書物が、のちに鏡花の文学体験の出発点にもなった。
そんな、作家自身の思い入れが幾重にも重なった濃密な都落ちの一場面は、ヒロインの子別れ、自死――そして残された子供がその情景を、まるで物語のように思い返すであろう未来の回想をまで内包しながら、読了後の読者の記憶もまた若き日の紫(鈴)の一場面をめざして円環をなさしめるように、物語の求心点に配置されている。
生涯のメインモティーフの発見と、それを語るための技法を得たという手ごたえが、鏡花をして「端坐精進の作」と言わしめたのだろう。
発表当時から現在に至るまで、それほど大きく注目されることのなかった作品であり、あらすじを書いたとしても「墓参」というひと言に要約されるようなものになってしまいそうなのだけれど、晩年の『由縁の女』や『縷紅新草』を読んでから本作に触れれば、この小さな作品にどれほど大きな物語が凝縮されているのかが、さらに実感できるに違いない。
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『笈摺草子』の描写のなかに出てくる「箱せこ簪」というものについて調べてみた。
筥迫というのは、和装の胸もとに挿す小物入れのことで、写真を見れば、ああ、あれのことかと解るのだが、工芸的な意匠が凝らされたいくつかを見るだけでも、知らない世界に踏みこんだという驚きがある。
筥迫簪とは頭髪に挿す簪ではなくて、その多種多様な筥迫をさらに装飾する簪のこと。筥迫びら簪、はこせこビラカンという呼び名で、現在もマニアックにその魅力を語ったり、自身で作ったりする方がたくさんいらっしゃるみたいだ。
鏡花を読むのに特化した知識の部分でしか和服のことは知らないのだけれど、知れば知るほど、怖いくらいに奥が深い。




